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8月, 2009の投稿を表示しています

ひざ痛と登山の関係。

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昨年、登山中に右膝を痛めてしまった。もともと、膝は弱い方だったので、サポーターを付けたりして注意はしていたものの、一気に痛みが爆発した感じだった。 その後、2日ほどは、階段をおりるだけでも激痛が走り、ちょっとこのままでは、日常生活にも差し障りがあるな、と考えていたところ、3日目くらいから、すーっとひいたので、ひとまず様子見をしていた。 山好きの知人に話したところ「このサプリがいいよ」と、グルコサミンのサプリを、わざわざ、ひとビン下さった。ありがたく、いただいてきちんと服用した。その後、膝に関するトラブルもなく、さらに、肌がすべすべになったような気がしたので、調べてみると「美肌効果」があることもわかり、こちらの方に、効いたのかな、と苦笑いをしたりしていた。 先日、磐梯山に登った時、下山途中に、また膝に痛みが走った。ポールを使いながら、ゆっくりおりてきたのだが、当日はひどく痛み、やはりこれはちゃんと診てもらわないと駄目だな、と思いつつ、その日は温泉に入ってマッサージをして寝た。 翌日、おそるおそる立ってみると、痛みは20%以下くらいにまで減っていた。これなら大丈夫かな、と思い、サプリメントを摂取して、様子を見ている。知り合いに、接骨院で働いている人がいるので、相談しつつ、さすがに今回は、ちゃんと治療しようと思っている。

岳10巻

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学生の頃は、週刊誌を始めとして、暇さえあればマンガを読んでいたものだけど、最近はほとんど読むことがなくなってしまった。いや、正確に言うと、読むには読むけれど、自分で購入することが、なくなったと、いうことだ。 その中で、現在、発売日に購入している唯一のマンガが、この「岳」だ。山岳救助のボランティアをしている、島崎三歩が主人公のこのマンガ。何度読んでも、グッとくる。頼もしいなあ、とか、よくがんばったなあ、とか、無駄かもしれないけど行ってみよう、探してみよう、とか、最近口にすることが少なくなったような気がする部分を、感じさせてくれる作品だ。 自分は、ひとりで登山をすることが多いのだが、誰もいない山中を、テクテクと歩いていると、岳の登場人物のような気持ちになることが、よくある。絶対的な孤独感と開放感。どうして、そんなに苦しい思いをしてまでも、山に登るのか? 岳を読みながら「わかる、わかる」と、部屋の中で噛み締めつつ「山に行きたいな」と思うわけだ。 山荘のおばちゃんの「景色はええが・・・ここじゃ生きてても死んでても分からんが。」という台詞が、主人公への愛情と同じように山で生きる、自分自身への寂寞感を表しているようで、とても心に残った。それでも二人は山で生きるのだろうし、山でしか手にすることが出来ない幸福感も積み重ねていくのだろう。 自分も自営業という形で、自分なりの充実感や幸福感を求めて、会社勤めの方とはちょっと違った生き方をしているけれど、そのような孤独になりつつも自分なりの方法で道を作っていく部分が、山を舞台にした「岳」に共感する一因になっているのかもしれない。岳を2回繰り返し読んだあと、そんなことを考えました。

実験ムービー 2009.08

先日、新しい実験ムービーを公開した。ミュージシャンの新しいアルバム発表のコメントのようだけど「すごく、いいのができた。今までで一番気に入っている」と、自分では思っている。完成度は30点だが、コンセプト的には60点は、つけてあげてもいいのではないか? と思っている(笑) 実験ムービーは「自分が試してみたいことを、恥ずかしげもなく試す」ということが、最大のテーマでもあるので、今後も、この調子で、まずは自分がニヤニヤできるような作品を目指して、作成を続けて、ムダに時間と情熱を注いでいきたいと思う。 他の実験ムービーを、見てみる?  他の実験ムービーは、こちら

北海道限定ビール

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お客さんから、ビールを1ダースいただいた。最近は、このような嗜好品は、ほとんどお客さんからの、いただきものでまかなっているような気がする。もうしわけないなあ、と思いつつ、遠慮無しに楽しませてもらっている。 自分は、アルコールの類いを、ほとんど飲めない。学生の頃、自分の適量をわからないままウイスキーをガブ飲みして、気がつくとトイレに倒れていたと、いうことがあった。便器の横に、丸くなって寝ていたのだが、全くその前後の記憶(つまり、トイレに入ってからの記憶)が飛んでいて、良くドラマなどで「全然記憶がないんだ・・・」というのは、このような状況のことを言うんだ、と、体験から学んだことがある。 不思議なもので、はっ!と、気がついた瞬間、最初に行ったのは、自分の体の状況を確認することだった。どこもぶつけていないし、服もちゃんと着ているし「うまい具合に、倒れたんだな」と、なんとなく嬉しく感じているのは、おかしなものだ。そんなことを考える前に、飲み過ぎた自分を批判するべきなのに(笑)

諸橋近代美術館

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磐梯といえば、 諸橋 近代 美術館もはずせない。ここに来るのは、もう4回目くらいになるけれど、磐梯に来た時には、とりあえず寄ってみる場所のひとつだ。 確か、一番最初に来たのは、大学生の頃だったと思う。車の免許を取ったので、高速道路に乗って遠出をしてみたくなり、彼女を乗せてやってきたのが最初だったと思う。地元仙台市からだと、高速を使って、片道約1時間30分。日帰りドライブには、ちょうどいい距離だ。 初めての高速ドライブの高揚感と共に、並べられたダリの作品を見て、その「何がなんだか、くわしいことはわからないが、とにかく凄い存在感」に圧倒され、興奮してダリの作品集を購入したことを、おぼろげながらに覚えている。 その時に、ここ裏磐梯は、檜原湖もあるし、山もあるし、いつか別荘を購入して、夏には家族と山と釣りで過ごしてみたい、と目標を立ててみたのだが、15年以上も過ぎた現在でも、それは何一つ実現していないのが、悲しいところだ。 それはともかく、夏の終わりの磐梯、そして 諸橋 近代 美術館は、いつも通り暑くて、涼しくて、高い空の場所でした。あらためて「いつか、ここに別荘を建てて・・・」と、夢を妄想しながら、写真を撮影して帰ってきました。

磐梯山は、宝の山。

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福島県の磐梯山に登ってきた。 高速道路を走っている時に、横に見える、凛々しい山の姿を眺める度に「一度登ってみたい」と思っていた山なので、今回はとても楽しみにしていた。 磐梯山 といえば「会津磐梯山は、宝の山よ」という、民謡にも登場する山。さらに深田氏の「日本百名山」にもなっているので、全国の山好きからも人気のある山だ。 今回は、 一番短い距離で登れる「八方台登山口」 から登ったのだが、登山口にある駐車所の車のナンバープレートを見ると、関東方面はもちろんのこと、関西からも、たくさんの登山客で賑わっていた。自分が到着した、午前6時には、すでに駐車場の半分くらいが埋まっていたので、休日に出掛ける方は、早めの到着をおすすめします。 さて、肝心の磐梯山の様子なのだが、残念ながら自分が登った時には、濃いガスと風で、ほとんど視界を得ることができなかった。360度、真っ白の頂上に立ちながら、本当ならば、この方向に湖などが、ばっちり見えるんだろうな、と想像だけして帰ってきた。まあ、登山には「よくある話」だ。天気予報を確認して、日程を調整して、何時間かけて登っても、曇る時は曇るし、晴れる時は見事に晴れる。自然を相手にしているのだから、これは仕方がない。 そこで「あれ? 写真はとても良く晴れているけど・・」と、感じた方もいらっしゃるだろう。そう、山からおりて、周辺を観光していると、数時間後にはこのように「見事に晴れ」てしまったのだ。ここまで天候が急変すると、もう笑うしかない。今回は、山の神様に「また、おいで」と言われたのかもしれない。

日本三景といえば?

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日本三景といえば、厳島、天橋立、松島の3つ。その中のひとつである、松島が地元にあるというのは、よくよく考えるとすごい確率だし、自慢のような気がする。 今年の夏休みは、松島の近くを通った知り合いによると「見た事ないほどの大渋滞」だったそうだ。これがいわゆる「高速道路 1000円効果」なのだろうか。実際のところ、市内を走っている車のナンバーも、関東方面はいうにおよばず、関西方面のものも、多く見かけた。ETC割引の波紋は、プラス面マイナス面、色々あると思うけれど、こうやって自分たちが今まで行ってみたかった所へ、出掛けてみるきっかけにするには、良かったことだったのではないかと、思う。 ちなみに地元の人間にとっての松島は、仙台市内から、車で4〜50分程度で行く事ができる、「気楽な日帰りドライブ・スポット」だ。あまりにも気軽すぎて、逆に「足が向かない」場所になりつつある。うちの両親も「松島の遊覧船に乗ってみたいな」と、折々につぶやいているが、そうかといって「じゃあ、行ってみるか?」と誘っても、彼らは「つかれるから、いいよ」と拒否すると思う。いつでも行ける、ということは、なかなか行けない、ということなのかもしれない。 まあ、奥の細道も、江戸から松島を目指すから、その過程がドラマティックになるのだろうし、遠ければ遠いほど、思いも募るものだろう。 そんなことを考えつつ、お盆休みを少しずらした松島に出掛けてみると、中心部の繁華街以外は、案の定ガラガラだった。観光客はもちろん、地元の人すらいない。せっかくなので、島のひとつを独り占めして、撮影した写真がこれ。

爆音が嬉しかったころ

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最近、久しぶりにギターを弾いたりしている。今は、ネットで検索すると、歌詞もコードも、全部表示してくれるサイトがあるから、すごく便利だ。 自分がギターを始めたのは、中学3年生の時で、父親からもらったアコースティックギターが「最初の一本」だった。周りに教えてくれる人がいなかったので(当時は、ネットもなかったし)自己流で練習していた。なので、本などに掲載されている「Cというコード」を押さえても、本当に「この音でいいのか? なんだか、レコードの音(CDではなくレコード!)とズレていないか?」という、段階からのスタートだった。 どんなに練習しても、チューニングがおかしければ、正しい音になるわけがないのだが「これは、自分の押さえ方がおかしいのではなく、ギターそのものがおかしいのだ」と、思ってしまうあたりが、自分のズレているところである。(もちろん、今でも基本的な部分は変わっていない) 結局「いい音で鳴らないのは、アコギだからだ」という結論に達し、すぐにエレキギターを買って、バンドを組んで、バイト代を全額つぎこんで器材を買い込むくらいにまで、夢中になるわけだけど、結局、テクニックそのものは、うまくならなかったな、とか、あの頃一緒に練習していた仲間は、何をしているのだろうか、とか、ギターの弦が切れても、今ではネットで買えるから便利だよな、などと考えたりしました。

源氏車に、乗ってみたい。

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お盆で、墓参りとくると、普段はほとんど目にする機会がない、家紋が目に飛び込んでくる。お寺の中を歩きながら、他家の家紋を眺めてみると、そのデザインの奥深さや、バリエーションの豊かさに、ついつい見入ってしまったりする。 ちなみに、うちの家紋は「源氏車」。家紋の名前から連想できるように、平安時代の「貴族専用の牛車」の車輪をベースに図案化したもので、複数のバリエーションが存在するらしい。 以前、家紋に少し興味があって、いくつか資料を調べた時に「伊勢信仰が広まった際に、佐藤氏が諸国に神官として散らばった」という説を見つけたことがあった。自分の実家(本家)の方で、御先祖が神社関係の仕事をしていた人がいた、ということを聞いたことがあったので(本当かどうかは、わからない。かなり怪しい)もしかすると、この流れなのかな、と考えたことがある。 実際のところ、自分の「佐藤」という名字は、日本で最も多い名字なわけだし、多いということは、一般市民だったということだろうから、数の少ないであろう「神官」などの職業についたという確率は極めて低いことだろう。神社の近所に住んでいて、その神社の「佐藤さん」の手伝いをしているうちに、いつの間にか自分も佐藤を名乗るようになったのかもしれない・・・などと、想像してみると、妙にしっくりくるのは何故だろう(笑) 正確なルーツはともかく、自分にも先祖があったわけだし、実際に、この家紋が受け継がれてきたのは、まぎれもない事実だ。そのように考えながら、改めて家紋を見てみると、庶民は庶民ながらに、時間の流れが積み重なってできる重さなどを感じてみたりして「こんな自分では、御先祖様に、申し訳が立たない」と、どこかで聞いたようなフレーズを反芻してしまいました。

あの光るのが・・・

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阿武隈川に行ってきた。 「あれが阿多多羅山  あの光るのが阿武隈川」 と、高村光太郎の「樹下の二人」にも詠み込まれている川だ。自分が行ったところは、だいぶ下流の方なので、川幅も広く水量も多かったから、かなりゆったりとした流れの風景だった。 自分は、川の流れを眺めていると、とても心が落ち着くというか、癒されるような感覚になる。川へ行くのは、釣りが目的なのだけど、もしかすると本当は、この「癒されるような」感覚を得たくて、川に行っているような気がするくらいだ。これは、子供の頃にキャンプに行った時や、釣りに行った時に、川でじゃぶじゃぶと遊んでいた時の記憶が、よみがえるからなのだろうか? などと考えていた。 先日、脳に関する本を読んでいた時に「海や森を眺めると気分が落ち着くのは、太古の遺伝子記憶がよみがえるからと考えられている。」(参考:男の脳にとり入る法 女の脳につけいる法 大島清)という情報を見つけて、なるほど、すると自分のこの感覚は、子供の頃の記憶だけではなく、太古の記憶ともリンクしていたのか、と妙に納得してしまった。 すると自分の先祖は、海沿いではなく、川沿いで生活していたのだろうか? 登山も好きだから、山沿いの川近くで生活していたのかもしれない。ちょうどお盆の時期に、そんなことを考えたりするのも、これは何かのメッセージなのか? などと普段は信仰深くない自分にも、そのようなことを考えさせる川の流れには、やはり何か不思議な「遺伝子レベルの記憶」があるのかもしれない。 そんな訳で、先祖供養のかわり(?)に、太古の記憶に思いを馳せつつ、お盆を過ごしました。 ※ 阿多多羅山は、現在の表記だと「安達太良山」となる。数年前に登ったことがある。ゴツゴツした岩肌と、ゆるやかな稜線が印象的な山でした。

洗いたいが、洗えない。

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相変わらず、天気がよいので、今までたまっていた洗濯物を一気に片付けてしまうことにする。 洗濯をする時に、いつも迷うのが「ジーンズは、どうやって洗うのか?」ということだ。 以前、いい感じで色落ちしたジーンズを購入して、気に入って履いていたところ、わずか2〜3回の洗濯で「いい感じの部分が、思いっきり白く」なってしまい、ひどくがっかりしたことがあった。他の人に話を聞いてみると、 「ジーンズは、めったに洗わない」 「ファブリーズで消臭する」 「裏返して、水洗い」 「気にせず、洗う。しょせん作業着」 と、いうような意見だった。どちらかというと、自分は「気にせず、ガンガン洗う派」で、少なくとも2〜3回着用したら、さっさと洗うことが多かった。なので「めったに洗わない&消臭スプレー派」は、ちょっと物足りない。まして、釣りに行ったりして、薮の中や泥まみれになって歩き回るわけだから、汗やら何やらで、もの凄く汚れたりもするから、洗わないわけにはいかない。「洗わないと、タンパク質が付着して繊維をぼろぼろにしてしまう」と、いうような情報を耳にしたりすると、なおさらだ。まあ、実際のところ、繊維が駄目になる前に他のジーンズに買い替えるような、気もするけど、それはともかく。 そこで今は、裏返して水洗い。時々、おしゃれ着用の洗剤で洗う、という感じで洗濯している。これでも、色は褪せていくが、とりあえず仕方がない。なにごとも旬の時間は一瞬で過ぎ去る、なんてうそぶいてみたりする。

プレイステーション 1

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先日、ブックオフに立ち寄った時、ゲームコーナーで「リッジレーサ−5」のソフトが、数百円で販売されているのを見つけた。 とても懐かしく、休みの暇な時間にでも、やってみようかなと(数百円だし)買って帰ってきた。 自分は、リッジレーサー1の世代で、当時は大学生だったこともあり、徹底的にこのゲームをやりこんだものだった。バイト先の人と「どちらが先に、ゴキブリカーを抜けるか?」を競いあったり、身内でコンマ数秒のタイム差をしのぎ合ったりしながら、かなりの時間を費やした記憶がある。 そういえば、ちょうどそのころ、セガの「バーチャファイター」も流行っていて、ゲームセンターに行くと、深夜遅くまで、対戦している人達で賑わっていたものだった。次から次へと、対戦相手が乱入してきて、後ろで見ているギャラリーも、ずるい手を使っている相手にはブーイングを浴びせたりと「たかが対戦格闘ゲーム」なのに、異常なまでに盛り上がっていた。それこそ、負けると、店内の壁を叩いたり、ゴミ箱を蹴ったりなどと、まるで「ゲームに負ける=人生最大の屈辱」のような人も普通にいた。よく考えると危ない世界だけど、自分がその中に入っている時は、違和感がないというのが「こういう世界」というものだ(笑) もう、10年以上、ゲームセンターにも行っていないし、ゲームそのものもやらなくなったけれど、今、あらためて思い出してみると、なんだかのんびりとした時代だったな、と感じたりする。その当時は、ものすごく荒々しくて、それなりに揉まれていたような気がしたけど、缶コーヒーを飲みながら、ゲームの内容について、何時間も語り合えるなんて、平和以外のなにものでもないだろう。15年ぶりに、リッジ5で遊びながらそんなことを考えました。

夏のない夏。

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今年の宮城は「梅雨明け宣言」がなかった。 つまり、梅雨からそのまま秋へと、季節が移行してしまったようなものか? なんだか、数ヶ月分、時間を早送りしてしまったような、夏だけ削除されてしまったような、気分になる。 実際のところ、8月13日までは、陽も照らなかったし、雨も多かったので「本当に、梅雨から秋になってしまったな」と、いうような気候だった。何をするにも、ちょうどいい気候で、作業ははかどったが「過ごしやすかったけど、なんだか寂しい」気もしていた。 ところが、14日になったとたん、高気圧全開の真夏の空。気温も30度を越えて、これぞ夏! というような雰囲気満載である。本来ならば、わくわくするはずなのだけど、実際に暑くなってしまうと「やはり昨日までのような気候が、一番だよな」と、思ってしまう。勝手だよなあ、と思いつつ、これから外出予定なので、もう少し陽が翳らないかなと考えながら、撮影した写真がこれ。