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10月, 2012の投稿を表示しています

移動図書館が運ぶ夢

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子供のころ「移動図書館」の仕事をしたいと思っていた。小さなワゴン車に本を積み込んで、町に図書館のないちびっ子達のところへ、毎週本を貸しに行く仕事だ。そろそろ、そんな仕事ができないかな、とふと思った秋の午後。 そして空には三本の飛行機雲。今日の夜には「すばらしいメール」が3通、届きそうな気がする。

ラシーン オイル漏れ? その2

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先日、ラシーンの点検をしてもらった際に、ヘッド部からのオイル漏れを指摘された。正確に言うと「にじみ」のレベルなのだけれど、やはりこれは気になってしまう。 オイルの量が大きく減っているわけでもないので、とりあえず「様子見でいいのでは?」ということになり、増し締めをしてオイルを拭き取っておいた。 今のところ(オイル漏れを指摘されてから、10日が経過)目立ったオイル漏れもなく、先日山に登った時に、往復で1時間半ほど悪路を走行したのだけど、特に影響もないようなので、このようなヘッド部分からのオイル漏れの場合、一気に吹き出すようなことはないよな? 白煙が出たりするのかな? などと、 ひやひやしつつも様子をうかがっているところだ。とりあえず、何か気になるところがあれば、すぐに点検に持っていこうと思っている。車は、放っておいても自然に治ることはありませんからね。 それにしても、常にどこかが壊れているような気がするけれど、修理をしているような気がするけれど、次回の車検まで、あと1年と6ヶ月。大切に整備をして、最後まで元気に走ってもらいたいと思っている。

ノルウェイの森を読む。ふたたび。

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秋になったので、また「ノルウェイの森」を読み返しています。パラパラとめくって、目にとまった部分を読んでいると、胸の奥の部分をコツコツとノックされているような気分になります。 「だから当然話もかみあわなかったし、僕は一人で黙々と本を読み続けることになった。そして本を何度も読みかえし、ときどき目を閉じて本の香りを胸に吸い込んだ。その本の香りをかぎ、ページに手を触れているだけで、僕は幸せな気持ちになることができた。:ノルウェイの森 村上春樹 より一部抜粋」 不思議なもので、読み返すたびに、気になる部分、目に留まる部分が変わっていきます。そして、その変化を楽しむのが、同じ本を何度も読み返す楽しさなのかもしれないな、と最近思ったりしています。 ちなみに、村上春樹の「遠い太鼓」の中に、ノルウェイの森を執筆した時のエッセイが収録されているのですが、 「小説を書きながら、僕は死にたくない・死にたくない・死にたくないと思いつづけている。少なくともその小説を書き上げるまでは絶対に死にたくない。この小説を完成しないまま途中で放り出して死んでしまうことを思うと、僕は涙が出るくらい悔しい。あるいはこれは文学史に残るような立派な作品にはならないかもしれない、でも少なくともそれは僕自身なのだ。:遠い太鼓 村上春樹 より一部抜粋」 当時、この部分を読んだ時、僕は足の指先から頭のてっぺんまで、一気に震えが走り抜けるような感覚になったことを覚えています。見てはいけないものを見てしまった時のような、作者の「書く」という行為の背後にある執念、凄まじさをのぞき見てしまったようで、しばらくの間、放心状態になってしまったものです。そして、今でもこの作品を読み返す度に、同じような感覚になることがあります。そのような意味でも、自分にとって大切な作品だし、これからも折にふれて読み返すのだろうな、と思ったりしたわけです。 あれから長い時間が流れて、当時この作品を一緒に読んだ人達はみんないなくなってしまったけれど、みんなどこで何をしているかもわからないけれど、そこで元気に楽しく暮らしていてくれたらいいのだが、とノルウェイの森を読みながら、そんなことを考えました。 追記: 写真を見ていただけると、おわかりいただけると思うのだけど「定価1.000円」と表示されている。そう、