2017年10月10日火曜日

はじめての奈良旅(1)長谷寺編

はじめての奈良旅(宮城→奈良)


旅行前夜


奈良へは行ったことがなかった。もちろん興味がなかった訳ではない。数年前に地元の博物館で興福寺の仏像をみてから、一度行ってみたいと思っていた。しかし、僕が住んでいる宮城県からは、直線距離でも600キロ以上離れている。車では厳しいから、飛行機か新幹線。もしくは夜行バスを乗り継いでの旅になる。それなりに旅費も時間も必要となるためになかなか腰が上がらず「いつか行ってみたいものだ」と、旅雑誌を眺めて考えているうちに時間が過ぎてしまっていた。

そんな奈良に行くことになった。きっかけは、ネットで旅の情報を検索している時に、格安の航空チケットを見つけた事だった。これなら費用も時間も無理なく移動できる。さらに宿を確認してみると、連休中の予約であるにも関わらず、三泊分の手頃な宿が見つかった。これは「行くしかない」と、予約を済ませ、あっという間に奈良旅が決まってしまった。出発は二週間後。何事も決まる時は、あっさりと決まってしまう。たいていそんなものだ。


一日目:出発&到着

仙台空港

仙台空港から、スカイマークで神戸へ飛ぶ。あれ? 神戸 そう、こちらにも書いたけれど「仙台ー神戸」の路線が再開されたので、今回はそれを利用することにしたのだった。なので、初日は神戸と大阪を観光することにした。本当はいくつか触れておきたいエピソードもあるのだけど、今回のテーマは「はじめての奈良」なので、初日の記録はざっくりと割愛する。機会があれば、いつかどこかで書いてみたい。

そんなわけで、一日目は「仙台空港 →神戸空港 →大阪泊」で終了。夜は大阪の街で、飲めや食えや歌えや、ということもなく、いい感じのお好み焼き屋さんへ行って、ほくほく食べて、すこしだけ飲んで早めにホテルへ向かった。持参したガイドブックを見ながら、明日以降の具体的な計画を考える予定だった。



・・・今「だった」と書いた。そう、予定ではゆっくりと資料を検討するつもりだった。ところが、ホテルで風呂にはいって外に出た途端、急に目眩に襲われたのだった。あわててベットに腰をかける。水を飲む。なにもしていなくても、背中にじっとりと汗がにじむ。おそるおそる頭を上げると、軽く目眩がやってくる。いったいどうなっているのだ。このまま目眩が止まらなかったら、病院へ行かなければいけないだろう。一応、保険証は持ってきた。しかし、今日は休日だし時間も遅いから救急病院へ行くことになる。旅先で病院へ行くことになるとは、なんとも惨めな気分だ。これで今回の旅は終了になってしまうのか。一瞬で色々なことを考える。


汗をぬぐい、こまめに水を飲みながら、スマートフォンで「めまいに効くツボ」と検索して表示されたツボを押してみたりする。1時間ほど過ぎたところで、だいぶ気分が楽になってきたのでトイレに行ってみる。大丈夫だ。昨晩は睡眠時間も少なかったし、苦手な飛行機での移動で疲れたのだろうか。ひとまず落ち着いたので、このまま横になって身体を休めることにする。ここが海外ではなく日本でよかった。言葉も通じるし、保険証も使える、とむりやり「よかったこと」を考えてみたりしながら、初日の夜は過ぎていった。



二日目:めざすは、長谷寺



目が覚めた。二日目の朝だ。
おそるおそる立ち上がって、首を左右に振ってみる。大丈夫だ。水を飲んでからストレッチをしてみる。大丈夫だ。いったい昨晩の目眩は何だったのだろう。ホテルの窓のそばへ行き、下を走っていく電車を眺める。早朝の車内には、すでに人が乗っているのが見える。よし体調に気をつけながら、このまま旅を続行しよう。湯をわかして、お茶を飲み、準備を始めていく。

初日に宿をとったのは、堺のホテル。ここから朝イチで奈良へ向けて移動する。宮城出身の僕には「大阪ー奈良」は、かなり遠いという先入観があった。移動に、二、三時間は必要なのではないかと思い込んでいた。ところが調べてみると、堺からは電車で一時間もあれば奈良へ到着する。思い込みというものは恐ろしいものである。もう少し早く調べていたならば、仕事で大阪へやってきた時に奈良まで足を伸ばしていただろう。思い込みは、チャンスを失うということを、体験から再認識した。「まずは、その思い込みを疑え」である。



さて、教訓を胸に、本日最初に向かう場所は「長谷寺」である。当初の予定では別の計画を立てていたのだが、台風が近づいているということで、一番移動距離の必要な長谷寺から回ってみようと考えたのだった。

スマートフォンで乗り換えの案内を確認してから電車へ乗り込む。いよいよ人生初の奈良が近づいてくる。学生の頃に貧乏旅行をした時、電車で奈良を通過したこともあったような気がするが、乗り物から降りるのはこれが初めてだから、ここはひとつ「人生初の奈良」と言い切ってみたい。いくつになっても「はじめて」はいいものだ。鼻歌のひとつも歌いたくなってくる(ふんふん)。




全く土地勘のない場所ではあるけれど、スマートフォンの指示に従うことで、とくに迷うこともなく1時間40分ほどで「近鉄 長谷寺駅」に到着した。僕達の他に、この駅で降りたのは4人ほど。連休だというのに少し寂しい感じがするのは、台風のせいだろうか。それとも小雨のせいで、すこし肌寒く感じる気候のせいだろうか。

「歓迎」と掲げられた門を見上げ、案内図でざっと行程を再確認してから長谷寺へ向かう。わりと急勾配の階段を降り、橋をわたり右に折れ、なだらかな坂道をあがっていく。門前町の雰囲気が見え始めたところで一度立ち止まり、上に羽織っていた薄手のシャツを脱いでリュックに入れる。もうそろそろだろうか。あとどのくらい歩くのだろう。そんなことを考えながら、淡々と歩き続けること約十五分。ようやっと入口へ到着した。




入口で入山券を求めていると、横手の駐車場から団体客がガイドに引率されて近づいてくるのが見えた。ざわざわ、と話し声が聞こえてくる。混雑する前に「あの場所」へ行かなくては、と足を早める。今ならば、もしかしたら誰もいないかもしれない。本来ならば、心を落ち着けて歩くべき場所なのに、後ろから近づいてくる人の気配に追いつかれないように先を急ぐ。


ここに来たかったのだ。
真っ直ぐに登っていく石段は、天上へと続く道のようにも思える。まるで一枚一枚磨き上げられたかのように、きれいに掃き清められた美しい階段を眺めながら写真を撮る。確認する。よし、ちゃんと写っている。ここでようやく一呼吸。

旅の計画を立てている時、ガイドブックに掲載されている写真を眺めながら「ここで写真を撮りたいけど、混雑しているだろうね」と、連れに話していた。「この写真のように、誰もいない登廊の前で撮れたらいいけれど、さすがに連休中は無理だろうなあ」と。

ところが、運良く希望通りの景色を目にすることができた。ずっと先の方まで誰もいない回廊を見ることができた。写真にも収めることができた。昨晩は、体調を崩してひどい目にあったけど、この場面に出会えたのならば、プラスマイナスで大きくプラスだ、と考える。ほどなくして、後ろから団体客のみなさんがやってきた。最高のタイミングを、ありがとうございます。と、心の中で感謝して長い石段を上がっていく。



登廊の石段は全部で399段あるのだそう。長い道のりだ。一段一段踏みしめて上がっていくうちに、息は切れるけれど次第に登山をしている時のような爽快な気分になってくる。頂上を目指して登る、というのはいいものだ。まだ続くのだろうか。あの先が終点だろうか。どうせならもうしばらく、この石段を登っていたい。そんなことを考えながら歩いているうちに本堂の入口に到着した。左へ曲がり、先を歩いている人に導かれるようにして、御本尊へと進む。


ご本尊に、対面する。

長谷寺のご本尊は、十一面観世音菩薩。前に立つと、自然とため息が漏れる。何か形容しがたい絶対的な力が存在しているかのように、そこから目を離すことができない。意識そのものが空中に吸い取られ、すーっと落ち着いていくような感じさえする。しかしそれは威圧感なものではなく、こちらに寄り添って下さる厚みのある慈愛のようなものが背後に漂っていて、見ていると穏やかな気持ちになっていく。パンフレットによると「御身の丈三丈三尺(十メートル余)」とあるけれど、十メートルどころか二十メートルはあるのではないか、と感じるほどの存在感だった。

以前、何かの本で「見た瞬間に、無性に惹かれる仏像が存在する。それは自分と縁がある仏像なのだ」というような話を読んだ記憶がある。長谷寺のご本尊はその「無性に惹かれる」ものを感じた。もしかしたら何かしら、ご縁があったのかもしれない。それならば、とても嬉しい、と信仰心の薄い僕でも思わず感じてしまうような見事なお姿でした。


本堂の外舞台へ回り、そこから広がる景色に目を凝らす。たくさんの人達が、ここにこうやって立ち、この風景を眺めたのだろう。自分のように、狭い世界に意識を集中させている人間でも、思わず背筋を伸ばして遠くを見渡したくなる。壮麗である。本日何度目かの、ここに来ることができてよかった、を頭の中で繰り返した。本堂をあとにし「奥の院経由」というルートで山を降りていく。僕たちの前後を歩く人の姿はない。そういえば、登廊のところで一緒になった団体客のみなさんは、どこに行かれたのだろう。いつの間にか追い越されたのか、それとももう一つのルートで降りていかれたのだろうか。そんなことを考えながら、小雨が落ちる静かな道を歩いていく。




心地よい充実感と共に山を降り、駅へ向かって門前の通りを歩く。総本家寿屋さんで、草饅頭を買う。店の前に陣取る猫は、この店の看板猫なのだろう。横を通る観光客に声をかけられても同じ体勢のまま、じっとしている。その姿に思わず笑顔になる。

まだ温かい草餅を食べながら、長谷寺駅へと続く道を歩く。天気予報では「強めの雨」だったけれど、今のところ小雨程度で収まっている。風もほとんどない。またいつの日か、別の季節にここを歩いてみたい。その時僕は、どのような環境でどのようなことをしているのだろう。そんなことを考えているうちに、近鉄長谷寺駅に到着した。やはり客の姿はまばらだった。次の目的地は、大神神社だ。