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【東北温泉旅 2泊3日(1)】真冬の瀬見温泉(山形県)で一泊。

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12月中旬、妻と旅行に行くことにした。いくつか候補地があったのだが、最終的に「今回は遠出をせず、近場の温泉地でゆっくり過ごそう」ということになった。普段の私達ならば「できるだけ遠くへ、時間ギリギリまで観光」という計画を立てるのだが、今回は妻の体調を回復するための湯治が目的なので「近場の温泉地」ということになったのだった。日程は2泊3日。初日は山形県の瀬見温泉である。 そして結果的に、この選択は正解だった。私たちが出発した当日は「10年に1度クラスの寒波」がやってきていて、強い雪と風で移動には不向きなタイミングだったのだ。旅先で出会った瀬見温泉の方からは「昨日はまでは雪もなく、過ごしやすかった」と挨拶がわりに言われたので、よほど急激に変化したのだろう。実際の陸羽東線「瀬見温泉駅」の様子がこちらである。 真っ白な雪に覆われた無人駅。中央に線路が引かれているのだが、それすらも雪に覆われて見えない状況になっている。「線路が雪に包まれていても大丈夫なのだろうか?」と心配していたのだが、このあと普通に雪をかきわけて電車がやってきた。 駅舎の中に、瀬見温泉の紹介パネルが展示されていた。それによると、瀬見温泉には「義経と弁慶」に関する伝説が数多く残っているとのこと。歴史に興味がある方には魅力的な場所であると思う。旅行中は雪深く移動が困難だったのだが、それでも二箇所ほど訪問することができた。徒歩で観光するならば冬以外の季節がおすすめかと個人的に思う。 一箇所目は「産湯」。湯前神社の前に、手水舎(?)が設置されてある。ここからは、水ではなく「温泉」が流れ出しており、飲泉することが可能だった。手にうけて、少し舐めてみることにする。温かいだけでなく、独特の香りと風味がある。わずかばかり舐めただけなのだが、地球から湧き出る力を身体に取り込み元気になったような気分になる。単純である。 二箇所目は「薬研湯」。弁慶がなぎなたで岩を砕いたところ、温泉が湧き出たとされている場所。目の前を流れる川の流れが厳しくも美しい。雪で霞み、ぼんやりと遠くに見える山々が「遠くまでやってきた」という旅情を誘ってくれた。 三箇所目は「亀割子安観音」。北の方がお産をした際に、御加護のあった観音様を祀っているるとのこと。この場所へ向かうまでの道、強い雪と風に叩かれてしまい、雪道を歩くことに慣れていない私達は目的地に到着後、

【奥の細道】閑さや岩にしみ入る蝉の声(松尾芭蕉)

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先日、公園へ行ったところ周囲に蝉の声が響き渡っていました。蝉の声を聞くと「夏休み」という感じがします。そして、頭の中にこの一句が思い浮かびました。 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 こちらは、 松尾芭蕉が山形県の立石寺 で詠んだ一句です。「なんという閑かさだろう。蝉の声が岩に染み込んでいくようだ」と、立石寺の静寂な場に蝉の声だけが響き渡っている。そんな夏の情景を表現した作品です。みなさんも国語の時間に、勉強した記憶があるのではないでしょうか。 松尾芭蕉は「奥の細道」の中で立石寺を訪問した時の様子をこのように記しています。 梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。 岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉てものの音きこえず。 岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。 「奥の細道」より 簡単に現代語訳をしてみますと「麓に宿をとって、山の上にある本堂を目指して登っていく、岩を重ねてできたような山の姿。時間を感じさせる見事な木々と苔に覆われた道を登って山上に着くと、お堂の扉は閉じられていて静まりかえっている。崖のように切りたった道を這うようにして通り参拝する。そこから見える風景はすばらしく、心が澄み渡っていくのが感じられる。」このようになるかと思います。 私の「立石寺」体験 私は大学で「奥の細道」の授業があったのですが、夏休みに「せっかくだから立石寺へ行ってみよう」と電車に乗って現地へ行ったことがありました。その時に見た風景は、松尾芭蕉が表現しているそのままの世界が広がっていて驚いたことを覚えています。 山門をくぐって、800段を越える石段をあがっていく。木々に囲まれた細い山道は蝉の声に満ち溢れていて、音が身体に突き刺さって通り抜けていくかのような鮮烈さを感じる。その時私は「ああ、松尾芭蕉は、この情景を『岩にしみ入る』と表現したのだろう。たしかに、硬い石にさえ染み込んでいくような圧倒的な密度と鮮烈さを感じる蝉の声だ」と、 すこしだけ芭蕉が感じた世界に触れられたような、わかったような気分 になってうれしくなったことを覚えています。 立石寺は、山門から本堂まで、私の足ですと歩いて30分ほどかかります。石段が続いていくので少々くたびれますが、その先に見える景色、そして目の前に広がる風景は、汗を流した以上の

文豪のラブレター(斎藤茂吉)編

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文豪のラブレター(斎藤茂吉)編 【文豪のラブレター 3回目】1回目と2回目では、芥川龍之介と夏目漱石のラブレターを紹介しました。それぞれ、意外性がありつつも「まっすぐな気持ち」が伝わってくる、心温まる手紙でした。そして、今回ご紹介するのは斉藤茂吉のラブレターです。 ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいえない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。玉を大切にするやうにしたいのです。ふさ子さん。なぜそんなにいいのですか。(永井ふさ子宛の手紙より) こちらは、斎藤茂吉が永井ふさ子に宛てて書いた手紙です。この時、斉藤茂吉は52歳。お相手の永井ふさ子は24歳。「なぜこんなに」「なぜそんなに」と畳み掛けながら、若い女性を相手に身も心も魅了されている様子が伝わってきます。芥川龍之介や夏目漱石とは違った角度からの「まっすぐ」な気持ちが表現されている、印象的なラブレターだと思います。斎藤先生、さすがです…。 それにしても、このような手紙をもらった永井さんは、どのような返信をしたのでしょうか。気の利いた返信で、さらりとかわしたのでしょうか。手紙が資料として残っているということは、大切に保管していたのだと思いますが、このあと二人がどのような会話をしたのか気になります。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。 ☝(補足) 余談ですが、私は数年前に斎藤茂吉の出身地である山形県の「聴禽書屋」を訪問したことがあります。茂吉はここに戦後2年間ほど滞在したそうですが「聴禽書屋」という名称(聴禽=小鳥のさえずりを聴く)が、しっくりとくる和風建築の静かな趣のある場所でした。山形には「斎藤茂吉記念館」や生家などもありますが、興味がある方は「聴禽書屋」へも足を伸ばされることをおすすめします。 ☝(関連) ・ 文豪のラブレター(芥川龍之介)編 ・ 文豪のラブレター(夏目漱石)編 ・ 文豪のラブレター(太宰治)編 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。

湯殿山 注連寺へ

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「即身仏」という修行 小学生の頃、何かの本で「即身仏」について読んだことがあった。 書名は忘れてしまったが、 即身仏になる過程をイラスト付きで詳しく解説してある本だった。 その本を読んだ子供の頃の私には、生きながら仏の道に入る修行とは、 あまりにも過酷で現実離れしているように感じられたので「 本当に行われていたこと」というよりは「 架空の世界の話」だと思っていた。 大人になり、実際に即身仏の苦行は実践されていて、複数の即身仏が寺院に現存しているという話を聞いた時(庄内では6体の即身仏が 安置されているとの事)は「一度、拝ませていただこう」 というよりは「あまりにも厳格で尊く、近寄りがたい」という気持ちの方が強かった。 自分のような俗人は、 おいそれと近づいてはいけないのではないか。 厳しい修行をされた即身仏 に対して、観光気分で気軽に訪れるのは失礼なのではないか、 と尻込みしてしまうような感情があったのだった。 ところが今回、 偶然に行くことになった湯殿山神社 で、偶然に立ち寄った店の方から注連寺で即身仏を拝むことを勧められた。 ここまで偶然が重なったのならば、やはりこれはいくべきだろう。 そして 即身仏 の前に座った時、 自分はどのようなことを感じるのだろう。 そのようなことを考えながら向かうことにした。 注連寺で「恵眼院  鉄門海上人」の即身仏を拝む 結論から書いてしまう。 注連寺で 対面させていただいた、 即身仏「 恵眼院  鉄門海上人 」のお姿から受けたものは、 私が事前に想像していたものとは大きく異なっていた。 そこには、前に跪くものを優しく包み込み受け入れるような、 温かい雰囲気が漂っている気がした。 私のような凡人には計り知れない、大きく高い志と 深く広い優しさのようなものが、 その姿に現れている印象を受けたのだった。 即身仏という難行苦行の苦しさは、私には想像することすらできない。そして一生、その状況を体験することはないだろう。しかし、その修行を実践し成し遂げた上人が存在する。そして、こんなにも間近で拝むことができる。貴重な体験、というと浅い表現になってしまうけれども、このようなことを考える時間が得られることができてよかった。 そう心から感じるひとときでした。 湯殿

湯殿山神社へ参拝する。

出羽三山 湯殿山神社を参拝する。 出羽三山 とは、山形にある月山・羽黒山・湯殿山の総称である。三つの山それぞれに神社があり、今までに私(筆者)は、月山と羽黒山には数回参拝したことがあった。 ところが、湯殿山には一度も行ったことがなかった。いや「湯殿山に、行ったことがあるような気になっていた」というのが正確だろう。記憶がごちゃごちゃになってしまっていて、行ったつもりになっていた。そしてそのまま、今日まで過ごしてしまったのだった。 今年の夏休み、色々と事情が重なって予定が大きく変更になった。移動のルートを確認していると途中で「湯殿山」の近くを通ることがわかった。 せっかく近くを通るのだから、参拝していこう。そう考えた私はさらに予定を変更して湯殿山へ向かうことにしたのだった。 「語るなかれ」「聞くなかれ」 湯殿山神社 は古来より 「語るなかれ 聞くなかれ」 とされており、詳細を語ることができない神域である。 「 湯殿山神社本宮では、参拝に際して現在でも履き物を脱ぎ、裸足になり、御祓いを受けてからでなければお詣りは許されない。俗世とは切り離された神域である。 ( 湯殿山ホームページより )」が現在でも守られている場なのである。 写真撮影禁止はもちろんのこと「語るなかれ」であるわけなので、 私もこの記事には詳細を書かないでおく。ただ、 実際にお詣りさせていただいた湯殿山神社の神域は「俗世とは切り離された」という表現そのままの場であり「 参拝できてよかった」と、しみじみ感じた神社だったということを、個人的な感想としてお伝えしておきたいと思う。 松尾芭蕉 奥の細道「 語られぬ湯殿にぬらす袂かな」 ちなみに、松尾芭蕉はここ湯殿山にて「 語られぬ湯殿にぬらす袂かな」    という句を読んでいる。学生の時にこの句を見た時は「湯殿山で温泉に入ったのだろう。その時、お湯がはねて着物の裾を濡らしたのだろう」と、特に深く考えることもなく解釈していた。 ところが今回、湯殿山神社を参拝させていただいて、この句の意味を体感することができた。実際に現地を歩いてみて「ああ、なるほど」と腑に落ちたのだった。これから湯殿山神社に行かれる方は、この句の意味を想像しながら現地へと向かっていただきたい。筆者と同じように「なるほど!

天童高原でキャンプ(キャンプしながら旅日記)

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天童高原でキャンプ 今年の夏は「 天童高原キャンプ場 」にテントを張った。天童高原は、宮城のおとなり山形県にある。 仙台市内からでも車で1時間40分ほど なので、のんびりと向かったところ……案の定、渋滞に巻き込まれてしまった。夏休み真っ盛りなのだから、渋滞するのは当然である。ナビに表示される真っ赤な道路を眺めながら、のろのろと移動。空は晴天。灼熱の太陽。アスファルトからの照り返しに対抗して、車のエアコンがフル稼働する。ウィーン。ガチン。ウオーン。ガチン。そういえば、子供のころに親が乗っていた車にはエアコンがついていなかった記憶がある(当時は、エアコンはオプションだったのだ)。いったいどうやって乗り切っていたのだろう。もはやエアコンのない生活など、考えられない。ウオーン。ガチン。 エアコンの動作音を聞き、車内で飲んだり(もちろんお茶です)食べたりしているうちに、ようやく渋滞は終焉の気配を見せ、作並を過ぎたあたりから一気に流れが良くなってきた。青い空、白い雲、快適な道。やはり夏休みは、こうでなくてはいけない。そんな風にして、残りの道は渋滞することもなくスムーズに天童市に到着した。 ちょうど昼だったので、蕎麦を食べることにする。テレビでオリンピックのニュースを見る。近くのテーブルの家族が、昨晩の錦織選手の試合内容について話しているのが聞こえる。こちらの家族は、岩手からの道が渋滞していて大変だった、というような話をしている。そんな会話が飛び交う店内で、コシのある蕎麦を食べる。「いや、この蕎麦のコシはなかなかだね」と連れと話しながらズルズルと啜る。食べ終わって後ろを見ると、だいぶ混雑してきていたので席を立つ。近くにスーパーがあるので、そこで買い出しを済ませてキャンプ場に向かうことにする。 キャンプ場へ到着 天童高原キャンプ場は、スキー場と隣接している。開放的で、ゆったりとした風景が広がっている。遠くに見える山並みも美しい。天気も良さそうだし、今晩は星が綺麗に見えそうだ、などと考えながら受付に向かう。 ここのキャンプ場は、 車で敷地内に入ることはできない。 駐車場から荷物をカートに積んで運ぶシステムになっている。自分達に割り当てられた場所は、やや斜面の上の方だったので、ちょっとだけ手間がかかってしまった。なるべくキャンプ道具を増やさないようにしてい

山形古竜湖キャンプ場 夏のテント泊(2)

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無事にテントを設置したならば、今晩の買い出しへ出発だ。古竜湖キャンプ場から、近くのスーパーまでは、車で20分も走れば到着する。そこそこ細い山道を走るのだけど、舗装されているので快適に走行することができた。 あれこれと、適当に食材を買い込み、テント場へ戻ったのが午後6時過ぎ。手元をライトで照らしながら、食事の準備を進めていく。今回は、小型のLEDのライト(登山用)を2つ持っていったのだが、これが優秀で、簡単な調理ならば十分にこなすことができた。ランタンの独特の雰囲気や音も好きだけど、手軽さを考えたらLEDライトは快適ですね。電池も長持ちするし。 ちなみに今回活躍したのが、カインズホームで偶然に見つけた「 インスタントコンロ」。使い捨ての豆炭形式のコンロなのだけど、思っていたよりも火力もあったし、普通に肉も野菜も焼くことができた(写真の右側のやつです)。後始末も簡単だし、これは自分の定番になるかもしれません。 左側のロウソクも同じくカインズでみつけた「虫除けキャンドル」。今回は、これと「蚊取り線香」と「虫除けスプレー」を使用して蚊対策をしたのですが、そのおかげで15ヶ所ほど(!)食われただけで済みました・・・。いやはや、アウトドアは虫との戦いでございます。 食事を終えたあとは、静かな夜のはじまり。今回、このキャンプ場を選んだ理由のひとつが 「天の川&流れ星」が見たい、ということ。整備されたキャンプ場だと常夜灯が灯っているし、他のキャンパー達の明るさで星が見えにくいだろう、と考えてここを選んだというわけです。 散歩がてら、近くの展望台(のようなところ)まで歩いていくと、そこには満天の星・・・ではなく、見事な山形市の夜景が広がっていた。そう、夜景と月明かりがセットになって、星は(もちろん、市内で見るよりはたくさん見えるけれど)期待以上には見る事ができなかった。やはり、山奥のキャンプ場へ行かないとイメージ通りの星空は見えないのかもしれません。 とはいうものの、目の前に広がる夜景の鮮やかさと、月明かりの美しさには「はるばるやってきた」だけの価値が十分にあった。芝生の上に寝転がって、夜空を見る。iphoneアプリの「星座表」を使って、見える星を星座にあてはめたりしていると、静かな時間があっという間に過ぎていく。 しばらく夜景と星空を堪能してから

古竜湖キャンプ場へ 夏のテント泊(1)

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古竜湖キャンプ場で、夏のキャンプ 今年の夏はキャンプへ行こう。そう決めてから、実家の物置にあるはずのキャンプグッズを確認してみたところ、これがきれいさっぱり「なくなって」いた。父親に聞いてみると「捨てた」とのこと。彼はとにかく「自分が不要だと考えるもの = 他人もいらないもの =捨てる」という考えの人間なので、物置に置く場合は「捨てられる」ことを覚悟しなければいけない。子供の頃から大切にしていたものも、だいぶ捨てられてしまったが、今でも「あれは保管しておきたかった」と思うものもいくつかあるのだが本人は悪気があるわけではないし、親子といえども価値観は異なるので嘆いても仕方がない。とにもかくにも、新しいグッズを購入することにする。今年のキャンプは、まずはそこからだ。 とはいうものの、あまり多くの道具は持ち歩きたくないので、基本的には登山用の調理器具やライトを使用することにして、テントだけ新規で購入することにした。 今回選んだのは、 ケシュアのテント 。これは、以前山の友人に「簡単に設置できて、なにより安い」とおすすめされた製品。色々な考え方があると思うけれど、山岳用のテントではなく、平地用のテントならば「手軽さとコスト重視」でいきたいと思っていたので、迷わずケシュアにすることにした。 ネットで検索してみたところ、確かに安い。1万円以下でも十分に選択肢がある。その中でも目に止まったのが、 Quechua(ケシュア) T2 2人用 BLUE だ。なんと、2人用で4980円。つまり1泊あたり、2490円/人という安さ。これなら2〜3回使用して壊れたとしても(壊れないと思うけど)十分に安いし、なにより値段以上の価値がある。即座に注文。近所のアウトドアショップで小物を買い込んだら、さあ出発だ。 今回行ったのは、山形県の「 古竜湖キャンプ場 」(なぜ、ここを選んだのかは後述)。いわゆるフリーサイト形式の無料キャンプ場なので「それなりの野営場」だと思っていたのだけど、近場に水場もあるし、簡易トイレもあるので、自分にはちょうどいい環境だと思った。山形市で管理しているようなので、気になった方はホームページなどで確認されると良いかと思います。 キャンプ場の名前になっている「古竜湖」は、一周15〜20分ほどの小さな湖だった。湖というよりは野池、というイメージかもしれない。

天童市へ行く。

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山形県の天童市へ行ってきた。 天童市へは仙台市から車で約1時間30分といったところ。市内からは国道48号一本でつながっていて「お隣同士」のような関係なのだけど、なぜか今まで行く機会がなかった。いや正確に言うと、近くを通ったりしたことはあるのだけど、立ち寄ってじっくりと観光するチャンスがなかったという、自分にとって近くて遠いような場所だった。 先日、浮世絵に関する資料を見ていた時に「そういえば、天童市には広重美術館があったな」ということを思い出した。そろそろ山形は雪が降る頃だから、雪が積もる前に行ってみようかな、と思い立ちふいに出かけてみることにした。 先にも書いたけれど、天童市へは仙台市内から国道48号をひたすら西に向かうことになる。作並温泉の前を通り、宮城県と山形県の県境の山を越え、特に何の盛り上がりもなく(というのは、何度も走ったことがある道なので)のんびりと走ると、天童市に到着だ。まず最初に行ったのは「道の駅天童温泉」だ。 最初、地図を見た時に「道の駅天童温泉」には温泉があるのだと思ってしまった。つまり道の駅の施設内に温泉があるのだと、名前から勝手に想像してしまっていたのだが、実際には温泉はない。普通(?)の道の駅である。 連れにこの話をしたところ「私もそう思った」と言っていたので、同じように感じる人もいるかもしれないが、天童温泉道の駅には温泉はないので注意していただきたい。ただ、足湯はあるので、タオルを持っていくと良いかもしれません。 道の駅の近辺にあるドトールでエスプレッソコーヒーを飲み、もらってきた地図を見て町の様子を確認してから、まず最初に向かったのは「出羽桜美術館」。ここは、その名の通り、地酒の出羽桜酒造が運営している美術館だ。 先代の社長の住宅である日本家屋の建物を美術館として利用しているので、ぱっと見ると普通の民家のように見えるわけなのだけど、この建物が味があってすごくよかった。明治時代の資産家の家という雰囲気が漂っていて(なにしろ、家の中に蔵座敷があるのだ)そこかしこに趣味人の趣があって、初冬のやわらかな太陽の光が中庭に射し込んでいる様子などを見ていると、ゆったりとした豊かな生活が想像できて、いつかこのような雰囲気の生活をしてみたいものだ、と思ったりしました。 次に立ち寄ったの

月山登山(秋)。

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今年(平成23年)の月山は「 兎 歳御縁年」にあたるそうだ。「 十二年に一度の卯歳御縁年で、なにかすごいご利益があるみたい」と、連れに誘われて月山へ登ることになった。 月山といえば、 深田久弥氏の「日本百名山」にも収録されている有名な山。地元の人ならば、ほぼ全員が知っているし、うちの両親も登ったことがある山だ。そんなに有名な山だというのに、なぜか今まで縁がなく登ることがなかった月山に、今回いよいよ挑戦することになった。 月山へは、地元の仙台市から、車で約2時間ほどで到着した。東北自動車道の仙台宮城ICから入って、山形自動車道へ入り、月山ICで降りる。そこから県道112号に入って、途中の看板を目印に進むと「姥沢駐車所」へと到着する。特にわかりにくい道もなく、スムーズに到着することができた。 途中、山形自動車道の古関PAで休憩をとったのだが、連れが食べた「朝定食」は非常においしかったそうだ。「ワンコインで、あれが食べられれば十分に満足」とのことだったので、気になる方は試していただきたい。「納豆が大粒でうまかった」とも言っていたので、大粒の納豆が好きな方は期待大だと思う。 おいしい食事を済ませた後は、気合いを入れ直して登山口へ向かう。今回は「姥沢ルート」を登る。まず、姥沢駐車所から歩いて「月山ペアリフト」の下駅へ向かう。途中入山協力金の徴収窓口があるので、そこで1人200円(2011.10現在。時期により変動するようなので、ご確認ください)支払いつつ受付の方に「今日は雨は降りますかね?」と質問してみる。その方に「今日は大丈夫でしょう」と即答されたので、雲の隙間から見える青空を眺めつつ意気揚々とリフト乗り口へと向かった。(この時の係の方の台詞が後々、深い意味を・・・(笑)) スキーの時にリフトを利用したことは何度もあるが、登山で利用するのは初めてだ。なんとなくうれしい。15分ほど、時折山から吹き下ろしてくる風に、ゆらゆらと揺られながら高度を上げていく。近くに、遠くに見える紅葉がうつくしい。山々峰々も静かに霞んで見える。リフトからおりて、休憩小屋の前を通り過ぎていよいよ山へ入る。 リフト上駅から「牛首」の分岐点をめざす。整備された木道を、淡々と歩く。とても歩きやすく危ないところもほとんどないので、小さなお子さんと一緒に月山に登る方は、このあたりまで

蔵王温泉へ行く(2)共同浴場「上湯と下湯」

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( 蔵王温泉へ(1)のつづき )食事を済ませて腹も満たされた後、次に向かったのは、蔵王温泉の中心部にある共同浴場「上湯」。温泉神社を目指して、坂をあがっていくと味のある看板がかけられた上湯の建物に到着する。 ここは無人なので、入口に設置されている料金箱に「200円(子供は100円)」をいれるシステムになっている。昔からずっと、地元の住民に愛されてきたのだろうな、という雰囲気の浴場だ。 中にはいると、硫黄の臭いと檜の香りが、ふわっと香ってくる。先ほどの大露天風呂と同じ、 翡翠色のお湯が湯船になみなみと注がれている。すでに、5人ほどの先客が中にいたのだけど、あまり窮屈に感じさせない、落ち着いた雰囲気のある共同浴場だ。 身体をお湯で流してから、ざぶりと湯にはいる。大露天風呂と比べると、こちらの方が、だいぶ熱いように感じた。すでにさきほどの風呂で、身体は十分に温まっていたので、よく磨かれて手入れがされている建物の中を眺めてから、早めに外に出た。初秋を思わせる風が心地よかった。 上湯を出て、坂を少し下ったところに、もうひとつの共同浴場の「下湯」がある。坂の上と下に建てられているから「上湯と下湯」なわけだ。わかりやすいし、昔ながらの歴史ある温泉街といった感じがする。建物の雰囲気も、いい。 以前、長野の野沢温泉に行った時のことを思い出す。野沢温泉も、温泉街に湯屋が13ほど建てられていて、すべてを無料で巡って楽しむことができた。その時は初冬だったので、一日で3〜4つほど巡ったけれど、今日はさすがに暑くてのぼせそうなので、下湯の方は建物を眺めただけで終わりにした。 小学3年生と1年生くらいの兄弟と思わしき2人組が、風呂からあがってきて、建物の前をはしゃぎながら走り回っていた。母親が名前を呼びながら、あまり遠くへ行ってはダメよ! などと大きな声で呼びかけているけれど、子供たちは全くいうことを聞こうとしない。すぐそばに腰掛けていた老夫婦が、その様子をにこにこしながら目で追っている。たぶん、こうやって、昔からこの場所では同じような風景が繰り返されてきたのだろうな、と考えたりした。 こうやって、湯舟につかるだけではなく、街並を眺めたりしながら歩いているだけで、どんどん心地よい気分になれるのが、昔ながらの温泉街の楽しみのひとつ

蔵王温泉へ行く(1)

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蔵王温泉へ行ってきた。 風呂からあがり、駐車場で玉こんにゃくを食べる。1個100円。うまい。子供のころは、玉こんにゃくを、特に食べたいと思ったことはなかったけれど、最近は無性に食べたくなったりする。大人になったのだろうか(笑)それにしても、うまい。 この温泉宿は、以前、何かの本で「蔵王温泉大露天風呂」の記事を読んだ時から、いつか行ってみたいと考えていた場所。8月の最後の日曜日に、夏の締めくくりとして行くことにした。 蔵王温泉へは、仙台市から高速道路を利用して、1時間45分ほどで到着した。当日は、高速道路の料金所周辺が渋滞していたし、車の量も多かったので、通常ならばもう少し短い時間で到着できるかもしれない。どちらにせよ、日帰りでドライブに行くには、ちょうどいい距離だ。 高速道路をおりてから、山形市内を走り、峠の方へと向かっていく。すごく天気がよくて、青い空に白い雲が力強く盛り上がっている。仙台市内は、もうすでに秋の気配が漂っていたけれど、山形はまだまだ夏真っ盛りといった感じがした。 蔵王温泉は標高900mにある温泉郷だ。整備された道を、周りの景色を楽しみながら、ゆっくりと走っていく。一緒に走る車は、ほとんどない。忘れたころに、数台の車とすれ違う程度だ。すごく気分がいい。 温泉街に入ると、急に道幅が狭くなる。狭くて急な坂の道を走っていると「温泉に来た」という気分になる。硫黄の臭いもわくわく感を高めてくれる。早く車から降りて、温泉に飛び込みたいという気分になる。 まず最初に向かったのは「蔵王温泉大露天風呂」。5〜60台ほど駐車できる駐車場は、ほとんど埋まってしまっている。ツーリングの途中だと思われる、バイクも10台ほど並んでいる。駐車場の端の方に空きスペースを見つけたので、いそいそと車を止めて受付へ向かうことにする。 味のある門(写真)をくぐり抜けて、受付&脱衣所へと向かう。湯船に浸かって話している人の声が聞こえてくる。受付で450円を支払い、脱衣所へ。ここではコインロッカーに脱いだ服をいれておくのだけど、100円が必要になるので忘れずに用意しておきたい。 手早く服を脱ぎ、湯船に向かう。 想像していたよりも大きく、広い。「200人がはいれる」という説明があったけれど、確かに大げさではないかも

新緑の銀山温泉へ

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6月の銀山温泉へ(日帰りの旅) 銀山温泉 へ行ってきた。 銀山温泉は「一度行ってみたい」と思っていたものの、なかなか行く機会がなかった場所のひとつ。なので、行く事が決まってからはとても楽しみにしていた。 地元の 仙台市からは、車で片道100km ほど。国道48号線→国道13号線→国道347号線→県道188号線(銀山温泉着)というルートで、途中休憩(昼食)の時間もいれて約4時間で到着。道も整備されていて走りやすかったし、国道347号線に入ってからは、対向車も後続車もないという、気持ちの良いドライブを楽しむことができた。 事前に 「一般駐車場は狭く、場所がわかりにくいので注意」 という情報を聞いていたのだけど、確かにわかりにくく駐車できる台数も限られているので、初めて行く方は気をつけた方が良いかもしれない。気が付かずに、駐車場の前を通り過ぎてしまい、間違って坂を降りてしまうと、狭い場所をUターンして戻ってこなければなければならないので注意が必要です(実際に何台もの車が、Uターンしていた)。 無事に空きスペースを見つけられたので、車を降りて温泉街を歩き出す。観光案内のパンフレットなどで目にしていた銀山温泉の風景が、目の前に広がっていく。同じような形式の建物が並んでいるのかと想像していたのだけど、実際は ひとつひとつの建物ごとに個性がある 。それぞれに旅館のオーナーの趣味が感じられて、とても面白い。「あそこがこうなら、うちはこれだ」などと、張り合いながら、この風景を作っていったのではないか? などと想像しながら眺めているのも楽しい。 銀山温泉の湯の中で、ふと考える。 温泉街の突き当たりに、白銀の滝がある。午前中に雨が降っていたせいか、水量が多くて迫力がある。近くを通ると、冷たい霧がふんわりと顔や手足にまとわりついてきて、とても気分がいい。滝が流れる様子を横目で見ながら、 日帰り温泉可の瀧見館 というところで、温泉につかる。 露天風呂に行き真っ青な空を眺めながら、しばらくぼんやりとする。手足を伸ばして、ゆっくり深呼吸をする。いったい、どのくらいの人が、ここから空を眺めたのだろうか、と考える。何を考えて、何を思って、空を眺めたのだろうかと考える。 銀山温泉のホームページ によると、銀山の最盛期が寛永8・9年(1631年)で、 温泉