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iphone カバー購入。

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先日、iphoneのカバーを購入した。ネットなどで色々と検索しながら、気に入ったものを探していたのだが、なかなか良いのが見つからなかったため、とりあえず、某家電店でシリコンカバーのものを購入しておいた。 値段は、980円。付属として画面保護フォルムも付いていたので、気に入ったものが見つかるまで、これでいいかな、という感じで決めた。 数日後、ダイソーに行った時に、何気なく携帯電話のグッズコーナーをのぞいてみた。するとそこに、なんと、iphone用のシリコンカバーが置いてあった。もちろん105円(税込)。しかも、微妙に、こちらの方が工夫されていて使いやすそうだ。なんてことだ。980円あれば、これが9個も買えるじゃないか(9個も必要ないけど)。 ちょっとした敗北感を感じつつ、他のコーナーを見ていると、今度は画面保護フィルムまでも発見してしまった。もちろん、iphone専用で、しかも「皮脂・指紋が付きにくい」タイプらしい。思わず、購入してしまった。もちろんこれも、105円。 ダイソーのiphoneフィルムは、若干厚手&マット調なので、シャープ感は薄れてしまう。でも、自分は保護フィルムの傷が気になって定期的に交換する方なので、この値段は捨てがたい。クオリティを求める人には、専用のフィルムを購入した方がいいとは思うけれど、自分の場合はこれで十分。コストパフォーマンス的にも、かなり気に入ってしまった。 本当に、ダイソーはあなどりがたい。やはり消耗品などを探す時は、まずはダイソーと、言ったところでしょうか。 本物のダイヤを装飾したセレブ仕様iPhone (WHITE)

トリノ・エジプト展

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宮城県美術館で開催されている、「トリノ・エジプト展」へ行ってきた。混雑を避けるために、平日の午後を選んで出掛けた(移動の途中に立ち寄った)と、いうのに、チケット売り場では長蛇の列。展示物も、じっくりと見ていると、後ろから『ドン』と、人の流れで押されてしまうような状況だった。 それでもなんとか、立ち位置をキープして、作品をじっくりと眺めてみる。圧倒される。ただ単純に「想像していたよりも、大きい」ということもある。それもあるけれど、それ以上に、当時のアーティスト達が、魂を込めて作ったのだ、という思いや願いが伝わってくるような気がして、その人達に見下ろされているような気がして、なかなか足が前に進まなかった。 目の前に存在している作品が、数千年という時代を越えて残り続けてきたものなのだ、と考えると、それだけで時間軸の感覚がおかしくなりそうだ。こんなに間近で、息がかかりそうな位置で「貴重な作品」を見てもいいのか? というような気分になりますね。一応遠慮しつつも、ギリギリまで近寄って見てしまいましたけど。 今回、自分が特に注目していたのは「ヒエログリフ」だった。以前、ヒエログリフに興味があって、いくつか資料を読んだことがあったのだけど、写真ではなく本物の「ヒエログリフ」が見られた喜びは、ひとしおだった。 活字印刷ではなく、ひとつひとつが手彫りなので、同じ文字でも少しずつ、形が微妙に異なっている。それがなんというか「カワイイ!」というか(笑)本当に、一生懸命に刻んだんだな、という感じがしてとても面白かった。これだけの大きさの石に、すべて刻み込むのには、どれだけの時間がかかったのだろう? 分担制で、範囲を決めて作成したのか? いや、やはり職人として、すべてを一人で・・・などと、余計なことを考えてしまった。 改めて「石」の味わいというか、時間をかけて削り作成された作品の凄さを、実感することができた。自分でも何か作ってみたい。この猫のレプリカを作ってみたい、ハヤブサもいい、などと、今まで一度も作ったことはないのに、真剣に考えてしまいました。

iphone購入。

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iPhone3GS購入 携帯電話のディスプレイが表示されなくなってしまった。softbankに持って行って、みてもらうと、修理費のおおまかな見積もりとして「2万円くらい」と提示された。ちょうど2年間使ったところだし、修理するよりは買い替えたほうが、トータル的にコストパフォーマンスが高いだろう、ということで買い替えを決定した。 当然というか、予定通り、新しい機種はiphoneだ。Mac使いの自分としては、もはやこれ以外選択肢はなかった。携帯が壊れてしまったのは痛かったが、買い替えの口実ができたということにして、いそいそと契約をした。 おりしも、4日からiphoneのキャンペーンが始まっていて、機種代金が数百円ほど安くなっていた。今まで「購入した後に、新機種発表!」とか「キャッシュバック開始!」などという、憂き目に合っていた自分にとって、これはいい流れだ。来年はすばらしくタイミングのいい一年になりそうである。 iphoneは、通常の携帯電話とは異なり、様々な設定を自分自身で行わなければならない。住所録の移行も、店舗で完了するのではなく、一度サーバーにアップしてから、自分でアプリをダウンロードして、直接iphoneに取り込まなければならないなど、ひと手間かかってしまう。この時、softbankから送られてきたメールに記載されている、パスワードを入力するのだが、何度やっても認証しない。おかしい、おかしい、とイライラしながら繰り返していくうちに「大文字と小文字」の区別が必要だという基本的なことに気がついた。おもむろに、入力し直すと、一発で認証。無駄な時間と肩こりを生み出してしまった。これから、設定を行う方は、ぜひ気をつけていただきたい。 一通り設定が終われば、あとは使い倒すだけ。iTunesと同期させて、アプリをダウンロードしてみる。まずは、無料のもので気になったものを、一気に20ほど落としてみた。予想以上に・・・面白い。ハイパーカード時代の「無駄に情熱を注いでしまいました」と、いうような「失笑(いい意味で!)してもらうために、全力を尽くす」というような、雰囲気があって、懐かしくも楽しかった。自分がMacに魅力を感じたのは、このような「なんか自分でも、できそう。やってみたい」というような、感覚だったんだのかもしれないな、と、社会人になって、初めて12

プリムス p-114 感想。

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先日、近所の山(と、いっても車で2時間はたっぷり走るのだけど)に登ってきた。今の時期、自分以外には誰も登っていないのでは? と、いうような山を選んだのだが、案の定というか、当然というか、山頂で2組のグループと一緒になった。 みなさん、他県からわざわざ登りにいらしたようで、色々と情報を交換しながら、しばし話をした。「また、どこかの山で!」と、山頂で別れた後も、自分は一人で山頂に残って写真を撮影していたのだが、その後は他に登ってくるグループはなかった。 しばらく岩の上に腰掛けているうちに、強風で体が冷えてきたので「温かいものでも飲もう」と、いそいそと、先日購入したばかりのプリムス p-114を取り出してセットした。 晩秋の高い空に、黄色い缶が絶妙に溶けこんでいるな、と、自己満足に浸りながら、コッヘルをセットして、お湯をわかしてみた。当日は、立っていると、時折吹き付けてくる、強い風で体が揺れてしまうほどの状態だったので、岩の影で風を遮るようにしてセットしてみた。山頂で、ひとりでストーブを見つめながら、お湯がポコポコと沸いてくる様子を見るというのも、これはこれで、悪くない気分だ。と、いうよりも、いい気分だ(笑) コーヒーをいれて、小さめのカップに注いで、グーッと飲む。真っ青な空の中を、綺麗な羽をした鳥が一羽飛んで行って、写真を撮りたかったな、と思いつつも、カメラには手を伸ばさずに、そのままもう一口、グーッと飲む。うまい。 間もなく、この辺りも、寒い冬がやってくる。一度、雪が降って積もってしまえば、長くて厳しい「冬の山」が始まってしまう。そしてそれは、数ヶ月以上も続いていく。あと、もう一度、どこかの山に登ってみようかな、とか、来年はどこの山に登ろうか、などと考えながら、コーヒーを飲んで下山した。強風で、体感温度は厳しかったけれど、なんとなく、ほんわかとした気分になりました。 ※今回使用したのは PRIMUS【イワタニプリムス】 P-114 スーパーマイクロバーナーIV【ガスバーナー】

実験ムービー

写真撮影・動画制作 (C)Takahiro Sato 仕事半分、趣味半分で制作している「実験ムービー」です。 Mac一台で、どこまで制作できるのか? をテーマに、 空き時間を活用して、作っています。 わずか、数十秒のムービーに、数日を投資しているということは、 周りの人達には、決して言えない秘密のひとつです。 他の実験ムービーは、こちら

primus p-114

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新しい、登山用のストーブを購入した。primusのp-114。オフィシャルwebの「 本体重量51g(圧電点火装置除く)を実現した世界最軽量の小型バーナーです」という部分に惹かれて、購入した。やはり「世界最〜」というフレーズには、購買欲をそそるものがある(笑) 最初はp-153にするか、どうか迷ったのだが、自分の使い方は「お湯をわかす=飲み物、レトルト用」程度だし、さほど強い火力もいらないかな、そうなってくると、値段もこちらの方が安いし(重要)、なにより世界最軽量だし、ということで、p-114にした。 使い始めは、どこかの山の頂上で、と、いきたいところだったが、しばらく登れそうにもないので、自宅で試してみることにした。ガス缶をセットして、点火装置を押すと、見事に炎があがった(当然だ)。コッヘルを上にのせて、お湯を沸かしてみたのだが、特に問題なく沸く(これも、当然だ)。とりあえず、一人分のコーヒー用のお湯を沸かすには、数十秒ほどで完了するので、十分な火力だと思う。 ついでにストーブを購入した時に、おまけでいただいた、フリーズドライの食材を試してみようかな、と迷ったのだが、もったいないので中止した。また機会があれば、この辺のことにも触れてみたいと思う。 それにしても、毎回思うのだが、カートリッジを取り外す時に「シュッ」とガスがもれて、臭いがするのは、ちょっとドキドキする(笑)構造上、仕方がないことだと思うのだけど、ついつい「もれては・・・いないよな」と、ガス缶を手に取って、詳細に調べてしまったりする。単に、自分が神経質なだけかも、しれないですけどね・・・。 PRIMUS BurnerStoveプリムス 114ナノストーブ P-114

twitter 設置。

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一応、始めてはみたものの、活用方法がわからず、自分には関係ないなと、放置状態になっていた、twitter。先日、ウィジェットを使うと、webにtwitterを設置できるということを知り、早速試してみることにした。 思いの他、カスタマイズができて楽しい。デザインやフォントの色や背景はもちろん、自動スクロールの有無や時間の設定などを、変更することができる。スクロールの秒数設定に「読ませるためのポイント」があると感じ、複数のパターンを細かくテストして時間を浪費してしまったのは、ここだけの話である(笑) 設定後、webの方へも、なんの問題もなく設置完了。ゆっくりとスクロールしていく様子を眺めていると、新しいコンテンツが増えたようで、なんとなく嬉しい。 せっかくなので、ニュースを拾い読みして、気になったことを「つぶやいて」みた。入力したばかりの「つぶやき」が、上からスーッとスクロールしてくる様子を見ていると、初めてwebを制作して、アップロードした時の気分と、同じようなものを感じた。いや、ワープロ(パソコンではなく、ワープロ!)で、自分の文章が活字となって印刷されてきた時の、感覚にもつながるかもしれない。 とりあえず、飽きるまで続けてみようかと思っています。 設置したホームページはこちら。 追記:このブログにも設置してみました。

登山とひざ痛

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夏の登山で再発した、ひざの痛みだが、その後サプリメントの摂取は止め、筋肉トレーニングに切り替えて様子を見ている。 つまり、関節のまわりの筋肉を強くして、ひざへの負担を減らそうじゃないか、というポジティブ(?)な発想である。こちらの方が、自分の膝の状態にも合っているような気がする。 色々とスポーツ障害の本を読んだり、医療関係で働いている知人に相談しながら、簡単なトレーニングをしているのだが、今のところは調子がいい。ストックを使用して、ゆっくり目に歩くと、大体、4〜5時間程度の時間ならば、膝に痛みを感じることなく、歩くことができている。 目標としては、7〜8時間歩き続けても、なんともない状態にまで仕上げたいのだが、また突然、あの痛みに襲われることを考えると、なかなか挑戦する気持ちになれない。あとひとつふたつ、治療方法を探して試してみてから、来年の登山に備えていきたいと思う。 写真は、週末に登った山の写真。下山してから駐車場へと、移動している時に撮影したもの。もうすでに、山の紅葉は終わりかけで、陽射しが届いている時は暖かいけど、時折吹く風は、一気に体温をうばっていくほど、冷たく厳しくなっていました。

カロリーメイト

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ドラッグストアへ行ったところ、ロゴマークがピンク色のカロリーメイトを見つけた。どうやら新製品らしい。ピンクということは、イチゴ味か? それともピーチか? と、想像しつつ、手にとってみると・・・「メイプル味」だった。 なるほど、そうか。確かに、カロリーメイトには、メイプルが合いそうだよな、でも、イチゴかピーチというのも、ちょっと試してみたかったよな、意外と合う・・・いや、合わないかなあ? などと頭の中で考えながら、チーズとポテトとメイプルを、ひとつずつ買ってみる。 考えてみると、カロリーメイトは、自分が小学生の頃から販売されていた商品だから、実に25年以上ものロングセラー商品ということになる。王選手が、缶タイプのカロリーメイトをグイグイと飲んでいるCMが、印象的だったことを覚えている。実際に、自動販売機で220円だったか、240円だったか(さすがに記憶が曖昧だ)で売られているのを見て「ジュースが、一本200円か!(じっさいは、ジュースではないのだけど)」「どんな人が飲むんだろう?」「きっと、金持ちの人だよ」「オレ、この前飲んでいた人を見たぞ」「うそつけー!」と、盛り上がっていた記憶がある。 当時の、缶ジュースは一本100円だったので(100円といえば、小学生にはちょっとした値段だ・笑)2倍もするカロリーメイトは、いわば「あこがれ」のような存在に見えた。王選手が飲んでいるくらいだから、何かきっと秘密があるのかもしれない、ホームランを打つ秘密は、あの黄色の飲み物にあるのかもしれない、と勝手に想像していたのだと思う。 さて、話を戻して、肝心の「カロリーメイト メイプル味」だが、なかなか美味しかった。イメージ通りの味、という感じだ。でもやはり、イチゴかピーチを試してみたい、と、ピンク色のロゴマークを見ながら考えました。

10万km越え

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今乗っている車(ニッサン ラシーン)の走行距離が10万kmを突破した。何度経験しても、愛車の10万km越えの瞬間は、不思議な達成感(のようなもの)がある。 以前だと、10万kmを越えると「来年は乗り換え(廃車)だな・・・」という、寂しい気分になったものだけど、今では「14万くらいまでは乗れるとして、そこからが勝負だな」と、いう感覚になっている。ネット上で、20万km越えのラシーンを見たことがあるのだが、そのような画像を見てしまうと、10万kmくらいは慣らし運転、のような気がしてくるから不思議だ。 今のところ、走行距離相応のヘタリ感以外は、特にトラブルもなく、安定して走っている。燃費も若干落ちてきたし、加速もにぶいので、高速道路は怖くて走る気がしないが、普段乗りには問題がない。まずは今年の春の車検を通して、その後の2年間で14万km越えを目指したいと思っている。

山の秋

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山仲間の集まりに参加してきた。夕方に集まり、テントを張り、酒を飲み、翌日朝一番で登るという、いかにも山好きらしいイベント。 何もない、冷たい森の中だというのに、山男達が集まりテントを張りランタンに火を入れると「あっと、いう間」に、ほんわかとした空間になる。手際よく、火を起こしたり、料理を作ったりしている、他の人達の作業を眺めていると(自分は、眺めているだけ・笑)小学生の頃にキャンプをした時の事や、御来光を見るために真っ暗な中を登った時のことなど、昔の記憶が一気に蘇ってくるような気がする。 暗闇で火を見つめていると、催眠状態になりやすい、というようなことを何かの本で読んだ記憶があるけれど、確かにそうかもしれない。何か、頭の奥というか、胸の奥のあたりがムズムズしたような感覚になる。占いの部屋などは、真っ暗にして、小さな灯りだけにしているイメージがあるけれど、このような効果を狙っているのだろうな、と考えたりしてみる。 残念ながら、自分は予定があるので、宴会の途中で帰ってしまったのだが、車に乗り込む時に見上げた真っ暗な空一面に、星が輝いていて本当に綺麗だった。今度はテントを持ってきて、朝まで焚火でもして過ごしてみたいと、思いました。

Macbookのメモリを交換してみる。

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愛用のMacbookも使用開始から2年が経過。色々なソフトやデーターなどが増えたことで、全体的に、動作が遅くなったと感じられることも多くなってきた。しかし買い替えをするまでには至らないので、気休めと気分転換に メモリを交換してみる ことにした。 現在の状態は、購入段階の 「512MB+512MB=1GB」 のまま。今回は「 1GB+1GB=2GB 」へ交換することにする。ネットで注文をして、数日後に到着したメモリを手に、さっそく作業開始。 ネットで交換方法を検索し、一通り手順を頭の中にいれてから、Macbookのバッテリーをはずしてみる。するとそこに 「メモリ交換方法」が、イラスト入りで掲載されているのを発見 (ただし英語表記だが)。と、いうことは、Appleもユーザー自身でメモリ交換をすることを、推奨しているのか? などと考えつつ、一応イラストを確認してから作業続行。 レバーを引くと、メモリがはずせる仕組みになっているので、予想以上にスムーズに作業終了。バッテリーを装着して、起動してから、メモリを認識しているかどうかを確認。問題無し。ちゃんと2GBになっている。では、動作の方は向上したのかな? と、ソフトを立ち上げてみると、 体感速度が1.5倍くらいにまで向上しているもの があった。よかった。これなら、メモリを交換したかいがあったというもの。 ただし、一番気になっていた「photoshop」は、残念ながら早くなった感じがしなかった。これは、メモリではなく、プロセッサのパワー不足なのかな? と思いつつ、でも全体的には向上しているので、よし、とすることにしました。次は、HD交換かな? ・関連  Appleに関する記事一覧

福島県 霊山へ登る

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福島県の霊山に登ってきた。 ちなみに、この霊山は「りょうぜん」と読む。「れいざん」と読みたくなるし、なんとなく宗教的な雰囲気も感じるが、正しくは「りょうぜん」なので、誰かと話をする時には気をつけていただきたい。自分は、今回確認するまで「れいざん」だと思っていた。 それはともかく、 霊山 には、知人のブログで紹介されているのを見た時から一度登ってみたいと思っていた。先日「霊山の紅葉は絶景だよ」「今年は紅葉が早いらしいよ」という情報を聞いて、それなら時期的にも今がちょうどいいから、と出掛けてみることにした。 霊山までは、 仙台市の自宅から大体2時間ほどで到着 することができた。県道を南下して、相馬側から西に向かったのだが、ほとんど車もなく、かなりスムーズに移動することができた。自宅を出たのが。9時過ぎと、若干遅かったせいで、到着したのが11時半ころ。シーズン中は、駐車場がかなり混雑すると、聞いていたので、この時間で大丈夫かと心配していたのだが、予想に反してガラガラ。安堵と、あせって急いでいた自分に苦笑いをしながら、準備をする。 駐車場の目の前には、霊山の素晴らしい景色が広がっていた。 奇岩が連なった、存在感たっぷりの山の姿が、秋晴れの青い空にくっきりと映える。思わず「あの岩のとがった、先まで登ってみたい!」と反射的に思う。 国の名勝、日本百景に選ばれている ということだが、それにふさわしい、圧倒的な風景だった。 写真を撮影して、数年前に設置されたらしい綺麗なトイレで用を済ませてから、登り始める。よく整備された歩きやすい登山道を、ゆっくりと歩き始める。まだ紅葉には早かった(早すぎた)が、ところどころに見える、赤い色の葉がアクセントになっていて、これはこれで見応えのある綺麗な風景になっていた。 パンフレットを片手に、ゆったりと回る。 登山口に用意されていた、カラーのパンフレットを参考に、ひとつひとつポイントを回っていく。大体、15〜20分ごとくらいに「見下ろし岩」「天狗の相撲場」のようなポイントがあり、切り立った岩の上から、絶景を眺めることができる。切り立った岩の上から、遠くを眺める気持ち良さ(怖さ?)は、ぜひみなさんにも体験していただきたい。 ちなみに高所が苦手な自分は「写真を撮影してください」と、頼まれる度に「ああ、い

怖いものみたさ

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先日、知り合いと「自分が苦手なもの」についての話をした。ある人は「虫が苦手だ。虫がたくさん集まっている様子を見ると本当にダメだ」といい、ある人は「ホラー系は、絶対に無理。少し見ただけでも眠れなくなる」と言った。 それぞれが、口々に苦手なものを言い合った後「では、なぜそれが苦手なのか?」と、原因を追及してみることにした。最初は「そういえば、どうして苦手なんだろう?」と、言っていたのだけど、過去の記憶を辿っていくうちに「そういえば・・」「あれかな・・」などと、原因らしきものが分かってくるのが、面白い。 最終的には、明確な原因はわからないのだけど(自分たちも、特にそれを追求するのが目的ではないので)普段は見えなかった、その人のキャラクターの一面が見えてくるようで、なかなか興味深かった。ぜひみなさんも、話題に詰まった時などに、試してみていただきたい。 ちなみに、自分が苦手なのは「高いところ」である。高い所? あれ? 山登りが好きだから、むしろ、高いところは好きなのでは? と、思うかもしれないが、実は苦手なのだ。頂上付近で、他の人達が「おー、いい眺めだ」と、切り立った崖のそばで話していたとしても、自分は、ちょっと眺めただけで、すぐ後ろの方に下がってしまう。風が少し吹いただけで、崖の下の方に吸い込まれそうになるし、手にもっているものを、落としそうになる。 じゃあ、何故山に登るのか? と言われれば、それまでだけど、もしかすると「怖いものみたさ」なのかな、と考えたりもする。自分が、どこまで「それ」に耐えられるのか? を、試しているのかなと、思ったりもする。以前よりも、高所で平然としている自分を、楽しみたい&確認したい、ということなのかなと、今は考えている。 高所で仕事をしている知り合いによると「慣れだ」と、一言で終わりだったのだが・・・あれは「慣れ」で本当になんとかなるものなのか? 今のところ、どうにもそうは思えない(笑) ※写真は、登山道で見つけた、木の切り株。暗い所でこれを見たら、結構おどろくと思う。

休日の風景。

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日曜日の午後、修理していた車を受け取りに、ディーラーまで歩いて行く事になった。家の近くの歩道橋の上から、道路の方を眺めてみた。普段は、慢性的に渋滞状態の道が、見事なまでにガラガラ状態だった。(ちなみに、写真を撮影した時間帯は、午後の3時ころ) 連休明けの休日だから、みんな出掛けるのを控えているのか?それとも、ETC割引を利用して、遠出をしているのか? どんよりとした空の気配と組み合わさると、まるで、この世の終わりの風景、のように見えてきたりもする。 人がいなくなってしまった世界は、このような感じなのか・・・いや、それは怖すぎるので、何か興味深い出来事が起こって、みんなTVの前に釘付けになっている状態と考えてみよう。休日の午後に、すべての人がTVに釘付けになる出来事とは、どのようなものがある? 視聴率100%のTV番組。 なぜか、プラスのイメージよりも、マイナス寄りになってしまうのは、自分の性格がマイナス寄りだからなのだろうか(笑)そんなことを考えながら、自分しかいない歩道橋の上から、写真を撮っておきました。

2010年手帳

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書店に行くと「2010年版」の手帳コーナーが設置されているのを、目にする。もう、そんな時期か、とか、まだ9月じゃないか、などと考えながらも、見本で並んでいる手帳を手にとって、ぱらぱらと眺めてみたりする。 以前、何かの本で「年齢を重ねるほど、時間の流れを早く感じる」という文章を読んだことがあったけれど、最近それを、実感として感じることも多い。何か作業をしていて、「もう40分くらい過ぎたかな」、と思うと1時間くらいだし、「待ち合わせの時間まで、1時間くらいあるから」と車の中を整理したりしていると、あっという間に時間になっていたりする。 2009年も、色々とあったはずなのだが、もう新しい手帳の時期が・・・などと考えていると、寂しくなるような気がするので、せめて早起きをして一日の時間を長くするように、工夫していこうと思う。 ちなみに自分は、ここ数年「高橋書店」の手帳を使っている。一応、買い替える際には、他の手帳も調べてはみるのだが、結局最後には、高橋書店のものを選んでしまう。どうせこれにするのだから、他のものを見ている時間がもったいないよな、とは思いつつ、やっぱり同じものを選んでしまう。 レイアウトや大きさは、とても気に入っているので、あとはデザインのバリエーションを増やしてもらえたら、毎年2冊は買う・・・と、いうことはありませんけどね(笑)とりあえず、来年も高橋書店の手帳にするか? それとも??

満車か、2台か?

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昨日は、天気がよかったので、県内の里山に登ってきた。午前中に自宅を出て、時々写真を撮影しながら車を走らせていると、秋の涼しい空気が心地よくて「もう、山なんて登らなくてもいいんじゃないか?」という気分になった。(もちろん、これは思うだけで、実際は山が近づくにつれ、モチベーションが高くなっていく)。 細い山道を、慎重に対向車がこないことを期待しながら、走っていくと、大きな駐車場の前に出た。結構広い駐車場にもかかわらず、ほぼ満車状態だったので、いったい何があったのだろう? と道路の脇に立っていた案内板を見てみると、キャンプ場の駐車場ということがわかった。 こんなに人里離れたところでも(キャンプ場なのだから、当然なのだが)ずいぶん、人が集まっているんだな、やはり連休中だから当然か。この様子なら、山の方も混んでいるかもしれない、駐車場は空いているかな、と考えながら、賑わうキャンプ場の横を過ぎた。 勘のよい方なら、すでに話の展開は見えていることと思う。40台ほど駐車できる登山口の駐車場には、自分の車と、もう一台、白の乗用車が駐車されているだけだった。ものすごくガラガラ。「混んでいないといいのだが」と思っていたはずなのに、実際にガラガラだと「全然、人がいない」と、逆にがっかりしてしまうのも不思議なものだ。 準備をして、人気のない登山道を静かに登っていく。自分以外には人がいない、とわかっているので、木の奥の方から『ガサッ!』という音がすると『熊か??』と、必要以上に敏感になってしまったりする。そういえば、熊よけの鈴を忘れてきた。いや、この辺りに熊はいるのか? などと考えながら、歩く。 途中、熊に会うことも、大きなトラブルもなく、無事に頂上へ着く。一人でお茶を飲んで、岩の上に座って、遠くの山並みを眺めてると、横の方から人が近づいてくる気配がした。こんにちは、と声をかけると、相手も人がいないと思っていたらしく、少し驚いたように苦笑いをしていた。駐車場にあった、もう一台の車の持ち主だった。 「来る途中の、キャンプ場は混んでいたのに、ここは静かですね」 「本当ですね」 「登山は、人気ないんですかね」 「(笑)いや、もう少しして紅葉が始まれば、もっと混みます」 そんな話をして、相手が下山をしてしまった後も、自分はしばらく山頂の岩場に座って、次はどの山に登ろうか、向かいの山とこの山は、同じくら

秋の日は、つるべ落とし。

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河川敷の横の道を、車で通ったところ、帰宅途中の高校生が、自転車を止めて携帯電話で夕焼けを撮影していた。思わずつられて、同じ方向を見ると、高い秋の空に、綺麗な夕焼けが広がっていた。 まだまだ日中は、暑くて半袖でも大丈夫だけど、夕方の5時を過ぎると、あっという間に日が落ちて涼しくなってしまう。秋の日は、つるべ落としとは、よく言ったもので、本当にあっというまに「すとん」と、日が暮れていく。その格差に、必要以上に物悲しい気分になる。 秋の日に夕焼けを見ていると、小学校の頃を思い出す。母親に留守番を頼まれた日のこと。友人に釣りに誘われた自分は、弟に「一人でも(留守番は)大丈夫だよな?」と聞いて、自転車で釣りに出掛けてしまった。よくは覚えていないのだが、小学生の足で20分くらいの距離の池に出掛けたと思う。 夢中になって釣りをしているうちに、、あっと言う間に陽が落ち、あたりが真っ暗になってしまった。自転車のライトを付け、友人達と「そっちは、あぶないぞ!」「みんなで、ライトを同じ方向に向けろ!」などと、ふざけながら、おっかなびっくり家に向かった。こんなに遅くなってしまって(その時は、時計を持っていなかったので、真夜中の様に感じていたのだと思う)親に怒られるだろうな、もう釣りには行けないだろうな・・・などと、思いつつ玄関のドアを開けると、そこには自分の帰りを待ちわびていた母親の姿があった。 ひとしきり怒られて、注意をされて、思わず「でも、弟が一人でも大丈夫だ、と言ったから出掛けたんだ」と、こぼしてしまった。すると、その言葉を聞いた弟がポツリ「でも、本当は、一人では嫌だった・・・」。ますます、怒られる結果となった。 あの時から大分時間が過ぎてしまったけれど、こういう記憶はいつまでも鮮明に残るものなんだな、と帰宅途中の高校生達の横を過ぎながら、考えました。

チュッパチャプス

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知り合いが、旅のおみやげだといって「 チュッパチャプス」を買ってきてくれた。・・・なぜ、旅のみやげにチュッパチャプス?? 確かに旅に行く前に「チュッパチャプス」の話をしたけれど、わざわざ旅先で買ってくることは、ないじゃないか。同じものが、近所のコンビニで・・・などと、いう疑問はさておき、実に20年ぶりくらいに食べてみた(ちなみに、味はマンゴー)。 あらためて、パッケージを見てみると、記憶の中のイメージよりも、かなり凝ったデザインであることに気がついた。気になって調べてみると『1958年 にスペインのバルセロナ で誕生した、棒付きキャンディ の商品名、またそのキャンディを販売する会社名である。日本では1977年 から森永製菓が 輸入販売している。(wikipediaより 引用)』とのことだった。 なんと、スペインからの輸入品だったのか。そのような情報を知ってから、 チュッパチャプスを見てみると、西欧の異国情緒を感じてしまう。でも、もしこれが「中国から輸入販売」とか「チリからの輸入販売」ということだったならば、「そうか、やはり中国の雰囲気が・・・」とか「チリっぽいよね・・」と、思ってしまったことだろう(笑) 知り合い(男性)と「男が、チュッパチャプスを買って恥ずかしくないのは、高校生くらいまでですかね」「いや、中学生でも、ちょっとキツイよ」「友達と、みんなで話しながら買うなら、高校まで大丈夫ですよ」「そうかなー。まあ、チュッパチャプス一個だけを買うのでなければ、高校まで大丈夫かな」「他のと一緒に買うなら、社会人でも大丈夫ですよ!」 などと、真剣に話しあった(笑)後日、知り合いの女子に同じことを聞いてみると「別に、何もおかしくないんじゃないですか? それよりも、この資料が・・・」と、一蹴された。確かに、買い物をしていて恥ずかしいとか、恥ずかしくないなんて、自分達が思っているよりも、店員は考えていませんね。忙しいし。

ミソシルの夢。

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今回も、夢(寝ている時)の話。自分は、外国人の方達と(たぶん、その人達の家で)食事をしていた。若い女性の方が2人と、その母親らしき人が1人いたような、気がする。テーブルについて、みんな何かしら口にしていたのだが、なぜか自分は「みそしる」を飲んでいた。しかも、ずずーっと、ものすごくたっぷりと(笑) 今まで、外国人の方達とプライベートで食事をしたこともないし、みそしるも、そんなに、ずずーっと、たくさん飲む方ではない。前の日記で「夢の中で実体験の記憶が鮮明に、再現されるおもしろさ」と、いうようなことを書いたけれど、今回の夢は「体験したことがないことを、実体験以上にリアルに体験した」夢だった。 なぜ、外国人の方と食事をしていたのか? いや、それはそれで、夢として、さほど違和感はない。許容範囲だ。でも、テーブルの上に並んでいる料理の中から、なぜ、わざわざ、みそしるを手にとって飲んだのか? 異国の雰囲気満載の食卓で、なぜわざわざ日本食を選んだのか? 意外とこれも、もしかすると、後々「偶然が必然」になるかもしれないので、とりあえず忘れないうちに記録をしておくことにする。 ※今回の写真は、初秋の夕暮れ。最近、あっという間に、日が落ちますね。外国人やミソシルの写真がなかったので、適当にこれを載せてみました。

蛍を見ていた時のこと。

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このブログの、タイトル画像を変更してみた。数年前なら、画像ひとつ差し替えるのも、結構めんどうだったものだけど、今では、ほぼワンクリックで変更できる。あの当時、費やしてしまった膨大な時間は、いったいなんだったのかと、思う瞬間だ。 今回の写真は、仙台市郊外で撮影してきたものだ。仙台市も、100万人都市とはいうものの、30分も郊外に向けて車を走らせれば、このような田園風景を見ることができる。もちろん、すぐ横の道を、たくさんの車がビュンビュンと、走り抜けてはいるのだけど。 自分が、まだ10代だったころ、この辺りにも「蛍」が飛んでいた。「蛍が見られるよ」と、口実をつくり、女の子をバイクの後ろに乗せて、夜遅くにやってきたものだった。 バイクのエンジンを止めて、しばらくそこで、じっとしていると、それまで息をひそめていた蛍達が、ふわーっ、という感じで、周りからゆっくりと真っ暗な闇の中を舞い始める。光を点滅させる。そばで眺めている、自分達の服の上にとまって、しばらく灯りをともしてくれるのも、いる。それは、とても気持ちがいい瞬間で、夏を思わせる、心地よい風景だった。 それからわずか数年後、道路は舗装され、交通量も各段に増えた。もちろん、この周辺で蛍を見ることもなくなった。「蛍は、綺麗な水にしか住むことができない」と、いう言葉を、子供のころ、何かの本で読んだことがあるけれど、これは本当だったんだなと、体験から学んだできごとでした。 ※追加の写真 今回の記事に掲載している写真は、一見すると「普通の雲」の写真ですが、拡大してみると、左上の方に・・・これは? ・・・いえ、飛行機です。

ついつい手が出てしまうもの。

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自分は、ふだんあまりスナック菓子のたぐいを、食べない。(ガムはひんぱんに噛む。いつも2〜3個は常備してある)なので、周りの人達からは「あの人には、お菓子を出しても食べない。こういうのが、あまり好きではないようだ」と、思われている節があるようだ。 まあ、それはそれでいいのだけど、実は、ドラックストアなどに行くと、ついつい手が出てしまう、というか、ほぼ無意識にカゴの中に放り込んでしまうものが、ある。それが「カルビー ポテトチップス」だ。 雑貨や何やら、目的の品を購入したあと、帰りの車の中で、ポテチと缶コーヒーを飲みながら移動するのが、ささやかな楽しみだったりする(笑)半分くらいで、止めておけばいいのだが、ついつい一袋を一気食いしてしまって、それが昼飯の代わりに、なったりする時もある。嗜好品が、メインの食材になるのは、良くないだろうとは思うので、注意はしているものの、ついついやってしまいそうになる。 昨日、ドラックストアで買った「バターしょうゆ」は、ものすごく美味しかった。食べ物のおいしさを、文章で伝えるのは難しいのだが「何コレ! おいしい!!」という、感じではなく「ああ、コレ、おいしいねえ〜」と、自然なペースで気がつくと、ひと袋一気に食べてしまうという「おいしさ」だった。安かったので、2袋まとめ買いしていたため、思わずその勢いで、2袋連続で食べてしまうところだった(さすがに、それは止めた)。 と、書いたところで、残念なお知らせなのだが、この「バターしょうゆ」は、地域限定だそうだ。販売地域は( 北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県・新潟県)ということなので、このブログをご覧いただいている地域のみなさんの、コンビニ&ドラッグストアでは、手に入らないと思われる。なので、ETC1000円割引などを活用して、こちらの方に遊びにくる際になどに、見つけたら試していただきたい。

初秋になると、考えること。

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関東の方は、まだまだ暑いだろうし、半袖でも十分に過ごせることでしょう。でも、自分の地元仙台は、朝晩は長袖でないと、少し肌寒く感じる季節になってきた。すっかりと、初秋を思わせる空気になった。 自分は、この季節(夏から秋へと移り変わる時期)が、一年の中で、一番好きだ。部屋の窓から、そよそよと風が流れ込んできて、静かで落ち着いた空気の中で本を読んでいたりすると、何か新しいアイデアやヒントが浮かんでくるような気がする。気がするだけで、実際には何も浮かんでこないですけどね。 そして、この時期になると、なぜかいつも、予備校に通っていた時のことを思い出す。未来に対して、ばくぜんとしているけど、力強い希望があって、不安があって、仲間がいて。自習室にいくと、必ず3〜4人は友人がいて(もしくは、友人の荷物があって)遊び相手には、事欠かなかった。自分の周りの人達は、なぜかみんな親切で、思いやりがあって、にこにこと笑う人達ばかりだった。 その中に、A君(仮名)という、ものすごく努力家で、しゃれが効いている人がいて、いつ自習室に行っても、ウォークマンを聞きながら、同じ姿勢で勉強を続けている人がいた。彼が、怒っている姿を見たこともなかったし、悪口を言っているのを聞いた事も、なかった。今、考えてみると、A君のような控えめで、自己主張は少ないけれど、確実にそこに座っていてくれる人がいたからこそ、あのような仲間が保てたのかもしれないなと、この年齢になって感じることがある。 と、いうようなことが、一気に思い出されるのが、この「夏から秋へ」の時期だ。みんな、年齢をかさねて、どのような生き方をしているのか? 今となっては、全くその様子はわからないけれど、元気で自分らしく、がんばっているのだろうと思う。すくなくとも、一番「いいかげん」な人生を送っているのが、自分だろう。それを考えると、別の意味で、ちょっとせつなくなったりする(笑) ※写真は、智恵子抄でも有名な「阿武隈川」の写真。秋の、傾きかけた太陽の光が、とても心地よい午後でした。

夜読んだ言葉を、夜にまた聞く。

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就寝前に、何気なく手に取った本の中に「仲直りした友人と、温め直したスープの肉には気をつけろ」という、ことわざが掲載されていた。その時は、特に気にもせず、右から左へと流して終わりだった。 ところが、翌日の夜に、ある人と話をしていた時に(その人は、人間関係で悩んでいた)「ほら、イタリアのことわざにも『温め直したスープの肉には気をつけろ』というのが、ありましたよね。まさに、それですよ・・・」と、言ってきた。 イタリアのことわざではなく、スペインのことわざなのだが、今回注目すべき点は、そこではない。人間関係を表す多数のことわざの中から、私が「それ」を見て、彼が「それ」を口にしたという偶然に、驚いたのだ。 まさに、このブログのテーマである「ものごとに、必然はあるのか?」に、最適のできごとだった。もちろん、自分が手に取った本の中に、記載されていたことわざは「仲直りした友人〜」のみだったし、彼が同じ本を読んだということも、まず考えられない。いや、むしろ、同じ本を同時期に手に取った、という偶然があるのならば(特に、最近出版されたとか、人気の本というわけではないので)それもまた妙なり、だ。 もしかすると、このことわざの中に、何かのメッセージがあるのかもしれないし、本の方にあるのかも、はたまた、その知り合いの方にあるのかもしれない。ちょっと注意して、関連の情報を探ってみたいと思っています。 ※写真と本文は関係ありません(この前登った、山の写真です)

テストプリントを、めぐる冒険。

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自宅で写真のプリントをするようになって、自分が「色」に対して、異常な(?)までに、こだわりがあることに気がついた。 基本的に、撮影したデーターをMacに取り込んで調整(現像)を行ってから、プリンターで印刷していくのだけど、微妙な色合いの違いが、どうしても気になって、何度もテストを繰り返してしまう。 知り合いのカメラマンに相談したり、自分でも資料を読んだりしながら、少しずつ知識を増やしてはいるのだが、なかなか思う様にいかないため、せっかくの楽しい作業が、ストレスの原因になってしまうという矛盾を生んでいる。「どうせ、こんなに工夫をしても、自分の好きな色にはならないんだよな」という、斜めに構えた感じになってしまうのだ(笑) 今のところ、どうやら自分が考えているトーンは「用紙を変更」することで、実現できそうだ、という段階にまでは辿りつくことができた。とはいうものの、高価な用紙を使用するにはコスト的にも限界があるし、作品そのものが、そこまでのレベルに達していない、という根本的な問題もあり、なかなか進展はしていないのだが、どうやらこの辺りに、今の段階での解答がありそうな感じはしている。先が見えてきたら、あとは進むだけだ。 プロと呼ばれる人達ならば、この辺りの調整をスムーズに行い、発注先にも適切な指示が出せるのだろう。その辺が、プロとアマチュアの差なのだろう。とりあえず、限られた条件の中で、どこまで自分のイメージの中に近づけるのか? 微かな違いを求めて、無数の組み合わせを考えつつ、余暇の時間を惜しみなく注ぎ込みながら、アマチュアフォトグラファーの、トーンを巡る旅は続くわけですね。

山と美人の微妙なる関係。

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週末は、山登りへ行ってきた。山登り、というと結構かっこいい響きだけど、実際は「何度か登った里山」なので、山歩き、と言った方が正確かもしれない。 先日の、磐梯山で再発してしまった、クセになっている、ひざ痛の様子を確認するために登ってみたのだが、わずか、往復2時間程度の登山だったのに、結構な痛みにやられてしまった。こいつは、やはり、中途半端な治療ではなく、根本的な見直しが必要なようだ。完治するまで、平地でじっとしていればいいのだが、天気がよかったり、具合がいいと、すぐに飛び出してしまうこの性格も、直さなければいけないだろう。 山歩きの方は、天気も良く、海の方まで綺麗に見える、絶好の登山日和だった。近くの湖もはっきりと見えて、日本の秋、という雰囲気が満載だった。 登っている途中、立ち止まって写真を撮影している時に、下山してくる女性とすれ違った。めったに、人がいない山なので、すれ違うだけでも珍しいのだけど、「ついさっきまで、街でお買い物をしていました」というような、かなりの軽装だったので、ものすごく違和感があった。連れがいるようでもなく、一人で淡々と下山して行ったので「何か、よほど、この山に登らなければならない理由でも、あったのだろうか?」などと、一瞬余計な考えが思い浮かんでは消えた。 そんなすれ違いのあと、下山途中のご夫婦のカメラのシャッターを押してあげて、サンサンと降り注ぐ太陽の下で、水を飲んで帰ってきた。ひざは痛むし、汗もかいたが、脳の中にはアドレナリンが満載だったので、車の窓を全開にして鼻歌を(頭の中で)歌いながら快適な気分で家に着いた。車を洗って、ブーツの泥を落として、ひと息つきながら「次はどこの山に登ろうか?」などと、ぼんやり考えました。

ビールを飲む(夢の中で)

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また夢(寝ている時の)話し。最近、意識しているわけではないのだけど、夢がはっきりと記憶に残る。はっ! と目が覚めて「ああ、まだ朝の4時か・・・」のような、感じになったりする。とてもリアルな夢が続くので、目が覚めてからも、現実の中に夢の感触が残っていて、違和感を覚えてしまうくらいだ。 さて、肝心の夢の内容なのだが、今回は「ビールを一缶、一気飲みして、缶を握りしめる」という、ものだった。ビールののどごしや、苦み、缶を手に持った時の感触などが、とてもリアルで、目が覚めた時も(この時も、夢を見たあとに、すぐに目が覚めた)生々しく、覚えていた。(その前後にも、若干エピソードはあったのだが、省略) 「夢は、昼間の記憶を脳の中で再構築している時の映像」と、いう情報を、以前、本で読んだことがあった。すると、普段自分は、ビールをほとんど飲まないので、少し前の記憶を蘇らせて、再構築したということになるのだろうか。 どちらにせよ「ビールを飲む」という行為の記憶は、脳の中に、様々な情報(五感)として、かなり鮮明に残っているのだな、と思ったわけです。ここまで鮮明ならば、脳の中の情報を何らかの刺激を与えて復活させ「あたかもビールを飲んでいるような」体験をさせるのも、未来には可能になっているのではないか、と考えたりする。と、いうよりも、実現していそうですね。モチベーションを上げる時は、その人の成功体験を再生させて、活性化させる、とか、普通に活用できそうな気がする。でも、本当にそうなったら、夢(この場合は、過去の記憶)にばかり逃避して、抜け出せなくなる人も、出てきそうです。「あの時の栄光を、もう一度! もう一度! もういちど!!」と、いった感じで(笑)

桜と神社と子供達、それを写真撮影の夢。

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昨晩、とても色鮮やかな夢(寝ている時の)を見た。 自分は、神社にいた。子供達がたくさんいて、神社の境内で何か出し物をする準備をしていた。子供達はみな、お祭りの時に着るような法被や 能装束のような衣装を、見にまとっていた。その様子が、とても色鮮やかだったので、良く見える位置に移動したところ、桜の花が満開になっていて、花びらが空から溢れんばかりに舞い落ちてきた。 自分は、手にもっていた一眼レフカメラを上に向けて、桃色の空の写真を撮影した。シャッター音が、心地よく響いた。 と、いうような夢だった。色彩が、全体的にとても鮮やかだったのと、カメラのシャッター音がはっきりと聞こえてきたのが、とても印象的だった。 今年の春に桜を撮影した時の記憶(このブログの記事に、掲載しているものが、ソレです)が、よみがえったのかもしれないけれど、その時は、法被姿の子供達はいなかったしな、なにより初秋のこの時期に、なぜ春の夢を見るのだろう・・・などと考えながら、これをいわゆる「夢占い」として分析したのなら、どのような意味になるのか? と、あまりにも鮮やかな夢だったので、忘れないうちにここに記録してみました。その後、何か面白い事象や、夢とのつながりがわかったなら、検証してみたいと思います。

なぜ、人は山に登るのか? 登山家・栗城史多氏 エベレスト挑戦!

現在、単独・無酸素でエベレストに挑戦している日本の登山家がいる。 栗城史多さんという、若きアルピニストだ。 高山に登る時には、チームを組み、役割分担をして、頂上を目指すのが一般的だ。まとまった人数で、高度を上げていき、その中のアタック隊が、代表として頂上に挑戦するわけだ。エベレストのような世界最高峰の山なら、なおさら人数も規模も大きくなる。少しのズレが死に直結する場所だから、当然のことだ。ところが、彼は単独、つまり「ひとり」で登頂するという。 人間の生存できる高度には、限界がある。つまり、ある一定以上の高度は、酸素ボンベなしでは行動できないということになる。いわゆる「デス・ゾーン」だ。この高度では、もはや「そこにじっとしているだけ」で、体力が削り取られていくという。エベレストは8844m。限界高度を遥かに越えている。そこへ彼は、無酸素で登ろうとしている。 つまり、一番シンプルで、一番危険な方法で、彼はエベレストに登ろうとしているわけだ。 自分は、国内の2000mクラスの山にしか登ったことがないけれど、それでも、単独で登っていると、ふとした瞬間に圧倒的な恐怖を感じたりすることが、ある。崖で足を滑らせて、数mほどすべり落ちたりすると「今、ここで自分が倒れても、誰にも見つけてもらえないんじゃないか?」と、汗が一気に冷たいものに変わったりする。 これが、8000mクラスの山ならば、どのような感じになるのだろう? 少なくとも、高さが4倍だから、4倍の恐怖、のように簡単にはいかないだろう。きっと、桁違いのプレッシャーの中で登山をするのだろう。残念ながら、一般人の私たちには、その世界を想像するしかない。 とにもかくにも、まもなく、栗城さんはエベレストに単独・無酸素で挑戦するという。山好きの端くれとして、当日は、日本から応援したいと思う。 栗城史多オフィシャルサイト

村上春樹 1Q84

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先日、村上春樹 1Q84を読み始めた。発売されたのが、5月だから、読み始めるまで、だいぶ時間が過ぎてしまったが、これからゆっくりと読んでいこうと思う。 最近、本を読んでいると、10代、20代の頃よりも、格段に読むスピードが落ちてしまった自分に気がつく。10代の頃だと、文庫本一冊だと通学の往復や、その他の空き時間くらいで一気に読む事ができた。電車を降りた段階で、残り数ページだったりすると、そのまま駅のフォームに立って、残りを読んでしまうようなことも、あった。 ところが、最近では、数ページ読んだだけで、集中できなくなってしまう。全然読み終わらないのに、本は購入し続けるものだから、未読の本が寝室の床の上に、山積みになっている。先日の休日に整理してみたところ、軽く50冊以上も未読の本があることに気がついた。このペースだと、在庫を完読するまでに、ゆうに3ヶ月はかかりそうだ。もちろん、その間にも新刊は容赦なく追加されていくわけだから、半年後くらいにまで、延期されるものも、あるかもしれない。 もしかすると自分は、本を読むのではなく、買うのが好きなのではないか? 買った! という瞬間を楽しみたいのではないか? というような気もするけれど、それはともかく、少し集中して本を読めるような環境作りというか、椅子探しというか、姿勢というか、そのようなものを工夫していきたいものだ、と思っている今日このごろ。