源氏車に、乗ってみたい。
お盆で、墓参りとくると、普段はほとんど目にする機会がない、家紋が目に飛び込んでくる。お寺の中を歩きながら、他家の家紋を眺めてみると、そのデザインの奥深さや、バリエーションの豊かさに、ついつい見入ってしまったりする。
ちなみに、うちの家紋は「源氏車」。家紋の名前から連想できるように、平安時代の「貴族専用の牛車」の車輪をベースに図案化したもので、複数のバリエーションが存在するらしい。
以前、家紋に少し興味があって、いくつか資料を調べた時に「伊勢信仰が広まった際に、佐藤氏が諸国に神官として散らばった」という説を見つけたことがあった。自分の実家(本家)の方で、御先祖が神社関係の仕事をしていた人がいた、ということを聞いたことがあったので(本当かどうかは、わからない。かなり怪しい)もしかすると、この流れなのかな、と考えたことがある。
実際のところ、自分の「佐藤」という名字は、日本で最も多い名字なわけだし、多いということは、一般市民だったということだろうから、数の少ないであろう「神官」などの職業についたという確率は極めて低いことだろう。神社の近所に住んでいて、その神社の「佐藤さん」の手伝いをしているうちに、いつの間にか自分も佐藤を名乗るようになったのかもしれない・・・などと、想像してみると、妙にしっくりくるのは何故だろう(笑)
正確なルーツはともかく、自分にも先祖があったわけだし、実際に、この家紋が受け継がれてきたのは、まぎれもない事実だ。そのように考えながら、改めて家紋を見てみると、庶民は庶民ながらに、時間の流れが積み重なってできる重さなどを感じてみたりして「こんな自分では、御先祖様に、申し訳が立たない」と、どこかで聞いたようなフレーズを反芻してしまいました。