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9月, 2009の投稿を表示しています

怖いものみたさ

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先日、知り合いと「自分が苦手なもの」についての話をした。ある人は「虫が苦手だ。虫がたくさん集まっている様子を見ると本当にダメだ」といい、ある人は「ホラー系は、絶対に無理。少し見ただけでも眠れなくなる」と言った。

それぞれが、口々に苦手なものを言い合った後「では、なぜそれが苦手なのか?」と、原因を追及してみることにした。最初は「そういえば、どうして苦手なんだろう?」と、言っていたのだけど、過去の記憶を辿っていくうちに「そういえば・・」「あれかな・・」などと、原因らしきものが分かってくるのが、面白い。
最終的には、明確な原因はわからないのだけど(自分たちも、特にそれを追求するのが目的ではないので)普段は見えなかった、その人のキャラクターの一面が見えてくるようで、なかなか興味深かった。ぜひみなさんも、話題に詰まった時などに、試してみていただきたい。

ちなみに、自分が苦手なのは「高いところ」である。高い所? あれ? 山登りが好きだから、むしろ、高いところは好きなのでは? と、思うかもしれないが、実は苦手なのだ。頂上付近で、他の人達が「おー、いい眺めだ」と、切り立った崖のそばで話していたとしても、自分は、ちょっと眺めただけで、すぐ後ろの方に下がってしまう。風が少し吹いただけで、崖の下の方に吸い込まれそうになるし、手にもっているものを、落としそうになる。
じゃあ、何故山に登るのか? と言われれば、それまでだけど、もしかすると「怖いものみたさ」なのかな、と考えたりもする。自分が、どこまで「それ」に耐えられるのか? を、試しているのかなと、思ったりもする。以前よりも、高所で平然としている自分を、楽しみたい&確認したい、ということなのかなと、今は考えている。
高所で仕事をしている知り合いによると「慣れだ」と、一言で終わりだったのだが・・・あれは「慣れ」で本当になんとかなるものなのか? 今のところ、どうにもそうは思えない(笑)
※写真は、登山道で見つけた、木の切り株。暗い所でこれを見たら、結構おどろくと思う。

休日の風景。

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日曜日の午後、修理していた車を受け取りに、ディーラーまで歩いて行く事になった。家の近くの歩道橋の上から、道路の方を眺めてみた。普段は、慢性的に渋滞状態の道が、見事なまでにガラガラ状態だった。(ちなみに、写真を撮影した時間帯は、午後の3時ころ)
連休明けの休日だから、みんな出掛けるのを控えているのか?それとも、ETC割引を利用して、遠出をしているのか?

どんよりとした空の気配と組み合わさると、まるで、この世の終わりの風景、のように見えてきたりもする。 人がいなくなってしまった世界は、このような感じなのか・・・いや、それは怖すぎるので、何か興味深い出来事が起こって、みんなTVの前に釘付けになっている状態と考えてみよう。休日の午後に、すべての人がTVに釘付けになる出来事とは、どのようなものがある? 視聴率100%のTV番組。
なぜか、プラスのイメージよりも、マイナス寄りになってしまうのは、自分の性格がマイナス寄りだからなのだろうか(笑)そんなことを考えながら、自分しかいない歩道橋の上から、写真を撮っておきました。

2010年手帳

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書店に行くと「2010年版」の手帳コーナーが設置されているのを、目にする。もう、そんな時期か、とか、まだ9月じゃないか、などと考えながらも、見本で並んでいる手帳を手にとって、ぱらぱらと眺めてみたりする。

以前、何かの本で「年齢を重ねるほど、時間の流れを早く感じる」という文章を読んだことがあったけれど、最近それを、実感として感じることも多い。何か作業をしていて、「もう40分くらい過ぎたかな」、と思うと1時間くらいだし、「待ち合わせの時間まで、1時間くらいあるから」と車の中を整理したりしていると、あっという間に時間になっていたりする。
2009年も、色々とあったはずなのだが、もう新しい手帳の時期が・・・などと考えていると、寂しくなるような気がするので、せめて早起きをして一日の時間を長くするように、工夫していこうと思う。
ちなみに自分は、ここ数年「高橋書店」の手帳を使っている。一応、買い替える際には、他の手帳も調べてはみるのだが、結局最後には、高橋書店のものを選んでしまう。どうせこれにするのだから、他のものを見ている時間がもったいないよな、とは思いつつ、やっぱり同じものを選んでしまう。
レイアウトや大きさは、とても気に入っているので、あとはデザインのバリエーションを増やしてもらえたら、毎年2冊は買う・・・と、いうことはありませんけどね(笑)とりあえず、来年も高橋書店の手帳にするか? それとも??

満車か、2台か?

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昨日は、天気がよかったので、県内の里山に登ってきた。午前中に自宅を出て、時々写真を撮影しながら車を走らせていると、秋の涼しい空気が心地よくて「もう、山なんて登らなくてもいいんじゃないか?」という気分になった。(もちろん、これは思うだけで、実際は山が近づくにつれ、モチベーションが高くなっていく)。
細い山道を、慎重に対向車がこないことを期待しながら、走っていくと、大きな駐車場の前に出た。結構広い駐車場にもかかわらず、ほぼ満車状態だったので、いったい何があったのだろう? と道路の脇に立っていた案内板を見てみると、キャンプ場の駐車場ということがわかった。 こんなに人里離れたところでも(キャンプ場なのだから、当然なのだが)ずいぶん、人が集まっているんだな、やはり連休中だから当然か。この様子なら、山の方も混んでいるかもしれない、駐車場は空いているかな、と考えながら、賑わうキャンプ場の横を過ぎた。
勘のよい方なら、すでに話の展開は見えていることと思う。40台ほど駐車できる登山口の駐車場には、自分の車と、もう一台、白の乗用車が駐車されているだけだった。ものすごくガラガラ。「混んでいないといいのだが」と思っていたはずなのに、実際にガラガラだと「全然、人がいない」と、逆にがっかりしてしまうのも不思議なものだ。
準備をして、人気のない登山道を静かに登っていく。自分以外には人がいない、とわかっているので、木の奥の方から『ガサッ!』という音がすると『熊か??』と、必要以上に敏感になってしまったりする。そういえば、熊よけの鈴を忘れてきた。いや、この辺りに熊はいるのか? などと考えながら、歩く。
途中、熊に会うことも、大きなトラブルもなく、無事に頂上へ着く。一人でお茶を飲んで、岩の上に座って、遠くの山並みを眺めてると、横の方から人が近づいてくる気配がした。こんにちは、と声をかけると、相手も人がいないと思っていたらしく、少し驚いたように苦笑いをしていた。駐車場にあった、もう一台の車の持ち主だった。
「来る途中の、キャンプ場は混んでいたのに、ここは静かですね」 「本当ですね」 「登山は、人気ないんですかね」 「(笑)いや、もう少しして紅葉が始まれば、もっと混みます」
そんな話をして、相手が下山をしてしまった後も、自分はしばらく山頂の岩場に座って、次はどの山に登ろうか、向かいの山とこの山は、同じくらいの高さだな、スト…

秋の日は、つるべ落とし。

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河川敷の横の道を、車で通ったところ、帰宅途中の高校生が、自転車を止めて携帯電話で夕焼けを撮影していた。思わずつられて、同じ方向を見ると、高い秋の空に、綺麗な夕焼けが広がっていた。

まだまだ日中は、暑くて半袖でも大丈夫だけど、夕方の5時を過ぎると、あっという間に日が落ちて涼しくなってしまう。秋の日は、つるべ落としとは、よく言ったもので、本当にあっというまに「すとん」と、日が暮れていく。その格差に、必要以上に物悲しい気分になる。

秋の日に夕焼けを見ていると、小学校の頃を思い出す。母親に留守番を頼まれた日のこと。友人に釣りに誘われた自分は、弟に「一人でも(留守番は)大丈夫だよな?」と聞いて、自転車で釣りに出掛けてしまった。よくは覚えていないのだが、小学生の足で20分くらいの距離の池に出掛けたと思う。
夢中になって釣りをしているうちに、、あっと言う間に陽が落ち、あたりが真っ暗になってしまった。自転車のライトを付け、友人達と「そっちは、あぶないぞ!」「みんなで、ライトを同じ方向に向けろ!」などと、ふざけながら、おっかなびっくり家に向かった。こんなに遅くなってしまって(その時は、時計を持っていなかったので、真夜中の様に感じていたのだと思う)親に怒られるだろうな、もう釣りには行けないだろうな・・・などと、思いつつ玄関のドアを開けると、そこには自分の帰りを待ちわびていた母親の姿があった。
ひとしきり怒られて、注意をされて、思わず「でも、弟が一人でも大丈夫だ、と言ったから出掛けたんだ」と、こぼしてしまった。すると、その言葉を聞いた弟がポツリ「でも、本当は、一人では嫌だった・・・」。ますます、怒られる結果となった。
あの時から大分時間が過ぎてしまったけれど、こういう記憶はいつまでも鮮明に残るものなんだな、と帰宅途中の高校生達の横を過ぎながら、考えました。

チュッパチャプス

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知り合いが、旅のおみやげだといって「チュッパチャプス」を買ってきてくれた。・・・なぜ、旅のみやげにチュッパチャプス?? 確かに旅に行く前に「チュッパチャプス」の話をしたけれど、わざわざ旅先で買ってくることは、ないじゃないか。同じものが、近所のコンビニで・・・などと、いう疑問はさておき、実に20年ぶりくらいに食べてみた(ちなみに、味はマンゴー)。

あらためて、パッケージを見てみると、記憶の中のイメージよりも、かなり凝ったデザインであることに気がついた。気になって調べてみると『1958年にスペインのバルセロナで誕生した、棒付きキャンディの商品名、またそのキャンディを販売する会社名である。日本では1977年から森永製菓が輸入販売している。(wikipediaより 引用)』とのことだった。
なんと、スペインからの輸入品だったのか。そのような情報を知ってから、チュッパチャプスを見てみると、西欧の異国情緒を感じてしまう。でも、もしこれが「中国から輸入販売」とか「チリからの輸入販売」ということだったならば、「そうか、やはり中国の雰囲気が・・・」とか「チリっぽいよね・・」と、思ってしまったことだろう(笑)
知り合い(男性)と「男が、チュッパチャプスを買って恥ずかしくないのは、高校生くらいまでですかね」「いや、中学生でも、ちょっとキツイよ」「友達と、みんなで話しながら買うなら、高校まで大丈夫ですよ」「そうかなー。まあ、チュッパチャプス一個だけを買うのでなければ、高校まで大丈夫かな」「他のと一緒に買うなら、社会人でも大丈夫ですよ!」
などと、真剣に話しあった(笑)後日、知り合いの女子に同じことを聞いてみると「別に、何もおかしくないんじゃないですか? それよりも、この資料が・・・」と、一蹴された。確かに、買い物をしていて恥ずかしいとか、恥ずかしくないなんて、自分達が思っているよりも、店員は考えていませんね。忙しいし。

ミソシルの夢。

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今回も、夢(寝ている時)の話。自分は、外国人の方達と(たぶん、その人達の家で)食事をしていた。若い女性の方が2人と、その母親らしき人が1人いたような、気がする。テーブルについて、みんな何かしら口にしていたのだが、なぜか自分は「みそしる」を飲んでいた。しかも、ずずーっと、ものすごくたっぷりと(笑)
今まで、外国人の方達とプライベートで食事をしたこともないし、みそしるも、そんなに、ずずーっと、たくさん飲む方ではない。前の日記で「夢の中で実体験の記憶が鮮明に、再現されるおもしろさ」と、いうようなことを書いたけれど、今回の夢は「体験したことがないことを、実体験以上にリアルに体験した」夢だった。
なぜ、外国人の方と食事をしていたのか? いや、それはそれで、夢として、さほど違和感はない。許容範囲だ。でも、テーブルの上に並んでいる料理の中から、なぜ、わざわざ、みそしるを手にとって飲んだのか? 異国の雰囲気満載の食卓で、なぜわざわざ日本食を選んだのか? 意外とこれも、もしかすると、後々「偶然が必然」になるかもしれないので、とりあえず忘れないうちに記録をしておくことにする。

※今回の写真は、初秋の夕暮れ。最近、あっという間に、日が落ちますね。外国人やミソシルの写真がなかったので、適当にこれを載せてみました。

蛍を見ていた時のこと。

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このブログの、タイトル画像を変更してみた。数年前なら、画像ひとつ差し替えるのも、結構めんどうだったものだけど、今では、ほぼワンクリックで変更できる。あの当時、費やしてしまった膨大な時間は、いったいなんだったのかと、思う瞬間だ。
今回の写真は、仙台市郊外で撮影してきたものだ。仙台市も、100万人都市とはいうものの、30分も郊外に向けて車を走らせれば、このような田園風景を見ることができる。もちろん、すぐ横の道を、たくさんの車がビュンビュンと、走り抜けてはいるのだけど。

自分が、まだ10代だったころ、この辺りにも「蛍」が飛んでいた。「蛍が見られるよ」と、口実をつくり、女の子をバイクの後ろに乗せて、夜遅くにやってきたものだった。
バイクのエンジンを止めて、しばらくそこで、じっとしていると、それまで息をひそめていた蛍達が、ふわーっ、という感じで、周りからゆっくりと真っ暗な闇の中を舞い始める。光を点滅させる。そばで眺めている、自分達の服の上にとまって、しばらく灯りをともしてくれるのも、いる。それは、とても気持ちがいい瞬間で、夏を思わせる、心地よい風景だった。
それからわずか数年後、道路は舗装され、交通量も各段に増えた。もちろん、この周辺で蛍を見ることもなくなった。「蛍は、綺麗な水にしか住むことができない」と、いう言葉を、子供のころ、何かの本で読んだことがあるけれど、これは本当だったんだなと、体験から学んだできごとでした。

※追加の写真 今回の記事に掲載している写真は、一見すると「普通の雲」の写真ですが、拡大してみると、左上の方に・・・これは? ・・・いえ、飛行機です。

ついつい手が出てしまうもの。

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自分は、ふだんあまりスナック菓子のたぐいを、食べない。(ガムはひんぱんに噛む。いつも2〜3個は常備してある)なので、周りの人達からは「あの人には、お菓子を出しても食べない。こういうのが、あまり好きではないようだ」と、思われている節があるようだ。
まあ、それはそれでいいのだけど、実は、ドラックストアなどに行くと、ついつい手が出てしまう、というか、ほぼ無意識にカゴの中に放り込んでしまうものが、ある。それが「カルビー ポテトチップス」だ。
雑貨や何やら、目的の品を購入したあと、帰りの車の中で、ポテチと缶コーヒーを飲みながら移動するのが、ささやかな楽しみだったりする(笑)半分くらいで、止めておけばいいのだが、ついつい一袋を一気食いしてしまって、それが昼飯の代わりに、なったりする時もある。嗜好品が、メインの食材になるのは、良くないだろうとは思うので、注意はしているものの、ついついやってしまいそうになる。
昨日、ドラックストアで買った「バターしょうゆ」は、ものすごく美味しかった。食べ物のおいしさを、文章で伝えるのは難しいのだが「何コレ! おいしい!!」という、感じではなく「ああ、コレ、おいしいねえ〜」と、自然なペースで気がつくと、ひと袋一気に食べてしまうという「おいしさ」だった。安かったので、2袋まとめ買いしていたため、思わずその勢いで、2袋連続で食べてしまうところだった(さすがに、それは止めた)。
と、書いたところで、残念なお知らせなのだが、この「バターしょうゆ」は、地域限定だそうだ。販売地域は(北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県・新潟県)ということなので、このブログをご覧いただいている地域のみなさんの、コンビニ&ドラッグストアでは、手に入らないと思われる。なので、ETC1000円割引などを活用して、こちらの方に遊びにくる際になどに、見つけたら試していただきたい。

初秋になると、考えること。

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関東の方は、まだまだ暑いだろうし、半袖でも十分に過ごせることでしょう。でも、自分の地元仙台は、朝晩は長袖でないと、少し肌寒く感じる季節になってきた。すっかりと、初秋を思わせる空気になった。
自分は、この季節(夏から秋へと移り変わる時期)が、一年の中で、一番好きだ。部屋の窓から、そよそよと風が流れ込んできて、静かで落ち着いた空気の中で本を読んでいたりすると、何か新しいアイデアやヒントが浮かんでくるような気がする。気がするだけで、実際には何も浮かんでこないですけどね。
そして、この時期になると、なぜかいつも、予備校に通っていた時のことを思い出す。未来に対して、ばくぜんとしているけど、力強い希望があって、不安があって、仲間がいて。自習室にいくと、必ず3〜4人は友人がいて(もしくは、友人の荷物があって)遊び相手には、事欠かなかった。自分の周りの人達は、なぜかみんな親切で、思いやりがあって、にこにこと笑う人達ばかりだった。

その中に、A君(仮名)という、ものすごく努力家で、しゃれが効いている人がいて、いつ自習室に行っても、ウォークマンを聞きながら、同じ姿勢で勉強を続けている人がいた。彼が、怒っている姿を見たこともなかったし、悪口を言っているのを聞いた事も、なかった。今、考えてみると、A君のような控えめで、自己主張は少ないけれど、確実にそこに座っていてくれる人がいたからこそ、あのような仲間が保てたのかもしれないなと、この年齢になって感じることがある。
と、いうようなことが、一気に思い出されるのが、この「夏から秋へ」の時期だ。みんな、年齢をかさねて、どのような生き方をしているのか? 今となっては、全くその様子はわからないけれど、元気で自分らしく、がんばっているのだろうと思う。すくなくとも、一番「いいかげん」な人生を送っているのが、自分だろう。それを考えると、別の意味で、ちょっとせつなくなったりする(笑)

※写真は、智恵子抄でも有名な「阿武隈川」の写真。秋の、傾きかけた太陽の光が、とても心地よい午後でした。

夜読んだ言葉を、夜にまた聞く。

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就寝前に、何気なく手に取った本の中に「仲直りした友人と、温め直したスープの肉には気をつけろ」という、ことわざが掲載されていた。その時は、特に気にもせず、右から左へと流して終わりだった。
ところが、翌日の夜に、ある人と話をしていた時に(その人は、人間関係で悩んでいた)「ほら、イタリアのことわざにも『温め直したスープの肉には気をつけろ』というのが、ありましたよね。まさに、それですよ・・・」と、言ってきた。
イタリアのことわざではなく、スペインのことわざなのだが、今回注目すべき点は、そこではない。人間関係を表す多数のことわざの中から、私が「それ」を見て、彼が「それ」を口にしたという偶然に、驚いたのだ。
まさに、このブログのテーマである「ものごとに、必然はあるのか?」に、最適のできごとだった。もちろん、自分が手に取った本の中に、記載されていたことわざは「仲直りした友人〜」のみだったし、彼が同じ本を読んだということも、まず考えられない。いや、むしろ、同じ本を同時期に手に取った、という偶然があるのならば(特に、最近出版されたとか、人気の本というわけではないので)それもまた妙なり、だ。
もしかすると、このことわざの中に、何かのメッセージがあるのかもしれないし、本の方にあるのかも、はたまた、その知り合いの方にあるのかもしれない。ちょっと注意して、関連の情報を探ってみたいと思っています。
※写真と本文は関係ありません(この前登った、山の写真です)

テストプリントを、めぐる冒険。

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自宅で写真のプリントをするようになって、自分が「色」に対して、異常な(?)までに、こだわりがあることに気がついた。
基本的に、撮影したデーターをMacに取り込んで調整(現像)を行ってから、プリンターで印刷していくのだけど、微妙な色合いの違いが、どうしても気になって、何度もテストを繰り返してしまう。
知り合いのカメラマンに相談したり、自分でも資料を読んだりしながら、少しずつ知識を増やしてはいるのだが、なかなか思う様にいかないため、せっかくの楽しい作業が、ストレスの原因になってしまうという矛盾を生んでいる。「どうせ、こんなに工夫をしても、自分の好きな色にはならないんだよな」という、斜めに構えた感じになってしまうのだ(笑)
今のところ、どうやら自分が考えているトーンは「用紙を変更」することで、実現できそうだ、という段階にまでは辿りつくことができた。とはいうものの、高価な用紙を使用するにはコスト的にも限界があるし、作品そのものが、そこまでのレベルに達していない、という根本的な問題もあり、なかなか進展はしていないのだが、どうやらこの辺りに、今の段階での解答がありそうな感じはしている。先が見えてきたら、あとは進むだけだ。

プロと呼ばれる人達ならば、この辺りの調整をスムーズに行い、発注先にも適切な指示が出せるのだろう。その辺が、プロとアマチュアの差なのだろう。とりあえず、限られた条件の中で、どこまで自分のイメージの中に近づけるのか? 微かな違いを求めて、無数の組み合わせを考えつつ、余暇の時間を惜しみなく注ぎ込みながら、アマチュアフォトグラファーの、トーンを巡る旅は続くわけですね。

山と美人の微妙なる関係。

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週末は、山登りへ行ってきた。山登り、というと結構かっこいい響きだけど、実際は「何度か登った里山」なので、山歩き、と言った方が正確かもしれない。
先日の、磐梯山で再発してしまった、クセになっている、ひざ痛の様子を確認するために登ってみたのだが、わずか、往復2時間程度の登山だったのに、結構な痛みにやられてしまった。こいつは、やはり、中途半端な治療ではなく、根本的な見直しが必要なようだ。完治するまで、平地でじっとしていればいいのだが、天気がよかったり、具合がいいと、すぐに飛び出してしまうこの性格も、直さなければいけないだろう。
山歩きの方は、天気も良く、海の方まで綺麗に見える、絶好の登山日和だった。近くの湖もはっきりと見えて、日本の秋、という雰囲気が満載だった。
登っている途中、立ち止まって写真を撮影している時に、下山してくる女性とすれ違った。めったに、人がいない山なので、すれ違うだけでも珍しいのだけど、「ついさっきまで、街でお買い物をしていました」というような、かなりの軽装だったので、ものすごく違和感があった。連れがいるようでもなく、一人で淡々と下山して行ったので「何か、よほど、この山に登らなければならない理由でも、あったのだろうか?」などと、一瞬余計な考えが思い浮かんでは消えた。
そんなすれ違いのあと、下山途中のご夫婦のカメラのシャッターを押してあげて、サンサンと降り注ぐ太陽の下で、水を飲んで帰ってきた。ひざは痛むし、汗もかいたが、脳の中にはアドレナリンが満載だったので、車の窓を全開にして鼻歌を(頭の中で)歌いながら快適な気分で家に着いた。車を洗って、ブーツの泥を落として、ひと息つきながら「次はどこの山に登ろうか?」などと、ぼんやり考えました。

ビールを飲む(夢の中で)

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また夢(寝ている時の)話し。最近、意識しているわけではないのだけど、夢がはっきりと記憶に残る。はっ! と目が覚めて「ああ、まだ朝の4時か・・・」のような、感じになったりする。とてもリアルな夢が続くので、目が覚めてからも、現実の中に夢の感触が残っていて、違和感を覚えてしまうくらいだ。
さて、肝心の夢の内容なのだが、今回は「ビールを一缶、一気飲みして、缶を握りしめる」という、ものだった。ビールののどごしや、苦み、缶を手に持った時の感触などが、とてもリアルで、目が覚めた時も(この時も、夢を見たあとに、すぐに目が覚めた)生々しく、覚えていた。(その前後にも、若干エピソードはあったのだが、省略)
「夢は、昼間の記憶を脳の中で再構築している時の映像」と、いう情報を、以前、本で読んだことがあった。すると、普段自分は、ビールをほとんど飲まないので、少し前の記憶を蘇らせて、再構築したということになるのだろうか。
どちらにせよ「ビールを飲む」という行為の記憶は、脳の中に、様々な情報(五感)として、かなり鮮明に残っているのだな、と思ったわけです。ここまで鮮明ならば、脳の中の情報を何らかの刺激を与えて復活させ「あたかもビールを飲んでいるような」体験をさせるのも、未来には可能になっているのではないか、と考えたりする。と、いうよりも、実現していそうですね。モチベーションを上げる時は、その人の成功体験を再生させて、活性化させる、とか、普通に活用できそうな気がする。でも、本当にそうなったら、夢(この場合は、過去の記憶)にばかり逃避して、抜け出せなくなる人も、出てきそうです。「あの時の栄光を、もう一度! もう一度! もういちど!!」と、いった感じで(笑)

桜と神社と子供達、それを写真撮影の夢。

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昨晩、とても色鮮やかな夢(寝ている時の)を見た。
自分は、神社にいた。子供達がたくさんいて、神社の境内で何か出し物をする準備をしていた。子供達はみな、お祭りの時に着るような法被や能装束のような衣装を、見にまとっていた。その様子が、とても色鮮やかだったので、良く見える位置に移動したところ、桜の花が満開になっていて、花びらが空から溢れんばかりに舞い落ちてきた。
自分は、手にもっていた一眼レフカメラを上に向けて、桃色の空の写真を撮影した。シャッター音が、心地よく響いた。
と、いうような夢だった。色彩が、全体的にとても鮮やかだったのと、カメラのシャッター音がはっきりと聞こえてきたのが、とても印象的だった。
今年の春に桜を撮影した時の記憶(このブログの記事に、掲載しているものが、ソレです)が、よみがえったのかもしれないけれど、その時は、法被姿の子供達はいなかったしな、なにより初秋のこの時期に、なぜ春の夢を見るのだろう・・・などと考えながら、これをいわゆる「夢占い」として分析したのなら、どのような意味になるのか? と、あまりにも鮮やかな夢だったので、忘れないうちにここに記録してみました。その後、何か面白い事象や、夢とのつながりがわかったなら、検証してみたいと思います。

なぜ、人は山に登るのか? 登山家・栗城史多氏 エベレスト挑戦!

現在、単独・無酸素でエベレストに挑戦している日本の登山家がいる。栗城史多さんという、若きアルピニストだ。
高山に登る時には、チームを組み、役割分担をして、頂上を目指すのが一般的だ。まとまった人数で、高度を上げていき、その中のアタック隊が、代表として頂上に挑戦するわけだ。エベレストのような世界最高峰の山なら、なおさら人数も規模も大きくなる。少しのズレが死に直結する場所だから、当然のことだ。ところが、彼は単独、つまり「ひとり」で登頂するという。
人間の生存できる高度には、限界がある。つまり、ある一定以上の高度は、酸素ボンベなしでは行動できないということになる。いわゆる「デス・ゾーン」だ。この高度では、もはや「そこにじっとしているだけ」で、体力が削り取られていくという。エベレストは8844m。限界高度を遥かに越えている。そこへ彼は、無酸素で登ろうとしている。
つまり、一番シンプルで、一番危険な方法で、彼はエベレストに登ろうとしているわけだ。
自分は、国内の2000mクラスの山にしか登ったことがないけれど、それでも、単独で登っていると、ふとした瞬間に圧倒的な恐怖を感じたりすることが、ある。崖で足を滑らせて、数mほどすべり落ちたりすると「今、ここで自分が倒れても、誰にも見つけてもらえないんじゃないか?」と、汗が一気に冷たいものに変わったりする。
これが、8000mクラスの山ならば、どのような感じになるのだろう? 少なくとも、高さが4倍だから、4倍の恐怖、のように簡単にはいかないだろう。きっと、桁違いのプレッシャーの中で登山をするのだろう。残念ながら、一般人の私たちには、その世界を想像するしかない。
とにもかくにも、まもなく、栗城さんはエベレストに単独・無酸素で挑戦するという。山好きの端くれとして、当日は、日本から応援したいと思う。
栗城史多オフィシャルサイト

村上春樹 1Q84

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先日、村上春樹 1Q84を読み始めた。発売されたのが、5月だから、読み始めるまで、だいぶ時間が過ぎてしまったが、これからゆっくりと読んでいこうと思う。
最近、本を読んでいると、10代、20代の頃よりも、格段に読むスピードが落ちてしまった自分に気がつく。10代の頃だと、文庫本一冊だと通学の往復や、その他の空き時間くらいで一気に読む事ができた。電車を降りた段階で、残り数ページだったりすると、そのまま駅のフォームに立って、残りを読んでしまうようなことも、あった。
ところが、最近では、数ページ読んだだけで、集中できなくなってしまう。全然読み終わらないのに、本は購入し続けるものだから、未読の本が寝室の床の上に、山積みになっている。先日の休日に整理してみたところ、軽く50冊以上も未読の本があることに気がついた。このペースだと、在庫を完読するまでに、ゆうに3ヶ月はかかりそうだ。もちろん、その間にも新刊は容赦なく追加されていくわけだから、半年後くらいにまで、延期されるものも、あるかもしれない。
もしかすると自分は、本を読むのではなく、買うのが好きなのではないか? 買った! という瞬間を楽しみたいのではないか? というような気もするけれど、それはともかく、少し集中して本を読めるような環境作りというか、椅子探しというか、姿勢というか、そのようなものを工夫していきたいものだ、と思っている今日このごろ。