痛み、について考えてみた。

ようやく、痛み止めを飲まなくても、ぼちぼち作業ができるようになってきた。ほんの一週間前の状態から考えると、驚きの回復だ(と、言ってみたい)。数年前に、体調を崩して寝込んだ時から、それなりに食事を整えたり、山に登ったりしてきたけど、予兆を無視して走った結果が、このありさまだ。

痛みを感じている時は、意識がそこにばかり集中してしまうから、マイナスの方面へと思考が深まりがちになる。次第に、過去の記憶の中から(普段は思い出すこともなかった)、最も悲しい記憶を掘り出し、それを何度も繰り返し考えるようになる。さらに(マイナスな)情報を、かきあつめるようになる。


やはり「身体は痛んでいても、脳だけはポジティブに動く」と、いうわけにはいかない。痛みが気になるからなのか、脳が痛みに対応することに忙しいからなのか、それはわからない。わからないけれど身体と脳は、しっかりと連動している。痛い時は「それ」しか考えられない。脳も痛い方向へと傾いていく。

でも、痛みの原因が明確になれば、それを解消するには「何をするべきか」が、具体的にわかる。わかってしまえば(そこへ留まるか、先へ進むかは、個々人の選択にはなるわけだが)次は行動するだけだ。もちろん恐怖は残るが、同じくらいの希望も育ってくる。それは、とてもあたたかく、力強いものだ。

原因がわかれば、痛みは怖くない。

現在、午前2時。他のみなさんが、眠った時間を見計らって、思いついたことを連続でツイートしてみた。書いているうちに、いつの間にか「身体の痛み」から「心の痛み」へと内容がスライドしてしまっていた。自分で読み返してみて、なんだかおもしろかった。本日の仙台は「曇りのち晴れ」らしい。合掌。


・・・以上、twitterに投稿したものを、ここにまとめてみた。
通常は、twitterの内容をまとめるようなことは、ないのだけど、体調不良で情緒的になっていたせいか、いつもの自分なら絶対に書かないだろう、という内容だったので、あえてここにも記してみることにした。

普段、痛みとか病気といったものと、全く無縁の生活をしてきたせいか、今回の体調不良は、思いのほか色々なことを考えるきっかけになった。病気は恐ろしく、絶望を感じるものだけど、立ち止まる(立ち止まざるを得ない)状況になることで、何かわかることがあるのではないか、と今は前向きに考えている。実際のところ、自分よりも遥かに大変な病気と闘っている方も、たくさんいるわけで、そのつらさと比較したならば、日常生活の些細な困難など乗り越えられて当然だ、とさえ考えられるようになった。

幸いにして、このツイートを投稿した時よりも、日増しに回復傾向にある。おそらく、今月中には完全回復するだろうと、自分で勝手に判断している。頑丈に産んでくれ、育ててくれた両親に感謝、と普段は考えもしなかったようなことを考えながら、まとめとしてみる。

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