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上高地へ行く&歩く&食べる(3)秋の長野を巡る旅

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ホテルの前を出発。歩きやすく整備された、梓川沿いの道を歩いていくと、先の方で人が集まっているような気配があった。おそらく、あのあたりだろう・・・と思いながら先を急ぐと、あった。河童橋だ。

ガイドブックなどで何度も見ていた河童橋。その上を、たくさんの人たちが、行き交っている。写真を撮影するために立ち止まっている。
普通、これだけ多くの人たちがいれば「観光地」といった雰囲気になってしまうだろう。どことなく、ざわざわとした、活気はあるものの落ち着かないような雰囲気になってしまいがちではないかと思う。

ところが、ここではそのような雰囲気を感じさせない。人は多いけれど「やはりここは山なのだ」という、どこかビシっと引き締まった空気を漂わせている。さすが上高地といったところだろうか。それは空気の質感なのか、後ろにそびえる穂高岳の姿なのか、透き通る水が流れる梓川のおかげなのか、一般車両の通行を禁止しているからなのか。それはわからないけれど、とにかく、そのようなものが組み合わさって、この場所が作られているのかな、という感じがする。

梓川の河原に降りて、水に手を浸す。なぜか「また、ここに来たぞ!」という気分になる。初めてきたのだから「また」という言葉は不適切なのだけど、なぜか「また」という言葉がぴったりくるような気がする。そして「またくるぞ」という気分にもなってくる。来たばかりなのに「また」が連続で頭に浮かぶというのも、初めての体験に、なんとなく苦笑いをする。


しばらく周辺を散策してから「おいしいコーヒーを飲もう」と、河童橋の目の前にある五千尺ホテルにはいる。上高地の計画を立てている時から、このホテルでコーヒーを飲もうと決めていた。ちなみに五千尺ホテルの「五千尺」とは、上高地の標高1.500m(五千尺)からきているそうだ。ふいに頭に「アルプス1万尺」のメロディが思い浮かぶ。思い浮かんだだけで、さすがに歌いはしなかったが、陽気な気分のまま、椅子についた。

オーダーをすると、ほどなく皿が目の前のテーブルに運ばれてくる。コーヒーの味そのものを楽しむことと、この場所で飲む、という喜びとが組み合わさって、なんともいえない気分になる。窓の外には、河童橋が見える。たくさんの人たちが、やっては過ぎていく。みんな笑顔だ。とても笑顔だ。

そんな様子を眺めながら、しばらくの間、コーヒーとケーキに手をつけずに、ぼんやりと…

上高地へ行く&歩く(2) 秋の長野を巡る旅

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バスは大正池で降りた。ここから梓川に沿って、河童橋を目指す「自然研究路」というトレッキングコースを歩いていく。

バスを降り、大正池のそばに近づいていく。朝もやが湖面に、ぼんやりと漂っている。底の底まで見えているのではないか、と思うほどの透明な水。その上に、穂高連峰の山々がくっきりと映っている。

太陽に力強く照らされた山肌と、まだ静寂を保っている湖面の静けさのコントラストが、現実の世界とは思えないような不可思議な空間を作っている。池に向かって左側に見えるのが焼岳だ。あの山が噴火したことで、この大正池ができたという。

みんな足を止めて、盛んに写真を撮影している。通常の観光地のように、ピースサインをして記念写真を撮っている人たちよりも、山々にレンズを向けて何枚も何枚もシャッターを切っている人の方が多いように思える。ひとしきり山と池の写真を撮影してから、忘れていたかのように記念写真を撮る。ああそうだ、人物の写真も撮っておかないとね、といった感じになってしまうほど、ここの風景は美しく圧倒的な存在感だった。

立ち去りがたい衝動を感じつつ、次の場所へと向かっていく。森の中を抜け、木道の上をポクポクと歩いていく。暑くもなく寒くもない。時折降り注いでくる太陽の光が、普段の光よりも白く鮮烈なものに感じる。ちいさな子供を連れた母親が、先へ先へ行こうとする子供を呼び止める。このような場所では、大人よりも子供の方がずっと元気だ。早く、早く、と道の先の方へと走るようにして進んでいく。

僕は、いつも山歩きをする時は、時間を何度も見て地図と自分の位置を確認するようにしている。山の中で迷うのは一瞬だし、それは大きなトラブルにつながることも多いからだ。

でも、ここ上高地では、ほとんど時計を見ることがなかった。道も整備されているし、たくさんの人が歩いているから、ということもある。時間を確認することで現実の世界に戻りたくなかったのかもしれないし、ただ単に時間を確認するのを忘れていたのかもしれない。そのどちらなのか、もはや自分でもわからないのだけど、気がついたら田代橋に到着していた。穂高連峰と梓川の流れを眺めながら、上高地温泉ホテルの前で小休止をする。

ホテルの売店をのぞくと、ポテトチップスの袋がパンパンにふくれているのを見つけた。気圧の関係なのだろう。ここはやはり山なのだ、と改めて感じる。自分が上高地を歩いているのだ…

上高地へ行く(1) 秋の長野を巡る旅

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今回の長野旅行の目的のひとつは「上高地へ行く」ことだった。上高地と言っても、登山に興味がない方にはピンとこないかもしれない。実際に妹に「長野へ行く」と話したところ「長野って何があるの?」「上高地へ行くんだ」「ふーん」と、いった感じだった。

しかし、登山好きの人間にとっては日本(北)アルプスの玄関であり「聖地」と言っても言い過ぎではない場所なのである。

数年前に長野に来た時には、オフシーズンだったため、松本市から上高地方面を眺めただけで終わってしまっていたこともあり、今回はとても楽しみにしていた。一番の心配事は天気で、出発時の天気予報では「曇りのち雨」となっていた。アウトドアの大敵は、なんといっても雨。曇りでもいいから、なんとか雨だけは避けてくれ、と願いながら迎えた当日は、なんと抜けるような青空。雨雲なんて視界の端にさえ見えない。すべてが整った。ありがとう、と誰に言うのでもなくつぶやいてから車に乗り込んだ。

現在、上高地へは自然保護の観点から一般車両の乗り入れが禁止されている。自分たちのような一般の人間が上高地入りするには、おおまかにわけて、

1)電車 → バス → 上高地
2)バス → 上高地
3)車 → バス 上高地

のように、何らかの交通機関を利用して上高地入りすることになる。自分の場合は、上高地から降りてきた後、そのまま車で移動する必要があったので、3)のプランで行くことにしていた。今回の具体的なルートを示すと、

1)安曇野市(ホテル)車で移動 → 2)沢渡(駐車場)バスに乗り換え → 3)上高地

と、いう流れになる。前日に宿泊したホテルのフロントの方に上高地までのルートを質問したところ「途中細い道があるけれど、おおむね走りやすいルート」と教えていただいたのだが、実際に走ってみると、ちゃんと舗装されているしバスも走っているルートなので特に問題なく走行することができた。「松本市から沢渡までは、通常で一時間弱くらいだけどシーズン中は大渋滞する」と聞いていたので、早めに出発(安曇野市を6時に出発)したところ渋滞もなく、1時間30分ほどで沢渡(さわんど)へ到着することができた。

到着したのは、午前7時過ぎだったのだけど、すでに駐車場は「ほぼ満車状態」になっていた(実際に、自分が帰るころには『満車』の表示が出ている駐車場もあった)。9月の連休でこの混みようだから、夏休みや紅葉のシーズンに…

安曇野ちひろ美術館へ 秋の長野を巡る旅(3)

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次に向かったのは「安曇野ちひろ美術館」だ。ここでは、入場券の替わりに、写真のような「タグ」が配られる。これを見えるところに下げておくことで入館許可証になる、ということだ。

何種類かのタグが用意されていたのだけど、自分はこの少年の絵柄にした。これを胸のあたりにぶら下げて、展示室へと向かっていく。

まず最初に感じたことは、美術館の建物の雰囲気がとてもいいこと。開放感がありつつ、作品に集中できる雰囲気になっている。屋外に設置されている椅子にこしかけると、行きつけのカフェに来ているかのような気分になる。すぐそばを、他のお客さんが次々に通りすぎていくのだけど、それすらも気にならないような感じがする。

長野のゆったりとした空気がそうさせるのか? 建物全体のデザインによるものなのか? いわさきちひろさんの美術館だから? とにかく、そのような様々な要素がくみ合わさって、このような雰囲気を作っているのではないかと思う。

作品を楽しむことが、美術館の第一の目的だけど「そこにいることが、たのしい」という美術館だと感じた。先日行った、十和田市現代美術館も「敷地すべてがアート」というすばらしい美術館だったけど、この安曇野ちひろ美術館も表現の形式は異なるけれど、同じようなコンセプトを感じた。たのしい。自分の地元にも、このような美術館ができたらいいのに、と思う。小学生のころ「図書館をつくる(そして、そこに住む)のが夢だったのだけど、いつの日かこのような美術館や図書館をつくる仕事に携わりたいものだ、としみじみ感じました。そう、あらためて思いました。

そんなことを考えながら、作品を一点一点、鑑賞しながら回っていく。使い古された表現だけど「原画のすごさ」に圧倒される。印刷をする時には失われてしまう、トーンのやわらかさや穏やかさはもちろん、作者のいわさきちひろさんの思いも、じんわりと伝わってくるような気がしてくる。想像以上のすばらしさだった。

当日(2011.9月)は「ちひろと香月 ー母のまなざし、父のまなざしー」という特別展が催されていた。香月泰男さんの作品を観たのは初めてだったのだけど、これにもパワフルで圧倒された。戦争体験という同時代を生きた、お二人に共通の経験をベースにした作品が展示されていた。人を思う気持ち、戦争という失われていく風景への思い、それらがお二人の異なるタッチで表現されていく。あまりにも、や…

大王わさび農場へ 秋の長野を巡る旅(3)

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今回の長野を巡る旅の初日は「安曇野市」だ。今となっては、なぜ安曇野市に行こうと思ったのか忘れてしまったが、そもそも今回の旅に出かける直前まで、安曇野市のことは、よくわからなかったのだが、気になるということは何か理由があるのだと考え、初日の宿と観光拠点は、ここに決めたのである。

決めてから、周りの人たちに「今度の旅では安曇野市へ行く」と話したところ「ああ、ドラマの舞台になったところですよね」というような反応が返ってきた。もちろん自分は、そんなことは知らなかったし、ドラマも見たことがないのだけど、もしかするとどこかで無意識のうちに、その情報を見たのかもしれない。誰かが話しているのを聞いて、頭の中にインプットされたのかもしれない。それはわからないけれど、注目されている場所に行くというのも大切なことなので、わくわくしながら観光を始めることにする。

長野自動車道の豊科インターから、一般道路へと降りる。最初に向かったのは「大王わさび農場」だ。黒澤監督が映画のロケに使用したという話や、わさびソフトクリームなどが気になり行ってみることにした。

カーナビで目的地をセットする。インターからは、さほど遠い距離ではない。前を走る松本ナンバーの車を見ながら、のどかな田園風景の道を走る。思っていたよりも交通量が多い。通行した道路が対面一車線だからなのかもしれないが、かなりゆっくりとしたスピードで進む。

数十分ほどで、目的地の駐車場へ到着。駐車場の入口に来てみて、その車の多さに驚いてしまう。大型観光バスも数台並んでいる。自分のイメージでは「こじんまりとした、のどかな観光スポット」だったのだけど、どうやらそれは間違っていたようだ。たくさんの人たちが連なって入口に向かって行く様子を見ていると、自然に気分がわくわくしてくる。

まず最初に向かったのは、水車小屋だ。とにかく水の透明度がすごい。水わさびの育成には「きれいで豊富な水量の水が必要」と、何かで読んだ記憶があるような気がしていたけれど、さもありなん、といった感じだ。河の底でゆらめいている、水草の姿まではっきりと見える。ここで採れる、わさびは美味しいだろうなあ、と思いながら園内を巡っていく。

繰り返しになるが、最初に自分が想像していたよりも「大王わさび農場」の規模は、とても大きなものだった。わさび畑も、その先が見えないほど、広大な敷地内で栽培がされている。畑の…

秋の長野を巡る旅(1)仙台から出発

今年も、長野に行くことになった。日程を調整して、仕事をやりくりして、ようやく3泊4日の休みを確保した。今回は登山が目的ではなく長野県内を、あちこち回ってみる予定である。その時の記録を、今から数回にわけて書いていきたいと思う。

今回の移動方法は、すべて車での移動となる。
東北自動車道の「仙台宮城IC」を出発して、長野自動車道の「豊科IC」まで一気に走行する。走行距離は、約500km。100kmで走行すれば、5時間で到着する計算になるけれど、実際のところは休憩したり、渋滞したり(実際に、当日は北陸自動車道で事故があり、30分ほど遅れてしまった)するので、7時間ほどかかってしまった。

このようなルートです↓

大きな地図で見る

でもまあ、自分の車は、平成7年式のオンボロなので(日産ラシーン)このくらいのペースが、ちょうどいいのかもしれない。前回、長野に車で来た時には、ほとんど休憩なしで5時間ちょっとで到着したのだけど、その時と比較すると疲労感も少ないし、このスピードで走行するのが、自分と車に合っているのかもしれない。

ちなみに、今回の帰りの時も同じルートで走行してきたのだけど、その時は8時間ほどかかってしまった。その理由は「帰りたくない」という気持と、疲れて「もう眠気に勝てない」という組み合わせで、途中のSAでゆっくりと睡眠をとったり、SAの展望コーナーで風景を眺めたりしていたからだ。

SAの展望コーナーには、眺めのいい場所もあるし名物が食べられるところもあるので、事前に調べておくのもいいかと思います。「単なる移動」から「移動そのものを楽しむ旅」という感じでしょうか。わりと30台半ばを過ぎてから、そのように考えられるようになってきました。それまでは「1分1秒でも早く」目的地に到着することを、第一の目的にしていましたからね。

まあ、それはともかく、初日は約7時間の移動で、長野県は安曇野市に到着。朝の6時に出発したから、到着したのは午後の1時。ICを降りたら、さっそく観光スタートである。

秋の長野をめぐる旅 その2へ

MacBook Air LANアダプター購入。

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MacBook Airには、LAN接続の端子がついていない。つまり、基本的に「Wi-Fi」で接続することが前提になっているわけだ。
実際のところ、自分も普段はWi-Fiで接続しているので、全く問題はないのだけど、外出先のホテルなどでは、LANで接続しなければならない場合もある。その際には、別売りのアダプターが必要になるわけで、ひとつ購入しておくことにした。


基本的には、appleで販売されている純正のアダプターを購入しておけば問題ないのだけど、純正と市販品との販売価格の差が1000円ほどもある(2011年9月現在)。なんとなく躊躇してしまい、そばにいた某家電店の店員さんに「このアダプター(BUFFALO LUA3-U2-ATXという商品)は使えますか?」と質問してみた。
その店員さんいわく「おそらく使えない」と。「新しいMacBook Airは、なんとかがほにゃららなので(中略)たぶん使えない」と、いうことだった。使えなければ購入しても意味がない。とりあえず、その場では購入せずに帰宅後、ネットで検索してみる。すると「新MacBook Airでも使えたぜ」という情報を、複数見つけることができた。


使える、ということならば自己責任で試してみよう。買ってみよう、と即座に購入。数日後、届いたアダプターを、おそるおそる(?)接続して使ってみると、あっさり認識。接続完了。
なにやら、Macの場合は事前にドライバーがインストールされている(らしい)ので、特に設定しなくても、USBに接続してケーブルをつなぐだけで、すぐに使うことができた。カンタンだ。
そんな訳で、MacBook Air(Lion)でも動作を確認することができました。予算的にも1000円ほど安く購入できたので、満足です。よかった。


USB2.0接続で手軽に有線LAN接続できるLANアダプター【送料無料】バッファロー MacBook Air対応...
追伸:後日、外出先のホテルにて、MacbookAirとこのLANアダプターを使用。問題なく使用することができました。ご報告まで。

しおがまさま 神々の月灯り 2011

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「しおがまさま 神々の月灯り」へ行ってきた。これは、鹽竈神社・志波彦神社境内で行われている年間イベントのひとつで、お知らせのチラシを目にした時から、一度行ってみたいと思っていた。
祭り(と、言ってよいのだろうか?)の始まりは午後6時30分から。仙台からの道路が若干混雑したので、現地についたのは午後7時少し前。鹽竈神社の駐車場は、6〜7割ほど埋まっていて、すでに車を降りて境内の方へと向かっていく人の流れを見ていると、自然と気持ちが高揚してくる。
実は、現地に到着するまでは「境内がライトアップされていて、ほんのりとした灯りの中で、静かに夜の神社の雰囲気を味わうイベント」だと思っていた。ところが、実際に境内に入ってみると、道路の左右に一列に並べられたロウソク(ひとつひとつが竹筒に、ていねいにおさめられている)の灯りが醸し出す、あたたかくもゆらゆらとした雰囲気と演出に、一気に引き込まれてしまっていた。
いったい、いくつのロウソクが並べられているのだろう。これだけの準備をするのに、どれだけの手間と時間がかかったのだろう。そんなことを考えながら、駐車場から神社正面の階段へと歩いていく。
ちょうど階段を上りきったところに、人が集まっているのが遠目からでも、はっきりと見えた。みんな、携帯電話を手にして、写真を撮影しているようだ。いったい、何を撮影しているのだろう? と好奇心を溢れさせながら近づいていくと、
表参道(202段)の階段に、ずらりと並べられたロウソクによる光の道が下から上まで、真っ直ぐにできていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。さらに「下の踊り場のあたりに、何か文字のようなものが・・・」と、目を凝らしてみると、そこには「祈」の文字が。ちょうど下から階段を上ってきた人たちが「あそこに文字があったんだ!」「そばを通った時は、全然気がつかなかったね」と話している。なかなか、ぐっ、とくる演出である。
しばらく、道を眺めてから、境内の舞殿へ向かう。 舞殿では琴の演奏がおこなわれていた。周りに設置された篝火の黄色い明かりと、琴の音色が、つい先ほどまでの日常生活から、ふわりと切り離してくれるように感じる。風が吹いて、時折舞い散る火花も美しい。木が燃える臭いも、なぜかなつかしい。
琴の音色を楽しみながら、拝殿へ向かいお参りをする。お賽銭をして、手を合わせて、祈りを込める。後ろのほうで、楽しそうに何か…

深夜の連続ツイート ずっとずっと後。

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今日、数年前に仕事でお世話になっていた社長から電話があった。しばしの会話の後、その方がぽつりと「あなたは、誠実に仕事を一生懸命にがんばる人だということを、私は知ってますから」と言って下さった。…いや、別に僕は、ほめられたということを自慢したいのではない。


(つづく)その時僕が感じたのは「この方は自分のことを、そんな風に見て下さっていたのだ」ということだった。僕のような人間を、きちんと(しかも過大に)評価して信頼をして、仕事を任せて下さっていたのだ、ということに気がついたのだ。


(つづく)誰しも自分のことを「正しく評価してほしい」と思うものだろう。たくさんいるスタッフの中に埋もれそうになりながらも「自分の頑張りを見てほしい」と、願うものだろう。地味で目立たない仕事を担当している時には、なおさらそう思うだろう。


(つづく)それでも、ちゃんと見てくれている人はいる。そして悲しいことに、僕がその視線に気がつくのは「ずっとずっと後」になってからだ。そして「あの人に、今の自分ができることは?」と伝えることもできないほど、すべては遠く遠くの方へと過ぎ去ってしまっている。


(つづく)現在、午前2時30分。これで深夜の連続ツイートおわり。昨晩のサッカーの試合はドキドキした。久しぶりに、自分もボールを蹴りたくなった。そんな風に思えるうちは、まだまだ元気に頑張れそうな気がするわけです。おわり

深夜の連続ツイート  キウリ。

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コンビニの駐車場で、作業着を着た40代後半くらいの男性3人が話をしていた。頭にタオルを巻いた男性が、大きな身振りで何かを説明していた。節々に聞こえてくる言葉の断片と組み合わせて想像すると、何かうまいものを食べて感動して興奮して、お前たちにも食わせたかったな、という感じに見えた。
(つづき)村上春樹のノルウェイの森の中に「食べものがうまいっていいもんです。生きている証しのようなもんです」という台詞があるけれど、最近ほんとうにそうだな、と感じるようになってきた。
(つづき)ノルウェイの森では「海苔を巻いたキウリ」だったけれど、一緒にいて楽しい人と、600円くらいのランチをおいしく食べることができたのなら、その日はそれだけでも生きてる甲斐があるってものだ。午後もひたすら、がんばれるってものだ。
(つづき)何か美味しいものを食べて、うれしくなって、次の日誰かに「オマエにも食べさせたかったよー!」と言えるような毎日を重ねていくのも、なかなか悪くないのではないかと思ったりする。これで深夜の連続ツイート終わり。今日から9月。今年も残り4ヶ月。来年は、2012年だね。
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