柳田國男の遠野物語を読む。


青空文庫にて、柳田國男の遠野物語が公開されていたので、さっそく読んでみた。自分が、初めて遠野物語を読んだのは大学生の時だった。その時は「とりあえず読んでおかなければいけない本の一冊」ということで、単行本を購入して通読してみたものの(その当時の自分にとっては)とりわけ引っかかるところもなく、さらっと読み終えてしまったという記憶しかなかった。

そのような記憶があったので、今回も「とりあえずiphoneにダウンロードしておいて、時間のある時にでも読んでみよう」というような感覚だった。ところが、である。そう、この書き出しで読者のみなさんも、おおかた察しがついていると思うけれど、そうです。その通りです。すごく「おもしろい」のです。

まず、序の「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ。(遠野物語より)」という一文が奮っている。引き込まれる。「まだまだこの日本には、お宝がたくさん眠っている。それを掘り起こすのは読者の君たちだ。後を頼む」と、いうような作者の興奮というか、志の高さが伝わってくるようだ。そうだ、自分たちはもっと「このような話」を掘り起こさなくてはいけないのだ、今自分がやりたいと思っていたことのひとつが、これなのではないか、と序文から作者に共感してしまったわけです。

3月11日の震災のあと、津波で流され失われた風景を目の当たりにする度に「この辺りには、どのような建物があっただろう」「ここには、確か・・・」と自分の微かな記憶を辿ることを繰り返し続けてきた。もう、100%同じ風景が蘇ることはない。ものごとに100%はない、とはいうけれど「あの風景が、ここに戻る事は100%ない」のだ。悲しいけれど、これが現実なのだ。そして、これから生まれ、この場所で育っていく人達の記憶の中には、全く新しく作り直された街並みのみが残ることになる。2011年3月を境にして「それまでの街並みを見たことがある人」と「見たことがない人」とに、真っ二つに別れるわけである。

そんな時に「今は、こんなに広くて走りやすい道だけれど、以前は車がすれ違うのも困難な位の細い道でバスが通る時には・・・」とか「夏になると、このあたりにやぐらが組まれて町内の人が踊るのだけど、その時に飾られる灯籠が・・・」などと写真を片手に子供達に話してあげたいと感じるのは、単なる個人のエゴではないだろう。たくさんの人達がここに住み、ここで生活を営んできたのだという時間の続きとして、今こうして自分たちが生活しているのだということを資料と一緒に伝えていくのは、きっと意味のあることだと思うからだ。

毎日見ている景色、風景は「明日もそこにある」と考えているから、改めて目を凝らす必要もない。なにせ、他にもやらなければいけないことは、たくさんあるのだ。そう。たしかに3月11日までの自分は、そのように考えてきた。でも今では「明日も、それがそこにある」ということは確実なものではないことを知ってしまった。だからこそ、現段階で掘り起こせるものは掘り起こしていかなければならない。記録できるもののは、記録しておきたい。見られるもの聞けるものは、実際に体験しておきたいと思うわけである。

「思うにこの類の書物は少なくも現代の流行にあらず。いかに印刷が容易なればとてこんな本を出版し自己の狭隘なる趣味をもって他人に強いんとするは無作法の仕業なりという人あらん。されどあえて答う。かかる話を聞きかかる処を見てきてのちこれを人に語りたがらざる者果してありや。(中略)いわんやわが九百年前の先輩『今昔物語』のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれはこれ目前の出来事なり。(遠野物語)」

今、自分たちが「日常生活のできごと」と考えていることも、100年後には「おもしろいこと」になっていることも多いだろう。50年後でも、そうかもしれない。残念ながら、僕たちは津波で住み慣れた風景の一部を失ってしまった。それでも、今、この瞬間からの記録を残していくのなら、100年後には「今は見えないもの」が見えてくるかもしれない。

さて、遠野物語について書こうと思っていたのに、序文を読んで個人的に感じた事を書いているうちに、予定の文字数に達してしまった。遠野物語とは違う方向に話しが進んでしまったけれど、本日はこのあたりで止めておこうと思います。遠野物語については、後日またどこかで触れてみたいと思います。

ちなみに自分は宮城県仙台市在住ですが、遠野物語の舞台となっている岩手県遠野市へは、まだ一度も行ったことがありません。「隣の県なのに、行ったことがないのか?」と思われる方も多いかと思いますが「ちょっと、今週末にでも行ってみたらいいのに」という方もいらっしゃると思うのですが、実は(と、強調するほどのことでもありませんが)仙台市から遠野市までは、車で片道約4時間の道のりなのです。往復で8時間。日帰りだと慌ただしいし、かといって泊まりとなると・・・と、なんとなく中途半端な距離感なわけです。なので、今までは躊躇していたのですが、今回遠野物語を読み直したことで、ここ20年くらいの間の中では「行ってみようかな」という気持ちが最大になっていることを、ここに記しておきたいと思います。

参考: 青空文庫 遠野物語 柳田国男
遠野物語百周年

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