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2月, 2019の投稿を表示しています

文学を勉強しても、意味がない?

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文学を勉強しても、意味がない? 以前、といってもだいぶ昔の話。僕が「大学で日本文学を勉強した」と自己紹介したことに対して 「文学なんて個人が好きに読めばいい。わざわざ大学で勉強するものでもない」 と、批判してきた人がいた。 その時僕は「いや、でもしかし・・・」と、戸惑いつつも言葉を返すことができなかった。今よりもずっと若く、理屈よりも感情の方が強かったし「この人は、どうしてわざわざそんなことを言うのだろう?」と不快感や、人前で批判されたという恥ずかしさもあり、冷静に考えることができなかったのだった。 文学作品を、研究するということは 先日、ある本(文学についての研究書籍)を読んでいて、ふとこの出来事を思い出した。そしてあらためて 「文学作品について研究(考察する)こと」 について考えてみた結果、今私はこんな風に考えている。 作品を読んで「どこかモヤモヤした」感覚になることがある。それは、作品に対して「 自分が把握している言葉では、うまく説明できない感覚 」を抱いたということだろう。そのモヤモヤをモヤモヤのままにして、作品を楽しむ人もいる。同じ作家の別の作品を読んで、モヤモヤの中を進んでいこうとする人もいる。 私は、どちらかというと「どうして自分は、この作品に〇〇を感じたのだろう」と、少し立ち止まって考える事が多い。そして文学(小説)だけでなく、映画や絵画において同じような事を考えてみたりもする。 そんな時、作品や著者について解説された書籍を読み、 新しい情報や見解を得ることで「 そういうことだったのか」と、霧が晴れていくような感覚 になることがある。モヤモヤが言語化され、疑問が晴れていく爽快感(のようなもの)もある。 そして作品を読み返してみる。納得したり、新しい視点が生まれたり、また別のモヤモヤが見つか る。 こうして出会った作品と解説のおかげで「ものごとに対する自分なりの見方」を育てていくことができたと思う。そこに社会に出て実体験を加えることで、今自分が取り組んでいるような仕事の基盤を作ることができている。これは 間違いなく「そうだ」 と言える。 必要とされているならば、そこには存在する意味がある。 文学作品を読む、ということは個人的な行為である。しかし私のように、 読んだ 作品に対して 「わからないこと

裾上げしたジーンズの裾を、自分で加工してみる。

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裾上げデニムに、アタリをつけるには? ジーンズをリジッドから育てるのは楽しい。時間と手間もかかるけれど、そうやって共に過ごしてきたジーンズには「人生の相棒」と呼びたくなるほどの、大切な一着になったりする。 それと同時に、私は 古着のジーンズも好きだ。 古着屋をめぐりながら「おっ、これはかっこいいな」と、いい感じに色落ちしたジーンズを見つけた時は、 お宝を掘り出した時 のような気分になる。 しかし、古着のジーンズの場合はレングスが合わない、という問題がある。短いものは諦めるしかないが、長すぎるものも困る。 古着のジーンズの裾を切ると「とんでもなく、かっこわるく」 なるからである。まるで別人になったかのような変貌を遂げることも、少なくない。裾上げはしたい。しかしそれで台無しになる可能性もある。古着でジーンズを購入する時の悩みのひとつである。 裾上げしたばかりの、のっぺりデニム 先月、ひさしぶりに古着で気になるジーンズを見つけて購入した。以前の持ち主は、裾上げをせずに裾を捲って履いていたらしく、そのまま履いているとズルズルと地面を引きずってしまう。最近は歳をとったせいなのか、 裾はきっちりとした長さで履きたい と感じるようになった。そこで「かっこわるくなる」のを承知で裾上げをしてみた状態が、こちらである。 いかがだろうか。 この、のっぺり感 。清潔感あふれる、生真面目な青年のような表情になって帰ってきた。このまま履くのは、なんとなくムズムズする感じがするので、自分で手を加えてみることにする。 水で濡らし、乾かして縮ませる。 ジーンズは洗えば縮む。コインランドリーの乾燥機に回して急速に乾燥させれば、さらに縮みやすくなる。と、いうわけで裾を濡らして乾かしてみることで表情をつけていくことにする。 まずは自宅にあった、観葉植物に水をあげる水差しを使い、裾だけをたっぷりと湿らせる。別に水差しを使わなくてもいいのだが、なんとなく丁寧に作業している感じを出すために使ってみた。意外と便利だったので、お持ちの方は試していただきたい。 裾に「うねり(パッカリング)」が発生。 このような感じで、適当に。しかし、しっかりと芯まで湿らせてから乾かすことにする。本当ならドライヤーを使って、乾か

メルカリで買った品物が届かない!

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メルカリで購入した商品が届かない! 先日ある商品をメルカリで購入した。出品者から発送のお知らせが来て、後は商品が届くのを待つばかりとなった。 ところが到着予定日を数日過ぎても、 荷物が届かない 。さらに 配送状況も「伝票番号未登録」 まま動かない。 遅延しているだけでなく「伝票番号未登録」のままであることが気になった。普段の自分なら「もう少し様子を見よう」と静観することが多いのだが、今回は「 はじめてのメルカリ体験 」ということで、これも経験のひとつと、問い合わせしてみることにした。 たらい回しのまま、状況が把握できない。 ここから迷走を続けることになる。まず宅急便 に電話で問い合わせをしてみると 「メルカリ便の場合は、当方で確認することができない」 とのこと。 「調査が必要な場合は、メルカリ事務局に問い合わせて下さい」 という主旨の話があった。 なるほどわかりました、と電話を切り、今度はメルカリ事務局にアプリから調査依頼をしてみると 「サイズの変更等で伝票番号が変更になった場合、伝票番号が変わるため、メルカリ上で配送状況の確認ができない」 との返信があった。 サイズ変更で、伝票番号が変わると確認ができない? なんだかよくわからない説明のまま、たらい回しの状況に突入してしまった。 ここでふと 「なぜ、たらい回しと表現するのだろう?」 という疑問が浮かんだので調べてみた。 「 たらい回し (たらいまわし、盥回し)とは、 たらい を足などで回す曲芸。転じて、物事を次から次へと送りまわすこと。(出典 フリー百科事典 ウィキペディア)」 なるほど確かに、ぐるぐると同じところを回っている様子が今の自分の状況に当てはまる。うまいことを言ったものだな、と感心する。それはともかく、詳細を把握できないという もどかしい状況なのだが、 そのようなシステムになっているのだから仕方がない 。しばし静観することにした。 「取引完了せよ」と、事務局から通知が届く…。 その後、進展がないまま数日が過ぎ、 発送通知から6日が経過した段階 で、 メルカリ事務所から「受取評価 = 取り引き完了」するようにと通知 が来た。受け取り評価も何も、まだ荷物も届いてないし状況すら把握できていない段階だったので困惑してしまった。 しかし、この段

移動のパートナーに、最適の一冊は?

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移動のお供に最適の一冊とは? 長時間の移動の時、自分の場合は本を読んで過ごすことが多い。以前は、 はりきって未読の本を数冊持ち歩いていた のだけど、重いし読まないことも多いので、ここ数年は「もう一度読み返したい本」を選ぶようにしていた。そして、実用書ではなく文学作品が中心になっていた。 移動の時は、雑多な用事で集中が途切れることも多い。しかし文学作品ならば「そういえば、あの場面はどうだったかな?」と途中を省略して読んでも、すでにストーリーは把握できているので問題ない。むしろ、そうやって読み返すことで、新しい発見があったりもする。 細切れになりがちな読書には「一度読んだ文学作品」 が、自分の中の定番になっていたのだった。 電子書籍だと、数十冊を持ち歩けるが・・・。 しかし、最近では Kindleを使い電子書籍で読む機会が増えた ため、スマートフォンかタブレットがひとつあれば、数十冊以上の方を持ち歩けるようになった。これは便利だ、重さを気にする必要がない、と大量に 未読の電子書籍を詰め込んで 移動するようになっていた。 ところが。そう、ところが、思ったよりも読み進められないのである。電子書籍だからといって、読書のスピードが上がるわけでもなく「新規」と表紙に帯が貼られた表紙がずらりと並ぶようになっていた。 結局、紙の本と同じように、 一度読んだ本をKindleで再読することが多くなっていた。 やはり自分の場合は、未読の本を読む時は落ち着いた環境で、 ある程度まとまって集中できる時間が確保できないと駄目なのだ ということを確信した。 細切れになりがちな読書には「一度読んだ文学作品」 は、揺るがなかったのである。 Kindleの読み上げ機能を使ってみよう。 昨年、 Fire7を購入した 時、 kindleには「読み上げ機能」 が付いていることに気が付いた。なんとなく使ってみると、若干読み上げがおかしい部分はあるものの、 ある程度知識がある分野の書籍であれば、音声だけで内容を理解できる ことがわかった。 一冊読み終える(聞き終える)のに、実用書だと二時間前後で終了することができるので、読書をするのとそこまで変わらない。さらに速度も変更できる(自分の場合は、通常の速度だとやや遅く感じることが多かった)ので、もう少し短縮することもできる

「待てど、暮らせど、届かない」

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到着予定の宅急便が届かなかったので、何かトラブルでもあったのだろうか、と情報を調べてみた。すると相談コーナーのようなところに「待てど暮らせど届かないので・・・」と、いうようなコメントが記入されていた。 「待てど、暮らせど、届かない」 日常生活を淡々と過ごしながらも、心のなかにはいつも「早く届かないだろうか」という気持ちがある。それを噛み締めながら静かに待っている。そんな情景が浮かぶ言葉だな、と思った。 たぶん私たちは 「暮らす」という言葉 に、一過性ではない連続した時間の流れを感じるのだと思う。それは荒波のような激しいものではないけれど、静かな清流が淡々と流れていくような時間を想像させる。 会議の席で、普段はおとなしくて発言しない人が静かに語る言葉に説得力を感じることがあるように、「待てど、暮らせど」には、思わず口にしてしまった深い思いが込められているような印象を受けるような気がする。 「待てど暮らせど、届きません。進行状況を教えて下さい」 しかし、逆に考えれば「重そう」な印象を受ける場合もあるので、使いどころが難しい一文でもある。取引先から「待てど暮らせど、届きません。進行状況を教えて下さい」などとメールが届いたならば「しまった!」という気分になると思う。何が「しまった!」なのかはよくわからないが、 とにかく焦ると思う。 相手が普段穏やかな人ならば、よほど怒らせてしまったのだな、と余計に慌てるだろう。急いで電話をかけて「ああ、まだ大丈夫ですよ。よろしくお願いします」と朗らかに言われたとしても、信じられないと思う。 しかし、ここぞ、という場面では強い印象を与えられそうなので、多用せず静かな雰囲気を装って使用していただきたい。効果は保証しない。

取引メッセージに何を書く? メルカリで古本を売ってみて考えたこと(その2)

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メルカリで古本を売ってみて、考えたこと(2) メルカリで購入(販売)をすると 「取引メッセージ」で、相手と簡単なやり取り をすることができる。 メッセージは任意なので省略することもできるのだけど、わりと多くの人が何らかのコメントを書き込んでくれる。ちょっとしたコメントでも、安心感が生まれるので、僕もなるべく書き込むようにしている。 「短い間ですがよろしくお願いします」 この取引メッセージに 「短い間ですが、よろしくお願いします」 という一文が添えられているのを何度か目にした。 この一文を目にする度に「確かに短い間の取引ではあるけれども、何かちょっと寂しい気がするな」と感じている自分がいた。 なんとなく「品物の取引が終わったら、 あんたとは永遠にさよならだ! 」と言われたような気がするのだった。もちろん実際に、永遠にさようなら、になるだろうし、それ以上でもそれ以下でもないのだけれども、すこし寂しい余韻の残る一文だと感じていたのだった。 「最後まで、よろしくお願いします」 先日、ある品物をメルカリで購入した。すると相手から 「最後まで、よろしくお願いします」 とメッセージが送信されてきた。ああ、これはいいなと思った。「取引が終われば関係は終了するけれども、 それまでは丁寧にお付き合いしましょう 」という印象を受けたのだった。 もちろん「短い間ですがよろしくお願いします」の方が好感が持てる人もいるだろう。「最後までよろしくお願いします」では、ちょっとしつこいような感じがする、と思う人もいるかもしれない。 そこで 「短い間ですが、最後までよろしくお願いします」 という折衷案を考えてみたが、これだと全体的な印象が弱くなるような気がする。 やはり「最後までよろしくお願いします」が、自分には心地よい一文に思えたのである。 誰もそんなこと考えない、とは思うけれど。 わりと僕は、ここに書いたようなことを折々に考えたりする。仕事柄「この文章を読んだ人が、どのような印象を持つだろうか」と考える習慣が付いているせいか、ついつい考えを巡らせてしまう。 そんな細かいことを考えても、とくに世の中に貢献できるわけでもないし、 見つけた答え(のようなもの)を誰かに話しても、ほとんど共感されることもない。 それでも、自分が感じた

NORTH MARINE DRIVE → 45R

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meeting → NORTH MARINE DRIVE 高校一年生の時、僕はレストランでアルバイトをしていた。秋の気配が深まってきたある日、そこで働いていた一つ上の先輩が、 気になるジャケットを着てきた。かっこいい、というのとも違う。 かわいい、というのも少し違う。その中間というのだろうか。 とにかく、当時の僕には「 何か気になる」雰囲気の服 に見えたのだった。 僕は先輩に「かっこいいジャケットですね」と言った。先輩は、 まあね、というような表情をした。 あまり多くを説明する人ではなかった。「 それ、どこで売ってるんですか?」と僕は聞いた。先輩は、 お店の名前と場所を教えてくれた。 それは、 North marine drive  というブランドだった。 North marine drive の「 白の長袖Tシャツ」 翌月アルバイト代が出た僕は、 教えてもらったショップへ行ってみることにした。予想通り、 そこに並んでいた服は高校生のアルバイト代で気軽に手が出せる金額ではなかった。まして先輩が着ていたようなジャケットを買うには、まだまだ労働が必要だった。 その中から、自分にも買えそうなカットソーを一枚見つけることができた(当時はカットソーではなく、長袖Tシャツと呼んでいた。 長袖という段階でTシャツではないだろうと、 違和感を覚えつつもそう呼んでいた記憶がある)。 デザインも雰囲気も良かったし、この一着で 今月のアルバイト代が半分以上吹き飛んでしまうけれども、 迷わず買うことにした。 数日後、そのカットソーを着てバイトへ行った。先輩は、 すぐに僕のカットソーに気がついて、それいいじゃん、 と言ってくれた。それだけでもう、このカットソーを買った甲斐があったと思ったものだった。 そして、45Rへ 先日書店で、デザイナーの井上保美さんの本を見つけた。 手にとって眺めているうちに、ここに書いたことを思い出した。 オフィシャルweb を見てみると 、今の僕にも着こなせそうな ラインナップが並んでいた。 うん、やっぱりいいな、 と思った。 45Rを着てみたくなった。服が着てみたくて、わくわくするなんて、本当に久しぶりだと思った。 たぶん僕は、 45Rの服の先に高校生の頃の自分の姿