【思い出】私の子供時代の記憶には「釣りキチ三平」の姿があった。

「釣りキチ三平」は、私のバイブルだった。

小学生の時の話。自宅に「釣りキチ三平」というマンガ本があった。父親が買ってきたものだった。それは他の漫画本とは「どこか違った」気配が感じられた。リアルでスピード感があって、ぐいぐい引き込まれていく感じ。私はすっかり夢中になった。

三平のようにまっすぐに、一平じいさんのように、やさしく深く。魚紳さんのように、賢く自由に。そしていつの日か自分も三平のように、色々な場所で様々な魚を釣ってみたい。そんな憧れを持ちながら、美しい風景が広がるページを何度も繰り返し読んでいた。小学生の私は「釣りキチ三平」の登場人物に「理想の姿」を重ねていたのかもしれない。

私は少しずつ釣り道具を手に入れ、自転車に乗って釣りへでかけた。車の免許を取ってからは、トランクに釣り道具を詰め込み、地図を片手に「あたらしい場所」を求めて走りまわった。勢い余って、船舶の免許も取った。水を見れば覗き込まずにはいられないし、そこに魚が泳いでる姿を見つけたならば、糸を垂れたくて仕方がなかった。

そして実際に竿に仕掛けを組んで水の中に放り込む時、頭の中にはいつも「釣りキチ三平」のシーンが思い浮かんでいたように思う。マンガと現実の様子を重ね、釣りを楽しんでいたように思う。

2020年11月。作者の矢口先生の訃報を知った。子供時代から続いていた「ひとつの時代」が終わりを告げたように感じた。10代の頃に出会ったことが、人生の重要な価値観のひとつになる、というような文章をどこかで目にしたような記憶がある。確かにそうだと思う。もしも「釣りキチ三平」に出会わなかったのならば、私は釣りをすることはなかったかもしれない。釣竿を抱えて、遠くの場所へ旅をすることもなかっただろう。

これからも私は、ときおり「釣りキチ三平」を読み返すと思う。そしてその度に、あのころの自分を思い出すのだと思う。矢口先生ありがとうございました。

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