【中原中也】一人でカーニバルをやってた男

詩人 中原中也と聞いて連想すること


「中原中也」と聞くと、黒い帽子を被り少年のようなまっすぐな瞳をしている、あの有名な写真が頭に浮かぶ人も多いと思います。「詩人」という言葉がぴったりの、繊細で物静かな雰囲気が漂っている人物という印象を受けますよね。

ところが実際の中原中也は、少々気難しいといいますか、酒を飲んでは人に絡んでしまうような一面があったようです。 そのような酒の席における自分の状況を、親友に宛てた手紙の中で説明している文章があります。


昨夜は失礼しました。其の後、自分は途中から後が 悪いと思ひました。といひますわけは、僕には時々自分が一人でゐて感じたり考へたりする時のやうに、そのまゝを表でも喋舌ってしまいたい、謂ばカーニバル的気持が起ります。(以下略)【中原中也 安原喜弘氏宛ての手紙より】


自分が一人の時に考えていることを、そのまま口に出してしまう。そして、相手の反応が気になってしつこく絡んでしまう。それを中原は「カーニバル的気持ち」と説明しているのですね。そして、この手紙はこのような一文で結ばれます。


一人でカーニバルをやってた男  中也 【同】


カーニバルはたくさんの人が集まって行われるものであって、一人でカーニバルはできませんよね。しかし中原は、たった一人でカーニバル状態になって熱狂している。周囲の人々がそこに参加する事は無い。むしろ、どんどん距離をとって離れていく。

そのような状況を、中原自身も自覚していたのだろうな、と。翌朝になって手紙を書きながら反省しているのだろう。そのような状況を想像してみると、せつない寂しさが漂ってきます。そして「一人でカーニバルをやってた男」という最後のフレーズに、中原らしい言葉の響きを感じたりもします。 

詩人が見ていた世界と、現実の世界とのはざまで

中原中也には、酒の席での様々なエピソードが残されています。太宰治が絡まれた話も有名ですよね。そのようなエピソードを知りつつあらためて、中原中也の作品を見ていると、そこに大きなギャップが存在していることを感じます。詩人中原が見ていた、または追求している世界と、現実の世界とのギャップ。それは、私たちが想像するよりも大きなものだったのかもしれません。

そんなことを考えながら、天才詩人の作品をひとりで読んでいると、遠くの方から微かにカーニバルの響が聞こえてくるような気がします。

【Youtube版 佐藤ゼミ】


参考 中原中也の手紙(安原喜弘)

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