【石川啄木】友がみな われよりえらく 見ゆる日よ ……(一握の砂より)




今回は、歌人・石川啄木の作品を紹介します。


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

石川啄木「一握の砂」より


友人たちが出世して、自分よりも偉く見えた日には、花を買って帰り妻と親しみながら、そんな気持ちを慰めるのだ。しみじみとした切なさと、そのような自分を家で待っていてくれる妻への思いが表現されている一首ですね。

春になると人事異動などで環境が変わり、普段連絡をとらなかった友人たちから連絡が届いたりしますが、そんな時に「ああ、あいつも偉くなるんだな」と、しみじみと自分の情けなさを感じる時がありますが、そんな時に胸に響いてくる作品のひとつだと思います。

啄木は、作品と真逆の性格!?

この作品を読むと「石川啄木は愛妻家だったのだな」と感じる人も多いかと思います。ところが実際のところは、その真逆だったようです。

結婚式を「すっぽかし」し、結婚後も複数の女性と関係を持ち、給料は自宅に入れずにさらに借金をして「女遊び」をする。花を買って帰るどころか、家にも帰らずに遊び歩いている。啄木には、

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

石川啄木「一握の砂」より

という作品がありますが、いやいやそんな金の使い方をしていては当然でしょう、と思いっきりツッコミたくなりますね。作品に表現されている「純朴な世界」とは、真逆の生活を送っている啄木と一緒では、奥さんもさぞ苦労したことでしょう。

作品と作者は、別のもの?


「作品と作者は切り離して考えるべき」なのだから、啄木がどのような人間性だったとしても作品の素晴らしさは変わらない、と考えるべきか。それとも、啄木の振る舞いを知ってしまうと、作品を素直に鑑賞できない、と感じてしまうか。みなさんは、どちらでしょうか?

私個人としては、啄木の生涯について知るほどに作品への興味が増し、色々と楽しくなってくる気がします。ははあ、つまりこれは、このような心理の表れなのではないか、と一人で作品の背後にある状況を想像しつつ、さらに調べてみたくなります。(ちなみに、盛岡には「啄木新婚の家」が保存されているのですが、実際に訪問してみました。こちら→「啄木新婚の家へ行く」)

まずは作品そのものを楽しむ。さらに気になった作品は作者についても調べてみる。そんな風にして「作品と作者の関係」について考察する際に、石川啄木は興味深いテーマになるのではないかと思います。気になった人はぜひ研究してみてください。

【佐藤ゼミ】友がみなわれよりえらく 見ゆる日よ


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