【正岡子規】柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺



柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 (正岡子規)


今回紹介するのは正岡子規の俳句です。「柿を食べていると、法隆寺の鐘の音が聞こえてきた」もはや何の解説も不要なほどわかりやすく、しみじみと深まっていく秋の気配の中で作者がそれを全身で受け止めている様子が伝わってくる名作です。

私がこの作品を初めて目にしたのは、国語の教科書だったか資料集だったか、正確には忘れてしまいました。妙に印象的な頭の形をした正岡子規の横顔の写真と一緒に掲載されていたように思います。「俳句 = むずかしい = おとなむけ」と感じていた当時の私にとって、この作品は「なんとなくわかるような気分」にさせてくれた作品でした。

技法とか難しいことは理解できないし、どこが凄い作品なのかを説明することもできないけれど「このような俳句ならば、もっと読んでみたいなあ」と、なんとなくうれしく感じさせてくれた作品だったことを覚えています。

夏目漱石「三四郎」の中の子規

この作品には「柿」が重要なモチーフとして登場しますが、実際の正岡子規も柿が大好物だったようです。夏目漱石の「三四郎」の中にも、

子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。(夏目漱石 三四郎より)」

と、正岡子規が柿を食べるエピソードが登場します。大きな樽柿を十六も食べて普通にしているというのは、漱石でなくてもまねはできませんが、そこまで「柿」が好きだった正岡子規が、秋の奈良で法隆寺の鐘の音を耳にしながら「柿」を頬張る時間。

目に見えるもの、聞こえる音、そして味覚。秋の気配とともに感じる「それ」は、さぞ至福の時間だったことであることは想像に難しくありません。そして読み手である私たちはそのような作者の気分を、17文字の言葉の奥に感じ取っているのかもしれません。


(追記)数年ほど前に、奈良へ旅をしたことがあります。(参考:はじめての奈良旅)3泊4日の日程で旅をしたのですが、とてもたのしくおもしろく、観光してみたい場所がまだまだ、たくさんのこっています。

現在は国内旅行もむずかしい状況ですが、またいつの日か奈良へ行ってみたい。樽柿を食べながら法隆寺を眺めてみたい。そんなことを考えていると、この厳しい状況をなんとか乗り越えていけそうな気がするのでした。

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