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東北歴史博物館へ行く。

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東北歴史博物館へ行ってきた。 今回の目的は、特別展示室の「家族でおでかけ」を見ることだ。 案内によると「家族旅行が急速に拡大した昭和40〜50年代の様相を紹介」とある。ちょうど自分の子供の頃の時代に重なるので、懐かしいものに出会えるのではないかと思いでかけてみることにした。 ここ東北歴史博物館へ来るのは、今回で2回目なのだけど、敷地も広いし建物も魅力的なデザインので、駐車場から入口へ向かって歩いているだけでも、なんとなくわくわくしてくる。当日は小雨が降っていて、すこしぼんやりとした風景になっていて、それもまた雰囲気があっていい感じだ。 まずは観覧料金を支払って(一般500円)チケットを購入。常設展をぐるりと回ってから特別展示室へと向かう。展示室には、当時のポスターやパンフレット、そして駅弁のパッケージなどが展示されていて、かなり見応えがあった。とりわけ、個人コレクションと思われる展示物の保存状態と質と量が、とても良くて、駅弁の包み紙などは、しわひとつないのではないか、と感じるほど丁寧に保存されていて、ここまでコレクションしたという情熱というか、心意気のようなものに感動してしまった。 自分のように「さあ飯だ。おおっ!うまそうだー」と、包み紙をバリバリ破いてしまうような人間には、とうていできない作業である。せめてこれからは、写真を撮影して少しでも記録に残していこうかなと、思った次第です。もしかしたら、将来何かの役に立つかもしれない。立たないかもしれない。まあ、それはともかく。 それにしても、当時のデザインは、今見ても斬新だし、アイデアとして活用してみたいものがたくさんあった。昭和のデザイナーというか、クリエイターはもちろんスポンサーも今よりもずっと自由だったのではないか? 革新的だったのではないか? 「よし、このポスターで観光客を呼び込んでやるぜ」というような「中途半端なデザインでは、見てさえもらえないぜ」というような、パワーのようなものを感じた。 温故知新ではないけれど、あらためて自分が生まれて行きてきた「昭和という時代」を見直して、そこからエネルギーの源のようなものを感じてみたいものだと思いました。

いちご狩りへ行く。

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いちご狩りへ行ってきた。 今回行ったのは、宮城県 亘理町にある「 JAみやぎ亘理吉田観光いちご園」。 仙台市内からは、車で約1時間といったところ。天気もよく、ドライブがてら行ってみることにした。 ちなみに自分は「いちご狩り」に参加するのは初めてだ。と、いうよりも「狩り」に参加するのが初めてだ。子供の頃に連れていってもらった記憶もないし、何かの行事で参加したこともないので、色々な意味で初めての「狩り」ということになる。 ここまで書いていて、ふと思ったのだが「狩り」ってなんだか勇ましい言葉だなと感じた。長い槍を持って、うぉーっ、と雄叫びを上げながら突進していくイメージの言葉だが、今回の狩りのターゲットは「いちご」である。手のひらに乗るようなイチゴなのである。子供が「おいしー」とパクパク食べるイチゴなのである。まあ、そんなことを考えながら車で移動。到着。途中の4号線バイパスが混んでいたので、1時間20分くらいで到着。天気もよく、絶好の狩り日和だ。 受付で入園料を支払ってから( 1月15日~5月6日は1,500円(小3以下700円) 5月7日~6月中旬 1,300円(小3以下600円)で、30分食べ放題)ビニルハウスの中に入る。 中はとてもあたたかくて、ふわっ、とした空気が漂っている。訪問したのは4月の中旬だけど、長袖シャツ一枚でも心地良い感じだ。 思っていたよりも、中は広く開放感がある。最初のイメージでは、しゃがんで「狩る」のかと思っていたのだが、腰の高さよりやや上くらいの棚が設置されていて、そこにイチゴの苗が植えてある。自分が行った時は、他にも15人くらいのお客さんがいたけれど、開放感がある中で狩りをすることができた。 これが、イチゴの花だ。 白い花が咲き、緑の実が成り、赤く熟していくわけである。 ちいさなお子さんには「こんな風にして、イチゴができるんだよ」と勉強する、良い機会になることだろう。 実際に、家族連れの姿も多く、あちらこちらで「おなかいっぱーい」とか「おかーさーん。こっちー」とか「はい、両手にイチゴを持って。こっちを見て」とビデオ撮影をしている姿が見られた。中には、自分は全くイチゴを食べずに、お孫さんの後を追いかけて、写真を何枚も撮影しているお爺ちゃんもいた。なにはともあれ、いい光景である。休日である。あちこち駆け回

ヴェネツィア展へ行く。

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宮城県美術館へ「ヴェネツィア展」を観に行ってきた。キャッチコピーは「魅惑の芸術・千年の都」。 千年の都・・・いい響きである。最近、百年とか千年とか、時間を積み重ねてきた存在に対して、とても惹かれるようになってきた。この現実世界、色々あるけれども、時間は努力だけではどうにもならない。どんなに望んでも願っても、1年は1年だし百年は百年である。伸びもしないが縮みもしない。佐藤は佐藤だし、鈴木は鈴木である(←深い意味なし) なので、目の前に展示されている美術品などを見ると(もちろんそれが美術品として優れているということもあるけれど)百年以上も前のものがこうやって展示されているというのは、これを大切に保管していた人がいるというわけで、その労力とか志のようなものにも、むむっ、と感じるものがあるわけである。なかには、当時の生活用品なども展示されていて、まさか自分が日常で使っていたモノがガラスケースに収まり、数万人の人たちからじっくりと眺められることになるなんて、どんな気持ちでいるだろうと想像すると、これもまた、むむっ、と感じるものがあるわけである。はたまた、これを海外から運んできた人達のことを考えると到着して開封し、中身を確認するまではさぞ・・・(以下略) そのようなことを考えながら、展示を見て回る。ヴェネツィアン・グラスを見ていた時に、横にやってきたご夫婦が「あ、これと同じものを・・・」「いや、それはこれのコピーだろ?」と、大きな声で話し始めた。どうやら同じようなデザインのグラスを所有されているのか、どこかで見たらしく、その時の思い出を話していた。60代くらいのご夫婦だと思うけれど、こうやって昔に見た作品を「あれは今から20年前に・・・」と話し合える相手がいるというのは、素敵なことだ。ここでもまた「積み重なった時間」のすばらしさを体験させてもらった。 ちなみに自分は、見た物や聞いたものを、わりとかたっぱしから忘れてしまう方だ。覚えているものは頑なまでに詳細まで覚えているのだけど、それ以外の多くのものはすぐに忘れてしまう。時々メモを読み返したりして「おお、自分はこのようなものを見て、こんなことを考えていたのか」と感じることも少なくない。たぶん、今、このようなことを書いているということもすっかりと忘れて、そのうち読み返して「おお」と思うことだろう。 今、ここまで

秋保温泉へいく。

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ここ最近、いわゆる「スーパー銭湯」のような施設に行って、大きな浴槽でのんびりと湯を楽しんできたのだけど、やはりこのあたりで「温泉」にはいりたくなってきた。 そんな訳で出かけたのが、秋保温泉。ここは、仙台市内からも車で1時間ほどで到着することができる温泉街。日帰りで温泉を楽しむには、最適の場所だ。 秋保へ向かい、まず最初に向かったのが「秋保大滝」。いきなり温泉にはいるのではなく、周辺を観光して身体を冷やして?から、温泉を堪能しようという考えである。秋保大滝には何度か来たことがあるけれど、真冬(1月)のこの時期に来るのは初めてだ。 わざわざ、このように小雪が待って風が吹いている時期に、さらに冷え込みそうな滝を見に来る人なんて、自分たち以外にはいないのではないか? と思いつつ、すべりやすい雪の階段を下りて行くと、やはり観光客はいない。自分の他には、大型の一眼レフカメラを構えた男性が、一人いるだけだった。 手すりに近寄り、滝を覗き込むと、見事な滝の姿が見えた。冬だから水量が少ないのではないか、と何となく想像していたのだけど、さにあらず。見事な滝がびしっと冷え込んだ空気の中を、滔々と流れ続けていた。今、ここまで書いて「滝が流れる」なのか「滝が落ちる」なのか、どちらなのだろうと思った。「流れる」だと垂直方向よりも川のような印象の方が強くなるような気がするのだけど、とりあえず今回は「流れる」にしておくことにする。機会があれば、調べてみようかと思う。 さて、本来だと「滝壺」まで降りて行き、できるだけ近くで滝を見てみたいところなのだが、今回は雪も多いし道もすべって危険そうだったので、遠巻きに眺めて帰ることにする。今度は、紅葉の時期にでもやってこようと思う。 秋保大滝を後にして、次に向かったのは「太田豆腐店」だ。秋保に来たならば、ここの豆腐を食べておきたいところ。今回は「竹豆腐(写真)」を店内の椅子に座って、もくもくと食べた。 自分は豆腐が好きなのだけど、豆腐料理なら毎日食べても飽きないと、思うくらいなのだけど、ここの豆腐は大豆の味がしっかりとして、ほのかな甘みと舌にまとわりつくような食感が楽しめるので、とてもおいしい。今回は2種類の竹豆腐があったので、それぞれを食べくらべてみた。同じ「豆腐」でも、オレはこちら、わたしはこっち、という感じで違い

感覚ミュージアムへ行く。

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「感覚ミュージアム」へ行ってきた。このミュージアムは、宮城県大崎市岩出山にある。岩出山、と聞くと歴史が好きな方は「もしかして、岩出山城があるところ?」と地名から連想すると思うのだが、まさにその岩出山城がある(あった)ところである。 今回は、車で岩出山市まで移動した。「仙台宮城IC」で東北自動車道にはいり「古川IC」で47号線へ降りる。そこから西の方へ15分ほど走行すると、感覚ミュージアムへ到着する。時間にすると1時間30分ほど。個人的に、1時間30分を過ぎたあたりから「ちょっと疲れてきたな」と感じることが多いので「目的地までは、あとどのくらいだ?」を意識することが多いので、このくらいの距離と時間が、日帰りのドライブでは、ちょうどいいと感じている。今回も、道は空いていたし、雪も積もっていないので(ここは、宮城県内でも雪深い地域のひとつです。仙台市内では雪が積もっていなくても、この周辺は積雪している場合も少なくないので、お出かけの際には確認することをおすすめします。とりわけ他県からいらっしゃる方は、要確認です)快適なドライブを楽しむことができた。 建物は、感覚ミュージアムというだけに、何か好奇心を誘うような意匠となっている。ところどころに設置されている遊具のようなものも、試してみたくなる。わくわくしながら、入口に向かい入場券を購入(大人500円・平成24年1月現在)する。館内は思っていたよりも入場者でにぎわっていた。他の施設よりも子供連れの家族が多いような印象を受ける。入口奥に設置された、創作楽器(木や竹などで作られた楽器)で遊んでいる音が館内に響いている。がむしゃら?に、楽器を叩いているちびっこ達の様子が微笑ましい。ポコン、ガシャン、という音を聴きながら奥の方へ進む。 パンフレットによると「人間が持つ五感をテーマとする 日本初のミュージアム」とある。設置されている作品を、見る、聞く、触れる、嗅ぐ、というような様々な動作を通じて体験していくという空間になっているわけだ。 空間は大きくわけて「身体感覚空間」と「瞑想空間」の2つのスペースで構成されている。全部で11の作品が用意されていて・・・と、ひとつひとつの作品についての感想を書いていきたいところだけど、あえてそれは止めておこうと思う。先入観なしに、自分の感覚がとらえる印象を楽しんだ方が、より感覚ミ

東北歴史博物館へ行く。

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東北歴史博物館 へ行ってきた。 この施設は、仙台市の隣り多賀城市にある。多賀城市にあるということだけで、なんとなく遠くに感じてしまっていて足が向かなかったのだけど、昨年から個人的に始まっている「もっと地元を知ろう。訪ねよう」企画のひとつとして、出かけてみることにした。 隣の市、というと遠くに感じるような気がするけれど、実際は車で20分も走れば到着する。来てみると、案外近いし、建物も立派だし「もっと早くに来れば良かった」と思う。まあ、人間そんなものである。取り越し苦労で、エネルギーの半分以上を消費する、というようなことを何かの本で読んだような気がするけれど、たしかにそうかもしれないと思う。そのようなことを考えながら、広い駐車場に車をおいて受付の方へ向かう。 ここ 東北歴史博物館 は「東北の歴史を、展示と体験教室・各種講座で楽しく学ぶ博物館です。(宮城県の博物館2011より)」とある。東北地方に関する歴史の資料が展示してある施設ということだ。最近、地元の歴史に興味がわいてきた自分としては、かなり興味を感じる内容だ。入館料は、一般・大学生「400円(平成24年1月現在)で、小・中・高校生は「無料」となっている。かなりお得だ。とりわけ、小・中・高校生のみなさんは、無料なので小・中・高校生の うちに行ってみると良いと思う。自分の場合は小・中・高校生を遥かに越えたあたりになって、このような施設に興味がわいてきたので、もっと子供の頃に一度来てみればよかったと思っている。みなさんの周りに、該当する年齢の子がいたら「東北歴史博物館は、君たちの年齢だと無料らしいぞ」と教えてあげていただきたい。 そして、とうの昔に高校を卒業した自分は、受付で400円を支払い、パンフレットをもらって中にはいる。総合展示室には、東北地方の資料が時代別に展示されていた。大きめの模型や人形もあり、なかなか臨場感があって楽しめる。とりわけ、ここに解説されている内容は「今、自分が住んでいるこの場所の歴史なのだ」と考えると、さらに興味もわいてくるというものだ。 今回特に、自分が気になったのは、縄文人の装飾物に関する資料だった。縄文時代の人たちの装飾物を見ていると、そのデザインや使い方しかり、現代のそれとほとんど変わっていないような感じがした。つまり、素材は変化してきたものの、デザインやコンセ

2011年12月31日。

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数時間後に、この太陽が沈み、初日の出となって戻ってくるわけです。そんな風に考えると、なんだか不思議な感じがします。 津波で崩壊した池に水が溜まり、鳥が戻ってきている! うれしすぎて、手が震えて、なかなかシャッターが押せなかったよ。ありがとう。 そしてまもなく、今年最後の日没がやってこようとしています。僕も、家に帰ります。来年も、やさしい言葉があふれる豊かな一年でありますように。

復興祈願「絆」バッチ。

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復興祈願として「絆」バッチを制作した。 このバッチを制作したのは、この「絆」の文字を書いて下さった、手描き看板職人・上久保さんからの電話がきっかけだった。 上久保さんとの会話の中で「今、大切なことのひとつは『風化させない』ことだ」という話題になった。今回の被害は、5年10年で復興するというものではない。10年、20年単位での復興への取り組みが必要なわけだから、風化させない取り組みも継続していかなければならない、という話になった。 そこで、何かを始めよう、まずはひとつ形にしよう、ということから制作したのが、このバッチである。このバッチを見てもらうことで、震災のことを意識に上げてもらいたい。そして会話を交わしてもらいたい。そんな希望を込めて制作した。 上久保さんの筆文字の力で、シンプルでちいさいけれど、存在感のあるバッチになった。もし、このバッチを目にすることがあれば、ぜひ話をして復興へ思いを寄せていただければ、うれしく思います。 ※「絆バッチ」をご希望の方、各種媒体で「プレゼント」して下さる方には、提供しますのでご相談ください。 問い合わせはこちら >>>

地底の森ミュージアムへ行く

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地底の森ミュージアム へ行ってきた。「地底の森」と聞くと、いったい何の施設なのだろう? と思うかもしれない。実際のところ、自分も「地下にもぐって楽しむアトラクションがある施設」だと思い込んでいた。子供達が、地底に設置された遊具(のようなもの)を使って、楽しむような場所だと思い込んでいたわけである。 そのようなわけで、ずっと足が向かなかったわけだけど、今回とある情報誌を見て「地底の森ミュージアム= 仙台市富沢遺跡保存館」ということがわかり、がぜん興味が湧いたので行ってみることにしたというわけです。 当館へ向かったのは、12月の下旬。かなり冷え込んでいて、小雪もちらつく気候だったので「もしかすると、自分たちしかいないのでは?」と心配をしつつ、駐車場に車をとめ、受付で入場券を購入し(大人400円 平成23年現在)扉を開けて中に進む。扉を開けたとたんに、湿気を多く含んだ温かな空気が、もわっ、と身体を包み込む。ゆるやかに地底の方向へと向かっていく廊下を歩いていくと、いやがおうにも期待感が高まっていく。これから別世界へ行くのだ、という気分になってくる。 そんな気分で曲がった先に広がるのは、富沢遺跡を発掘された状態のまま保管してある「地下展示室」。想像以上の広さ。そして、何ともいえない異様な(実際は、異様でもなんでもないのだけど、そのように感じてしまう。まさに異界といった印象だった)空間が目の前に広がっていた。 柵に近寄って目をこらしてみると、そこには保存のために特殊加工された湿地帯の跡が広がっていた。何かの骨かと思われた物体は、針葉樹林の木々だった。それらが、なんてことのない自然物だとわかっても、やはり不可思議な印象は消えることがなかった。いや、次第に「異様さ」から「神秘さ」に意識が変化してきたように思えてきた。もうしばらく、ここで眺めていたいような気分に変わってきた。 遺跡の上に設置されたスクリーンで、当時の様子を再現した映像を見た後、展示室へ向かう。遺跡から発掘された資料をもとに研究された解説を読んでいくと、いつの間にか「この世界」に強い魅力を感じている自分に気づく。 残された跡から、当時の人たちの行動を推測し、考えていく作業というのは、とても興味深いことに思えた。未来は知ることはできないけれど、過去は知ることができる可能性がある。そして、過

仙台市歴史民族資料館へ

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仙台市歴史民族資料館 へ行ってきた。 この資料館は、榴ヶ岡公園の敷地内にある。それまでに榴ヶ岡公園へは何度も行ったことがあったし、この建物も目にはしていたのだけど、まさかここが歴史民族資料館になっていたとは、全く気がつかなかった。人間は、興味があるものしか視界に入ってこない、というのは本当なのだ、ということを体験から学ぶことができた。 今回、この仙台市歴史民族資料館へ向かったのは、12月の中旬。かなり冷え込む一日だったので、自分たちくらいしか客がいないのではないか、と心配していたのだけど、さにあらず。自分たちの他にも、7〜8人くらいの先客がいた。みんな、熱心に資料をのぞきこみ、うなづくようにして見入っている。中には、ひとつの資料に数分以上の時間をかけて、ていねいに回っている人もいる。この寒い日に、わざわざ資料館にくるくらいの人だから、きっとこのような分野が好きなのだろう(人のことは言えないが)。そんな熱心な人たちに混ざりながら、自分も展示物を見て回る。 ここ仙台市歴史民族資料館では、明治時代から昭和にかけての仙台に関する資料が展示されている。 民族資料館の名前の通り、一般的な生活や風景に関する資料が並んでいるので、とても身近に感じるし、身近なだけに「生きて、生活している」という生々しさのようなものも感じる。 そういえば、祖父が生きていたころに、この「豆炭」を使っていたよな、とか、このタイプと同じ掃除機が家にあったかもしれない、とか、ひとつひとつに深いシンパシーを感じる。 実家にあったものも、ここに寄贈すれば展示してもらえたのだろうか? 自分たちが「もう古いからいらない」と捨ててしまっていたものでも、ほんの30年、40年後の人たちにしてみれば、貴重な資料になりえるのだろうか? そんなことを考えながら、懐かしみながら展示物を見て回った。 考えてみれば、ほんの数十年前までは、仙台駅前も小さな駅舎がひとつあるだけの場所だったわけだ。人が歩き、立ち止まり、その横を車が通り過ぎるような場所だったわけだ。そこに路面電車が走り、道が整備され、ビルが建ち並んで今の風景を作っていく。ほんの(と、いう表現が正しいかどうかは別として)数十年のできごとだ。少なくとも、僕の祖父が見ていた風景とは、全く異なるものになっていることは間違いない。きっと、僕の孫

すばらしい天気。

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今日は、すばらしい天気です。 土曜日の朝は、車が少ないので、 道が空いているので、わりと好きです。 そして、夜には月食を観察しました。 雲もなく、とてもきれいな夜でした。

SENDAI光のページェント 2011

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点灯する前の定禅寺通りの並木道。 雨が静かに降り続いていて、とてもうつくしいです。 そして、光が灯りました。 空を見上げるようにして、並木道は、写真を撮っている人たちで溢れています。 今年、この場所で、この風景を見ることができたことに、感謝と感動で胸がいっぱいになります。 こちらは番外編。PARCOのツリー。 今年もきらめいています。雨も止み、いい感じの週末の夜が過ぎていきます。 2011年、仙台光のページェントが開催された。 報道によると、東日本大震災の津波により倉庫が全損。保管していた電球等を失ってしまったという。その困難を越えて、開催された今年の光のページェント。この日を迎えるまでに、どれだけの苦労があったのだろう。どのくらいの「やさしさ」が集まったのだろう。今年はこうやって、開催されること自体が奇跡的なことなのだ。 毎年、12月になると、定禅寺通りを灯し続けてくれていたSENDAI光のページェント。それは「あたりまえ」のようで「あたりまえ」ではないことなのだ。ほんとうにありがたく、奇跡的なことだったのだ。 これからも、この場所にたくさんの人たちの笑顔が集まり、今日ここに来ている子供達が大きくなるその時まで、10年も20年もキラメキ続けてほしい。みんなで上を見上げて写真を撮ったり、歓声を上げたりしながら、うれしい時間を刻み続けてほしい。心からそう思いました。 SENDAI光のページェント オフィシャルサイト ※募金や協賛についての詳細も確認することができます。 仙台市 定禅寺通りのマップ 大きな地図で見る

仙台市博物館の特別展「仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻」

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仙台市博物館の特別展「仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻」 へ行ってきた。 仙台市博物館へ行くのは、震災直後の「ポンペイ展」へ行ったきりだから、だいたい半年ぶりくらいということになる。 何度来ても、静かで落ち着いていて、ゆったりとした気分になれる、とてもいい空間だ。当日は「初雪が降るかもしれない」と天気予報で言っていたほど、寒く小雨のふる空模様だったけれど(注・11月下旬)博物館の駐車場に到着したとたんに、わくわくして寒空も気にならなくなった。この様子ならば、雪にはならないだろうし、たとえ雪に変わったとしても、すぐに溶けてしまって問題ないだろうと思いつつ館内に向かう。 今回の特別展のテーマは仙台藩にゆかりのある仏像や肖像彫刻、資料などを集めて展示するということだった。自分は、以前から仏像を見るのがわりと好き(信仰という方面からではなく、意匠としての面からなのですが)だ。 丹念に制作された仏像(木像)を見ていると、「触れたら絶対に、温かいにちがいない」と思うくらいに、生々しく像の中心部で生命が躍動しているかのような、印象を受けてしまう。 作者が制作している過程で「それ」が宿るのか。それとも、完成した瞬間なのか。いや、長年多くの人たちが拝み慈しんでいる時なのか。それとも・・・などと、色々なことを想像してしまうくらい、深くやわらかく圧倒的な存在感を持っている。 そういえば、実家にも木彫りの像が置いてあった。たぶん大黒天だと思う。大人が両手で一抱えにするくらいの大きさの像で、かなり重たいものだ。家族に聞いた話だと、親戚だったか親しい知人だったかに制作してもらったものだという。完成してから「これは、祖末にしてはいけない」という第三者からの忠告で、ちゃんとご祈祷をしてもらったというエピソード付きのものである。 子供の時に、奥の薄暗い部屋に置いてあった大黒天は、なんとなく妙な存在感もあり、どちらかというと気持ちが悪い印象の方が強かったことを覚えている。そういえば、あれはどうなっただろう? 確か、家を建て替える時にも保管していたような気がしていたのだけど。今度、家族に確認してみよう。そんなことを思い出しながら、展示室に入る。 今回、特に楽しみにしていたのが「宮城県指定文化財 十二神将立像 陸奥国分寺蔵」である。自分は「十二神将立像」のように

八木山動物園

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11月3日は文化の日。 八木山動物園の入園料が無料になるというので、行ってみることにした。 八木山動物園に来るのは、かれこれ10年ぶり? いや15年ぶり? ここには、仙台に住んでいるというのに、わりと足が向かなかった場所のひとつかもしれない。とにもかくにも、ここに来るのは、本当にひさしぶりだ。動物園の看板が見えてくるだけで、自然に気持ちがワクワクしてくる。 駐車場に車を止めよう、と思い看板の指示に従って進むと、目に飛び込んできたのは駐車待ちの長蛇の列。列に並んだのが、午後2時過ぎ。これはもしかすると、駐車場に車を止めた瞬間に閉館の時間になるのでは?(11月の閉館時間は午後4時)と思いつつ、おとなしく列に並ぶ。自分の前の車は山形ナンバーだった。車の中に、3〜4歳くらいの女の子が乗っていて、後ろから、こちらをじーっと見ている。たいくつしているのだろう。連れが、車内に置いてあったキーホルダーを、その子に向けて振ってみせると、その子も手を振り返してきた。渋滞中の、ほんわかとした一瞬だった。 そんな時間を4〜50分ほども過ごしたあと、ようやく駐車場へ到着。残り時間は、約1時間。たくさんのちびっこ達にまじって、園内へと向かう。天気もいい。最高の遊園地日和だ。遊園地を散策するには、夏には暑すぎるし冬には寒すぎる。春もいいけれど、午後になるとまだまだ肌寒いから、ちょうど今くらいの時期が最適だな、と真っ青に晴れた青空を見上げながらゲートをくぐる。 それにしても、本物の動物を目の当たりにした時の迫力は、すごいものだ。ゆさゆさと身体を揺らして、歩き回っている様子を見ていると遠くから離れて見ているというのに、圧倒されてしまう。風に乗って運ばれてくる、動物のニオイも「生きている」という感じがする。あの動物が、この同じ地球のどこかに、普通に生息(普通、ではない種類もあるわけだけど)していると考えると、不可思議な気分になってくる。 ひとつひとつのコーナーを移動する度に、おー、とか、すげー、などと声を上げながら、写真を撮ったりしながら、たっぷりと楽しむことができた。 その中でも、印象に残ったのが、スマトラトラだ(このページに掲載している写真が、彼です)。ただ座っているだけだと言うのに、身体の周りにすごいエネルギーが漂っているように感じる。背中の辺りに、凶暴なパワーを忍ば

松島紅葉ライトアップ 2011

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夜の松島へ行ってきた。 今回の目的は「松島紅葉ライトアップ」を見にいくこと。毎年、この時期に行われているイベントなのだけど、今年(2011年)も開催されるということで、さっそく行ってみることにした。 まず最初に向かったのは、観光船の船着き場。ここでは、停泊している船内でライブ演奏が行われていた。自分が行った時には、ギターとボーカルの弾き語りのユニットが、ボサノバやジャズを演奏していた。波が上下するのにあわせて、ゆらゆらと揺らめく船内で心地よい音楽を聴いていると、まるでゆりかごに揺られているような気分になった。外に見える、緑色に彩られた五大堂の姿も幻想的な雰囲気を醸し出している。これが無料で楽しめるというのは、本当に贅沢な瞬間だと思う。 30分ほど、ライブ演奏を堪能してから、次に向かったのは、円通院。ここは、紅葉のピーク時には入場制限が行われるほど、たくさんの方でにぎわうそうだ。自分が行った時には、まだ紅葉が始まったばかり(10月30日)ということで、入場客の方はさほど多くはなかったので、ゆっくりと庭園を楽しむことができた。 円通院は、伊達政宗の嫡孫「光宗公」の菩提寺として建立されたわけだけど、境内の一番奥まったところに、光宗公の霊廟である三慧殿がある。ちょうど、近くにいたスタッフの方に解説をしてもらったのだけど、厨子の中に描かれているダイヤやクローバー、ハートなどをかたどったといわれる模様などは、支倉常長による影響が感じられるのだそうだ。霊廟という建物に、西洋のデザインを取り入れるという感覚。いったいどのようなコンセプトで建立されたのかはわからないけれど、とにかく革新的な作業だったのだろうな、と当時の様子を想像しながら、しみじみと考えていました。 ライトアップされた庭園の美しさもさることながら「蛍の灯りをイメージした」という、光と音のイベントスペースも幻想的な雰囲気で、とてもよかった。 ふっ、と左右を見渡すと、ふわっ、ふわっ、と小さな光が灯る様子を眺めていると、心がゆったりとしてきますので、ぜひ体験してみてください。(円通院の拝観料は500円 くわしくは、 円通院のホームページ で) 今回は参加できなかったけれど、円通院では「数珠つくり体験」や「苔玉つくり体験」「蝋燭作り体験」なども行われているとのこと。個人的には「苔玉つくり」に興味を

定義山へ行く(秋)

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定義山へ行ってきた。 正確に書くと「 定義如来西方寺」 へ行った、ということになるのだけど、地元の人間はみな「定義山」と呼ぶし「定義山へ行ってきた」という。特にここで強調するようなことでもないのかもしれないが、私たち地元の人間にしてみると「 定義如来西方寺 =定義山」なので、旅の途中で道を尋ねる際には気をつけて、いただきたい。 それはともかく、この西方寺が設立されたのは「宝永3年(1706年)」だという。単純に計算してみると300年以上も前に設立されたことになる。 西方寺は、仙台市青葉区大倉という場所にあるのだけど、仙台市内から車で約1時間、静かな山間の自然に囲まれた場所にある。 今でこそ車で「今日は天気もいいから、定義山へ行ってみようか」と、気軽に出かけられる距離だけど、300年も前だとかなりの山岳地帯だったのではないか、と想像する。当時の人たちが、ここに詣でる際には、かなりの準備をして出かけてきたのだろう。山を越えて、川を渡り、気持ちを込めて手を合わせたことだろう。そんな風に考えると、色々と考え深いものがある。 こちらには、見事な五重塔がある。塔の前に設置されている椅子に座って眺めていると、本堂の方から鐘の音が静かに聞こえてきた。 当日は小雨がふる、少し肌寒い気候だったのだけど、その風情が心地よくて、しばらく椅子に座って塔を眺めていた。 20代前半の頃に、ここにやってきた時には、ちらっとだけ塔を眺めて、あとは名物の油揚げを食べた記憶しかないのだけど、最近はこうやって静かに建築物を眺める時間を楽しめるようになってきた。これは、そこそこ色々な場所を旅してきて、いろいろなものを見てきたから、それぞれの違いを自分なりに比較して、楽しめるようになってきたからではないか、と思う。そのように考えると、色々な場所を旅することの大切さや、年齢を重ねるのも悪くないな、と思ったりするわけです。 と、そんなことを考えながら、参道の方へと回り、仁王像を見上げ、家に油揚げのお土産を買ってから、定義山を後にした。 今回は秋(10月上旬)の暑くも寒くもない、ちょうどいい一日だったけど、今度は冬のビシッと寒い日や、逆に真夏の立っているだけでも汗が流れてくるような日に、こちらに詣でてみようかなと思いました。 大きな地図で見る

仙台七夕まつり 2011

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仙台七夕祭りへ行ってきた。 ちゃんと七夕祭りへ出かけていくのは、実に5〜6年ぶりのこと。地元の仙台市に住んでいるせいか、「いつでも行ける」と逆に足が遠くなっていたのだけど、今年は色々な意味で、見に行きたいと考えていたので、実際に出かけることができて、とてもよかった。 一番町通りを、たくさんの人達と一緒に歩いていく。いつもなら、人が多くて疲れてしまうところだけど、今年はそれがあまり気にならない。むしろ、たくさんの人達と、こうやって同じ場所で同じ時間を過ごすのも、なんだか悪くないなとさえ思えてくる。 子供の頃は「祭り=屋台」だったけれど、大人になってくると「祭り=たくさんの人が集まる場所」なのかもしれない。たくさんの人が、同じ時間に、同じ場所で、同じようなことを考えて集まっていることが、たいせつなことなのかもしれない。 マックで100円のソフトクリームを食べて、夕涼みコンサートに立ち寄って、屋台でクジを引いている子供達の姿を眺めて帰ってきた。 ソフトクリームは旨かったし、初めて食べた石巻焼きそばも、シコシコして美味しかった。帰り道にマックでシェイクを買い忘れたのが唯一の残念なこと(?)くらいで、それ以外はとても楽しく、ほがらかに過ごすことができた。 来年もまた、七夕祭りに参加できたらいいなと、そんな風に考えています。 仙台七夕まつり 公式サイト >>

4.7 現実の世界が動く音。

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4月7日午後11時32分。 宮城県沖を震源地とした余震が起きた。宮城で震度6強 M7.4。地球にもてあそばれるかのように、体が左右に大きく揺らされる。家全体が、波打っているように感じる。嫌な音が聞こえる。いろいろな音が混じり合った、頭の奥に突き刺さるような音が聞こえる。「またか」と思う。また、3月11日に逆戻りするのか、と思う。 その日の夜(正確には次の日の深夜)。twitterに、以下の文章を書いた。特に、内容のある文章ではない。でも、近い将来、自分自身にとって何かの意味をもたらしてくれるような文章かもしれない、とも感じたので、こちらにも転載し「記録」しておくことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・4月8日 3:03 今回の地震で、五つある本棚のうち、二つが崩壊した。前回の地震で限界だったんだな。長い間、おつかれさん。本の山を壁際に押しやって、外を眺めている。停電で、市内の空が暗くなっている。緊急車輌のサイレンの音。なんだか、少し寒い。今日は眠れそうにないから、考えごとでもしようかと思ってる。 ・4月8日 3:18 そして次々に届く、安否を知らせるメール。しばしの安堵。冷えたお茶を飲む。新しいサイレンの音が聞こえる。原付が走り抜ける音も。さっきよりも、風が強くなってきた気がするので、そろそろ部屋に戻ろうと思う。 ・4月8日 4:31 只今、午前4時30分。完全に眠るタイミングを外したので、このまま朝まで起きていようかと、考えている。新聞配達と思われる、バイクが走り去る音が聞こえる。それは微かだけど、とても頼もしい音のように感じる。現実の世界が確実に動いているのだ、という証拠のように感じられる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 実は(と、あらためて強調するほどの事ではないけれど)1回目と2回目の文章の間に途中まで書いたものの、なんとなく違和感を感じて削除してしまった文章がある。 それは、外に出た時に感じた、風の臭いに関する文章で「なにか、ふしぎな臭いがする。海の臭いのような気もする」と、いうような内容のものだ。 途中まで書き進めた段階で「海の臭い」という表現に違和感をも