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【夏目漱石】今借して上げる金はない。(文豪の手紙を読む)

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今回紹介するのは、 夏目漱石が借金の依頼を断る手紙の一節 です。借金の依頼は、受けるのも断るのもなかなか難しいもの。漱石先生は、どのように対応するのでしょうか? 御手紙拝見。折角だけれども今借して上げる金はない。家賃なんか構やしないから放って置き給え。 僕の親類に不幸があってそれの葬式その他の費用を少し弁じてやった。今はうちには何にもない。僕の紙入にあれば上げるがそれもからだ。 (飯田政良宛ての手紙より一部抜粋) どうやら手紙の相手(飯田政良)は、家賃を払う金がなくて漱石先生に借金の相談をしたようです。そこで漱石先生は 「今は貸してあげる金はない。家賃なんて構わないから放っておけ」 と、借金の依頼を断ります。そして「金がないのは親類に不幸があったからで、財布にあれば貸してあげたいが空っぽだ」と、説明していきます。 ともすれば、湿っぽい雰囲気になりがちな「借金」の話題ですが、このような感じで「金はない」と、 ざっくりと切り捨ててもらった方が少し気持ちが楽になるような (もちろん、お金には困りますが)感じがします。金の切れ目が縁の切れ目、などといいますが、これからも漱石に別件などで相談がしやすくなるような気がします。 それと同時に 「ほんとうにお金がないのかな? 本当はあるけれど、貸したくないからこのような手紙を書いたのではないだろうか?」 と、性格がねじまがった私などは、そんな風に邪推してしまったりもします。そこをなんとか、と食い下がりたくなるような気もします。ところが漱石先生、この時は本当にお金がなかったようで、この手紙はこのような一文で締めくくられます。 紙入を見たら一円あるからこれで酒でも呑んで家主を退治玉え。 (同) 財布を見たら一円あったから、これで酒でも飲んで気勢をあげて、家賃を取りに来る家主を退治してしまいなさい。どうやら、 財布に残っていた「最後の一円」は酒代としてあげてしまったようです。 家主にしてみれば、とんだ災難ですけれど、他人の私たちからすると、なんともほのぼのとするような、落語でも聞いているような気分になりますね。 【佐藤ゼミ】夏目漱石の手紙 【参考文献】 漱石書簡集(岩波文庫) 〰関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter

【文学】漱石山房の冬 芥川龍之介

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夏目漱石、芥川龍之介などと聞くと、 教科書に載っていた歴史上の人物 といった印象が強くて、実際にこの世界に存在していたのだろうか? もしかして架空の人物なのではないだろうか、という気分になる事があります。 もちろん2人はこの世界に存在していて、しかも今私たちが住んでいる日本で生活していたわけです。彼らは約100年前の日本で、どのような時間を過ごしていたのでしょう? 今回紹介するのは、芥川龍之介の「漱石山房の冬」の一節です。ある冬の日に、2人が人がどのような会話をしていたのか、ちょっと覗いてみたいと思います。 又十月の或夜である。わたしはひとりこの書斎に、先生と膝をつき合せてゐた。話題はわたしの身の上だつた。 (漱石山房の冬 芥川龍之介) 「君はまだ年が若いから、さう云ふ危険などは考へてゐまい。それを僕が君の代りに考へて見るとすればだね」と云つた。わたしは今でもその時の先生の微笑を覚えてゐる。いや、暗い軒先の芭蕉の戦も覚えてゐる。しかし先生の訓戒には忠だつたと云ひ切る自信を持たない。(漱石山房の冬 芥川龍之介) 芥川龍之介は、夏目漱石に身の上話をします。それに対して漱石は「僕が君の代わりに考えてみるとすればだね」といった感じで、芥川の立場に立って助言をします。 この時の漱石は、時代を代表する作家先生。後に文豪となる芥川龍之介は、この時点ではまだ若手作家のひとりです。そんな芥川に対し漱石先生は、上から意見を押し付けるわけではなく「君の代わりに考えてみるとだね」と、微笑みながら丁寧に語り掛けている様子が伝わってきます。 相手の自我を尊重し、そこに向き合いながら自分の考えを伝えていく。そして、その言葉を真摯に受け止めようとする芥川龍之介。 2人の文豪が夜に語り合っている様子を想像すると、どこか優しい気分になれるような 気がします。 そして、このような場面を想像してから、漱石と芥川の作品を読み返すと、またどこか違った気配が背後から感じられるような気がするのでした。 【佐藤ゼミ】漱石山房の冬(芥川龍之介)を読む ↪出典 漱石山房の冬(芥川龍之介) 〰関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

「心まで所有する事は誰にも出来ない。」夏目漱石「それから」を読む

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「僕は三千代さんを愛している」 「他の妻を愛する権利が君にあるか」 「仕方がない。三千代さんは公然君の所有だ。けれども物件じゃない人間だから、心まで所有する事は誰にも出来ない。」(夏目漱石「それから」より) 「それから」の主人公・代助は、友人である平岡の妻(三千代)を好きだったんですね。2人が結婚したあとも、ずっと心の中に三千代の姿があった。ところが、数年ぶりに再会した平岡と三千代は、仕事も家庭もうまくいってないように見えた。 そこで代助は、三千代に自分の気持ちを打ち明け、三千代も代助の気持ちを受け入れます。お互いの気持ちを確認した代助は、平岡に会いに行き、二人の関係を報告に行く。その時の会話の場面です。 「愛する権利」 「心まで所有する事は誰にも出来ない。」 この場面を境に、代助の人生には大きな変化が始まっていきます。「それから」の中でも、緊迫感のある名場面のひとつだと思います。 平岡への「共感」 私が初めて「それから」を読んだのは大学生の時でした。その時は「平岡は、もう三千代にに愛されていないのだから、潔く諦めた方が良いのではないか。夫の権利を振り回して、なんだかみっともない感じがする」と感じたことを覚えています。 しかし今回「それから」を読み返してみたところ、平岡の気持ちに共感している自分もいました。結婚するという事は、 覚悟や決意を決め実際に行動に移し、一緒に過ごしてきた時間 が存在するわけです。 確かに「心」は大切です。すべてはそこから発して、そこに戻ってくる。しかし「心」だけですべてを切り取るのも不自然だ。「夫の権利」という立場から、代助に対峙していく平岡の気持ちもわかるような気がしたわけです。そしてこれが、年齢を重ねながら小説を読んで行くおもしろさのひとつではないか、としみじみと感じたのでした。 明治から現代の私たちへ 夏目漱石の「それから」は、明治42年(1909年)に書かれた作品です。すでに100年以上の時間が経過しています。しかし今読み返してみても、 まるで現代の世の中を予見したかのようなテーマが扱われている ことに気がつきます。 自我(エゴ)、個人主義、社会との関わり、様々な視点から発見や考察ができる名作です。気になった人は、読んでみていただきたいと思い今回紹介してみました。 【佐藤ゼミ】夏目漱石「それから」を読む

「百年待っていて下さい」夏目漱石【夢十夜】より

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「百年待っていて下さい」夏目漱石【夢十夜】 今回紹介するのは、 夏目漱石の夢十夜【第一夜】 です。以下、物語の結末に触れる部分がありますのでご注意ください。よろしいでしょうか? それでは始めていきます。 【第一夜】には男女二人が登場します。女性は亡くなる直前に、男性にこのような約束をします。   「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」(夏目漱石 夢十夜より) 女性は男性に、自分が死んだら墓を作って欲しい。そして墓の横に座って待っていて欲しい。100年経ったら会いに来るから、そう約束をして亡くなってしまいます。のこされた男性は、女性に言われた通りに墓を作りその横に座り待ち続けます。太陽が東から昇り西に沈む。何度それを繰り返しても、100年はやってこない。やがて男性は 「自分は騙されたのではないだろうか」 と思い始めます。 すると女性の墓から、青い茎が伸び、その先に真っ白な百合の花が開きます。その百合に触れた男性は 「百年はもう来ていたんだな」 (同) とすでに百年が過ぎ、約束の時になっていたことに気がつく。【第一夜】は、このような話です。  夢か? 幻想か? 物語なのか? 夏目漱石の作品というと、現実的でシリアスな内容だと感じている方が多いのではと思います。しかしこの「夢十夜」という作品は、夢なのか? 幻想なのか? それとも物語なのか? と、とても不可思議な世界が描かれています。 亡くなった女性が100年経ったら会いにくる、と約束をする。男性は墓の横に座って、その時を待ち続ける。百合の花が咲きそれに触れた時、100年はもう来ていたことに気がつく。ロマンティックな話だと感じる方もいらっしゃるでしょうし、なにか背筋がぞくぞくするようなものを、感じる人もいるかもしれません。読み手によって、物語の印象が大きく変化していく作品だと思います。 夏目漱石の「深層心理」を覗き込むように 夢十夜は「夢」という形式を使って描かれた作品です。実際に夏目漱石が見た夢をそのまま書いているのか、それとも「夢物語」という形式を使った創作なのか。その辺は、はっきりとしていません。 ただ「夢」という形式をとることによって、 不可思議で現実離れしたような展開でも、違和感なく頭の中に染み込んでくる と、私は感じています。作品の

あした勝てなければ、あさって勝つ。【夏目漱石 坊っちゃんより】

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困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。(坊ちゃん 四)  こちらは、夏目漱石「坊っちゃん」の一場面です。主人公の「坊っちゃん」は、四国の中学校に数学の教師として赴任するのですが、そこで生徒からいたずらを受けるんですね。ところが生徒たちは、自分たちのいたずらを認めようとしない。知らないふりをしている。その様子に腹を立てた主人公が、生徒に正面からぶつかっていく場面です。 正直が勝つ。明日勝てなければ、あさって勝つ。自分が「正直」と信じることに対して、まっすぐに進んでいく。そんな主人公の様子が感じられて応援したくなってきますし、 リズム感とスピード感のある文体 に乗せられながら、読んでいると妙に元気が出てくる。個人的に「坊っちゃん」の名場面のひとつだと考えています。 漱石の実体験から  「坊っちゃん」は、夏目漱石が松山で教師をしていたときの体験が反映されている、とされています。漱石にとって、松山での生活はあまり心地よいものではなかったようで、正岡子規に宛てた手紙の中でも 「貴君の生まれ故郷ながら余り人気のよき処では御座なく候」 などと書いてもいます。  当時は学歴によって給料が決まっていたため、東京帝国大学出身の漱石は、校長先生よりも高い給料をもらっていました。江戸っ子の漱石と地元の人達との間には、すこし距離ができてしまったのかもしれません。くわしいことはわかりませんが、どこか漱石の考える「正直さ」と少しだけ違った「何か」があったのかもしれません。そのように、 慣れない土地で生活をしている若き「漱石先生」の様子を想像しながら読む のも、また違った発見があるかもしれません。 「坊っちゃん」は勝てたのか? 作品の中には、赤シャツ、野だいこ、など「正直さ」から外れたような人物が登場します。そして「正直さ」を持った人たちが、辛い立場に追いやられていきます。その様子を見た主人公は、彼らと正面から対立していくことになります 。はたして「坊っちゃん」は勝てたのか?   正直さを貫いた先には、どのような場面が待っているのか? その結末は、ぜひ作品を読んで確かめてみてください。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 「夏

「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」【夏目漱石 門 より】

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自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。 (門 夏目漱石) こちらは、夏目漱石の「門」の一場面です。主人公(宗助)は「親友の妻を奪って結婚してしまった」という過去を持っています。その罪の意識を抱えながら、逃れるようにして生活をしてきたのですが、その「罪」は過去からずっと追いかけてくる。どうあがいても逃げることができない。そのような状況で苦しんでいるわけです。そこで宗助は、その解決のきっかけを宗教に求めます。寺に参禅して、悟りを得ようとするんですね。 今回紹介したのは、宗助10日ほど寺で過ごしたあと、現在の自分の状況を考察している場面です。この 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」を私なりに解釈 してみますと、目の前の問題を乗り越えようとする時には、 最初の「門」は自分自身の力でこじ開けなければいけない。最初から他者にすがるのではなく「自力」で精進することが肝要 なのだ。また同時に、 精進するならば「やがて、自力で開けられるものなのだ」 と。そのような意味なのではないかと私は解釈しています。  伸びる生徒 伸びにくい生徒 私は教育の仕事に20年以上取り組んできました。そして、実際に多くの生徒を指導してきて感じることなのですが、目の前の壁を越えて「伸びていく生徒」と「伸びにくい生徒」には、共通点があるのですね。 伸びていく生徒は「壁」があったとすると「まずは自力で一生懸命努力をする」のです。先生から与えられた課題を、自分なりに試行錯誤して地道な時間を積み重ね、なんとか乗り越えようとする。その後 「自分なりに頑張ったのですが、なかなかうまくいかないので教えてください」 と相談にくるのです。 私たちは生徒の状況を見ながら「この部分を見落としているから、ここをこのように修正した方いいですよ」「ここを演習すれば、もっとスムーズに進みますよ」と新しい課題を与えます。生徒はわかりました、と素直に取り組んで試行錯誤して、また質問にやってきます。その地道な繰り返しの中で、本当に活用できる実力を磨いていくのですね。 伸びにくい生徒は、課題に少し手をつけた段階で質問にきます。そして 「他の方法はないですか?」 と質問してきます。しかし別のアドバイスをもらったと

鶴は飛んでも寐ても鶴なり、豚は吠ても呻つても豚なり【夏目漱石 愚見数則より】

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「鶴は飛んでも寐ても鶴なり、豚は吠ても呻つても豚なり」 これは夏目漱石の「愚見数則」の一文です。この作品は 漱石28歳の時に、当時の学生に向けて書いたもの で、20代の若き漱石先生が、人生哲学といいますか処世術といいますか、そのようなものを学生に向けて激を飛ばしている。頭の中に浮かんでくる言葉を叩きつけてくるかのような勢いと熱意を感じる作品です。 私が「愚見数則」を初めて読んだのは、今から15年以上前のことだと思います。 当時の私は、独立起業して試行錯誤の時間が続いていました。なかなかうまくいかない、そして先が見えない作業の連続の中に、ごちゃまぜになりながら生きていた時期でした。 「鶴にはなれない」かも、しれないが。 そのような時に、何かの資料だったか、書籍だったかに添付されていた「愚見数則」を見つけ流し読みをしているうちに、当時の私の目の中に飛び込んできたのが、この 「鶴は飛んでも寐ても鶴なり、豚は吠ても呻つても豚なり」 の一文でした。 その当時の私は、実力不足や得手不得手など「自分ができること」を直視する時間が続いていたので「オレはやっぱり豚だ。どんなに鶴に憧れても、鶴にはなれないのだ」と感じていたので、この一文が突き刺さってきたのだと思います。 「オレは鶴にはなれないかもしれないが、そうだとしても豚は豚なりに生きていこう。空を見上げる気持ちは忘れないでいこう」 と。 そして「漱石は28歳で、このような教養と思考力と文章を書いた。すでに自分は28歳を過ぎている。 天才と凡才の違いというものは、これほどまでに大きいのか 」などと考えながら、目の前の作業を繰り返していたことを覚えています。 人生を100年と考えるのなら。 もしも皆さんが10代の学生であるならば「愚見数則」を読んで、皆さんの 頭の中に漱石の言葉を取り込んでおく ことをおすすめします。漱石先生は「こんなのは読まなくてもいい」とうそぶくかもしれませんが、読んでおくことに越したことありません。すこし難しいと感じる部分もあるかもしれませんが、分かる部分から目を通しておくだけでも意味があります。 10代以外のみなさんも 「自分の中にある10代」の頃を思い出して 、読んでみることも楽しいと思います。 漱石先生は49歳で亡くなってしまいましたが、現代を生きる私たちは100歳まで生きるかもしれません。これから第2第3

【名言】「日本より頭の中のほうが広いでしょう」夏目漱石 三四郎【名作文学を読む】

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「日本より頭の中のほうが広いでしょう」夏目漱石【三四郎】 今回紹介するのは、夏目漱石の三四郎の一場面です。三四郎には、広田先生という登場人物が出てくるのですが、この広田先生と主人公の三四郎が電車の中で会話をしている場面です。  「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」(夏目漱石 三四郎より) 「日本より頭の中の方が広いでしょう」この一文が、とても印象的な場面ですね。私たちは日々の生活をしていると、自覚しているよりも速い速度で思考が狭くなっていきます。 考えるのが面倒になり、今自分が理解できる範囲で世界を切り取ってしまいます。 そのような時に、広田先生の「日本より頭の中の方が広いでしょう」という言葉を読んでみると、確かにそうだなと。精神世界といいますか、発想や想像力などは、現実的な制約がないわけですから、どこまでも広げていくことができる。そのようなことを、ぼんやりと空を見上げるようにして考えてみると、 少し視点が高くなるといいますか、背中を押してもらえる ようなそんな気分になってきます。   三四郎の「時代背景」から では、もう少し、 三四郎が書かれた時代背景などを考察しながら、もう少しこの場面を掘り下げて 考えてみたいと思います。三四郎は、1908年に朝日新聞に連載されました。日露戦争が1904年ですから、戦後の変動期であり西洋の文化や情報が怒涛のごとく押し寄せてきていた時代ですね。 世の中が、意識的無意識的に、 一つの方向に向かって進んでいこうとしている。 強烈な勢いで日本が変容している。そのような時代の中で、夏目漱石は「とらわれちゃだめだ。」と広田先生に言わせています。つまり作品を通して、 日本の現状と社会が進んでいる方向性に批評を行っている わけです。 作品の中でも、 「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。(夏目漱石「三四郎」より) と、 痛烈な批評を行っています。「滅びるね」これはおそらく、漱石自身の考

【読書】「あなたは本当に真面目なんですか」夏目漱石「こころ」より

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「あなたは本当に真面目なんですか」 今回は、夏目漱石の「こころ」という作品の中から、ある場面を抜き出して皆さんに紹介してみたいと思います。 この 「こころ」という作品には「私と先生」という人物が登場します。 「私」は、「先生」に対して「先生は、何かを隠しているのではないか?」と、感じています。そして、その隠していること教えてほしい、教えてもらうことによって人生の教訓にしていきたいと考えています。そして「先生に、ぜひ教えて欲しい」と頼むのですね。 しかし、先生は「あなたに教えることではない」と教えてくれません。それでも「私」は諦めることはできなくて、なんとか教えてもらえませんか、と懇願していきます。今回紹介するのは「私」が「先生」に「隠していることを、教えてほしい」と、頼んでいる部分を抜き出して紹介してみたいと思います。 「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」 「私の過去を訐いてもですか」 訐くという言葉が、突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。 「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」(夏目漱石「こころ」三十一より抜粋) 「先生」が「私」に向かって「これから私はあなたに自分の過去を話そうとしている。私の秘密を話そうとしている。それを受け取るあなたは、本当に真面目なんですか」と話しかけています。 「真面目」という言葉が読んでいる私達にもまっすぐに響いてくる。「先生」が何かを真剣に伝えようと決断した雰囲気が伝わってくる 素晴らしい場面だと思います。 小さな好奇心が「過去も現在も未来」も脅かしてしまう 私達には 「誰かの秘密や、過去」を知りたいという欲求 がありますよね。好奇心といいますか、そのような感情があると思います。そして実際に、皆さんが今まさに手にとっている、小さなスマートフォンが一台あるだけで、調べたいと思っ

【読書】「とかくに人の世は住みにくい。」【草枕 夏目漱石】

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今回の【コサエルラジオ】で、紹介するのは「草枕」夏目漱石です。実際に作品を手にするきっかけにしていただけたら幸い。 山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい 夏目漱石「草枕」より 【内容】  草枕「冒頭部分」の解説 110年以上前から「人と人 人と社会」の関係は変化していない? 草枕はコンセプチュアルな作品 何年も繰り返し楽しめる作品 【コサエルラジオ】「とかくに人の世は住みにくい。」【草枕 夏目漱石】 ※コサエルラジオは、 Apple Podcast   Amazon Music   Stand.fm で配信中(内容は全て同じ&無料でご視聴いただけます) 「夏目漱石」に関する記事

【名言】火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。【文豪・夏目漱石の手紙】

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夏目漱石の手紙より 「あせっては不可ません。頭を悪くしては不可ません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」 これは、 夏目漱石が門下生である「芥川龍之介 久米正雄」に宛てた手紙の一文です。 この当時、漱石は時代を代表する作家。のちに文豪になる芥川は大学を卒業したばかりの新人作家。血気盛んに文壇に足を踏みいれようとしている芥川にとって、師匠である漱石先生の 「あせっては不可ません」という言葉は、深く心に染み渡ったであろう ことは、想像に難くありません。 私(佐藤)が起業した時の話 実際に私(佐藤)も、若い時はせっかちで、考えたことをすぐに行動に移したくて、でも結果につながらなくて、ほんとうに焦りました。周りの同世代の人たちが、家庭を持ち安定した居場所を手にし始めている中、何ももっていない自分の姿を見ると 「これでいいのか?」「もっと別の道があるのではないか?」 と、夜も眠れず、昼間に居眠りをしながら考えたものです。 そんな時に、この漱石先生の言葉を思い出して 「うんうん死ぬまで押すのだ」 と、自分を奮い立たせていたことを思い出します。私は、才能がありませんから、芥川のような世界を驚かせるような仕事はできませんが、それでも「うんうん」やってこれたのは、この言葉を知っていたからだと思うのです。 未来をつくる 起業家・社会人・学生のみなさんへ これから新しい挑戦をする若手の起業家、社会人、学生のみなさんにも、この漱石の言葉を覚えておいていただきたいと思います。19年前の私がそうだったように、 いつかどこかで心を奮い立たせる力 になると思うからです。 人生は何かを成し遂げるには短すぎます。しかし、それでも私たちは「何か」を作り続けなければいけません。 「一瞬の記憶」ではなく、少しでも遠くまで届くものを作っていきたい。 そう願い、志す人には、きっと必要な言葉だと思うからです。 漱石はこの手紙を書いた数ヶ月後に亡くなってしまいます。 49歳あまりにも早すぎる最期でした。しかし、100年以上も経過した今、この現代でも読み継がれる「言葉」となって生き続けています。あらためて漱石先生のすごさを実感したのでした。 関連 「人生哲学」に関する記事 「夏目漱石」に関す

夏目漱石「こころ」あらすじ解説

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はじめての文学入門 夏目漱石「こころ」あらすじ解説 今までに、たくさんの人から「こころ」の感想を聞いてきました。「こんなに長い小説を読んだのは初めてです」「さいごまで、夢中になって読みました!」というような感想を耳にする反面「挑戦してみたけれど、難しくて挫折してしまった」「長いので、なかなか手が伸びない」という感想も受けてきました。 個人的に「こころ」は 「読んでおきたい文学作品のひとつ」 だと考えているので、読まずに過ごしてしまうのは「もったいない」と考えてきました。そこで今回は、音声で「こころ」のあらすじを解説してみることにしました。 一度、録音を始めてみると、予定以上に長くなってしまったため「前・後編」の2つに分けて編集してみました。 前編は「上 先生と私 中 両親と私」 までのあらすじ解説。 後編は「下 先生の遺書」 のあらすじ解説になります。 これから読む人はもちろん、もう一度読み返して見たい人も、ぜひご視聴ください。作品を楽しむきっかけになれば、幸い。 「こころ」あらすじ 「上 先生と私 中 両親と私」 「こころ」あらすじ 「下 先生の遺書」 ✏関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」 ✂関連: 文章力講座に関する記事一覧

【日本文学テスト】この冒頭文の作品名は何?(夏目漱石編)

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【文学テスト】夏目漱石 冒頭文を読んで作品名を答えよ Googleフォームを利用して、文学テストを作ってみました。今回は夏目漱石(全15問)です。 冒頭文を読んで、作品名を答えて みてください。全問正解しても、特に何もありませんが楽しんでいただけると幸いです。 読み込んでいます... ※「送信」をクリック後、画面が真っ白になる場合は、上にスクロールすると「答え合わせ」のページに進めます。本テストは無料です。