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【ふかよみ日本文学】「桃」は、邪気(鬼)を払う果物!?

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古事記に登場する「桃」の役割とは? 前回は「柿」について書きましたが、今回は「桃」について深読みしながら考えてみたいと思います。 「古事記」の中で、イザナギの命は桃を投げつけることで 「黄泉の国から追いかけてくる鬼の軍勢を払い」 ます。 桃は「邪気(鬼)を払う霊力が備わった果物」 として登場するわけです。 あの女神の身體中に生じた雷の神たちに澤山の黄泉の國の魔軍を副えて追わしめました。そこでさげておいでになる長い劒を拔いて後の方に振りながら逃げておいでになるのを、なお追つて、黄泉比良坂の坂本まで來た時に、その坂本にあつた桃の實を三つとつてお撃ちになつたから皆逃げて行きました。そこでイザナギの命はその桃の實に、「お前がわたしを助けたように、この葦原の中の國に生活している多くの人間たちが苦しい目にあつて苦しむ時に助けてくれ」と仰せになつてオホカムヅミの命という名を下さいました。 (古事記より) 桃太郎が、桃から産まれた理由 なるほど。桃には鬼を退治する力があるのか・・・と、ここでみなさんの頭には、あの有名な物語が思い浮かぶと思います。そう 「桃太郎」 ですね。 桃太郎は「桃から産まれる」ことに意味があり「桃太郎」と名付けられることで 「鬼退治の役割」を担っている という象徴になるわけです。流れてくる果物は柿でも林檎でもなく、桃でなければいけなかった。「川からどんぶらこ、と流れてきた桃から子供が産まれた」という背景には、このような意味が込められていたのです。 これから小説や、映画、絵画などを鑑賞する際に「 桃」が登場した場合は「これは邪気を払う象徴なのではないか?」と、深読み してみるのも面白いと思います。もしもそうであれば、作者の意図を汲み取って理解できた、ということだし、そうでなかったとしても、そこから考察をして広げていける面白さがあると思います。ぜひ、いろいろと深読みをして楽しんでみましょう。 三四郎(夏目漱石)にも「桃」が登場 ちなみに、夏目漱石「三四郎」にも、三四郎が上京する場面で「桃」が登場します。 髭のある人は入れ代って、窓から首を出して、水蜜桃を買っている。 やがて二人のあいだに果物を置いて、 「食べませんか」と言った。 三四郎は礼を言って、一つ食べた。髭のある人は好きとみえて、むやみに食べた。三四郎にもっと食べろと言う。三四郎はま

【江戸川乱歩】君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。(D坂の殺人事件より)

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君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。 D坂の殺人事件 江戸川乱歩より   今回紹介するのは、 江戸川乱歩「D坂の殺人事件」に登場する、明智小五郎の台詞 です。私たちは、何かを推理しようとする時には様々な情報を集めていきます。そして集まった情報から「答え」を導き出していきます。 しかし、そのような表面的で物質的な情報だけで推理しても真実にはたどり着けない。得られた情報だけで満足するのではなく、 情報の背後に存在する「人間の内面的な心理」について考察していかなければいけない 。と、明智小五郎は説明していきます。 これは、私たちにも必要な視点です。現代は、スマホがあれば一瞬で検索することができます。そして膨大な情報量に触れることによって 「もう充分に調べた = わかったつもり」 になり思考を止め、批評を始めてしまいます。その結果、あらたな悲劇を生み出してしまうことも少なくありません。 大量の情報に触れることは、ある種の安心感と心地よさをもたらしてくれます が、心地よさに酔ってしまい、そこから思考を深めていく過程を省略してしまう危険性があります。情報量で満足せず、より根本的な部分まで考察していく流れを途切らせないようにしたいものです。 明智小五郎の部屋 「D坂の殺人事件」を魅力的にしている要素のひとつが、 探偵・明智小五郎のキャラクター にあることは、もはや疑う余地のないところでしょう。私自身、子供の頃にこの作品を読んだ時「明智小五郎いいなあ。こんな風に頭が切れて、飄々と振る舞いながら様々な問題を解決できたらかっこいい!」と、その個性的なキャラクターにすっかり魅了された記憶があります。 そんな明智小五郎は、どのような部屋に住んでいるのでしょうか? この作品内に彼が住んでいる部屋を描写した部分があるので紹介してみましょう。 ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消てしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。  何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具

【江戸川乱歩】「世の中に一番安全な隠し方は、隠さないで隠すことだ。(二銭銅貨)」

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「世の中に一番安全な隠し方は、隠さないで隠すことだ。(江戸川乱歩 二銭銅貨)」 「脳は一度見たものは、二度見ない」という一文を、どこかで目にしたことがあります。脳は情報処理をスムーズに行うために「一度見たものは、もうすでに把握した = 見る必要がない」と判断する機能があるらしいのです。 つまり「これは認識した!」と判断してしまったものは「もう確認する必要がない」と判断してしまうので、 たとえ視界に入っていたとしても違いには気がつかない。 すでに脳の中に存在している情報だけで済ませてしまうわけですね。 このような「脳の働き」を悪用すると 「隠さないで隠すこと」が可能になる わけです。隠すという行為は、不自然さを伴うことが少なくありません。そこで「こんなところに隠すはずがないだろう」と思い込んでいる場所に堂々と隠すことで、疑われずに隠し通すことができるというわけです。 逆に考えるならば「ずっと探していたもの」ほど、目の前に存在する のかもしれません。 「灯台元暗し」 ということわざがありますが、あまりにも身近だと気がつきにくく「探し物は、遠く見えにくい場所にある」という思い込みのようなものもあるので、なかなか見つかりにくくなるのですね。 探していたものは「目の前」に存在する 実際に私は、 キャッフレーズの制作の時などに「どこが今回のポイントになるのか?」と、企業のみなさんから話を伺いながら探していく のですが、多くの場合それは「目の前」に転がっていることが多いのです。 企業のみなさんにしてみれば、毎日目にしていることなので「普通」に感じてしまうことの中に「お客さん(他者)からすると、魅力的に感じる」ものが眠っているものです。私の仕事は、 それを発見し拾い上げることが最初のステップ になるわけです。 大切なことは、目の前に隠れている。 しかし、私たちが「それ」に気がつくことは難しい。 このように考え、目の前のことに意識を向けてみると、ずっと探していた答えがそこに隠れていることを見つけられるかもしれません。 追記:今回紹介した 「二銭銅貨」 は、江戸川乱歩のデビュー作です。デビュー作でありながら、独特の世界観を構築しつつ本格推理小説として完成度の高い作品に仕上げられているところに、江戸川乱歩の才能を感じます。興味をもった方は、ひきつづき 「D坂の殺人事件

【夏目漱石 こころを読む】急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。【文豪の名文に触れる】

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今回は、夏目漱石「こころ(上 先生と私)」から、先生と私が会話をしている場面を紹介します。 「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。  先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。 「みんな善い人ですか」 「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」 「田舎者はなぜ悪くないんですか」  私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」  先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後の方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。 【夏目漱石 こころより】 「私」の父親は、体調を崩しあまり良くない状態です。それを知った先生は「父親が元気なうちに、財産を整理してもらった方がいい」と提案をします。 主人公は、なぜ先生がそのような話をするのかわかりません。いつものような雑談だと考えつつも、その背後に 「どこか普段とは違った気配」 を感じますが人生経験の少ない主人公にはそれを理解することができません。 後半の「下 先生と遺書」で、なぜ先生がこのような話をした理由があかされるのですが、そこには先生自身の辛い過去の体験が存在していたことを「私」は把握します。先生は雑談などではなく、 自らの人生で学んだ教訓として語りかけていた のでした。そして、主人公が「それ」を理解するのは、先生が亡くなってしまってからなのです。 「こころ」=「恋愛小説」ではない? 「こころ」という作品は「先生= K = お嬢さん」の三角関係の恋愛小説 だと考えている方も、少なくないかと思います。もちろん「三角関係」というモチーフが「こころ」という作品が読み手の心を捉える重要な役

【正岡子規】柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

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柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 (正岡子規) 今回紹介するのは 正岡子規 の俳句です。「柿を食べていると、法隆寺の鐘の音が聞こえてきた」もはや何の解説も不要なほどわかりやすく、しみじみと深まっていく秋の気配の中で作者がそれを全身で受け止めている様子が伝わってくる名作です。 私がこの作品を初めて目にしたのは、国語の教科書だったか資料集だったか、正確には忘れてしまいました。妙に印象的な頭の形をした正岡子規の横顔の写真と一緒に掲載されていたように思います。「俳句 = むずかしい = おとなむけ」と感じていた当時の私にとって、この作品は 「なんとなくわかるような気分」 にさせてくれた作品でした。 技法とか難しいことは理解できないし、どこが凄い作品なのかを説明することもできないけれど「このような俳句ならば、もっと読んでみたいなあ」と、 なんとなくうれしく 感じさせてくれた作品だったことを覚えています。 夏目漱石「三四郎」の中の子規 この作品には「柿」が重要なモチーフとして登場しますが、実際の正岡子規も柿が大好物だったようです。夏目漱石の「三四郎」の中にも、 子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。(夏目漱石 三四郎より)」 と、正岡子規が柿を食べるエピソードが登場します。大きな樽柿を十六も食べて普通にしているというのは、漱石でなくてもまねはできませんが、そこまで「柿」が好きだった正岡子規が、秋の奈良で法隆寺の鐘の音を耳にしながら「柿」を頬張る時間。 目に見えるもの、聞こえる音、そして味覚。秋の気配とともに感じる「それ」は、さぞ至福の時間だったことであることは想像に難しくありません。そして読み手である私たちはそのような作者の気分を、 17文字の言葉の奥 に感じ取っているのかもしれません。 (追記) 数年ほど前に、奈良へ旅をしたことがあります。(参考: はじめての奈良旅 )3泊4日の日程で旅をしたのですが、とてもたのしくおもしろく、観光してみたい場所がまだまだ、たくさんのこっています。 現在は国内旅行もむずかしい状況ですが、またいつの日か奈良へ行ってみたい。樽柿を食べながら法隆寺を眺めてみたい。そんなことを考えていると、この厳しい状況をなんと

【夏目漱石】あの手紙を見たものは 手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。(文豪の手紙を読む)

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今回は、夏目漱石が門下生の森田草平に宛てた手紙の一節を紹介します。 余は満腔の同情を以てあの手紙をよみ満腔の同情を以てサキ棄てた。あの手紙を見たものは手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。君の目的は達せられて目的以外の事は決して起る気遣いはない。安心して余の同情を受けられんことを希望する。 (夏目漱石 森田草平宛書簡より一部抜粋) 森田草平は、漱石に宛てた手紙の中で「自分の生い立ち」に関する告白をします。それは森田が誰にも話せず秘密にしていたことであり、ずっと悩んでいたことでした。それを読んだ漱石は「読み終わって、すぐに手紙を裂いて捨てた。あの手紙を読んだのは夏目金之助(注 夏目漱石の本名は金之助です)だけである。他の人に知られることは決してないから安心しなさい」と返信します。 漱石と森田の間に存在する信頼関係。それは師匠である漱石が「上から意見する」というものではないように感じます。相手の自我を尊重し、あくまでも自分の個人的な意見として伝える。そして、 約束は絶対に守る。 この短いの文章の背後には、そのような言葉と信念のやりとりが感じられるように思います。 秘密を守らないことで、失っていくもの 昨今は「秘密」だったはずの内容が、瞬く間に拡散される世の中です。本来ならば、秘密を公開した人は非難され信頼を失うわけですが、逆に周囲から評価を受け注目を集めるような気配もあります。それは、著名人だけでなく、私たちのような一般人のレベルでも同様で「ちょっと調べれば、大抵の秘密は明らかになる」ような状況です。 私たちは、この状況に麻痺してしまい、いやもう少し正確に表現すると、 秘密を守らないことで失うものの大きさを理解できず に、ただなんとなく手元のスマホで情報を検索しています。そして発信していきます。もはや、私たちが失われたものを把握し理解できることは困難かもしれません。失っていることを気がつかないまま、または、わかっているつもりで生涯を終えてしまうのかもしれない。 言葉のやりとりの背後には「信頼」が存在する。信頼が存在するからこそ、言葉を通した交流が生まれていく。言葉のやりとりとが、簡単にできるようになってしまった、大量生産が可能になった現代では「言葉」も消耗品になってしまった。「軽く」考えられるようになってしまったのではないか。。 漱石の 「あの手紙を見たも

【うつくしい日本語】今日からつくつく法師が鳴き出しました。(夏目漱石の手紙より)

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今回は、夏目漱石が、久米正雄と芥川龍之介に宛てた手紙の一節を紹介します。 今日からつくつく法師が鳴き出しました。もう秋が近づいて来たのでしょう。私はこんな長い手紙をただ書くのです。永い日が何時までもつづいてどうしても日が暮れないという証拠に書くのです。 夏目漱石(久米正雄  芥川龍之介 宛の手紙より一部抜粋) 手紙を書くのは時間がかかります。長い手紙を書くとなれば、それなりに長い時間が必要になります。漱石は「時間がゆっくりと過ぎていく。こんなに長い手紙を書いているのに、まだ日が暮れない」と、久米・芥川の両氏に語りかけるように言葉を紡いでいきます。 この手紙が書かれたのは、8月21日。夏が過ぎ去ろうとしている先には、秋の気配がある。蝉の声に囲まれながら、そのような情景の中に座っている漱石先生の様子が浮かび上がってくる「うつくしい日本語」だと私は思います。 「うつくしい日本語」とは? 先日「うつくしい日本語」という言葉を目にしました。その時私は「うつくしい日本語とは、どのようなものなのだろう」と考えを巡らせました。それはもちろん、その人によっても異なるだろうし、状況や時代によっても変化します。考察する視点によっても異なるでしょう。 そんな時に「では、私(佐藤)にとっての『うつくしい日本語』とは、どのようなものだろう」と考えた時、今回紹介した夏目漱石の一文が思い浮かんだのでした。あらためて読み返してみても、やはり「うつくしい」と感じる。それは、表面的な技巧ではなく、 漱石が存在していた景色と、心情、そして読み手への深くやさしい思い。そのようなものが広がっているこの手紙は、私には「うつくしい日本語」と感じられた のでした。 晩年の漱石先生が、見ていた世界 漱石は、この手紙を書いた年の12月に亡くなってしまいます。漱石にとって最後の夏は、蝉の声に包まれた、すべてがゆっくりと過ぎる時間だったのでしょう。そのようなことを考えながら読み返してみる度に、うつくしさが心に沁みてくるような気がするのです。 【参考文献】 漱石書簡集(岩波文庫) 【佐藤ゼミ】私の「美しい日本語」夏目漱石編 〰関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【石川啄木】友がみな われよりえらく 見ゆる日よ ……(一握の砂より)

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今回は、歌人・石川啄木の作品を紹介します。 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ 石川啄木「一握の砂」より 友人たちが出世して、自分よりも偉く見えた日には、花を買って帰り妻と親しみながら、そんな気持ちを慰めるのだ。しみじみとした切なさと、そのような自分を家で待っていてくれる妻への思いが表現されている一首ですね。 春になると人事異動などで環境が変わり、普段連絡をとらなかった友人たちから連絡が届いたりしますが、そんな時に「ああ、あいつも偉くなるんだな」と、しみじみと自分の情けなさを感じる時がありますが、そんな時に胸に響いてくる作品のひとつだと思います。 啄木は、作品と真逆の性格!? この作品を読むと「石川啄木は愛妻家だったのだな」と感じる人も多いかと思います。ところが実際のところは、その真逆だったようです。 結婚式を「すっぽかし」し、結婚後も複数の女性と関係を持ち、給料は自宅に入れずにさらに借金をして「女遊び」をする。花を買って帰るどころか、家にも帰らずに遊び歩いている。啄木には、 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る 石川啄木「一握の砂」より という作品がありますが、いやいやそんな金の使い方をしていては当然でしょう、と思いっきりツッコミたくなりますね。作品に表現されている「純朴な世界」とは、真逆の生活を送っている啄木と一緒では、奥さんもさぞ苦労したことでしょう。 作品と作者は、別のもの? 「作品と作者は切り離して考えるべき」 なのだから、啄木がどのような人間性だったとしても作品の素晴らしさは変わらない、と考えるべきか。それとも、啄木の振る舞いを知ってしまうと、作品を素直に鑑賞できない、と感じてしまうか。みなさんは、どちらでしょうか? 私個人としては、啄木の 生涯について知るほどに作品への興味が増し、色々と楽しくなってくる 気がします。ははあ、つまりこれは、このような心理の表れなのではないか、と一人で作品の背後にある状況を想像しつつ、さらに調べてみたくなります。(ちなみに、盛岡には「啄木新婚の家」が保存されているのですが、実際に訪問してみました。こちら→「 啄木新婚の家へ行く 」) まずは作品そのものを楽しむ。さらに気になった作品は作者についても調べてみる。そんな風にして「作品と作者の関係」

【名言】恋愛とは何か。(太宰治 チャンスより)

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太宰治の「恋愛論」 今回紹介するのは、 太宰治が「恋愛」について書いた文章 です。様々な女性と関係を持ち、魅了してきた太宰治。彼は「恋愛」について、どのようなことを書いているのでしょうか? 少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。 (チャンス 太宰治より) 太宰は「チャンス」という作品の中で「恋愛とは、チャンスから始まるというわけではない」と説明していきます。「ふとした事」「妙な縁」「きっかけ」などで恋愛が始まり、発展したことは太宰自身の経験から一度もない。 どんなに「チャンス」があったとしても、まず最初に 「意思」がなければ恋愛は始まらない。 「いや、自分はふとした事から恋愛が始まった」と主張する人も、それ以前に虎視眈々と 「きっかけ」を作ろうともがいている「意思」があった からこそ関係が始まったのだ、という内容が語られていきます。そして、 恋愛とは何か。曰く、「それは非常に恥かしいものである」と。 (同) このように結論していきます。この「恋愛論」の背後には、恋愛を高尚なものと考える人たちを批判する太宰の思想があります。「恋愛至上主義」という言葉は「色慾至上主義」と言い換えたらどうだ、などと嘯いてもみせます。恋愛は、もっと欲に満ちたものなのだ。ゆえに 「恋愛とは、恥ずかしいものである」 と主張していくのです。 この作品を読んでいると、 妙に納得させられる部分と同時に、うまく言葉にできないような反発心(のようなもの)も生まれてきます。 この矛盾した感覚を与えてくれるのが、太宰作品の魅力のひとつだと、私は個人的に考えています。色々な意味で、いかにも「太宰らしい恋愛論」だな、と私は感じたのですがみなさんはどうでしょうか?  人生をチャンスだけに、頼ってはいけない そして、この作品は「どんなにチャンスがあったとしても、そこに意思がなければ恋愛には進まない」という具体例として、高等学校時代の太宰の体験談が語られたあと、このような一文で締めくくられます。 恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。 (同) この一文には、私個人の体験からもおおいに共感します。チャンスは意思を持ち行動した人のところにやってくる。いや 「意思」を持たない人のところには、それがチャンスであるこ

【夏目漱石】今借して上げる金はない。(文豪の手紙を読む)

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今回紹介するのは、 夏目漱石が借金の依頼を断る手紙の一節 です。借金の依頼は、受けるのも断るのもなかなか難しいもの。漱石先生は、どのように対応するのでしょうか? 御手紙拝見。折角だけれども今借して上げる金はない。家賃なんか構やしないから放って置き給え。 僕の親類に不幸があってそれの葬式その他の費用を少し弁じてやった。今はうちには何にもない。僕の紙入にあれば上げるがそれもからだ。 (飯田政良宛ての手紙より一部抜粋) どうやら手紙の相手(飯田政良)は、家賃を払う金がなくて漱石先生に借金の相談をしたようです。そこで漱石先生は 「今は貸してあげる金はない。家賃なんて構わないから放っておけ」 と、借金の依頼を断ります。そして「金がないのは親類に不幸があったからで、財布にあれば貸してあげたいが空っぽだ」と、説明していきます。 ともすれば、湿っぽい雰囲気になりがちな「借金」の話題ですが、このような感じで「金はない」と、 ざっくりと切り捨ててもらった方が少し気持ちが楽になるような (もちろん、お金には困りますが)感じがします。金の切れ目が縁の切れ目、などといいますが、これからも漱石に別件などで相談がしやすくなるような気がします。 それと同時に 「ほんとうにお金がないのかな? 本当はあるけれど、貸したくないからこのような手紙を書いたのではないだろうか?」 と、性格がねじまがった私などは、そんな風に邪推してしまったりもします。そこをなんとか、と食い下がりたくなるような気もします。ところが漱石先生、この時は本当にお金がなかったようで、この手紙はこのような一文で締めくくられます。 紙入を見たら一円あるからこれで酒でも呑んで家主を退治玉え。 (同) 財布を見たら一円あったから、これで酒でも飲んで気勢をあげて、家賃を取りに来る家主を退治してしまいなさい。どうやら、 財布に残っていた「最後の一円」は酒代としてあげてしまったようです。 家主にしてみれば、とんだ災難ですけれど、他人の私たちからすると、なんともほのぼのとするような、落語でも聞いているような気分になりますね。 【佐藤ゼミ】夏目漱石の手紙 【参考文献】 漱石書簡集(岩波文庫) 〰関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter

【文学】読み返すのが怖い、読み返す自信がない。(山本周五郎)

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じつのところ、私は自分の書いたものを読み返したことはない。どんな短い一編にも、それぞれに愛着はあるが、客観的に成功したと思えるものは一編もなく、むしろ読み返すのが怖い、読み返す自信がない、と言うのが本音だろうかと思う。 すべては「これから」 山本周五郎より こちらは作家・山本周五郎 すべては「これから」の一節です。「 縦ノ木は残った 」「 赤ひげ診療譚 」など多くの名作を生み出し、様々な文学賞の候補になるものの、それらを辞退(直木賞を辞退した唯一の作家です)。そのような作家の 「読み返す自信がない」 という一節には、自身の文学世界を追求し貫いた深いこだわりと、思索の様子を垣間見れるような気がします。 「自信」を待っていては、いつまでも始まらない 私は今までに、多くの方たちの文章を見せていただく機会に恵まれました。そのように、真面目に勉強をされている方たちは 「まだ自分には実力がない。挑戦する自信がない」 と口にされることが多いものです。 しかし、 自分が納得できるような「自信」が身につくまでには、おそらく10年20年以上の時間が必要となるでしょう。 様々な文学作品などに親しみ「名文」に触れてきた人であれば、その凄みが実感できますから、なおさらです。 山本周五郎のような名作を生み出し続けた作家であったとしても「読み返す自信がない」としているわけですから(もちろん、この「自信」というレベルが私たちが考えているそれとは、大きく異なりますが) 自分が納得する自信が身につくのを待っていては、いつまで経ってもたどり着けない ことになります。 その時にしか「表現できない」ものが、ある。 もしも今皆さんが 「何かに挑戦したいと思っているけれど、自信がないからできない」 と感じているのであれば、この山本周五郎の言葉を思い出し 「自信がないのは当然なんだ。恥をかくことで学び、成長できることがあるはずだ」 と、挑戦していくことを最優先事項にしてみるのも、いいのではないかと思います。 今自分ができるベストを尽くす。それは、10年後の自分からすれば「レベルの低いもの」になるでしょう。それを消してしまいたくなる衝動も感じるでしょう。実際に私も、10年前の私の文章や言葉が掲載されている書籍などは「なかったこと」にしたくなります。あれは自分ではない、と嘯いてみたくもなります。

【文学】作家のラブレター 小林多喜二編

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「闇があるから光がある」そして闇から出て来た人こそ 一番ほんとうに光の有難さが分かるんだ (小林多喜二 田口タキへの手紙より) こちらは「蟹工船」の作者 小林多喜二が恋人に送った手紙の一節です。電気が途絶えた真っ暗闇の場所では、ろうそくの微かな灯りが心を満たす強い光になるように、闇の深さを知っているから、光のありがたさ、すばらしさがわかる。そのような想いを込め、愛する人へ向け、心の奥からまっすぐに発せられた言葉が印象的な一節だと思います。 小林多喜二は、プロレタリア文学(労働者の厳しい現実を描く)を代表する作家として活動します。「蟹工船」では船内で酷使される労働者の姿を描き注目を集めますが、その思想から警察にもマークされるようになります。結果、特高警察からの拷問を受け、29歳の若さで亡くなってしまうことになります。 そのような作者の壮絶な人生を振り返りながら、この手紙の一文を読むと、小林自身が「ほんとうに光の有り難さがわかる時がくる」と信じ、周囲にも自分にも言い聞かせながら生きていたのではないか? そんなことを考えたりします。 世の中は幸福ばかりで満ちているものではないんだ 不幸というものが片方にあるから幸福ってものがある そこを忘れないでくれ(同) 私たちは「好き嫌い」だけで判断してしまうことが増えてきたように、思います。個人の感情と目の前の状況だけで、すべてを切り取ってしまいます。それが何を意味しているのか。この行動は、どのような未来につながっていくのか。その暗闇の奥に、私たちは何を見ることができるのか。そんなことを考えました。 【佐藤ゼミ】作家のラブレター(小林多喜二編) 〰関連 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【文学】グスコンブドリの伝記 宮沢賢治より

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「人はやるだけのことはやるべきである。けれどもどうしてもどうしてももうできないときは落ちついてわらってゐなければならん。落ち着き給へ。」 (グスコンブドリの伝記 宮沢賢治)」 こちらは主人公のブドリが、冷夏がやってくるのでどうしたらよいか、とフウフィーボー大博士に相談した時、大博士が口にした言葉の一部です。フウフィーボー大博士は、自然がもたらす災害に対し、人間としてやれるべきことをやったならば後は笑って落ち着いていなければいけない、と焦るブドリを諭すのです。 「人事を尽くして天命を待つ」 という言葉があるように、できることをやりきった後は、結果を静かに待つしかありません。しかし、そう理屈ではわかったとしても気持ちは落ち着かないですよね。 特に、ここ一年のように予想外の事態が続き、今まで通りの対応が困難な状況が続く時はなおさらです。大きな地震が起きたりすると、平静さを保つのが精一杯で、こわばったような表情のまま数日過ごしてしまうこともあります。 そんな時に私は、このフウフィーボー大博士の言葉を思い出すと、心が落ち着くような気分になる時があります。笑うところまではいきませんが、すこし落ち着いた気分で目の前の作業に取り組むことができるので、今回みなさんにも紹介してみました。 「グスコンブドリの伝記」と「グスコーブドリの伝記」の違い 宮沢賢治の作品が好きな方は 「『グスコンブドリの伝記』?『グスコーブドリの伝記』の間違いではないか?」「もしかして『グスコンブドリの伝記』が正しい題名なの?」 などと気になった人もいらっしゃるかと思います。 もちろん間違いではありませんし「グスコンブドリの伝記」が正しい題名というわけでもありません。この部分をすこし説明してみますと「グスコンブドリの伝記」は、現在私たちが定稿として読んでいる 「グスコーブドリの伝記」の一つ前の原稿 ということになります。つまり、 「グスコンブドリの伝記」を書き直したもの →「グスコーブドリの伝記」 と、いうことですね。そして「グスコンブドリの伝記」には「グスコーブドリの伝記」では削除されてしまった部分が存在するのですが、削除された部分にも魅力的な表現がある、と個人的に感じています。今回とりあげた、フウフィーボー大博士の台詞の部分も「グスコーブドリの伝記」では削除されているのです

【文学】漱石山房の冬 芥川龍之介

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夏目漱石、芥川龍之介などと聞くと、 教科書に載っていた歴史上の人物 といった印象が強くて、実際にこの世界に存在していたのだろうか? もしかして架空の人物なのではないだろうか、という気分になる事があります。 もちろん2人はこの世界に存在していて、しかも今私たちが住んでいる日本で生活していたわけです。彼らは約100年前の日本で、どのような時間を過ごしていたのでしょう? 今回紹介するのは、芥川龍之介の「漱石山房の冬」の一節です。ある冬の日に、2人が人がどのような会話をしていたのか、ちょっと覗いてみたいと思います。 又十月の或夜である。わたしはひとりこの書斎に、先生と膝をつき合せてゐた。話題はわたしの身の上だつた。 (漱石山房の冬 芥川龍之介) 「君はまだ年が若いから、さう云ふ危険などは考へてゐまい。それを僕が君の代りに考へて見るとすればだね」と云つた。わたしは今でもその時の先生の微笑を覚えてゐる。いや、暗い軒先の芭蕉の戦も覚えてゐる。しかし先生の訓戒には忠だつたと云ひ切る自信を持たない。(漱石山房の冬 芥川龍之介) 芥川龍之介は、夏目漱石に身の上話をします。それに対して漱石は「僕が君の代わりに考えてみるとすればだね」といった感じで、芥川の立場に立って助言をします。 この時の漱石は、時代を代表する作家先生。後に文豪となる芥川龍之介は、この時点ではまだ若手作家のひとりです。そんな芥川に対し漱石先生は、上から意見を押し付けるわけではなく「君の代わりに考えてみるとだね」と、微笑みながら丁寧に語り掛けている様子が伝わってきます。 相手の自我を尊重し、そこに向き合いながら自分の考えを伝えていく。そして、その言葉を真摯に受け止めようとする芥川龍之介。 2人の文豪が夜に語り合っている様子を想像すると、どこか優しい気分になれるような 気がします。 そして、このような場面を想像してから、漱石と芥川の作品を読み返すと、またどこか違った気配が背後から感じられるような気がするのでした。 【佐藤ゼミ】漱石山房の冬(芥川龍之介)を読む ↪出典 漱石山房の冬(芥川龍之介) 〰関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

天災は忘れた頃にやってくる(東日本大震災から10年目に、考えたこと)

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「天才は忘れた頃にやってくる」!? 「天災は忘れた頃にやってくる」 という言葉がある。私は子供のころ、この言葉を 「天才は忘れた頃にやってくる」 だと思っていた。天才というものは、最初から表舞台に登場するわけではない。様々な混沌が起きて「これはもうどうすることもできない」と一般人が嘆いていると、華々しく天才が登場して解決する。そのような歴史上のできごとを「ことわざ」として表現したのだと、思い込んでいたのである。 しかし「天才」」は「天災」であり、全く内容が異なっていた。それを知った時 「天災より、天才の方がかっこいいのに!」 と、妙に落胆した記憶がある。そして「天才は忘れた頃にやってくる」という言葉も、きっとどこかに存在するに違いない、と頑なに考えている子供だったのである。 「天災と国防」寺田寅彦より そんな私も大人になり、文学作品などを読むようになった。そして夏目漱石の資料を調べていた時に 「天災は忘れた頃にやってくる、は 寺田寅彦の言葉である」 という文章を目にした。「これは寺田寅彦の言葉だったのか。さすが漱石先生の一番弟子!」と、妙に感動したことを覚えている。 ところが、確認するために出典を調べてみたところ「寺田寅彦の言葉らしいが、定かではない」ということを知った。講演会で口にしたことはあったが、文章としては残っていない、などと曖昧な状況で「寺田寅彦の言葉」として伝わってきたらしい。 確かに、寺田の随筆を読んでみても、この言葉が記載されている文を見つけることはできなかった(浅学の私が見つけられないだけで、存在する可能性は否めない。もしご存知の方はぜひお知らせください)。しかし「 天災と国防 」という作品の中で、同様の趣旨を解説している部分があるので、ここで紹介してみたいと思う。 悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。「天災と国防」より 数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然

【文学】太宰治「女生徒」を読む

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女生徒 太宰治 を読む 今回は、太宰治の「女生徒」を紹介したいと思います。「女生徒」は、タイトル通り 「10代の女子生徒」が主人公 です。父親は亡くなってしまい、姉も嫁いでしまったため、母親と二人暮らし。主人公が朝、目を覚ます場面から作品が始まります。 朝は、いつでも自信がない。寝巻のままで鏡台のまえに坐る。眼鏡をかけないで、鏡を覗くと、顔が、少しぼやけて、しっとり見える。自分の顔の中で一ばん眼鏡が厭なのだけれど、他の人には、わからない眼鏡のよさも、ある。(女生徒より) 主人公は、目の前の様子やできごとに対して、色々と思いを巡らせていく。それを目の前の人に語りかけていくような、一人語りのスタイルで物語は進んでいきます。 今「物語が進んでいく」という書き方をしましたが、 何か特別な物語が展開されるわけではありません。 主人公が「朝起きて、学校へ行き、帰宅して、夜寝る」までの1日が、淡々と静かに語られていきます。たとえば、電車の中ですれ違った人たちを見て、 みんな、いやだ。眼が、どろんと濁っている。覇気が無い。(同) 周囲の人間に対する不快感で、頭の中を一杯にしたかと思うと、 ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。(同) 授業中に窓から見える花を眺めながら、人間のよいところを考えてみる。そして、 私は、たしかに、いけなくなった。くだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。だしぬけに、大きな声が、ワッと出そうになった。(同) 自分自身を批評して落ち込んだかと思うと、帰宅の途中に夕焼けを眺めながら、 「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。(中略)それから、いまほど木の葉や草が透明に、美しく見えたこともありません。そっと草に、さわってみました。 美しく生きたいと思います。(同) 風景の美しさを全身に感じ取り「美しく生きたい」と考えてみる。実に忙しく、そして右から左へと感情のスイッチが切り替わっていく。その様子が、主人公の言葉を通して、流れるように読者に語りかけてきます。まるで目の前で、ほんとうに「女生徒」が語りかけてくるような文体で言葉が紡がれていきます。  「女生徒」は、ある女

【中原中也】一人でカーニバルをやってた男

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詩人 中原中也と聞いて連想すること 「中原中也」と聞くと、黒い帽子を被り少年のようなまっすぐな瞳をしている、あの有名な写真が頭に浮かぶ人も多いと思います。「詩人」という言葉がぴったりの、繊細で物静かな雰囲気が漂っている人物という印象を受けますよね。 ところが実際の中原中也は、少々気難しいといいますか、酒を飲んでは人に絡んでしまうような一面があったようです。 そのような酒の席における自分の状況を、親友に宛てた手紙の中で説明している文章があります。 昨夜は失礼しました。其の後、自分は途中から後が 悪いと思ひました。といひますわけは、僕には時々自分が一人でゐて感じたり考へたりする時のやうに、そのまゝを表でも喋舌ってしまいたい、謂ばカーニバル的気持が起ります。(以下略)【中原中也 安原喜弘氏宛ての手紙より】 自分が一人の時に考えていることを、そのまま口に出してしまう。そして、相手の反応が気になってしつこく絡んでしまう。それを中原は「カーニバル的気持ち」と説明しているのですね。そして、この手紙はこのような一文で結ばれます。 一人でカーニバルをやってた男  中也 【同】 カーニバルはたくさんの人が集まって行われるものであって、 一人でカーニバルはできません よね。しかし中原は、たった一人でカーニバル状態になって熱狂している。周囲の人々がそこに参加する事は無い。むしろ、どんどん距離をとって離れていく。 そのような状況を、中原自身も自覚していたのだろうな、と。翌朝になって手紙を書きながら反省しているのだろう。そのような状況を想像してみると、せつない寂しさが漂ってきます。そして「一人でカーニバルをやってた男」という最後のフレーズに、中原らしい言葉の響きを感じたりもします。  詩人が見ていた世界と、現実の世界とのはざまで 中原中也には、酒の席での様々なエピソードが残されています。太宰治が絡まれた話も有名ですよね。そのようなエピソードを知りつつあらためて、中原中也の作品を見ていると、そこに大きなギャップが存在していることを感じます。詩人 中原が見ていた、または追求している世界と、現実の世界とのギャップ。 それは、私たちが想像するよりも大きなものだったのかもしれません。 そんなことを考えながら、天才詩人の作品をひとりで読んでいると、遠くの方から

文豪のラブレター(太宰治)編

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【4回目】文豪のラブレター「太宰治 」編   【文豪のラブレター】シリーズも4回目。今回は、太宰治が、ある女性に宛てた手紙を紹介します。あの太宰治は、いったいどのようなラブレターを書いていたのか? ファンならずとも気になりますよね・・・。 拝復 いつも思つてゐます。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思つてゐました。正直に言はうと思ひます。(太田静子宛ての手紙より) こちらは、 太宰治が太田静子に宛てた手紙の冒頭です 。この時太宰は結婚していたので、いわゆる「愛人(正確には、この段階では男女の関係にはなっていませんが)」へ宛てたラブレターということになります。 太宰の作品を読んでいると「直接、自分に語りかけている」かのような「他の人には言えないけど、あなたにだけは話しておきたい」と、いうような気分になる時がありますが、この手紙も「目の前で、静かに語りかけてくれているような」気持ちになる、太宰らしい文章だと思います。 「いつも思っています」「いつも思っていました」「正直に言おうと思います」 冒頭で「思う」という言葉が、三度連続で続きます。太宰は意図的にこのような書き方をしたのではない、と「思い」ますが、読んでいると本当に自分のことを「思って」くれているのだな、と感じる文章だと思うのですが、みなさんはどう感じましたか? 一ばんいいひととして、ひつそり命がけで生きてゐて下さい  コヒシイ この手紙は、太宰の周辺の出来事が綴られたあと「コヒシイ」という言葉で結ばれます。最後に「コヒシイ」と気持ちを伝える。色々な意味で「太宰らしい」魅力が詰まった手紙だと思います。興味がある方は、ぜひ研究(?)してみてください。 太宰治疎開の家 この手紙を書いていた時の太宰は、戦時中のために実家の青森へ疎開していました。現在でも太宰が疎開していた家が 「太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)」 として、青森県の五所川原市に保存されています。 私も数年前に「太宰治疎開の家」を訪問したことがあるのですが、実際に太宰が執筆していた書斎で「あの作品は、ここで書かれたのか」と当時の様子を想像する時間は、ほんとうに楽しいひとときでした。 「太宰治疎開の家」を訪問した時の記事はこちら 「太宰治疎開の家」は、 斜陽館 からでも徒歩で移動できる場所にあるので、興味がある方は足

【読書】生命のリアルさは「堀内誠一の絵本」に教えてもらった。

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こわかった、絵本。 子どもの頃に読んでいた絵本の中に 「こわくて、ちょっと苦手な」 ものがあった。 多くの絵本が、うれしくなったり、さびしくなったり、ふしぎになったり、と「ここちよく」してくれるものだったのに、その絵本は「人間の体内のこと、血がめぐっている様子」が描かれていて、こども(幼稚園のころ)の私には「こわい」と感じたのだった。そして、こわいけれど、なぜか時々見たくなる。 それが「堀内誠一」さんの絵本だった。 生命のリアルさ、を教えてもらった絵本 先日、堀内さんの「ねびえ」を読み返す機会があった。「さすがに子供ではないのだから、もうこわくはないだろう」と思いつつ読んでみると、なかなかのインパクトだった。すこし「こわい」ような気もした。いや、もうすこし正確に書くと、こわいというよりは 「生命のリアルさ」を感じた のだった。 自分の身体の中で、このように血が流れウイルスと戦い、生命を維持している。そんな様子がリアルに感じられる作品だった。そして、このような「生命のリアルさ」を、こどものころの私は 「把握できない広く深い世界 = こわい」と感じたのではないかと思う。 大人になってから、堀内誠一氏は絵本作家としてだけではなく、グラフィックデザイナーとしても活躍されていたことを知った。そして、堀内氏がデザインしたロゴが掲載されていた雑誌を知らずに愛読していた。こどもの頃だけではなく、大人になってからも堀内氏の作品を眺め続けていたのだった。 子供のころに出会った作品は、自覚している以上に「ものごとの見方」に影響を与える。 私は「生命のリアルさ」を考えるきっかけを、堀内先生の絵本に教えてもらった のだと思う。「ねびえ」「ちのはなし」「めのはなし」そして「こすずめのぼうけん」などなど、こどもはもちろん、おとなのみなさんにも、ぜひおすすめしてみたい。リアルで、たのしいですよ。 【佐藤ゼミ】生命のリアルさは「絵本」に教えてもらった。 〰関連 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【文学】芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。(佐藤春夫)

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「芥川賞」と聞くと、思い出すこと 本日は、芥川賞の発表がありますね。どのような作品が受賞するのか、毎回楽しみにしてる方もいらっしゃると思います。芥川賞の選考委員を務めていた佐藤春雄は、 芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。彼が執念深く賞を貰ひたがつたのが忘れられないからである。(稀有の文才 佐藤春夫) と書いていますが、私も個人的に「芥川賞」と聞くと太宰治のエピソードが頭に浮かびます。 芥川龍之介に、あこがれた太宰 別の所でも書いていますけれども、太宰治は芥川龍之介が憧れの存在でした。「芥川龍之介」と何度も書いている学生の頃のノートや、芥川龍之介の真似をしてポーズをとっている写真も残っています。 そのような憧れの存在の名前がついた文学賞ですから、太宰治が熱望したのも当然のことかと思います。そして、どうしても芥川賞が欲しかった太宰は、佐藤春夫に「私に、芥川賞をください」と手紙を送ります。 そのうちの一通は4メートル以上もあったそう。 手紙には、自分がどれだけ芥川賞を欲しているか、必要なのか。受賞できるかどうかで今後の人生が決まる、というような内容が切々と書かれています。 残念ながら、太宰は芥川賞を受賞することができなかったのですが、もしも太宰が受賞していたらどうなっていたでしょう。 そして、あの世で太宰は、芥川賞の発表をどのような気分で眺めているでしょうか。無関心を装いつつ、しっかりと聞き耳はたてているような気がします。 「津軽」は出版の当時読まないで近年になつて――去年の暮だつたか今年のはじめだつたか中谷孝雄から本を借りて読んで、非常に感心した。あの作品には彼の欠点は全く目立たなくてその長所ばかりが現はれてゐるやうに思はれる。(稀有の文才 佐藤春夫) 週末には、ひさしぶりに「 津軽 」を読み返してみよう。津軽を読むのは、大寒の今くらいの時期がちょうどいいような気がする。そんなことを考えました。 【佐藤ゼミ】芥川賞の季節になると・・・。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 「太宰治」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」