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【太宰治】君に今、一ばん欠けているものは、学問でもなければお金でもない。

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今回は「風の便り 太宰治」を紹介します。 この作品は、38歳の「売れない作家 =木戸一郎」と、50歳を越えた「ベテラン作家 = 井原退蔵」との往復書簡という形で構成されています。 木戸は 「二十年間、一日もあなたの事を忘れず、あなたの文章は一つも余さず読んで、いつもあなた一人を目標にして努力してまいりました(風の便りより)」 と、長年にわたる井原の愛読者です。そして自分も作家になったわけですが、なかなか実を結ばずに苦労している。そんなおりに 「一夜の興奮から、とうとう手紙を差し上げ(同)」 井原に手紙を書いたところ返事がきて、それから手紙のやり取りが始まっていきます。 君に、いちばん欠けているもの 木戸は現在の自分の状況を悲観し、哀れみ、仕事がうまくいかない悩みを井原に書き送ります。井原はそれに対し、感想や批評の返信をするのですが、木戸は 「まるで逆上したように遮二無二あなたに飛び附いて、叱られ、たたかれても、きゃんきゃん言ってまつわり附いて(同)」 とあるように、どこか素直になれない。いじけたような長い返事を書き送ります。 井原はそんな木戸に対して「 君はまさしく安易な逃げ路を捜してちょろちょろ走り廻っている鼬のようです。(同) 」と厳しい批評を加えながらこのような一文を書き送ります。 君に今、一ばん欠けているものは、学問でもなければお金でもない。勇気です。 二人の太宰治 この作品では「木戸と井原」という、対照的な二人の作家を通してそれぞれの人生観が語られていきます。しかし私は、この二人とも「太宰治自身」であるように感じられます。 「卑屈に拗ねて安易に絶望と虚無を口にして、ひたすら魅力ある風格を衒う =木戸」 「いつでも、全身で闘っている。全身で遊んでいる。そうして、ちゃんと孤独に堪えている。 = 井原」 この両極端の人格が太宰の中に存在していて、互いに批評しあっている。客観的には井原のように振舞いたい。「君の手紙は嘘だらけだ」と切り捨て「作家は仕事をしなければならぬ。」と、淡々と作品を書いていきたい。しかし現実の自分は、木戸のように振舞ってしまう。相手に甘えているくせに「深く絶望した」と、自分から逃げてしまう。そして、どちらも自分自身だから、切り離すことはできない厄介さ。そのような様子が描かれていると感じます。 もう一人の自分と、共存できない自分 そ

【夏目漱石】夏目君が会議に出ると、何となく賑やかになった。(「朝日」の頃より)

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夏目漱石、というとどのようなイメージが浮かびますか? いつも難しそうな顔をして、会議の席などではつまらなそうに座っている。そして何も言わずに時間がくると一番最初に席を立ってしまう。好きな人とは親しく話すけれど、不特定多数の人がいる場では必要以上に交流をとろうとしない。 私は、そんなイメージを抱いて いました。 ところが実際の漱石先生は、意外にフレンドリーな雰囲気で会議に参加していたようです。今回は、漱石が朝日新聞の編集会議に参加している様子を解説した文章を紹介してみたいと思います。 その頃の夏目君は小説を書いてゐるばかりで、社へはあまり出て来なかつた。一週に一回、水曜日の編輯会議には必ず出て来たが、会議の席ではにこにこと笑ひながら人の言ふ事を聞いてゐるばかりで、自分はあまり何もいはなかった。言へば必ず思ひがけぬ警句を、すまして言ふので、その度毎に皆は笑つた。だから物数はいはぬが、夏目君が会議に出ると、何となく賑やかになった。(「朝日」の頃 杉村楚人冠より) 夏目漱石は、朝日新聞の社員でした。とはいえ毎日出社するわけではなく、作家としての契約で時々会議に出席する以外は自宅で執筆をする、いわば「在宅勤務」といった契約でした。今回紹介した文章は、漱石が朝日新聞の編集会議に参加している様子なのですが「にこにこと笑いながら人の話に耳を傾けている」「言葉数は少ないが、巧みな言葉を口にするのでそれを聞いた参加者は笑った」と、いうような様子が書かれています。 しかめっつらどころか笑顔を浮かべつつ、辛辣な言葉ではなく巧みな言葉で場を和ませる。どうやら私が想像していたものとは異なり 「知的で穏やかに、そして紳士的にふるまう」 雰囲気で会議に参加した様子が伺われます。 食事に誘うと、必ず参加する漱石先生 さらにこの文章の後に 「会議のあとに食事に誘うと必ず来てくれて、難しい話をするわけではなく世間話をしていた」 という描写も続くので、仕事の後の人付き合いも良好。どうやら、私が想像していた様子とは真逆だったようです。 もちろん「仕事」に対しては真摯にかつ忖度なく「はっきりと自分の意見を言う」ため、その様子が誤解されて伝わっていたようだ、と作者は考察しています。確かに、漱石先生は相手が どんなに偉い人でも「ダメなものはダメだ」ときっぱり評価 を下しそうです。同時に相手が新人で社会的に

【夏目漱石】創作家としての先生は晩成の人である。(松山から熊本 山本信博より)

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若手の人たちが活躍している様子を見ると、頼もしくも、またうらやましく感じるものです。そして年齢を重ねてしまった自分の姿と比較して「ああ、もうオレはだいぶ歳をとってしまった。あのように活躍することもないだろう」などと、いじけた気分になる時もあるでしょう。今回は、そんなことを考えてしまう人へ紹介したい一文があります。 創作家としての先生は晩成の人である。年少名を成し易き今日の文壇では、確に晩成の部に入る可き人である、そして此晩成が即ち先生の強味であると思ふ。修養蘊蓄に年月を費して、内容がはち切れる迄充実した所で、其蘊蓄を傾けた者が即ち先生の作物である。(松山から熊本 山本信博より) これは夏目漱石の生徒だった山本信博氏が、漱石について書いた一文です。漱石が「吾輩は猫である」を発表したのが、39歳の時。明治・大正時代の平均年齢は44歳前後ということですから「遅咲きの作家」といえるでしょう。 しかし山本氏によると 「晩成が即ち先生の強味」 ということになります。漱石の作品は、年齢を重ねて溢れるばかりに充実した知見を土台に産み出されたものである。一朝一夕につくられたものではない。だからあのような素晴らしい作品となったのだ。そのように説明していきます。 人生を100年、と考えるなら これは、私たちにも必要な視点だと考えます。私たちはとかく「若くして評価を受けたい」と望んでしまうものでしょう。20代、いやできれば10代で評価され衆目を集めたい。世の中に自分の居場所を作っていきたい。そのように願う気持ちがあると思います。 しかし「人生100年」と考えるならば、50代が折り返しになります。極端に考えてみるならば、前半の50年を知識の形成と体得することに費やし、後半の50年で「はちきれるように充実した」それを原動力に活動していくこともできそうです。なによりも「もう自分には無理だ」と、何もせずに過ごしてしまった時間。それは、10年後、20年後の自分から見れば 「どうしてあの時、もっと頑張らなかったのだろう」と情けない気分 になるでしょう。 夏目漱石は圧倒的な天才であり、あのような仕事は誰しも成し遂げられるものではありません。しかし、ささやかながら世の中に役立つことは、50年もあれば実行していけそうです。「自分は晩成だから」と焦らず修養を続け繰り返していく。自分を信じて挑戦を

【奥の細道】閑さや岩にしみ入る蝉の声(松尾芭蕉)

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先日、公園へ行ったところ周囲に蝉の声が響き渡っていました。蝉の声を聞くと「夏休み」という感じがします。そして、頭の中にこの一句が思い浮かびました。 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 こちらは、 松尾芭蕉が山形県の立石寺 で詠んだ一句です。「なんという閑かさだろう。蝉の声が岩に染み込んでいくようだ」と、立石寺の静寂な場に蝉の声だけが響き渡っている。そんな夏の情景を表現した作品です。みなさんも国語の時間に、勉強した記憶があるのではないでしょうか。 松尾芭蕉は「奥の細道」の中で立石寺を訪問した時の様子をこのように記しています。 梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。 岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉てものの音きこえず。 岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。 「奥の細道」より 簡単に現代語訳をしてみますと「麓に宿をとって、山の上にある本堂を目指して登っていく、岩を重ねてできたような山の姿。時間を感じさせる見事な木々と苔に覆われた道を登って山上に着くと、お堂の扉は閉じられていて静まりかえっている。崖のように切りたった道を這うようにして通り参拝する。そこから見える風景はすばらしく、心が澄み渡っていくのが感じられる。」このようになるかと思います。 私の「立石寺」体験 私は大学で「奥の細道」の授業があったのですが、夏休みに「せっかくだから立石寺へ行ってみよう」と電車に乗って現地へ行ったことがありました。その時に見た風景は、松尾芭蕉が表現しているそのままの世界が広がっていて驚いたことを覚えています。 山門をくぐって、800段を越える石段をあがっていく。木々に囲まれた細い山道は蝉の声に満ち溢れていて、音が身体に突き刺さって通り抜けていくかのような鮮烈さを感じる。その時私は「ああ、松尾芭蕉は、この情景を『岩にしみ入る』と表現したのだろう。たしかに、硬い石にさえ染み込んでいくような圧倒的な密度と鮮烈さを感じる蝉の声だ」と、 すこしだけ芭蕉が感じた世界に触れられたような、わかったような気分 になってうれしくなったことを覚えています。 立石寺は、山門から本堂まで、私の足ですと歩いて30分ほどかかります。石段が続いていくので少々くたびれますが、その先に見える景色、そして目の前に広がる風景は、汗を流した以上の

【絵本】はじめてのキャンプ 林明子 をよむ

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今週の【佐藤ゼミ】は 「はじめてのキャンプ(林明子)」 を紹介します。  ちいさな女の子「なほちゃん」が、はじめてのキャンプに参加して成長していく様子を描いた物語。読んでいると、忘れていた「こどものころの記憶」が蘇ってきて、ほのぼのとした心地よい気持ちになってきます。  夏休みにキャンプを計画している人も、これからキャンプに挑戦したい人も、今までのキャンプの思い出にひたりたい人にもおすすめの一冊です。 【佐藤ゼミ】はじめてのキャンプ(林明子)を読む ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【宮沢賢治】注文の多い料理店 を読む。(あらすじ解説)

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「注文の多い料理店」あらすじ 今回は「宮沢賢治 注文の多い料理店」を紹介します。それではまず最初に、この作品の「あらすじ」を解説しましょう。 主人公は「二人の若い紳士」です。二人は「ぴかぴかする鉄砲」をかついで、趣味の狩猟に山に入ったのですが、その日は成果が上がらず道にも迷ってしまいます。案内人ともはぐれてしまい、風も強くなってきて連れてきた犬も死んでしまいます。ほとほと困っていたところ、突然二人の目の前に「西洋料理店 山猫軒」いう札がかかげられたレストランが見えてきます。 これはちょうどいい、と大喜びでそのレストランに入る二人。その店は不思議な構造で、次々に扉を開けながら先に進んでいかなければいけません。そしてその扉には、 「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落してください。」 「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。 」 などと、二人に対する指示が書かれています。二人は「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。」と考え、指示に従いながら店の奥に進んでいきます。すると、 「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」 「どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」 書かれている内容が不可解なものに変わっていきます。そこでようやく二人は「これは料理を食べさせてくれる店ではなく、自分たちが食材になって食べられる店なのだ」ということに気がつき、探しにきた案内人に救われて命からがら逃げ出して行く。このような話です。 注文の多い料理店は「ユーモラス」な話? 私は、はじめてこの作品を読んだ時、不思議でユーモラスな「おもしろい話」だと感じました。自分たちが食べられる準備をしているのに「ここの主人はじつに用意周到だね。」と、勘違いをしながら先に進んでいく二人の様子が滑稽で、でも「食べられなくてよかったね」とハッピーエンドの物語だと思っていたのです。 ところが、宮沢賢治自身が書いた 「注文の多い料理店 新刊案内」 には、この作品についてこのように解説されています。 注文の多い料理店 二人の青年紳士が猟に出て路を迷い、「注文の多い料理店」にはいり、その途方もない経営者からかえって注文されていたはなし。糧に乏しい村のこどもらが、都会文明と放恣な階級とに対するやむにやまれない反感です。

【文学】臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ。(マスク 菊池寛より)

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菊池寛「マスク」を読む 今回は「菊池寛 マスク」を紹介します。 まず、この作品の時代背景を説明しましょう。作品が発表されたのは1920年。この頃の日本は 「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」 が流行していました。資料によると「日本では38万人が亡くなった」という記録からも、非常に深刻な感染症だったことがわかります。 「マスク」は、この頃の東京の様子が書かれた作品です。主人公は「菊池寛」自身と考えていいでしょう。つまり、彼が体験し考察したことが書かれた自伝的な作品であると考えてよいと思います。 主人公は肥満体質で、いわゆる生活習慣病を抱えています。胃腸の調子が悪くて医者に診察してもらった時に、太りすぎて心臓に負担がかかっていること。このままだと心臓疾患で急死する可能性もあること。そして、 「チフスや流行性感冒に罹つて、四十度位の熱が三四日も続けばもう助かりつこはありませんね」 と指摘されてしまいます。これに脅えきってしまった主人公は、最善の感染予防策をとることを決意し実行します。外出や人との接触を避け、やむなく外出する時はマスクをつけうがいをする。友人や妻は、そんな主人公の臆病な様子を見て笑います。自分自身も神経衰弱に罹っているかもしれない、と自覚しつつも恐怖には勝てずに予防を続けます。 マスクを掛け続ける主人公 三月になり暖かくなってくることにともない、感染の脅威が衰えていきます。マスクを掛けている人も殆どいなくなります。しかし主人公はマスクをはずしません。 病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人としての勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ。 このように弁解しつつ、マスクを掛け続けます。そして、外出している時に、自分と同じようにマスクを掛けている人を見ると「 自分は、非常に頼もしい気がした。ある種の同志であり、知己であるやうな気がした」 と感じ、自分だけがマスクを掛けているという照れ臭さから逃れつつ「自分は真の意味での衛生家である、文明人である」と誇りを抱いたりします。 マスクを外した主人公の前に、あらわれた青年 しかし、五月になり初夏の太陽に照らされる季節になると、さすがにマスクを付けることが不愉快になってきます。もうこの

【夏目漱石 こころ】「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」

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今回は「夏目漱石 こころ」の一場面を紹介します。「私」と「先生」は二人で散歩にでかけます。あてもなく歩き回ったあと、日がくれたのでそろそろ帰ろうということになります。その時に二人で会話をする場面です。 門口を出て二、三町来た時、私はついに先生に向かって口を切った。 「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」 「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」 「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」  先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風に。 「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」  私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰らなかった。先生が調子に乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出した。いきおい先生は少し後れがちになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた。 「そら見たまえ」 「何をですか」 「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」  待ち合わせるために振り向いて立ち留まった私の顔を見て、先生はこういった。 (夏目漱石 こころ)より 語り手の「私」は「先生」に「人間は誰でもいざという間際に悪人になる」という言葉の意味について質問します。ところが先生の返事は「私」が期待したものではなく「平凡すぎてつまらなく」感じられる内容でした。「私」は拍子抜けした態度を隠そうともせずに歩き出す。その様子を見た「先生」が 「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」 とこころというものは、今のあなたのようにすぐに変わるものなんだよ、指摘する場面です。 人間の「こころ」は、すぐに変わる。 それまでずっと貫いてきたこと、大切にしてきたことでも、すぐに変わってしまう。「金」や「ことば」など普段は「そんなもの」と考えているようなことがきっかけで変わってしまう。「私」の態度を指摘しながら「先生」は語りかけます。 「私」は、この日「先生」が口にした言葉の背後にある「意味」を理解することができません。 両者には「さびしいすれ違い」が起きています。 「私」は「先生」が亡くなってしまってか

【音声配信】10ヶ月続けてみた感想。(40代の私が、Podcastを始めたきっかけ)

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現在私は 【佐藤ゼミ ラジオde文学入門】 というPodcastを配信している(Spotfy ApplePodcast stand.fmにて配信中。「佐藤ゼミ 文学」で検索すると表示されると思います)。今月(6月)で配信開始から10ヶ月が経過した。あれから10ヶ月も過ぎてしまった、という時間の経過の早さにも驚くが、とりあえずここまで続けてきた感想を書き留めておこうと思う。 PodCastを始めたきっかけ もともと私は Youtubeで【佐藤ゼミ】 を配信していた。顔出しせずに音声のみで配信していたのだが、ふと 「音声だけならPodcastでもいいのではないか」 と考えたのが音声配信を始めたきっかけだった。Podcastとは? 一般の人でも登録できるの? などと基本的な部分から調べてみたところ、どうやら簡単に配信できるらしいことがわかり、さっそく試してみることにしたのだった。これが今から10ヶ月前の話。 まずはYoutube用に制作したデータから音声だけを抜き出して、Podcast配信を始めることにした。つまり「ひとつのコンテンツ」をYoutubeとPodcastに同時配信したわけである。実際に配信したのを視聴してみると、想像以上に違和感がない。このままでいけそう。「一粒で二度おいしい」というキャッチフレーズがあるが、まさにそのような気分で意気揚々(?)と始めてみたのだった。 登録者は微増。しかしリピーターは多め? 実際に始めてみると「登録者」は番組を投稿する度に数名ずつ、じわりじわりと増えていくような感じだった。ただ、Youtubeは再生回数に波があって伸びるコンテンツと伸びないコンテンツとの差が大きいのだが、 Podcast(音声配信)の場合は一定の再生数が継続 するのが印象的だった。 あくまでも私のレベルでの体感なのだが、 音声配信の場合は「一度気になった番組は、その後も聞き続ける」 人が多いのではないかと思う。Youtubeの場合は「画面を見る」必要があるので移動中や作業中に視聴するのは面倒だが、音声配信の場合は「聞き流し」ができるので気軽に再生できるからではないか、と想像している。 「おすすめチャンネル」に選ばれる 先月、 Stand.fmで「おすすめチャンネル」 に掲載していただけたため、再生数が一桁上がるという幸運にも恵まれた。やはり視聴回数が増えて

【宮沢賢治】ほんとうにいいこと、とは何か?(学者アラムハラドの見た着物)を読む

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「人間がどうしても止めることができないこと」とは? 今回は、宮沢賢治「学者アラムハラドの見た着物」を読んで考えたこと、を解説してみたいと思います。この作品に登場する「学者アラムハラド」は、自分の生徒に 「人が何としてもそうしないでいられないことは一体どういう事だろう。」 と質問します。鳥が飛んで鳴くのを止めないように、人間がどうしても止めることができないこと、とは何だろう? と問いかけるのです。 生徒のひとりが「人が歩くことよりも言うことよりももっとしないでいられないのはいいことです。」と答えます。アラムハラドはこの意見に、 「そうだ。私がそう言おうと思っていた。(中略)人の正義を愛することは丁度鳥のうたわないでいられないと同じだ。」 (学者アラムハラドの見た着物より) と答えます。人間は「いいこと」をせずにはいられないし、正義を愛さずにはいられない、とアラムハラドは説明します。すると生徒のセララバアドが、何か言いたそうにしていることに気がつきました。アラムハラドが気がついて、発言するようにうながします。   「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」 (学者アラムハラドの見た着物より) セララバアドは「人間は『ほんとうにいいことを考えること』をやめられないのではないか」と答えるのでした。「いいこと」をするだけではなく「これは、ほんとうにいいことなのか?」と考え続けること。セララバアドはそのように答えたのでした。 ほんとうにいいこと、とは何か? この考え方は、現代の私たちにも大切な考えだと思います。わたしたちは自分たちが「いいこと」と考えることを実行します。しかしそれが「ほんとうにいいこと」であるとは限りません。ある人にとって「いいこと」でも、別の人には「いいことではない」ことがあります。世の中の仕組みが変化して、先月までは「いいこと」だったのに、今月からは「そうではない」ことも起きます。 自分は「いいこと」だと思っていても、大勢の人が別の意見を支持すれば、そちらに流されてしまうこともあるし、結果として誰かを傷つけたり誰かから「ほんとうに、いいこと」を奪ってしまうことだってあるでしょう。厳しいですが、これが現実。だからこそ、セララバアドは「ほんとうにいいこと、とは何だろう?」と考え続けることだと、答えたの

【文学】6月19日は、何の日ですか?【太宰治 桜桃忌】

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さて突然ですが、問題です。 本日「6月19日」は何の日でしょうか? すぐに答えられた人は、かなり文学に興味がある人かと思います。 6月19日は桜桃忌。作家・太宰治の遺体が発見された日 です。 太宰は6月13日に入水自殺します。しかし遺体が発見されたのは6日後の6月19日で、その日は奇しくも太宰の誕生日でした。これにちなんで6月19日を「桜桃忌」として、故人を偲ぶ日になったそうです。 最初は内輪だけの集まりだったそうですが、しだいに若い読者が集まるようになり桜桃忌が始まって10年後には200名以上の参列者がいたとのこと。そして、それほど多くの若者が集まれば、 口論や喧嘩も始まってしまい 会場は雑然とした雰囲気になったようです。 故人を偲ぶために集まったのに、喧嘩が始まってしまう。本来の目的で参列した人たちにはとんでもない迷惑ですが、太宰らしいといいますか昭和の気配を感じるエピソードではないか、と個人的に感じたりもします。 この「桜桃忌」という名称は、太宰治の「桜桃」という作品にちなんで名付けられたのですが、作品の中に主人公が桜桃をまずそうに食べる場面があります。おそらく太宰自身も、口論を始める若者たちに無関心を装いつつ、つまらなそうに桜桃を口に運んでいるのではないか、そんなことを想像してみました。 ちなみに私(佐藤)は桜桃忌に参列したことはありません。太宰の生家である青森県の 斜陽館 や 疎開の家 、弘前市の 太宰治まなびの家 には行ったことがあるのですが、桜桃忌には足が向きませんでした。学生のころに行っておけばよかったかな、とも思うのですが・・・今後の縁に期待してみたいと思います。 【関連】 太宰治疎開の家へ行く 太宰治まなびの家 (旧藤田家住宅)へ行く。 太宰治 斜陽館へ行く 「6月19日は何の日ですか?」 〰関連 「読書」に関する記事 「太宰治」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter 【参考】 Amazonで太宰治の本を探す 【佐藤ゼミ】6月19日は何の日ですか? ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【百人一首】春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山(持統天皇)

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百人一首を、よんでみよう。 今回は百人一首から、私(佐藤)が、この時期に「楽しんでみたい一首」を紹介します。 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山 (持統天皇) この歌の舞台は奈良県の香具山。「 山のふもとにある家に夏用の白い衣が干してあるのを見て、夏がやってくることに気が付いた」 というような内容です。私たちも、6月になると衣替えをします。街中で白いシャツを着ている人たちが歩いている様子を見て「あ、もうそんな時期か」と季節の移り変わりに気がつく事がありますが、その感覚に近いのかもしれません。 昔の人たちにとって「山」は神々しい存在でした。奈良県の大神神社では「三輪山」を御神体としていますね。そのような神々しい「山」と、生活感溢れる「衣」という組み合わせも、個人的におもしろいと感じます。あえて 真逆に位置するものを組み合わせることで、コントラストを強めていく。 そのような仕掛けがほどこされているところも、この歌をさらに印象深くしているのではないか、と個人的に考えています。 わかったつもりで、たのしんでみたい 私は、太陽の光が白いシャツに反射している様子を見ると、どこか開放的になるような、無性に遠くに行きたくなるような。高校生の時に原付バイクに乗って、むやみに遠出をしていた頃を思い出して、なんとなく元気になってきます。今から1300年ほど前の時代の人たちも、そのような感覚になったのでしょうか。ここちよい春の陽射しから、夏の力強い気配が近づいてくる。そんな感覚を、当時の人たちと共有できたような気がしたことを覚えています。 ・・・と、ここまでの内容を読んだみなさんは 「この人(佐藤)は、百人一首にくわしいに違いない」 と感じたかと思います。いや、いや、正直に書いておきますと、 全然くわしくありません。 「和歌 = 学校の勉強」という印象で、技法などを少し暗記はしたもののよくわからない。自分には遠い存在だと考えていました。 ところが、40代となったあたりから、ときどき「気になる歌」が目にとまるようになってきました。色々と調べていくと少しずつ 「わかったつもり」 になってきます。奈良へ旅をした時も「ああ、ここがあの・・・」と、初めて行った場所なのに妙に懐かしいような気分になったりもします。少しだけ視界が広がったような気分にもなります。 和歌という

【太宰治】 (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)人間失格より

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今回は「太宰治 人間失格」から、一場面を紹介します。 (それは世間が、ゆるさない) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ) (世間じゃない。あなたでしょう?) (いまに世間から葬られる) (世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?) 【 人間失格 太宰治より 】 こちらは主人公の大庭葉蔵が友人の堀木に「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」と言われたことをきっかけに「世間とはなんだ?」と考察している場面です。大庭は 「世間ではなく、あなた個人が許さないのだ」 と考察していくのですが、この視点は現代を生きる私たちにも必要な視点だと感じます。 私たちは「一般的に」「常識的に」または「あなたのことを思って」などという意見を受けとることがあります。しかしその「一般」「常識」といった言葉が、本当に「一般常識」ではなく 「発言者個人の考え」であることが、少なくないと思う のです。 自分の価値観で切り取ったものを「一般常識」という言葉に置き換えて発言する。そして厄介なことは、発言者本人が「これは一般常識である」と思い込んでいる(または、そうでありたいと考えている)ため「あなたのために」と強烈に押し付けてくることです。 他者の意見に耳を傾けることは重要です。必要不可欠です。 個人的な視点では必ず盲点が生まれ、見落としが生まれてしまう からです。しかし、個人的な価値観を押し付けようとする相手に対しては、私たちも自分を守っていく必要があるでしょう。 (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) さて、そのように考えた主人公は、友人に対してどのような反論をしたでしょう? そして、どのように振る舞ったのでしょう? この続きはぜひ「人間失格」を読んでみてください。主人公の振る舞いの中に「人間失格」が時代を越えて読み継がれている理由が表れていると、私は考えています。 太宰治は「人間失格」を脱稿した1ヶ月後の6月13日に、入水自殺します。本作品が文豪・太宰治の死の直前に書かれた作品である、ということを思い浮かべながら読んでみると、あたらしい発見があるかもしれません。 【佐藤ゼミ】太宰治「人間失格」を読む 〰関連 「読書」に関する記事 「太宰治」に関する記事 「6月19日は何の日ですか?」 ☝筆者: 佐藤

【名文に触れる】自信が持てず、悩んでいる人へ(夏目漱石 門下生への手紙より)

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他人は決して己以上遥かに卓絶したものではない又決して己以下に遥かに劣つたものではない。特別の理由がない人には僕は此心で対して居る。夫で一向差支はあるまいと思ふ。 (夏目漱石 森田草平宛書簡より一部抜粋) こちらは、夏目漱石が門下生の森田草平へ宛てた手紙の一節です。森田は「自分の生い立ち」に関する悩みを抱えていて、漱石にそれを告白する手紙を書きます。今回紹介した一節は、その手紙に対して漱石が返信したものです。 「他人は自分よりもはるかに優れているわけではなく、また劣っているわけでもない。特別な理由がない人には、そのような考えで向き合っている」 漱石は悩みを抱え、自分に自信が持てないでいる森田に対して、そう伝えていきます。この考え方は、私たちにも大切な視点だと思うのです。私たちは誰かと接する時に、その人に対してまっすぐに向き合うのではなく 「自分(または他者)と比較しながら観察」 してしまいます。 ここは負けた。でもこの部分は私の勝ちだ。無意識ですばやく評価をして上下をはっきりさせたくなるものだと思うのです。そして、 自分の負けを認めることでコンプレックスを強めて しまったり、 相手よりも優れていると考えている部分を必要以上にアピール してしまったりもします。 比較することで「消耗戦」を繰り返さないために しかしそれは結局、 自分自身を消耗させてしまいます。 物事は視点を変えると立場が変化しますし、今までの価値観で判断していると来月にはそれが覆ることもある時代です。 消耗戦ほど不毛な戦いはありません。 そこから何かが生まれることは少なく、ただ時間を浪費してしまったという後悔が残ってしまうものだからです。 誰かと接する時は、狭く偏った自分の評価軸だけで判断するのではなく「相手は自分よりも優れているわけではなく、また劣っているわけでもない」と考えていくことが、様々な視点からも大切になってくるのではないでしょうか。 夏目漱石の「すごさ」とは? 実際に漱石が書いた手紙を読んでいると、相手によって態度を変えることがありません。相手が 子供の読者でも、大人でも門下生でも、相手の自我を尊重して接している ことが伝わってきます。漱石について勉強していくほどに「すごさ」が見えてくる。ぜひ一度、漱石先生に手紙を書いてみたかった。私のような一般人にでも、もしかしたら返信をしてもらえたかもし

【ふかよみ日本文学】「桃」は、邪気(鬼)を払う果物!?

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古事記に登場する「桃」の役割とは? 前回は「柿」について書きましたが、今回は「桃」について深読みしながら考えてみたいと思います。 「古事記」の中で、イザナギの命は桃を投げつけることで 「黄泉の国から追いかけてくる鬼の軍勢を払い」 ます。 桃は「邪気(鬼)を払う霊力が備わった果物」 として登場するわけです。 あの女神の身體中に生じた雷の神たちに澤山の黄泉の國の魔軍を副えて追わしめました。そこでさげておいでになる長い劒を拔いて後の方に振りながら逃げておいでになるのを、なお追つて、黄泉比良坂の坂本まで來た時に、その坂本にあつた桃の實を三つとつてお撃ちになつたから皆逃げて行きました。そこでイザナギの命はその桃の實に、「お前がわたしを助けたように、この葦原の中の國に生活している多くの人間たちが苦しい目にあつて苦しむ時に助けてくれ」と仰せになつてオホカムヅミの命という名を下さいました。 (古事記より) 桃太郎が、桃から産まれた理由 なるほど。桃には鬼を退治する力があるのか・・・と、ここでみなさんの頭には、あの有名な物語が思い浮かぶと思います。そう 「桃太郎」 ですね。 桃太郎は「桃から産まれる」ことに意味があり「桃太郎」と名付けられることで 「鬼退治の役割」を担っている という象徴になるわけです。流れてくる果物は柿でも林檎でもなく、桃でなければいけなかった。「川からどんぶらこ、と流れてきた桃から子供が産まれた」という背景には、このような意味が込められていたのです。 これから小説や、映画、絵画などを鑑賞する際に「 桃」が登場した場合は「これは邪気を払う象徴なのではないか?」と、深読み してみるのも面白いと思います。もしもそうであれば、作者の意図を汲み取って理解できた、ということだし、そうでなかったとしても、そこから考察をして広げていける面白さがあると思います。ぜひ、いろいろと深読みをして楽しんでみましょう。 三四郎(夏目漱石)にも「桃」が登場 ちなみに、夏目漱石「三四郎」にも、三四郎が上京する場面で「桃」が登場します。 髭のある人は入れ代って、窓から首を出して、水蜜桃を買っている。 やがて二人のあいだに果物を置いて、 「食べませんか」と言った。 三四郎は礼を言って、一つ食べた。髭のある人は好きとみえて、むやみに食べた。三四郎にもっと食べろと言う。三四郎はま

【江戸川乱歩】君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。(D坂の殺人事件より)

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君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。 D坂の殺人事件 江戸川乱歩より   今回紹介するのは、 江戸川乱歩「D坂の殺人事件」に登場する、明智小五郎の台詞 です。私たちは、何かを推理しようとする時には様々な情報を集めていきます。そして集まった情報から「答え」を導き出していきます。 しかし、そのような表面的で物質的な情報だけで推理しても真実にはたどり着けない。得られた情報だけで満足するのではなく、 情報の背後に存在する「人間の内面的な心理」について考察していかなければいけない 。と、明智小五郎は説明していきます。 これは、私たちにも必要な視点です。現代は、スマホがあれば一瞬で検索することができます。そして膨大な情報量に触れることによって 「もう充分に調べた = わかったつもり」 になり思考を止め、批評を始めてしまいます。その結果、あらたな悲劇を生み出してしまうことも少なくありません。 大量の情報に触れることは、ある種の安心感と心地よさをもたらしてくれます が、心地よさに酔ってしまい、そこから思考を深めていく過程を省略してしまう危険性があります。情報量で満足せず、より根本的な部分まで考察していく流れを途切らせないようにしたいものです。 明智小五郎の部屋 「D坂の殺人事件」を魅力的にしている要素のひとつが、 探偵・明智小五郎のキャラクター にあることは、もはや疑う余地のないところでしょう。私自身、子供の頃にこの作品を読んだ時「明智小五郎いいなあ。こんな風に頭が切れて、飄々と振る舞いながら様々な問題を解決できたらかっこいい!」と、その個性的なキャラクターにすっかり魅了された記憶があります。 そんな明智小五郎は、どのような部屋に住んでいるのでしょうか? この作品内に彼が住んでいる部屋を描写した部分があるので紹介してみましょう。 ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消てしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。  何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具

【江戸川乱歩】「世の中に一番安全な隠し方は、隠さないで隠すことだ。(二銭銅貨)」

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「世の中に一番安全な隠し方は、隠さないで隠すことだ。(江戸川乱歩 二銭銅貨)」 「脳は一度見たものは、二度見ない」という一文を、どこかで目にしたことがあります。脳は情報処理をスムーズに行うために「一度見たものは、もうすでに把握した = 見る必要がない」と判断する機能があるらしいのです。 つまり「これは認識した!」と判断してしまったものは「もう確認する必要がない」と判断してしまうので、 たとえ視界に入っていたとしても違いには気がつかない。 すでに脳の中に存在している情報だけで済ませてしまうわけですね。 このような「脳の働き」を悪用すると 「隠さないで隠すこと」が可能になる わけです。隠すという行為は、不自然さを伴うことが少なくありません。そこで「こんなところに隠すはずがないだろう」と思い込んでいる場所に堂々と隠すことで、疑われずに隠し通すことができるというわけです。 逆に考えるならば「ずっと探していたもの」ほど、目の前に存在する のかもしれません。 「灯台元暗し」 ということわざがありますが、あまりにも身近だと気がつきにくく「探し物は、遠く見えにくい場所にある」という思い込みのようなものもあるので、なかなか見つかりにくくなるのですね。 探していたものは「目の前」に存在する 実際に私は、 キャッフレーズの制作の時などに「どこが今回のポイントになるのか?」と、企業のみなさんから話を伺いながら探していく のですが、多くの場合それは「目の前」に転がっていることが多いのです。 企業のみなさんにしてみれば、毎日目にしていることなので「普通」に感じてしまうことの中に「お客さん(他者)からすると、魅力的に感じる」ものが眠っているものです。私の仕事は、 それを発見し拾い上げることが最初のステップ になるわけです。 大切なことは、目の前に隠れている。 しかし、私たちが「それ」に気がつくことは難しい。 このように考え、目の前のことに意識を向けてみると、ずっと探していた答えがそこに隠れていることを見つけられるかもしれません。 追記:今回紹介した 「二銭銅貨」 は、江戸川乱歩のデビュー作です。デビュー作でありながら、独特の世界観を構築しつつ本格推理小説として完成度の高い作品に仕上げられているところに、江戸川乱歩の才能を感じます。興味をもった方は、ひきつづき 「D坂の殺人事件

【夏目漱石 こころを読む】急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。【文豪の名文に触れる】

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今回は、夏目漱石「こころ(上 先生と私)」から、先生と私が会話をしている場面を紹介します。 「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。  先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。 「みんな善い人ですか」 「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」 「田舎者はなぜ悪くないんですか」  私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」  先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後の方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。 【夏目漱石 こころより】 「私」の父親は、体調を崩しあまり良くない状態です。それを知った先生は「父親が元気なうちに、財産を整理してもらった方がいい」と提案をします。 主人公は、なぜ先生がそのような話をするのかわかりません。いつものような雑談だと考えつつも、その背後に 「どこか普段とは違った気配」 を感じますが人生経験の少ない主人公にはそれを理解することができません。 後半の「下 先生と遺書」で、なぜ先生がこのような話をした理由があかされるのですが、そこには先生自身の辛い過去の体験が存在していたことを「私」は把握します。先生は雑談などではなく、 自らの人生で学んだ教訓として語りかけていた のでした。そして、主人公が「それ」を理解するのは、先生が亡くなってしまってからなのです。 「こころ」=「恋愛小説」ではない? 「こころ」という作品は「先生= K = お嬢さん」の三角関係の恋愛小説 だと考えている方も、少なくないかと思います。もちろん「三角関係」というモチーフが「こころ」という作品が読み手の心を捉える重要な役

【正岡子規】柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

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柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 (正岡子規) 今回紹介するのは 正岡子規 の俳句です。「柿を食べていると、法隆寺の鐘の音が聞こえてきた」もはや何の解説も不要なほどわかりやすく、しみじみと深まっていく秋の気配の中で作者がそれを全身で受け止めている様子が伝わってくる名作です。 私がこの作品を初めて目にしたのは、国語の教科書だったか資料集だったか、正確には忘れてしまいました。妙に印象的な頭の形をした正岡子規の横顔の写真と一緒に掲載されていたように思います。「俳句 = むずかしい = おとなむけ」と感じていた当時の私にとって、この作品は 「なんとなくわかるような気分」 にさせてくれた作品でした。 技法とか難しいことは理解できないし、どこが凄い作品なのかを説明することもできないけれど「このような俳句ならば、もっと読んでみたいなあ」と、 なんとなくうれしく 感じさせてくれた作品だったことを覚えています。 夏目漱石「三四郎」の中の子規 この作品には「柿」が重要なモチーフとして登場しますが、実際の正岡子規も柿が大好物だったようです。夏目漱石の「三四郎」の中にも、 子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。(夏目漱石 三四郎より)」 と、正岡子規が柿を食べるエピソードが登場します。大きな樽柿を十六も食べて普通にしているというのは、漱石でなくてもまねはできませんが、そこまで「柿」が好きだった正岡子規が、秋の奈良で法隆寺の鐘の音を耳にしながら「柿」を頬張る時間。 目に見えるもの、聞こえる音、そして味覚。秋の気配とともに感じる「それ」は、さぞ至福の時間だったことであることは想像に難しくありません。そして読み手である私たちはそのような作者の気分を、 17文字の言葉の奥 に感じ取っているのかもしれません。 (追記) 数年ほど前に、奈良へ旅をしたことがあります。(参考: はじめての奈良旅 )3泊4日の日程で旅をしたのですが、とてもたのしくおもしろく、観光してみたい場所がまだまだ、たくさんのこっています。 現在は国内旅行もむずかしい状況ですが、またいつの日か奈良へ行ってみたい。樽柿を食べながら法隆寺を眺めてみたい。そんなことを考えていると、この厳しい状況をなんと

【夏目漱石】あの手紙を見たものは 手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。(文豪の手紙を読む)

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今回は、夏目漱石が門下生の森田草平に宛てた手紙の一節を紹介します。 余は満腔の同情を以てあの手紙をよみ満腔の同情を以てサキ棄てた。あの手紙を見たものは手紙の宛名に書いてある夏目金之助丈である。君の目的は達せられて目的以外の事は決して起る気遣いはない。安心して余の同情を受けられんことを希望する。 (夏目漱石 森田草平宛書簡より一部抜粋) 森田草平は、漱石に宛てた手紙の中で「自分の生い立ち」に関する告白をします。それは森田が誰にも話せず秘密にしていたことであり、ずっと悩んでいたことでした。それを読んだ漱石は「読み終わって、すぐに手紙を裂いて捨てた。あの手紙を読んだのは夏目金之助(注 夏目漱石の本名は金之助です)だけである。他の人に知られることは決してないから安心しなさい」と返信します。 漱石と森田の間に存在する信頼関係。それは師匠である漱石が「上から意見する」というものではないように感じます。相手の自我を尊重し、あくまでも自分の個人的な意見として伝える。そして、 約束は絶対に守る。 この短いの文章の背後には、そのような言葉と信念のやりとりが感じられるように思います。 秘密を守らないことで、失っていくもの 昨今は「秘密」だったはずの内容が、瞬く間に拡散される世の中です。本来ならば、秘密を公開した人は非難され信頼を失うわけですが、逆に周囲から評価を受け注目を集めるような気配もあります。それは、著名人だけでなく、私たちのような一般人のレベルでも同様で「ちょっと調べれば、大抵の秘密は明らかになる」ような状況です。 私たちは、この状況に麻痺してしまい、いやもう少し正確に表現すると、 秘密を守らないことで失うものの大きさを理解できず に、ただなんとなく手元のスマホで情報を検索しています。そして発信していきます。もはや、私たちが失われたものを把握し理解できることは困難かもしれません。失っていることを気がつかないまま、または、わかっているつもりで生涯を終えてしまうのかもしれない。 言葉のやりとりの背後には「信頼」が存在する。信頼が存在するからこそ、言葉を通した交流が生まれていく。言葉のやりとりとが、簡単にできるようになってしまった、大量生産が可能になった現代では「言葉」も消耗品になってしまった。「軽く」考えられるようになってしまったのではないか。。 漱石の 「あの手紙を見たも