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真冬の厳美渓(1月中旬)へ

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真冬の厳美渓を散策する 厳美渓 へ行ってきた。 時期は、1月の中旬。気温は氷点下。まさに、冬の真っ最中の訪問だった。 土曜日だというのに、自分以外の観光客は、ほとんどいなかった。正確に言うと、20分ほど周辺を歩いていて、すれ違ったのは2組の観光客だけ。まさに、独り占めの状況で、ゆっくりと風景を堪能することができた。 厳美渓へ来たのは、これが3回目(だと思う) 今から20年ほど前、学生の頃に日帰りで電車に乗って遊びに来たのが1回目で、15年くらい前に泊まりがけで(宿からの眺めが綺麗だった。どこの宿だったかは忘れた)遊びに来たのが2回目。 両方とも、春から夏にかけての時期だったので、真冬にやってきたのは、これが初めてだった。 15年前の記憶は、意外と正確だった。 おどろいたのは、前回の訪問から15年以上もの時間が過ぎていたというのに、厳美渓の風景が目に入ってきた瞬間に 「ここの風景は、はっきりと覚えている」 と感じたことだ。全体的な雰囲気はもちろんのこと「あの辺りで写真を撮ったな」とか「ここの自販機で飲み物を買った」などということを、わりと鮮明に覚えていた。 登山でも、一度登った山に再び行くと「この風景は覚えている」「前回は、この大きな石のところで休憩した」などと覚えていることも多いのだけど、よくもまあ、こんなに細かな事までも覚えているものだな、と改めて 脳の不思議さを再確認した瞬間 だった。 もしかすると脳の中には 「観光専門の記憶部門」 のようなものがあって、綺麗なものとか、感動した風景などを、そっくりと残しておく部分があるのかもしれない。普段は完全に封印しておいて、変なノイズが入り込まないようにしておいて、再度、同じ場面に遭遇した時に、鮮やかに思い出せるような仕組みがあるのではないか、と、妙に真面目に考えてしまった。 それはともかく、観光シーズンの厳美渓は、にぎわいもあるし「だんご」も空を飛ぶけれど、真冬の厳美渓も、ぴりっとした冷たい空気が心地よく凛とした気分になれるので、興味がある方はぜひ行ってみてください。静かな気持ちになれると思います。

iphoneアプリ『TSUTAYAサーチ』

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最近、みつけたiphoneアプリの中で、結構気に入っているもののひとつが「 ツタヤ・サーチ 」だ。これは、その名前の通り、自分で登録したTSUTAYAの店舗や、現在地周辺のTSUTAYAの在庫を、iphoneから検索できるというアプリ。 実際に使ってみると、在庫の確認はもちろん、貸し出し中かどうかも教えてくれる。せっかく店舗に出向いても、なかなかお目当ての商品を探す事ができなくて、めんどうになり、結局何もレンタルせずに帰ってきてしまうこともある自分にとって、このようなアプリは非常に便利だ。 で、色々と検索してみたのだが、自分が探していた「ポストロック系」のCDは、周辺の店舗には在庫がないと、いうことがわかった。ちょっと、足を伸ばして、検索の範囲を調べてみたのだが、それでも見つからなかった。残念だ。が、いちいち出向いて探さなくてもよかったわけだから、よかった(←ちょっと、負け惜しみ)。 逆に「これは、さすがにないだろう」というような、わりと古めの作品も在庫があったりして、とてもうれしかった。なかなかあなどれないぞ、TSUTAYA。どのような基準で在庫を決めているのだろうか、TSUTAYA。ポストロックも在庫してほしいぞ、うちの近所のTSUTAYA。 それはともかく、無料アプリなので、気になった方は、どうぞ。こちらから → ツタヤ・サーチ

2011。

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あけまして おめでとうございます。 元旦の仙台市は、おだやかな晴れ。 今年は、気持ちのいい一年になりそうな気がします。 そこでふと「そういえば、昨年の元旦の天気は?」と、いうことが気になって調べてみることに。 ネットで検索してみると「2010年1月1日の仙台市の天気は『晴れ 最高気温0.4度 最低気温 −2.9度(Yahoo!天気情報より)」ということが、わかった。 (ちなみに「2009年の元旦は『晴れ』」「2008年の元旦は『くもり』」「2007年の元旦も『くもり』」 「2006年の元旦は『晴れ』」 「2005年の元旦も『晴れ』」 などということも、ワンクリックでわかってしまう。すごい) そして、今年の干支は「卯」。 大きくジャンプできるように、まずは、しっかりとしゃがみ込んで、エネルギーをたくわえようと思います。今年は、昨年の26倍ほど高く飛べるように、がんばろう。 みなさまのところに、すばらしい瞬間が、次々とやってくる一年でありますように。 今年もよろしく、お願いします。 Yahoo!天気 仙台の過去の天気

ナンバ−2。

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最近、あらためて気が付いたのだが、どうやら自分は「ナンバ−2」が好きらしい。正確に書くと、ナンバ−2の位置づけにあるものが好きだということに、気が付いた。 もっと、正確に言ってしまうと「ナンバー1」というだけで、それに興味を失ってしまう場合さえ、あると言うことに気が付いてしまったのだ。 なぜ、自分は「ナンバー2」が好きなのか? 特に「人と同じものが、嫌い」と、いうわけではないと思う。人と同じである、という安心感も否定するわけではないし、そのような理由で選ぶことないわけではない。 では、なぜなのか? 根本的な部分から考えてみれば、多くの場合「ナンバー1」と「ナンバー2」の間には、さほど大きな差がないことが多いように感じる。つまり、どちらを選んでもそんなに差がない訳だから、ただなんとなく選んだ場合は、「ナンバー1」を選ぶ時もあれば「ナンバー2」を選ぶ時も、あるはずだ。その日の気分で、両者を行ったりきたりすることも、あるはずだ。目の前で「ナンバー1」を選んでいる人を見れば、自然に、そちらを選んでしまうことも、あるはずだ。 それでも、頑なに「2」を選ぶということは、自分の強い意志で「2だけ」を選んでいるということになる。もしかしたら「1」を選んだ方が、色々な意味で有利になる場合があるかもしれないのに、わざわざ「2」を選んでいるという段階で、何らかの意思が働いているということだ。 それは何なのか? さらに考えてみるに「2」を選ぶ(選び続ける)ということは、しかるべき自分なりの理由を考えなければいけない、ということに気が付く。例え目の前に「1」があって、入手しやすかったり、価格が安かったり、「1」というブランドイメージや、よりたくさんの人が集まるというエネルギーを感じたとしても、あえてそれを無視して「2」を選ぶということは、自分の中で何かしらの「2を選ぶ理由」を考えていると、いうことだろう。 そう、だんだんわかってきた。自分が「2」を選ぶといことは「何かを選ぶ時は、理由を持って選びたい」という気持ちの表れではないかということだ。もちろん「1」を選ぶ時にも、理由は考える。しかし、あえて、「2」を選ぶという、この「あえて」の部分に、強い意志や理由が必要になってくるわけだ。みんなに「別に、1でいいじゃん」と、言われたとしても、あえてそこで「いや、自分は2を選ぶ。なぜなら・・・」と、逆

ノルウェイの森を、観に行く。

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映画「ノルウェイの森」を観た。 この作品の原作である「ノルウェイの森」を読んだのは、今から約20年ほど前のこと。 当時、付き合っていた彼女から、誕生日プレゼントにと、単行本をもらったことが、きっかけだった。 せっかくプレゼントにもらったものだし、少しずつ、ゆっくり読もうと思っていたのに、読み始めたら止まらなくて、途中で止めることができなくて、結局、その日のうちに、徹夜で上下巻を一気に読み終えてしまった。部屋の外で鳥が鳴いている声が聞こえて、もう、今さら寝ても仕方がないな、と思い、そのまま、ぼんやりとした頭で一日を過ごした記憶がある。 それから、20年後。 まさか、この作品が映画化されるとは、思ってもいなかった。うれしい、という気持ちと同時に、見たくない、という気持ちが強かったことも事実。結局のところ、自分の頭の中にある「思い込みの映像」と、映画の中の映像が、全く完全に一致する訳がないし、そのようなことは、100%ありえないから、がっかりする気持ちの方が強いのではないか、という不安の方が大きかったわけだ。 それでも、 トラン・アン・ユン監督 が、どのような作品に仕上げてくれるのかを確かめたい、という誘惑には勝てず(監督の「 青いパパイヤの香り」は、とても好きな作品のひとつだ)公開されてから、約10日ほど過ぎたあたりに、 いそいそと映画館へと向かうことにした。 結論からいうならば、これは自分にとって「すばらしい映画」となった。 自分の頭の中にあったイメージとリンクする映像を、スクリーンの中に見つけることができた。 トラン・アン・ユン監督の美意識が溢れる映像。リズム。トーン。使い古された言葉だけど「あっという間の2時間」だった。もっともっと、この世界を観ていたいと思った。 おそらく、のちほど完全版の「ノルウェイの森」がDVDでリリースされることだろう。と、いうより、ぜひリリースしてほしい。絶対にしてほしい。早く、観てみたい。3時間バージョン。いや、できれば4時間バージョン。5時間でもいい。長ければ長いほど、いい。そんなことを考えながら、12月の静かな夜を、ぼんやりと過ごしました。

組写真:「一日歩き回った、日(秋)」

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新しい写真をホームページにアップしてみた。 今回のタイトルは「一日歩き回った、日(秋)」で、その名の通り、近所を散歩しながら撮影したものの中から、8枚を選び組写真にしたものだ。 使用したカメラはiphoneで、アプリを使って手を加えてみた。撮影から編集まで、ちいさなiphoneひとつでできる、というのは、とても気軽で便利だ。そして、なによりも楽しい。 ほんの10年くらい前までは、Macを立ち上げて、デジカメを接続して、重たい画像編集ソフトでコツコツと作業をしていたのに、今では、ちいさなiphoneで、当時と同様のことができる。いや、こちらの方が(いろいろな意味で)優れていると言っても、言い過ぎではないかもしれない。 あとは、本人の感覚と技術を磨くだけ。こればかりは、ワンクリックでアップデートできないですからね。継続は力なり。 写真のページは、こちら >>>

facebookを、はじめてみる。

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11月になったので、facebookを始めてみた(←深い意味なし)。 始めてみた、というのは、実はちょっと正確ではなくて、以前に登録していたアカウントを、再開したというのが正しい表現になる。そう、つまり「一度、始めようと思ったけれど、なんとなく放置していた」ものを、やり直そうということだ。 手始めに、まずは、twitterと連動させてみる。簡単な手続きで、あっさりと連動に成功。試しに、twitterからツイートしてみると、すぐにfacebook上にも反映される。これは、いい。なんとなく活気が出てきた。 次に、iphone用のアプリをインストールして、iphoneからもアクセスできるようにしてみた。ついでに、一通りプロフィールなども書き直して表示させてみると、なぜか一番目立つところに「〜さんは独身です」と表記された(画像参照)。なぜだろう? 自分の一番のアピールポイントは「独身である」と、facebookに判断されたのだろうか(まさかね)。 まあ、確かに独身ではあるのだが。でも、そこは別に強調したい部分ではないのだが、などと、ちょっとセツナイ気分になりつつ「友達」のページを見てみると、今度は「友達がいません」と、表示されていた。 そうだよ。独身だし、友達もいないよ。でも、そんなにはっきりと言わなくてもさ、とさらにセツナイ気分になった。どうやらfacebookは、孤独な人間は冷遇される仕様らしい(笑)そしてすでに、今回もこのまま放置してしまいそうな予感がするわけです。