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トニー滝谷

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村上春樹原作「トニー滝谷」のDVDを観た。以前、ある女性に「私は、簡単に人を好きにならない」と言われたことを思い出した。それはきっと「私は、簡単に人を嫌いになれない」ということを言いたかったのだと、気が付いた。今になって、ようやく気が付いた。 翌日の昼。 「トニー滝谷」を、読み返してみた。じんわりと、きた。このタイミングで、映画を観ることができて、ほんとうに良かった。ほんとうに、そう思った。

寝る前に、考えたこと。

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震災の後から、昔のことを思い出して考える時間が多くなったように思う。それは良いことなのか、悪いことなのかは、わからない。ただ、もともと自分は昔のことを思い返して、考える方ではなかったので、思考の方向性に何らかのズレが生じているのではないかと、感じていた。 先日、このことについて、twitterに連続で書き込みながら考えてみたので、こちらにまとめて記録しておくことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:08am 寝る直前になると、過去の出来事が頭に浮かぶようになった。それは例えば「あの人と会う時は、いつも雨……と、いうよりも突風だったな」とか「真っ赤なキャリーバックが、良く似合ってたな」とか、そんな断片的な映像なのだけど、不思議なほど鮮やかに思い浮かぶようになった。 1:14am (つづき)そしていつも感じることは、いかに自分が「一部分しか見ない」で、ものごとを判断してきたか、ということだ。見えない、というよりも、見ようとしない事で、どれだけ多くのものを損なってきたのか。何かを学んだつもりで、結局、同じことを繰り返してきただけではないのか。 1:20am (つづき)今は、午前1時過ぎ。そろそろ寝ようと思う。不思議なもので、朝目が覚めると、夜に考えたことは綺麗さっぱりと消えてしまっている。よし、今日はアレをやろう。次はソレだ。と、いつもの思考に戻っている。脳の仕組みがそうなっているのか、自分が楽観的なだけなのかはわからない。 1:28am (つづき)そして、これで深夜の連続ツイート終わり。昨日は、大きな揺れが少なかった。明日は、もっと揺れないといいなと思う。松島で生まれたペンギンの赤ちゃんが、すくすくと育てばいいいな、と思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この文章を書いた日の夜、とても色鮮やかな夢を見た。 目の前を走っている軽自動車の色が、今まで見たことがないような不思議な色彩で、グリーンのようなイエローのような形容しがたいトーンをしていて、目が覚めてからも「とにかく、凄い色だったな」と、しばらくぼんやりとしていたくらいだった。 直接は関係ないとは思うけれど、こんなにも色が意識に残る夢を見たのは

さくら、咲いた(また来年)。

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少し遠回りをして、桜の前を通ってみた。だいぶ散り始めていた。 今年は、そろそろおしまいだな。 単なる思い込みだと思うけれど、今年の桜は、いつもよりも長く咲いていたような気がする。 ありがとう。また来年。

さくら、咲いた(あれから、3日後)。

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前回書き込んだ日から、さらに3日が過ぎた。 この3日間は、さくらにとって、厳しい日々だった。 最高気温が10度前後にまで下がり、強い風が吹き、みぞれまで降った。 もしかしたら、一気に散ってしまったのではないか? そんなことを考えながら、少しだけ遠回りをして、桜の木の近くにまで寄ってみる。 何事もなかったかのように、桜満開中。 彼女達は、タフだった。

さくら、咲いた(翌日)。

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昨日の日記で「あと数日で満開か?」と書いたけれど、なんと一日で満開になっていた。 一気に、咲き誇っていた。 すごいエネルギーだ。負けられません(勝ち負けでは、ないけれど・笑)

さくら、咲いた。

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先の地震で、57%が浸水したと報道された、宮城県仙台市若林区。僕が生まれ、育ち、今住んでいる街だ。 この場所に、今日、桜が咲いた。 ずっと、待ち続けていた桜が咲いた。 今年、この場所に桜が咲き、それを見ることができたのだ、ということに意味があるのだと思う。 あと数日で、満開になりそうだ。 その頃を見計らって、もう一度写真を撮りに行こうと考えている。

4.7 現実の世界が動く音。

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4月7日午後11時32分。 宮城県沖を震源地とした余震が起きた。宮城で震度6強 M7.4。地球にもてあそばれるかのように、体が左右に大きく揺らされる。家全体が、波打っているように感じる。嫌な音が聞こえる。いろいろな音が混じり合った、頭の奥に突き刺さるような音が聞こえる。「またか」と思う。また、3月11日に逆戻りするのか、と思う。 その日の夜(正確には次の日の深夜)。twitterに、以下の文章を書いた。特に、内容のある文章ではない。でも、近い将来、自分自身にとって何かの意味をもたらしてくれるような文章かもしれない、とも感じたので、こちらにも転載し「記録」しておくことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・4月8日 3:03 今回の地震で、五つある本棚のうち、二つが崩壊した。前回の地震で限界だったんだな。長い間、おつかれさん。本の山を壁際に押しやって、外を眺めている。停電で、市内の空が暗くなっている。緊急車輌のサイレンの音。なんだか、少し寒い。今日は眠れそうにないから、考えごとでもしようかと思ってる。 ・4月8日 3:18 そして次々に届く、安否を知らせるメール。しばしの安堵。冷えたお茶を飲む。新しいサイレンの音が聞こえる。原付が走り抜ける音も。さっきよりも、風が強くなってきた気がするので、そろそろ部屋に戻ろうと思う。 ・4月8日 4:31 只今、午前4時30分。完全に眠るタイミングを外したので、このまま朝まで起きていようかと、考えている。新聞配達と思われる、バイクが走り去る音が聞こえる。それは微かだけど、とても頼もしい音のように感じる。現実の世界が確実に動いているのだ、という証拠のように感じられる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 実は(と、あらためて強調するほどの事ではないけれど)1回目と2回目の文章の間に途中まで書いたものの、なんとなく違和感を感じて削除してしまった文章がある。 それは、外に出た時に感じた、風の臭いに関する文章で「なにか、ふしぎな臭いがする。海の臭いのような気もする」と、いうような内容のものだ。 途中まで書き進めた段階で「海の臭い」という表現に違和感をも