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善光寺で「お戒壇巡り」を 秋の長野を巡る旅(7)

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小布施を後にし、向かった先は 善光寺 。長野旅行を計画していた段階では、善光寺に詣でる予定はなかったのだけど「長野に行くなら、善光寺は必須」という知人のアドバイスを参考に、そこまで言うのならと行ってみることにした。が、これは確かに大正解だった。 自分のように、信心深くない人間でも、善光寺の建物が醸し出している迫力や、参拝客が連なって歩いて行く参道の様子を眺めているだけでも、何か感じるものがある。ずっとずっと昔から、多くの人たちがこうやって、この参道を歩いてきたのだろう。長い距離を歩いたり走ったりして、この参道の入口に立った時には、どのようなことを感じたのだろう。 今日の僕のように、車でささっと来ることができる人でさえ、おおっ! と感動するのだから、はるばる何日もかけてやってきた人の心中やいかに、といった感じである。 今回、善光寺に詣でた際に、ぜひ参加したいと考えていたのが「 お戒壇巡り 」だ。これは「極楽の錠前」に触れさせていただくことで、御本尊様と結縁をいただけるという儀式である。 儀式なので、詳しい説明は省くけれど、参加する前と後に、色々と考えさせられることがありました。とても貴重な体験だったので、おすすめです。 ちなみに自分の場合は儀式を終えて外に出た時に 「戻ってこられた・・・」 という気分になりました。すでに、この儀式に参加された方は、きっと共感してくれるのではないかと思います。いや、とにかく参加してよかったです。しみじみ。 参道では門前の 八幡屋磯五郎 で「お約束の七味唐辛子」も入手した。遠くから見ても、一目でわかる&記憶に残るデザインのブリキ缶。かつては 「善光寺参りの手形」 と言われたそうだけど、それもなるほど、といった印象を受ける存在感だ。 アニバーサリー缶ということで、オリジナルの七味缶を作ってもらえるということを知り、かなり気になった。何かのイベントで、オリジナル缶を配りながら「七味は、七つの風味が組み合わさって、豊かな『辛み』を作りだしていくわけですが、辛みといっても、そこには絶妙なハーモニーがあるわけですが・・・」などと、わかったようなわからないようなことを言ってみたいと思ったりもした。まあでも、実際は、自分と七味とは何の縁もゆかりもないし、本当に配ったとしたら「なぜ七味?」という反応が返ってきそうな

小布施観光。歩く観るそして栗 秋の長野を巡る旅(6)

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長野3日目。 宿で朝食を済ませてから(おいしかった)向かったのは 小布施 。ここは、ことりっぷという旅の本を見て、無性に気になり今回の日程に組み込むことにした。 小布施といえば栗。そして、北斎。その程度の知識と情報のみで、現地へ向かう。昨晩宿泊した渋温泉からは、車で約40分といったところ。普通の地方の道路を淡々と走っていくと、ある区域に入った瞬間に空気が変わるのを感じた。街全体のトーンというか、雰囲気が全然異なっている。「何かありそう」なわくわく感。そうか。ここが小布施なのか。 町営「森の駐車場」に車をとめる。出口で駐車料金を支払って(前金制だった)外に出る。当日の小布施の空は、薄曇りといった感じ。暑くもなければ寒くもない。歩いて観光するには、ちょうどいい気候だ。 ガイドブックにある、おすすめルートを参考に、ぐるりと町の中を歩いてみる。まず最初に感じたのは、街全体がひとつのコンセプトで「しっかりと作り込んである」ということ。ただ「観光に力を入れています」というのではなく「 観光してもらうために、それにふさわしい街並を徹底的に作りこんでいる 」という印象を受けた。 建物の外観はもちろんのこと、道路の幅や通路の角度まで計算しているのでは? と感じてしまうほど(もちろんこれは、僕の個人的な印象だけど)きっちりと世界観を作っていて、それを自然に醸し出しているという、ものすごくコンセプチュアルな町作りをしているのではないかなと感じた。 そんなわけで「ただぶらりと歩いているだけ」でも、なかなか楽しい。あそこも見たい、こちらの方には何があるのだろう? と、町のすみずみまで歩き回ってみたくなる。 ものすごい数の観光客(大型バスが次々と駐車スペースへ入っては出ていく)の流れに乗りながら「 北斎館 」へ。 僕は、旅に出た時は、そこの町にある美術館に入るようにしているのだけど、今回もその流れとして「では、 北斎館 に行ってみるかな」という感じだった。ところが実際に中に入って作品を観てみると、想像以上におもしろかった。特に「屋台展示室」に展示されていた天井画の迫力には、圧倒されてしまった。実際に、この屋台は町の中をねり歩いていたのだろうか? そしてその姿を、当時の方達はどのような気分で眺めていたのだろうか? たぶんきっと、それはすごく豊かな時間だったよ

渋温泉で九湯巡りに挑戦 秋の長野を巡る旅(5)

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上高地を出て、本日の宿へと向かう。今回選んだのは「 渋温泉 」だ。渋温泉は、長野県の東北の方、野尻湖のやや東に位置する温泉街である。 なぜここを選んだかというと、この渋温泉には 「宿泊客しか利用できない外湯が9つあり」そして「それをすべて巡ると、満願成就」という言い伝えがある という情報を知ったからだ。 こんなに面白そうな温泉があるなら、行くしかない。宿泊客しか利用できないというのもいいじゃないか、と決定したのだった。 温泉宿へは午後の5時くらいについた。すでに、浴衣を着た人たちが、下駄の音を響かせながら温泉街を歩いている。石畳の道に響き渡る下駄の音。自分も早く「あの一員」になりたいと、自然と気分が高まっていく。 宿の部屋は2回の角部屋。温泉街のメインに面していて、お客さんたちが道を歩いている姿を眺めることができる。浴衣にカメラを手にして、何度も立ち止まりながら写真を撮影している人。2階の部屋にまで、会話の内容がはっきりと聞こえるほど大きな声で、ゆっくりと歩いて行く人。母親に手をひかれながら、湯屋に入っていく子供。恋人同士と思われる若い2人組。さまざまな人たちが、下駄の音と一緒に道を歩いていく。 いそいそと浴衣に着替えてから、さっそく 「九湯巡り」の計画 を立てる。一度に9つは、さすがにきつい。夕食の前に3つ。夕食後に3つ。朝一番に3つくらいのペースで巡ろうか、とおおまかな計画を立ててから出発。 ここの九湯巡りには「 巡浴祈願手ぬぐい」 というアイテムがある。その名の通り、外湯の名前が縦に書かれた手ぬぐいで、そこの湯につかった証としてスタンプを押していく仕組みになっている。そして、すべてのスタンプが押された手ぬぐいを持って、最後の仕上げに高台にある高薬師さんに詣でるという流れになっているわけだ。 この手ぬぐいが、九湯巡りの面白さを引き立てていて、もはや湯を楽しむというよりも 「すべてのスタンプを押す」ことが目的 になってしまっているような気がするくらいだ。実際に、風呂に入らずにスタンプだけを押して回っている人や、足先だけにお湯をかけてすぐに外に出てしまう人も、何人か目にした。外湯が利用できるのは、夜の10時まで。そして朝は6時から。人によっては、ひとつの湯を数分で巡らないと間に合わない人もいるだろうから、いきおいそのような巡り方にな

上高地を歩く(4の3)河童橋に到着 秋の長野を巡る旅

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ホテルの前を出発。歩きやすく整備された、梓川沿いの道を歩いていくと、先の方で人が集まっているような気配があった。おそらく、あのあたりだろう・・・と思いながら先を急ぐと、あった。 河童橋 だ。 ガイドブックなどで何度も見ていた 河童橋 。その上を、たくさんの人たちが、行き交っている。写真を撮影するために立ち止まっている。 普通これだけ多くの人たちがいれば「観光地」といった雰囲気になってしまうだろう。どことなく、ざわざわとした、活気はあるものの落ち着かないような雰囲気になってしまいがちではないかと思う。 ところが、ここではそのような雰囲気を感じさせない。人は多いけれど「やはりここは山なのだ」という、どこかビシっと引き締まった空気を漂わせている。それは空気の質感なのか、後ろにそびえる穂高岳の姿なのか、透き通る水が豊富に流れ続ける梓川のおかげなのか、一般車両の通行を禁止しているからなのか。それはわからないけれど、とにかく、そのようなものが組み合わさって、この場所が作られているのかな、という感じがする。 梓川の河原に降りて、水に手を浸す。なぜか 「また、ここに来たぞ!」 という気分になる。初めてきたのだから「また」という言葉は不適切なのだけど、なぜか「また」という言葉がぴったりくるような気がする。そして「またくるぞ」という気分にもなってくる。来たばかりなのに「また」が連続で頭に浮かぶというのも、初めての体験に、なんとなく苦笑いをする。 しばらく周辺を散策してから「おいしいコーヒーを飲もう」と、河童橋の目の前にある 五千尺ホテル にはいる。上高地の計画を立てている時から、このホテルでコーヒーを飲もうと決めていた。ちなみに 五千尺ホテルの「 五千尺」とは、上高地の標高1.500m( 五千尺)からきているそうだ。ふいに頭に「アルプス1万尺」のメロディが思い浮かぶ。思い浮かんだだけで、さすがに歌いはしなかったが、陽気な気分のまま、椅子についた。 オーダーをすると、ほどなく皿が目の前のテーブルに運ばれてくる。コーヒーの味そのものを楽しむことと、この場所で飲む、という喜びとが組み合わさって、なんともいえない気分になる。窓の外には、河童橋が見える。たくさんの人たちが、やっては過ぎていく。みんな笑顔だ。とても笑顔だ。 そんな様子を眺めながら、しばらくの間、コ

上高地を歩く(4の2)大正池から自然研究路を通り河童橋へ 秋の長野を巡る旅

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バスは 大正池 で降りた。ここから梓川に沿って、河童橋を目指す「 自然研究路 」というトレッキングコースを歩いていく。 バスを降り、大正池のそばに近づいていく。朝もやが湖面に、ぼんやりと漂っている。 底の底まで見えているのではないか、と思うほどの透明な水 。その上に、穂高連峰の山々がくっきりと映っている。 太陽に力強く照らされた山肌と、まだ静寂を保っている湖面の静けさのコントラストが、現実の世界とは思えないような不可思議な空間を作っている。池に向かって左側に見えるのが焼岳だ。あの山が噴火したことで、この大正池ができたという。 みんな足を止めて、盛んに写真を撮影している。通常の観光地のように、ピースサインをして記念写真を撮っている人たちよりも、山々にレンズを向けて何枚も何枚もシャッターを切っている人の方が多いように思える。ひとしきり山と池の写真を撮影してから、忘れていたかのように記念写真を撮る。ああそうだ、人物の写真も撮っておかないとね、といった感じになってしまうほど、ここの風景は美しく圧倒的な存在感だった。 立ち去りがたい衝動を感じつつ、次の場所へと向かっていく。森の中を抜け、木道の上をポクポクと歩いていく。暑くもなく寒くもない。時折降り注いでくる太陽の光が、普段の光よりも白く鮮烈なものに感じる。ちいさな子供を連れた母親が、先へ先へ行こうとする子供を呼び止める。このような場所では、大人よりも子供の方がずっと元気だ。早く、早く、と道の先の方へと走るようにして進んでいく。 僕は、いつも山歩きをする時は、時間を何度も見て地図と自分の位置を確認するようにしている。山の中で迷うのは一瞬だし、それは大きなトラブルにつながることも多いからだ。 でも、ここ上高地では、ほとんど時計を見ることがなかった。道も整備されているし、たくさんの人が歩いているから、ということもある。時間を確認することで現実の世界に戻りたくなかったのかもしれないし、ただ単に時間を確認するのを忘れていたのかもしれない。そのどちらなのか、もはや自分でもわからないのだけど、気がついたら 田代橋 に到着していた。穂高連峰と梓川の流れを眺めながら、 上高地温泉ホテル の前で小休止をする。 ホテルの売店をのぞくと、ポテトチップスの袋がパンパンにふくれているのを見つけた。気圧の関係なのだろ

上高地へ行く(4の1)シャトルバスに乗って上高地へ 秋の長野を巡る旅

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今回の長野旅行の目的のひとつは「 上高地 へ行く」ことだった。上高地と言っても、登山に興味がない方にはピンとこないかもしれない。実際に妹に「長野へ行く」と話したところ「長野って何があるの?」「上高地へ行くんだ」「ふーん」と、いった感じだった。 しかし、登山好きの人間にとっては日本(北)アルプスの玄関であり「聖地」と言っても言い過ぎではない場所なのである。 数年前に長野に来た時には、オフシーズンだったため、松本市から上高地方面を眺めただけで終わってしまっていたこともあり、今回はとても楽しみにしていた。一番の心配事は天気で、出発時の天気予報では「曇りのち雨」となっていた。アウトドアの大敵は、なんといっても雨。曇りでもいいから、なんとか雨だけは避けてくれ、と願いながら迎えた当日は、なんと抜けるような青空。雨雲なんて視界の端にさえ見えない。すべてが整った。ありがとう、と誰に言うのでもなくつぶやいてから車に乗り込んだ。 現在、上高地へは自然保護の観点から一般車両の乗り入れが禁止されている。自分たちのような一般の人間が上高地入りするには、おおまかにわけて、 1)電車 → バス → 上高地 2)バス → 上高地 3)車 → バス 上高地 のように、何らかの交通機関を利用して上高地入りすることになる。自分の場合は、上高地から降りてきた後、そのまま車で移動する必要があったので、3)のプランで行くことにしていた。今回の 具体的なルートを示すと、 1)安曇野市(ホテル)車で移動 → 2)沢渡(駐車場)バスに乗り換え → 3)上高地 と、いう流れになる。前日に宿泊したホテルのフロントの方に上高地までのルートを質問したところ「途中細い道があるけれど、おおむね走りやすいルート」と教えていただいたのだが、実際に走ってみると、ちゃんと舗装されているしバスも走っているルートなので特に問題なく走行することができた。「松本市から沢渡までは、通常で一時間弱くらいだけどシーズン中は大渋滞する」と聞いていたので、早めに出発(安曇野市を6時に出発)したところ渋滞もなく、1時間30分ほどで 沢渡(さわんど)へ到着 することができた。 到着したのは、午前7時過ぎだったのだけど、すでに駐車場は「ほぼ満車状態」になっていた(実際に、自分が帰るころには『満車』の表示が出ている駐車場

安曇野ちひろ美術館へ 秋の長野を巡る旅(3)

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安曇野ちひろ美術館へ 次に向かったのは「 安曇野ちひろ美術館 」だ。ここでは、入場券の替わりに、写真のような「タグ」が配られる。これを見えるところに下げておくことで入館許可証となる。 何種類かのタグが用意されていたのだけど、自分はこの 少年の絵柄 にした。これを胸のあたりにぶら下げて、展示室へと向かっていく。 まず最初に感じたことは、美術館の建物の雰囲気がとてもいいこと。 開放感がありつつ、作品に集中できる雰囲気になっている 。屋外に設置されている椅子にこしかけると、行きつけのカフェに来ているかのような気分になる。すぐそばを、他のお客さんが次々に通りすぎていくのだけど、それすらも気にならないような感じがする。 長野のゆったりとした空気がそうさせるのか? 建物全体のデザインによるものなのか? いわさきちひろさんの美術館だから? とにかく、そのような様々な要素がくみ合わさって、このような雰囲気を作っているのではないかと思う。 作品を楽しむことが美術館の第一の目的だけど 「そこにいることが、たのしい」 という美術館だと感じた。細やかな部分にまで、コンセプトが浸透している空間だと思った。 小学生のころ「図書館をつくる(そして、そこに住む)のが夢 だったのだけど、いつの日かこのような美術館や図書館をつくる仕事に携わりたいものだ、とあらためて思いました。 原画が発する「迫力」を堪能する そんなことを考えながら、作品を鑑賞しながら回っていく。使い古された表現だけど、やはり 「原画のすごさ」 に圧倒される。印刷をする時には失われてしまう、トーンのやわらかさや穏やかさはもちろん、作者のいわさきちひろさんの思いも、じんわりと伝わってくるような気がしてくる。想像以上のすばらしさだった。 当日(2011.9月)は「ちひろと香月 ー母のまなざし、父のまなざしー」という特別展が催されていた。 香月泰男さんの作品を観たのは初めてだったのだけど、こちらもパワフルで圧倒された。戦争体験という同時代を生きた、お二人に共通の経験をベースにした作品が展示されていた。人を思う気持ち、戦争という失われていく風景への思い、それらがお二人の異なるタッチで表現されていく。あまりにも、やさしくて、そしてせつなげ。美術館へ足を運ぶ楽しみのひとつが、 新しい作家との出