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仙台市博物館の特別展「仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻」

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仙台市博物館の特別展「仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻」 へ行ってきた。 仙台市博物館へ行くのは、震災直後の「ポンペイ展」へ行ったきりだから、だいたい半年ぶりくらいということになる。 何度来ても、静かで落ち着いていて、ゆったりとした気分になれる、とてもいい空間だ。当日は「初雪が降るかもしれない」と天気予報で言っていたほど、寒く小雨のふる空模様だったけれど(注・11月下旬)博物館の駐車場に到着したとたんに、わくわくして寒空も気にならなくなった。この様子ならば、雪にはならないだろうし、たとえ雪に変わったとしても、すぐに溶けてしまって問題ないだろうと思いつつ館内に向かう。 今回の特別展のテーマは仙台藩にゆかりのある仏像や肖像彫刻、資料などを集めて展示するということだった。自分は、以前から仏像を見るのがわりと好き(信仰という方面からではなく、意匠としての面からなのですが)だ。 丹念に制作された仏像(木像)を見ていると、「触れたら絶対に、温かいにちがいない」と思うくらいに、生々しく像の中心部で生命が躍動しているかのような、印象を受けてしまう。 作者が制作している過程で「それ」が宿るのか。それとも、完成した瞬間なのか。いや、長年多くの人たちが拝み慈しんでいる時なのか。それとも・・・などと、色々なことを想像してしまうくらい、深くやわらかく圧倒的な存在感を持っている。 そういえば、実家にも木彫りの像が置いてあった。たぶん大黒天だと思う。大人が両手で一抱えにするくらいの大きさの像で、かなり重たいものだ。家族に聞いた話だと、親戚だったか親しい知人だったかに制作してもらったものだという。完成してから「これは、祖末にしてはいけない」という第三者からの忠告で、ちゃんとご祈祷をしてもらったというエピソード付きのものである。 子供の時に、奥の薄暗い部屋に置いてあった大黒天は、なんとなく妙な存在感もあり、どちらかというと気持ちが悪い印象の方が強かったことを覚えている。そういえば、あれはどうなっただろう? 確か、家を建て替える時にも保管していたような気がしていたのだけど。今度、家族に確認してみよう。そんなことを思い出しながら、展示室に入る。 今回、特に楽しみにしていたのが「宮城県指定文化財 十二神将立像 陸奥国分寺蔵」である。自分は「十二神将立像」のように

仕事が忙しくて、紅葉を見にいけなかった方へ。

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仕事が忙しくて、紅葉を見にいけなかった方へ。【その1】 仕事が忙しくて、紅葉を見にいけなかった方へ。【その2】   仕事が忙しくて、紅葉を見にいけなかった方へ。【番外編 〜冬桜】 11月下旬に宮城県で撮影しました。ほとんどの木々で、葉が落ちてしまっていたのですが、かろうじて残っていた紅葉を探して撮影してみました。

フェルメールからのラブレター展(in 宮城県美術館)

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宮城県美術館で開催されている「フェルメールからのラブレター展」へ行ってきた。県美でフェルメール展が開かれる、と聞いた時から友人達と「楽しみだね」と話していたので、ようやくこの日がきた、という感じだ。 フェルメールの作品が東北で公開されるのは、今回が初めてのことなのだそうだ。自分の中では、フェルメールの作品を何度か宮城県美術館で観たような気がしていたけれど、どうやらそれは単なる勘違いだったようだ。記憶というものは、非常に曖昧なものなのだな、と改めて実感する。思い込みとは、大変おそろしいものである。「この前、宮城県美術館でフェルメールを観た時は・・・」などと、他人に言う前に気がついてよかった。それは「そういえば、前にこの店に来た時に・・・」「・・・それ、私じゃないよ」と、別の女性と来たことを忘れて、彼女に話しかけてしまうくらい、情けないことだ(←これは違いますね)。 ちなみに、ルーブル美術館でもフェルメールの作品を観たはずなのだが、いや確かに観たような記憶があるのだが、なんとなくおぼろげな感じになってしまっている。入口のピラミッドはおぼえているし、館内にものすごくたくさんの人たちが溢れていて、押すな押すなの状況だったとか、入口の近くで買ったサンドウィッチがものすごく不味かったとか、そんなことははっきりと覚えているのだけど、肝心の作品のことは曖昧になっている。 そういえば、モナリザを見ていた時に、背負っていたリュックサックのチャックが全開になっていて「しまった、スリにやられたか!」と慌てたこともあった。結局、中身は大丈夫だったし、チャックもどうやら自分が閉め忘れただけだということがわかって、ほっとしたということもあった。 と、全くフェルメール展とは関係のないことを思い出しつつ、チケットを購入して館内に入る。平日(金曜日)ということもあって、来館している人は想像していたよりも多くはなかった。入場なども、列に並んだりすることもなく、すんなりと中に入ることができた。 今回の「フェルメールからのラブレター展」で展示されている作品は、全部で3作品。「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使い」の3点だ。とりわけ「手紙を読む青衣の女」は、日本初公開であり、さらに今春修復を終えたばかりで、本国オランダよりも先に公開されるという、かなり貴重な展示とな

深夜の連続ツイート:さびしい人たち。

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何かの本で「腕組みをしている人は、さびしさを感じている人」というのを読んだことがあって、それ以来、腕組みをしている人を見ると「この人は今、さびしいんだ。さびしさをこらえているんだ」と思うようになってしまった。そんなことを考えながら周りを見渡すと、世界には「寂しい人」が溢れている。 (つづき1)でも「さびしさを感じる」ということは、前に「さびしくない=満たされている」という経験をしたことがある人、といえるのかもしれない。そもそも、最初からずっと孤独ならば、独りのさびしさなんて感じるはずがないと思うからだ。 (つづき2)只今、午前1時48分。これで深夜の連続ツイートおわり。サッカーの試合中、監督が腕を組んでいる様子を見て 、このことを思い出した。ちなみに自分は、腕も組むし足も組む。肩も組めば、座禅も組む(←これは冗談)でも最近は、腕組みよりもポケットに手をつっこむ事の方が多いかな。

深夜の連続ツイート:あたたかな雨。

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今日は、一日雨になりそうです。 でも、冷たい雨ではなく、どことなく温かい感じのする雨です。   瓦礫が取り除かれ、跡には何もなくなりました。 荷物を積んだ大型トラックが、すぐ横の道路を大きな音を立てながら過ぎ去って行きます。(仙台市若林区) ただいま、午後4時28分。日が暮れてきましたが、さほど寒さは感じません。 これから一気に冷えてくると思うので、iPhoneの充電が残っているうちに、移動しようと思います。

深夜の連続ツイート:self portrait

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self portraitを初めて聴いたのは、中学生の時だった。その時「こんなに優しくて、あたたかい音があるんだ」と感動したことを覚えている。そして今、同じ曲を聴いて同じように感動している。 あの頃の自分が、今の自分を見たら、何と言うだろう? 目をそらして、向こうへ行ってしまうかもしれないな。そんな自分の「self portrait(2011)」がこれだ。 self portrait(2011)

「タンタンの冒険」を巡る冒険。

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いよいよ待ちにまった、というか、「本当に公開されるのか?」とさえ思っていた、スピルバーグ監督の「タンタンの冒険」が、12月1日に公開になる。 自分が初めてタンタンを知ったのは、いつのことだったか。何がきっかけだったのかは、もうすでに忘れてしまった。社会人になって、仕事で出かけた先にタンタンのカレンダーが置いてあるのを見て「なつかしいな」「ひさしぶりに読んでみよう」と思い、仙台のタンタンショップ(←今ではもう、なくなってしまったけど)に出かけていったのが、再会のきっかけだった。 それ以来、折々に読み返したり、カレンダーを飾ったりしながら、風の噂に聞こえてきていた「映画公開」を楽しみにしてきたのだけど、それがこの12月に公開されることになったわけだ。ものすごく楽しみ、という気分と、もし自分のイメージに合わなかったらどうしよう、という気分が半分半分。自分にとって、そのくらい、思い入れの強い映画作品だ。 仕事の移動の途中、書店に立ち寄ったところ、タンタンのムックが発売になっていた。おまけにトートバックがついてくるということで、迷わず購入。本当の「おまけ」のイメージで購入したのだけど、思いのほか(と、いう表現はおかしいけれど)しっかりとしていて満足した。男性にはタンタンのトートは、さすがに「かわいらしい」ので似合わないかな、と思ってもいるけれど、あえて照れずに、これからエコバックとして、旅の時のバックとして、色々なところで使っていこうと思っている。映画を観る時も・・・は、さすがに止めておこうと思っている。 世界的に有名な作品だし、今更自分が宣伝するほどのことでもないのだけれど、もしまだ、タンタンの冒険を読んだことがない方は、ぜひ手に取られることをオススメしたい。子供から大人まで(これを、作者のエルジェは『7歳から77歳の全ての若者へ』と表現した)何度も何年も楽しめる作品です。ほんと、いいですよ。 なぞのユニコーン号|福音館書店(日本)【楽ギフ_メッセ入力】【楽ギフ_のし宛書】【楽ギフ_包... タンタンの冒険・ユニコーン号の秘密 特報映像