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【文学】読み返すのが怖い、読み返す自信がない。(山本周五郎)

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じつのところ、私は自分の書いたものを読み返したことはない。どんな短い一編にも、それぞれに愛着はあるが、客観的に成功したと思えるものは一編もなく、むしろ読み返すのが怖い、読み返す自信がない、と言うのが本音だろうかと思う。 すべては「これから」 山本周五郎より こちらは作家・山本周五郎 すべては「これから」の一節です。「 縦ノ木は残った 」「 赤ひげ診療譚 」など多くの名作を生み出し、様々な文学賞の候補になるものの、それらを辞退(直木賞を辞退した唯一の作家です)。そのような作家の 「読み返す自信がない」 という一節には、自身の文学世界を追求し貫いた深いこだわりと、思索の様子を垣間見れるような気がします。 「自信」を待っていては、いつまでも始まらない 私は今までに、多くの方たちの文章を見せていただく機会に恵まれました。そのように、真面目に勉強をされている方たちは 「まだ自分には実力がない。挑戦する自信がない」 と口にされることが多いものです。 しかし、 自分が納得できるような「自信」が身につくまでには、おそらく10年20年以上の時間が必要となるでしょう。 様々な文学作品などに親しみ「名文」に触れてきた人であれば、その凄みが実感できますから、なおさらです。 山本周五郎のような名作を生み出し続けた作家であったとしても「読み返す自信がない」としているわけですから(もちろん、この「自信」というレベルが私たちが考えているそれとは、大きく異なりますが) 自分が納得する自信が身につくのを待っていては、いつまで経ってもたどり着けない ことになります。 その時にしか「表現できない」ものが、ある。 もしも今皆さんが 「何かに挑戦したいと思っているけれど、自信がないからできない」 と感じているのであれば、この山本周五郎の言葉を思い出し 「自信がないのは当然なんだ。恥をかくことで学び、成長できることがあるはずだ」 と、挑戦していくことを最優先事項にしてみるのも、いいのではないかと思います。 今自分ができるベストを尽くす。それは、10年後の自分からすれば「レベルの低いもの」になるでしょう。それを消してしまいたくなる衝動も感じるでしょう。実際に私も、10年前の私の文章や言葉が掲載されている書籍などは「なかったこと」にしたくなります。あれは自分ではない、と嘯いてみたくもなります。

【文学】作家のラブレター 小林多喜二編

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「闇があるから光がある」そして闇から出て来た人こそ 一番ほんとうに光の有難さが分かるんだ (小林多喜二 田口タキへの手紙より) こちらは「蟹工船」の作者 小林多喜二が恋人に送った手紙の一節です。電気が途絶えた真っ暗闇の場所では、ろうそくの微かな灯りが心を満たす強い光になるように、闇の深さを知っているから、光のありがたさ、すばらしさがわかる。そのような想いを込め、愛する人へ向け、心の奥からまっすぐに発せられた言葉が印象的な一節だと思います。 小林多喜二は、プロレタリア文学(労働者の厳しい現実を描く)を代表する作家として活動します。「蟹工船」では船内で酷使される労働者の姿を描き注目を集めますが、その思想から警察にもマークされるようになります。結果、特高警察からの拷問を受け、29歳の若さで亡くなってしまうことになります。 そのような作者の壮絶な人生を振り返りながら、この手紙の一文を読むと、小林自身が「ほんとうに光の有り難さがわかる時がくる」と信じ、周囲にも自分にも言い聞かせながら生きていたのではないか? そんなことを考えたりします。 世の中は幸福ばかりで満ちているものではないんだ 不幸というものが片方にあるから幸福ってものがある そこを忘れないでくれ(同) 私たちは「好き嫌い」だけで判断してしまうことが増えてきたように、思います。個人の感情と目の前の状況だけで、すべてを切り取ってしまいます。それが何を意味しているのか。この行動は、どのような未来につながっていくのか。その暗闇の奥に、私たちは何を見ることができるのか。そんなことを考えました。 【佐藤ゼミ】作家のラブレター(小林多喜二編) 〰関連 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【体験談】遠近両用レンズと、サポートレンズの違いを体験する。

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40代になったら「遠近両用レンズ」に慣れるべき? 先日、ジンズで「サポートレンズ」でメガネを作ったことを書いた。その時は視力測定の段階で「遠近両用レンズは、まだ必要ない」ということだったので、サポートレンズにすることにしたのだった。 しかし店員さんに 「遠近両用レンズは、サポートレンズと見えかたが違うから、40代になったら早い段階で慣れておいた方がいい」 というアドバイスを受けていたので、40代後半の筆者としては、近いうちに遠近両用レンズも試してみたいと思っていたのだった。 遠近両用レンズとサポートレンズは、見え方が大きく違う 詳細は省略するが、先日「遠近両用レンズ」を試す機会があった。結論から言うと、私の場合は 「サポートレンズと遠近両用レンズは、見え方が大きく違う」 という印象を受けた。サポートレンズの場合は、視界の歪みも少なくそこまで大きな変化を感じなかった。 ところが 「遠近両用」の場合は、視界の下の部分がぼやけてしまうのがはっきりと体感 できた。立ち上がって足元を見ると、ぼんやりとしてよく見えない。遠くを見る時に使う部分と手元を見る時に使う部分との差が大きいため、日常の作業でも少し不安な印象を受けた。とくに、立ち上がって数m先の床を見ると、端の部分が大きく歪んで見える角度があって、ちょっと厳しいな、と感じたのだった。 店員さんの言う通り 「慣れが必要」 であることは間違いないようだった。そして私は慣れるまでに時間がかかりそうな予感があった。さてどうしよう? 慣れることも大切だが、今の段階で不安を感じながら使用するのもストレスが溜まる。しばし考えたあと「あと、1〜2年は今のメガネ(サポートレンズ)でいこう。しばらくして新しい眼鏡が欲しくなった段階で、遠近両用を検討しよう」と、いうことに決めたのだった。 目を酷使する時間が長い、現代だからこそ もしも「サポートレンズにしようか、遠近両用にしようか」と迷っている場合は、両方を試してみることをおすすめしたい。店舗の中で試着しただけでは、その差がわかりにくいと思うのだが、可能な範囲で歩き回ったり段差があるところを通ってみよう。店員さんによっても、おすすめしてくる内容が異なる場合もあったので、 遠近両用レンズの知識が豊富で相談しやすい店を選ぶことも大切 だ。 私たち人間は、 五感のうち約80%以上の情報を「視覚」に頼っ

「食べてくれる人がいることが肝心」(檀一雄流 男の家庭料理五箇条より)

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以前noteに書いた「 買ってよかったもの『男の料理編』Best3 」という記事が「編集部のおすすめ」に選ばれたので、いつもよりも注目していただくことができた。この記事には、自粛期間中に手に入れた調理道具を3種類ほど書いた。普段料理をしない、全くの「自炊素人」が書いた記事というのが、共感をいただけたのではないかと思う。 そして「 買ってよかったもの『男の料理編』Best3 」には書かなかったことを補足しておくと、私が「男の料理」をするようになったのは 「一緒に食べてくれる人」が、いる からである。もしもこれが自分一人だったならば、それこそ適当にご飯を炊いてチャーハンと味噌汁を作って、程度の食事を続けていたことは想像に難くない。 実際に、大学生のころには「朝:コーヒー 昼:定食屋で食事 夜:弁当」というような感じで生活をしていた。一応健康を考えて、牛乳と飲むヨーグルトを定期的に摂取してはいたが、その程度である。今よりも体重も15kgほど少なく、だいぶ痩せていたのでバイト先の社員から「大丈夫か? ちゃんと飯を食ってるか?」と心配され、飯をごちそうになったくらいである。 その時は「バンドマンは、痩せてないとダメなんですよ」と、わけのわからない理由を口にしていたが、風邪を引いても治りにくかったし、インフルエンザになった時は数日家から出られないほど衰弱したので、確実に栄養は偏っていたと思う。 檀一雄流 男の家庭料理五箇条 しかし、一緒に生活をしている人がいると「誰かのためにつくる」という発想が生まれるので、重い腰を上げて料理をすることができる。「今日は肉料理だから、野菜を多めにしよう」などと、考えたりもする。そして、母親は毎日このような感じで食事を作ってくれたのだな、と感謝の気持ちも芽生えたりする。 作家の檀一雄は 「檀一雄流 男の家庭料理五箇条」のひとつとして「食べてくれる人がいることが肝心」 としている。この気持ちはとてもよくわかる。普段料理をしない人間には、これが一番重要かもしれない。 幸いなことに、私の連れは何をつくっても「おいしいね!」と言いながら食べてくれる。実際にはたいしたことのない料理でも、そう反応を返してくれると「じゃあ、次は何を作ろうか」という気分になる。なので、もしパートナーに「料理をさせたい」のであれば、まずは 一緒に料理を作って「おいしくできたね!」

【人生哲学】速度を上げるばかりが人生ではない(マハトマ・ガンディー)

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確定申告をしながら、考えたこと。 3月である。そして年に一度の「確定申告」の時期である。もう何年も、この作業を繰り返してきたけれど、数字を扱うのが苦手な私は「これで計算合っているよな?」と、緊張しながら書類を作成している。最近では、ネットで書類の作成ができるのでだいぶ楽になった。どうやらスマホでも作成できるらしいので、次回はスマホでの確定申告に挑戦してみようと考えている。 それにしても、1年というのは「あっというま」だ。 学生のころは「1年あれば、なんでもできる」などと息巻いていた し、実際に様々な体験ができたけれど、社会人になると「あれ?」という感じで時間がすぎてしまう。 とくに昨年のように自粛生活が続き、行動範囲が狭まっていると季節の移り変わりも曖昧だし、なんだかよくわからないうちに一年が過ぎてしまったような感覚になる。しかし、確定申告の書類などを整理していると、 忘れているだけでそれなりに様々なできごとがあった ことを思い出す。春先はこんなことをして、夏にはこれに取り組んで、などと移動距離は減ったがそれなりに作業をして「生きてきた」ことを実感する。 「未来が読めない」から「過去を振り返る」 とりわけ 昨年は「過去の自分」を振り返る時間が多かった。 独立起業してからは「次はこれに挑戦して。もっとここを改良して」などと未来に向けて進んできた。次こそは! と次の目標に向けて試行錯誤を続けてきた。 しかし年々情報の流れる速度は飛躍的に加速していくし、それを追いかけていくだけでも膨大な労力を必要とする。そして、そうやって手に入れた情報はあっというまに劣化していく。 「昨日の情報は、古過ぎて使えない」 と感じるほどに、時間は早くなり、ひとつひとつを吟味する余裕さえない。 しかし、私のような一般人にとって「待つ」ことが最善だった昨年は 「過去を振り返る」には最適の時間だった と個人的に感じている。ほとんど目を向けなかった 「自分が積み重ねてきた」ものを整理し「自分にできること。ほんとうにやってみたいこと」 を考える時間を取れたのは、よかったこと、と考えたい。 速度を上げて走り抜ける時期も必要、だが・・・。 ライバルよりも少しでも早く。ほんの少しでも先に。そう考えながら進んでいくことは大切なことだ。その「ちいさな差」が大きな可能性を生むし、私自身もその恩恵を手にしたことが

【ワイモバイル】シンプルSプランへ変更する

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【Y! mobile】シンプルSプランへ変更する ここ最近、スマホの基本使用料金が暴落している。もちろん、悪い意味での落ち方ではなく、ユーザーにとってはありがたい値下げである。 ほんの一年前までは、月額7〜8千円 前後で契約していたのに、新しいプランでは3千円前後で契約可能になったので、ほぼ半額以下になったということになる。 先月まで筆者は 「ワイモバイル スマホベーシックプランS」 で契約していた。 一ヶ月3GBまでの容量で「2950円(税込)」 だった。外で動画も見ないし、音楽(Amazon Music)はスマホにダウンロードして聴いていたので、3GBでも不便を感じることはなかった。Macに接続してテザリングを利用した時に、速度制限になったことが1度あったくらいで、この容量で必要十分だった。 「シンプルSプラン」は「通話料無料」がオプションに 先月(2021年2月)に、ワイモバイルから新プランとして 「シンプルSプラン」 が発表された。こちらは 「2178円(税込)」で3GB まで利用できる。大きな変更点としては「スマホベーシックプランS」では 「10分以内の国内通話が無料」だったのだが「シンプルSプラン」では廃止 になりオプションになったことだろう。 他の部分は変更なしで利用できるので「10分以内の通話無料は不要」なのであれば、「シンプルSプラン」に変更すれば、月額 約800円ほど安くなる わけである。 月額800円となると、 年間では9.600円にもなる。 お得である。「10分の通話無料」がなくなるのは少々迷ったが、最近は電話で連絡を取ることも減ってきたし、アプリで通話することも多くなってきたことを考慮して「シンプルSプラン」へ移行することにした。もし通話料金がかさむようならばオプションを検討することにして、さっそく「MyY!mobile」から変更の予約手続きをした。 ちなみに、 プラン変更の際に「手数料」等は発生しなかった。 ymobileのキャリアメールもそのまま使用できるし、ヤフーのプレミアム会員も継続になっている。今の所、 大きな変化は何もない。 そんなわけで、プランを変更したことで「2178円(税込)」まで月額料金を下げることができた。 数年前と比較すると、3分の1の料金である。 すごいな。とりあえず、このままワイモバイルを利用しつつ、5Gの普及に

【仕事】これからは「自分を広告する」時代になる。

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A君からのメール 先日学生時代の同級生からメールが届いた。それには 「アマゾンで佐藤くんの本を見つけた。思わずメールをしてしまった」 というような内容が書かれていた。 彼(ここではA君とする)とは、特に親しかったわけではなかったし、卒業してからも数十年以上連絡を取っていなかったので、アマゾンで私の名前を目にしたことによほど驚いたのだろう。そして、懐かしくなった勢いで連絡をくれたのだろうと思う。 そこでふと考えてみたのだけれども、アマゾンで最初の一冊を公開したのは、今から十ヶ月ほど前のことになる。ものすごく売れた! ということはなかったのだが 「ビジネスライティング部門 3位」にもなり「まあまあ読まれたのでは」と、それなりにほっと していたような節もあった。 しかしA君のメールを読んだことで 「もっと広告しなければいけない」 と感じたのだった。この十ヶ月間で、直接連絡をくれたのはA君だけである。と、いうことは 「佐藤の本が、アマゾンにあるらしい」ということを、気がついていない友人知人が圧倒的に多い と、いうことでもあると思う。告知が必要なのである。 「自分を知ってもらう努力」 以前、ある先輩に 「佐藤君は、もっと自己アピールをしないといけない。技術を磨くのも大切だが、自分が何をできるかを知らせる努力をしなければいけない」 と注意を受けたことがある。 その当時(20代だった)の私は 「いい仕事をしていれば、自然と評価を受ける」 と考えていた。しかし、どんなに「いい仕事ができる力」を持ったとしても、それを知ってもらわなければ意味がない。知ってもらえなければ、理解してもらうことはできない。理解してもらってようやく「この人に何か頼んでみようか」と言うような気分が起きてくる。 天才のように圧倒的な才能があれば、自然と評価を受けるだろう。しかし私のような凡人の場合は「やがて評価してもらえる」と待っていては、どうにもならない。時間ばかりがすぎていく。「今までに何をやってきて、何をしたいのか」と広く告知していく。つまり 「自分を広告する」必要がある。 私は、 これからの時代は「会社名」ではなく「個人名」で仕事をするようになってくると考えてきた。 それは、私のように独立起業し個人で仕事をしている人だけではなく、会社に所属している人も同様である。 「この人に仕事を頼みたい」と評価を