投稿

志賀直哉旧居へ はじめての奈良旅(7)

イメージ
志賀直哉旧居へ ほとんどの人が覚えていないと思うのだが、二つ前の投稿に 「今回の奈良旅で、ぜひ行ってみたい場所がある」 と書いた。もったいぶっていたわりには、すでに、この記事のタイトルでバレてしまっているけれど、つまりそこが、今から向かおうとしている 「志賀直哉 旧居」 である。 初めて読んだ志賀直哉の作品は、中学生の時に読んだ「小説の神様」だった。ぐいぐいと作品の世界に引き込まれ、中学生ながら「他の作家とは、どこか違う魅力」を感じたことを覚えている。高校生の時、国語の資料集で志賀直哉が宮城県石巻で生まれたということを知った。宮城県出身の自分としては 「小説の神様と呼ばれる文豪が生まれたのは、宮城県だったのだ」 と、さらに思い入れのある作家の一人になっていた。 そんなわけで、今回の奈良旅を計画している時に眺めていたガイドブックの中に「志賀直哉旧居」という文字を見つけた時、自分の中では 「たとえ東大寺や興福寺に行けなくても、ここには行きたい」 という最優先事項のひとつになったのだった。そして、今回の旅も3日目。いよいよそこへ向かう。 ささやきの小径を通って、高畑町へ 春日大社から志賀直哉旧居へは徒歩で移動する。 春日大社の境内から「ささやきの小道」と呼ばれる小径へ入る。参拝客で賑わう境内とは正反対に、この道を歩いている人の姿はない。あまりにも静かで穏やかなので「この道で大丈夫なのか?」と思いながら進んでいくと「志賀直哉旧居」と書かれた案内板があった。安心して足を先に進めていく。 ちょっとした里山を歩いているような雰囲気の道。木漏れ日が射し込み、高畑町へ向かって 少し下り坂になっている この道を、志賀直哉も歩いた らしい。何を考え、どんなことを話しながら歩いたのだろう。そんなことを想像しながら、道に覆いかぶさるようにして生い茂っている木の下を10 分ほど歩き、小さな橋を渡ると閑静な住宅街の横に出た。そこから、だいたいこのあたりだろう、と検討をつけて先に進んでいくと案内が立っている建物の前に到着した。 志賀直哉旧居へ到着 門をくぐり入場券を買い求める。受付の方に写真を撮っていいかと尋ねると、どうぞという声が返ってきたので、連れにスマートフォン渡して玄関の前で写真を撮ってもらう。普段はあまり自分から写真を撮ってもらおうとは考えないのだけれども

春日大社で万葉粥を。はじめての奈良旅(6)

イメージ
春日大社へ行こう 東大寺から春日大社へ徒歩で向かう途中、閉店している店の中をドア越しに覗き込んでいる鹿がいた。それは「なんだ、まだ開いていないのか」とでも言いたげな仕草に見えた。 その様子を見ていた外国人の方が、僕たちに話しかけてきた。よく聞き取れなかったので「何と言っていた?」と連れに確認すると「入ろうとしているね、と言っていた」とのこと。「聞き取れたんだ」「だって日本語だったよ」。 そう、僕は英語で話しかけられていると思い込んでいたので、自分の拙い語学力で聞き取ろうとしていたのだが、相手は日本語で話していたのだった。思い込みの恐ろしさよ。 相手が日本語なのにこちらが中途半端な英語で答えていたら、だいぶ間抜けだったろう。 Yes! とか、 I think so. とか、適当なことを答えなくて良かった、などと考えながら歩く。 万葉粥とよもぎ団子 東大寺から10分ほども歩いたところで「 春日荷茶屋」 の前に到着した。ここは旅行前にガイドブックを見ていて気になっていた店。「もうすぐ昼だし、甘いものを少しだけ食べようか」と立ち寄ってみることにする。ところが、メニューの「 大和名物膳(万葉粥、柿の葉すし、葛餅のセット)」を見ているうちに「万葉粥を食べてみたい。柿の葉すしと葛餅も」となり、せっかくなので 「 春日荷茶屋」と 「よもぎ団子」をひとつずつ頼んで、連れと二人で食べることにした。 うまい。春日大社の境内というシチュエーションと、午前中の静かな雰囲気の中で、おいしいものを少しずつ食べるという贅沢。若い時の体力まかせで強行突破の旅もおもしろかったけれど、こうやって、 お茶がおいしく感じる旅、もいいものである。年齢を重ねるというのも、それはそれで悪くないものだ。そんなことを考えながら、外の景色を眺めたり雑談をしながら、ゆっくり過ごすことができた。うまかったです。 もう少しゆっくりとしていたいけれど、旅の時間には限りがある。店を出て、あらためて春日大社へと足を進めることにする。二之鳥居を過ぎたあたりから、参道は参拝客の姿で賑わいを見せてきた。ふと前方を見ると、石灯籠の間から鋭い視線を感じた。やや、あれは! 鋭くクールな視線で、こちらの様子を伺っている鹿と目が合う。「こいつは、せんべいを持っているのか? いないのか?」そう、僕たちはこうやって、彼らに

東大寺へ行こう。初めての奈良旅(5)

イメージ
東大寺へ行こう まだ9時を少し回ったばかりだというのに、 東大寺 の南大門へと続く道は多くの観光客で賑わっていた。海外からの団体客と思われるグループ、家族旅行、ひとり旅、様々な人達が連なって歩いていく。先ほどまでの落ち着いた雰囲気から一変して「日本を代表する観光地としての奈良」を体感する。 そしてたくさんの人達と一緒に進んでいく先にあるのは、東大寺南大門。ここには日本史の教科書にも登場する、あの仁王像がある。そう「金剛力士像」である。 阿吽の呼吸で、宇宙を完成させる 。 「迫力」とは、この像のためにある言葉なのではないか。そう感じるほどに、力強く堂々とした姿。学校の資料集の写真ではわからない大きさと存在感に、思わず笑顔になってしまう。この場合の笑顔とは、楽しいからではなく、呆気にとられて思わず破顔してしまった、というニュアンスである。僕の横に立ち、写真を撮影していた白髪の外国人観光客と、一瞬目が合った。お互いに、にっこりとする。たぶん、あの方も自分と同じ感覚になったのかもしれない。すごいね、と言葉は交わさなかったけれど、気持ちを共有できたような気分になれた。 ちなみに仁王像は「 山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。( 東大寺ホームページ より)」とのこと。70日間というのも短期間に感じるけど、二体同時進行ということは、当時の現場はさぞ活気があったのではないだろうか。「これは、そっちじゃない。こっちのそこに使うんだよ!」「こっちのそこって、どっちですか!」とかね。それとも、設計図を見ながら粛々と作業が進められたのだろうか。そんなことを想像しながら、南大門を後にし大仏殿へと向かう。 大仏殿で「奈良の大仏」へ参拝する。 「奈良の大仏」と耳にすると思い出すことがある。小学六年生の社会の授業の時の話である。担任の先生が「奈良の大仏の大きさを体感しよう」ということで、教室の壁にスライドで大仏の顔を実物大で写してくれたのだった。残念ながら当時の機材は性能があまり良くなく「なんだか、よくわかりません」という結果になってしまった事を覚えている。大仏は残念だったが、生徒のことを考えて色々と工夫をしてくれる、とても良い先生だった。小中高を通して「恩師」と呼べる先生は、このA先生だけかもし