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【文学】芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。(佐藤春夫)

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「芥川賞」と聞くと、思い出すこと 本日は、芥川賞の発表がありますね。どのような作品が受賞するのか、毎回楽しみにしてる方もいらっしゃると思います。芥川賞の選考委員を務めていた佐藤春雄は、 芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。彼が執念深く賞を貰ひたがつたのが忘れられないからである。(稀有の文才 佐藤春夫) と書いていますが、私も個人的に「芥川賞」と聞くと太宰治のエピソードが頭に浮かびます。 芥川龍之介に、あこがれた太宰 別の所でも書いていますけれども、太宰治は芥川龍之介が憧れの存在でした。「芥川龍之介」と何度も書いている学生の頃のノートや、芥川龍之介の真似をしてポーズをとっている写真も残っています。 そのような憧れの存在の名前がついた文学賞ですから、太宰治が熱望したのも当然のことかと思います。そして、どうしても芥川賞が欲しかった太宰は、佐藤春夫に「私に、芥川賞をください」と手紙を送ります。 そのうちの一通は4メートル以上もあったそう。 手紙には、自分がどれだけ芥川賞を欲しているか、必要なのか。受賞できるかどうかで今後の人生が決まる、というような内容が切々と書かれています。 残念ながら、太宰は芥川賞を受賞することができなかったのですが、もしも太宰が受賞していたらどうなっていたでしょう。 そして、あの世で太宰は、芥川賞の発表をどのような気分で眺めているでしょうか。無関心を装いつつ、しっかりと聞き耳はたてているような気がします。 「津軽」は出版の当時読まないで近年になつて――去年の暮だつたか今年のはじめだつたか中谷孝雄から本を借りて読んで、非常に感心した。あの作品には彼の欠点は全く目立たなくてその長所ばかりが現はれてゐるやうに思はれる。(稀有の文才 佐藤春夫) 週末には、ひさしぶりに「 津軽 」を読み返してみよう。津軽を読むのは、大寒の今くらいの時期がちょうどいいような気がする。そんなことを考えました。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

鳥をだく(畦地梅太郎)をみると、思い出すこと

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百科事典で、出会った「作品」 小学生の頃の話。自宅に子供向けの百科事典があった。詳しい名前も出版社なども忘れてしまったが、全部で10巻位のシリーズだったと思う。小学生の頃私は、読む本がない時などに繰り返しその百科事典を広げては眺めていたのだった。 そのシリーズに「美術」を扱った巻があった。様々な地域と時代の美術品が、カラー写真と一緒に掲載されていた。とくに、スーラとブリューゲルの作品が気に入っていて、 特にそのページは繰り返し眺めていたような記憶がある。 その中に、一点「ふしぎな作品」が掲載されていた。他の作品は「すごいなあ」と、子供ながらに楽しむことができたのだけれども、その作品だけは「奇妙だ」という印象を受けたのだ。 奇妙で、よくわからない。これは一体何なんだろう。 それと同時に、 よくわからないけれども、なぜか不思議に気になる、 強い印象を受けた作品があった。 それが、 畦地梅太郎の「鳥をだく」 だった。 まっすぐ、で、不思議。 そこに描かれている人物は、 目を見開くようにしてまっすぐにこちらを見ている。 手には鳥が抱かれているけれども、あまりうれしそうではない(と、小学生の私にはそう感じられた)何かどこかが、 不思議なバランスでできているような気がする 。小学生の私にはうまく説明できないけれども、妙に心に引っかかる作品だったのだ。 それから数年の時間が過ぎ、この作品が版画という技法で制作されていると知った。そして、この人物が山男であるとわかった。そして畦地梅太郎の、他の作品を眺めたり、書籍などを読んでいくにつれ、ますますこの世界観に魅了されている自分がいた。 今、私の部屋には「畦地梅太郎の鳥をだく」が掛けられている。眺めるたびに、どこかまっすぐな気分になる。以前登った山の風景も思い出したりする。 これからも私は、この作品を眺めていくのだろうと思う。 そして眺めるたびに、子供の頃の記憶や、山歩きをした時の記憶を振り返りながら、まっすぐで不思議な気持ちになるのだろうと思う。 (補足) 別冊太陽「 山の版画家 畦地梅太郎 」に、竹芳洞による版画の制作工程が解説されているページがある。それを見ると、一見するとシンプルな作品でも、何度も擦りの作業が重ねられていることがわかる。興味がある方はぜひご覧になってみてください。 ・ 畦地梅太郎の著作をAma

【哲学】常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである。(アインシュタイン)

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最近 「自分の人生に、影響を与えたこと」 について考える機会があった。私の場合「中学・高校の頃に出会ったこと」に影響を受けていることに気がついた。結局のところ、その当時に興味を持ったことを(自分の中で、流行り廃りはあったものの)ずっと続けてきたのだった。 アインシュタインの言葉に、 常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである。 (アルベルト・アインシュタイン) というものがあるけれど、まさにこの感じ。意識的(または無意識的)に10代の頃に出会った情報や経験が「偏見」となって、 私の「ものの見方」を決めていた 。私が今までに行ってきた選択の多くは、この当時に身につけてきた「偏見」によって決定し実行してきたことは、疑いようのない事実であると思う。さらに経験を重ねることによって、それを強めてきたように感じる。 また、アインシュタインは、 原子を割るよりも、偏見を割るほうが難しい。 (アルベルト・アインシュタイン) と言っているけれども、このようにして身につけた偏見を変えることは極めて難しい。原子を割るより難しい。つまり「ほぼ不可能」ということである。 私もあなたもあの人も「偏見」というフィルターを通して世界を見続けていく。 しかし逆に考えるならば、自分の思考が「どのような偏見で構成されているのか?」を観察することができたのならば、多少は偏見の幅を広げられるかもしれない。割ることはできなくても、光を当てる角度は変えられるかもしれない。 そしてこのように考えることも、私の偏見が生み出すものなのだろう。そんなことを考えていくと、何が何だか分からなくなってしまうが、とりあえず「私の偏見コレクション」を眺めつつ何かを表現していくことができたのならと考えている。  【佐藤ゼミ】常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクション(アインシュタイン) 〰関連 「人生哲学」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【独学のすすめ】社会人になったら、勉強しよう

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すべり止めしか、合格できなかった・・・。 「今年で、独立起業して19年になります」というような話をすると「この人は、優秀な人なのだな。何か才能があったのだろう」と思われるかもしれません。しかし残念ながら、いろいろな所で話したり書いたりしていますけれども、私は決して エリートでも学歴があったわけでもなく、特別な才能に恵まれたわけでもありません。 集団行動も苦手なので、一番最後に登校して誰よりも早く下校するような、学校の先生からすれば扱いにくい生徒だったと思います。 そんな不真面目な生徒ですから、 高校受験も大学入試もことごとく失敗し両方とも滑り止めしか合格しませんでした。 学歴に関してはコンプレックスの塊のような学生時代だったのです。就職活動をする時も「こんな自分が、倍率の高い会社に就職できるわけがない」と考えていたので、挑戦するわけでもなく、適当に就職活動して採用されたところに勤めることにしたくらいです。おそらく、 この記事を読んでいる皆さんの方が、学校の勉強や成績は良かったと思います し、周りや先生からも期待を受けるような生徒だったのではないでしょうか。 社会人になってから「勉強の方法」が、わかるようになった。 そんな私が、ある程度仕事ができるようになったきっかけは 「社会人になってから勉強の方法が、わかるようになった」 からだと思います。そして「学ぶことのおもしろさ」を、ようやく体感できるように、なったからだと思うのです。 学校教育は、複数の科目を勉強しなければいけません。大量の情報を覚え、テスト会場で発揮できる人が評価されます。 地道なまじめさと、長時間の積み重ね学習が要求 されますから、自分のように気分にムラがあり、バイクを乗り回したり大音量でギターをかき鳴らすことが楽しかったような人間には、到底向いていません。 しかし社会人になってからは、自分の得意分野を徹底的に勉強することで、評価を得ることができます。「売り上げ」のように、明確なデータで自分が積み重なっていることを客観的に判断することができます。 一度失敗しても、もう一度勉強し直して挑戦することもできます。 「10回失敗」でも「1回成功」すれば「あの人は、できる!」と注目されます。20回失敗しても、2回成功すれば「あの人は、また成功した!」と言われたりもします。入試は一発勝負ですが、 人

【読書術】 良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。(デカルト)

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「モーパサンは馬鹿ニ違ナイ。」 今からかれこれ10年以上前のことなのですが、地元の文学館で開かれた「夏目漱石展」で漱石の蔵書を見たことがありました。漱石は本を読みながら、余白に書き込みをする習慣があったのですが、その時展示されていた蔵書には漱石の筆跡で 「モーパサンは馬鹿ニ違ナイ。」 と書き込まれていたのでした。 批評というよりは、モーパッサンに喧嘩を売っているかのような漱石先生。よほど気に入らなかったのでしょうか。貴重な書籍に、そのようなことを書き込んでしまう漱石先生の様子を想像すると、どこか滑稽にも見えてその資料見ながら思わず笑ってしまったことを覚えています。 哲学者のデカルト曰く、  良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。 (ルネ・デカルト 方法序説より)   という一文があるのですが、まさに漱石先生は、 読書をしながら作者と会話をしていたのではないか と想像します。そして「馬鹿ニ違ナイ」と考えていたことを、そのまま書き込んでしまったのではないかと思うのです。 作者と会話をする「読書」 私もこの漱石先生の書き込みを見てから、読書をする時はペンを持って、 アンダーラインを引いたり、自分の考えを書き込んだりしながら読んでみる ようにしてみました。この方法ですと、読書のスピードは格段に遅くなるのですが、その分じっくりと読み込んだ気分になりますし、作者と会話しているかのような気分にもなります。 さらに、数年後に同じ本を読み返した時、 当時の自分の考えなどを思い出したり して「当時のオレは、こんなことを考えていたのか?」などと、懐かしいような恥ずかしいような気分になるのも、なかなか面白いものです。 皆さんも「しっかりと読み込んでみたい」と感じる本と出会えた時は、漱石先生のように書き込みながら読み込んでみると、何か新しい発見があるかもしれません。試してみてください。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」

【読書】決して読まないのに多くの本を所有したがるのは……【ヘンリー・ピーチャムの言葉】より

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子供のころは「本屋さん」に、なりたかった。 皆さんは、子供の頃になりたかった職業は何でしたか?  小学生の頃の私は 「本屋さんになりたい」 と思っていました。なぜそう思ったかというと、近所に小さな本屋さんがあったのですが、そこへ行くと店主らしき人がいつもカウンターの横にある椅子に座って本を読んでいたのですね。 その頃の私は 「もっと本が読みたい。好きなだけ本を買いたい!」 と熱烈に思っていたのですが、小学生のこづかいでは月に一冊買うのがやっと。当時の私は、店内にある本は全部お店の人のだと思っていたので、本をたくさん持っていていいなあ、うらやましい。大人になったら、このような仕事がしたい、と思っていたわけです。 読まない本が、山積みになっていく。 社会人になると、少しだけお金に余裕が出てきました。私は週末になると帰宅時に書店に寄り、気になる本を数冊買って帰るのが習慣になりました。書店に並んでいる表紙を眺めながら 「土曜の夜にはこれを読もう」などと考えながら本を選ぶ時間は楽しいもの です。しかも、数冊くらいならば購入できる余裕もあります。私は選んだ本を抱えながら、ほくほくした気分で家に向かうのでした。 ところが、本を買ったはいいけれど、実際にはなかなか読む時間がないんですね。気がつくと、私の部屋には 未読の本が山積みになっていました。 その当時は実家にいたので、親からは床が抜けるからなんとかしなさいと怒られる。それでも本を買う事は止められず、未読の本が壁になっていく。しまいには、同じ本を2冊買ってしまう。そんな時間が続いていたんですね。 趣味「読書」ではなく「本を買うこと」!? そして、ある時私は「もしかして自分は、読書が好きなのではなく、本を買うことが好きなのではないか?」と気がつきました。趣味は「読書」ではなく「本を買うこと」ではないのか? ヘンリー・ピーチャムの著作の中に、 決して読まないのに多くの本を所有したがるのは、 寝ている間も蝋燭をつけておきたがる子供のようなものだ (ヘンリー・ピーチャム「完全なるジェントルマン」より) という一文があるのですが、まさにこれだ、と。自分は「蝋燭をつけておきたい子供」だ。買うことで満足してしまっている。 読みもせず、部屋に帰って山積みにした段階で目的を達した気分 になっている。まさにこの状況になってしま

「ネタ」の情報源は、過去の記憶にあり。

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私の「情報収拾」の方法とは? 私の講義を受講した生徒の皆さんから 「よくネタが続きますね。どうやって探すのですか」とか「先生は忙しそうに見えるのに、どのようにして勉強しているのですか」 と質問を受けることがあります。 おそらく、このような質問される人は「何か特別な勉強方法」や「情報収集の仕方」があるのではないか、と考えていると思うのですが、 残念ながら特別なことをしているわけではありません 。 ネタが尽きるか、私の寿命が尽きるか。 例えば「読書」に関する話題でしたら、 子供の頃からずっと読んでいた本を順番に紹介しているだけ なのです。昔の記憶をたどり、そこに今自分が何を考えているかを考察し付け加えたりしたことを、書いたり話してるだけなんですね。 子供のころから40年以上もコツコツと本を読んできたわけですから、当分の間は「ネタ」は尽きないでしょう。そしてネタが尽きる前に、私の寿命の方が尽きてしまう可能性も否定できません(笑)  【スタインベック】の言葉 スタインベック【ジョン・スタインベック(1902-1968)】というアメリカの作家がいますが、この作家の言葉を借りるのであれば、 「天才とは、蝶を追っていつの間にか山頂に登っている少年である」 といった感じでしょうか。もちろん私は天才でもないし、山頂まで登ったわけではありませんが 「子供の頃に夢中になっていた世界をずっと追いかけていたら、それなりに積み重なっていた」 ということだと思います。そして 誰しも「そのような分野」がある と思うのです。ただ忘れてしまっているだけだと思うのですね。 もしも皆さんが、これから情報発信をしようと考えているならば「あたらしく勉強して身につけたことを発信する」という方向だけではなく、 「今まで自分が積み重ねてきたものを整理して表現してみる」 という方向も、楽しいのではないかと思います。そのような作業を繰り返していくことで、新しいヒントが見つかるし、より奥深いものができるのではないかと思うのです。 【ラジオ版】「ネタ」の情報源は、過去の記憶にあり。 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」