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【百人一首】春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山(持統天皇)

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百人一首を、よんでみよう。 今回は百人一首から、私(佐藤)が、この時期に「楽しんでみたい一首」を紹介します。 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山 (持統天皇) この歌の舞台は奈良県の香具山。「 山のふもとにある家に夏用の白い衣が干してあるのを見て、夏がやってくることに気が付いた」 というような内容です。私たちも、6月になると衣替えをします。街中で白いシャツを着ている人たちが歩いている様子を見て「あ、もうそんな時期か」と季節の移り変わりに気がつく事がありますが、その感覚に近いのかもしれません。 昔の人たちにとって「山」は神々しい存在でした。奈良県の大神神社では「三輪山」を御神体としていますね。そのような神々しい「山」と、生活感溢れる「衣」という組み合わせも、個人的におもしろいと感じます。あえて 真逆に位置するものを組み合わせることで、コントラストを強めていく。 そのような仕掛けがほどこされているところも、この歌をさらに印象深くしているのではないか、と個人的に考えています。 わかったつもりで、たのしんでみたい 私は、太陽の光が白いシャツに反射している様子を見ると、どこか開放的になるような、無性に遠くに行きたくなるような。高校生の時に原付バイクに乗って、むやみに遠出をしていた頃を思い出して、なんとなく元気になってきます。今から1300年ほど前の時代の人たちも、そのような感覚になったのでしょうか。ここちよい春の陽射しから、夏の力強い気配が近づいてくる。そんな感覚を、当時の人たちと共有できたような気がしたことを覚えています。 ・・・と、ここまでの内容を読んだみなさんは 「この人(佐藤)は、百人一首にくわしいに違いない」 と感じたかと思います。いや、いや、正直に書いておきますと、 全然くわしくありません。 「和歌 = 学校の勉強」という印象で、技法などを少し暗記はしたもののよくわからない。自分には遠い存在だと考えていました。 ところが、40代となったあたりから、ときどき「気になる歌」が目にとまるようになってきました。色々と調べていくと少しずつ 「わかったつもり」 になってきます。奈良へ旅をした時も「ああ、ここがあの・・・」と、初めて行った場所なのに妙に懐かしいような気分になったりもします。少しだけ視界が広がったような気分にもなります。 和歌という

【体験談】20年ぶりのバーチャファイター【PS4でVirtureFighter e-sports】

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PS4でバーチャファイター eスポーツを! 6月1日にPlayStation4で「 バーチャファイター eスポーツ 」がリリースされた。前回の記事に書いたのだが、筆者は偶然にもほんの10日ほど前にPS4を手に入れたばかりだった。まさにこれは「ひさしぶりにバーチャをやりなさい」というメッセージなのかもしれない。 これは、大学生の頃に「バーチャ」にはまっていた男が、 20年ぶりに「ネット対戦」に復帰参戦するまでの記録 である。 と、なんとなく大げさな前置きで始めたが、ここからの内容には「攻略法」的なものは含まれない。ただ、40代の筆者が当時を懐かしみつつ、PS4のネット対戦で「バーチャ」をプレイするまでの雑談である。「バーチャファイター eスポーツ」がリリースされたことで、おっひさしぶりにやってみるかな、と考えている 「同世代の元ゲーマー」 に向けて書いてみたいと思う。 筆者(40代)のバーチャ再体験 最初に筆者の「バーチャ体験」を簡単に書いておくと、熱心にバーチャで遊んだのは「VF2」のころである。当時はゲーセンに行くと「今日は何かのイベントですか?」というほどに人が集まっていて、とんでもない熱気の中で対戦が行われていた。次から次へと対戦者が表れてはコインが投入され、それを見ているギャラリーからも良いプレイには歓声が上がったりする。さらにはゲームの勝敗後にリアルファイトが始まったりして、まだ 昭和の気配がのこるような空間 だったように記憶している。 筆者は、せいぜい仲間内では強い方だったけれど、 ゲーセンではボコボコ にされるレベルで、時々連勝する度に「今日は連戦の自己記録更新ができるかもしれない」とドキドキしつつ、あっさりと負けるような感じだった。そこまでガチ勢ではないが、仲間内で攻略法を考えてゲーセンで試してみる程度に「はまって」いた感じである。 社会人になり「VF3」になったあたりから、ゲーセンには行かなくなった。そもそも家庭用のゲームもやらなくなった。そんな感じで、あっというまに対戦をやらなくなったまま、気がつくと20年ほど時間が過ぎていた。もしかすると、これを読んでいるあなたも、同じような感じではないだろうか。 今さら「対戦格闘ゲーム」なんて・・・ そのようなわけで 「今さら、対戦格闘ゲームをやったところで勝てるわけがない。ついていけないだろう」 と、

【太宰治】 (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)人間失格より

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今回は「太宰治 人間失格」から、一場面を紹介します。 (それは世間が、ゆるさない) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ) (世間じゃない。あなたでしょう?) (いまに世間から葬られる) (世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?) 【 人間失格 太宰治より 】 こちらは主人公の大庭葉蔵が友人の堀木に「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」と言われたことをきっかけに「世間とはなんだ?」と考察している場面です。大庭は 「世間ではなく、あなた個人が許さないのだ」 と考察していくのですが、この視点は現代を生きる私たちにも必要な視点だと感じます。 私たちは「一般的に」「常識的に」または「あなたのことを思って」などという意見を受けとることがあります。しかしその「一般」「常識」といった言葉が、本当に「一般常識」ではなく 「発言者個人の考え」であることが、少なくないと思う のです。 自分の価値観で切り取ったものを「一般常識」という言葉に置き換えて発言する。そして厄介なことは、発言者本人が「これは一般常識である」と思い込んでいる(または、そうでありたいと考えている)ため「あなたのために」と強烈に押し付けてくることです。 他者の意見に耳を傾けることは重要です。必要不可欠です。 個人的な視点では必ず盲点が生まれ、見落としが生まれてしまう からです。しかし、個人的な価値観を押し付けようとする相手に対しては、私たちも自分を守っていく必要があるでしょう。 (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) さて、そのように考えた主人公は、友人に対してどのような反論をしたでしょう? そして、どのように振る舞ったのでしょう? この続きはぜひ「人間失格」を読んでみてください。主人公の振る舞いの中に「人間失格」が時代を越えて読み継がれている理由が表れていると、私は考えています。 太宰治は「人間失格」を脱稿した1ヶ月後の6月13日に、入水自殺します。本作品が文豪・太宰治の死の直前に書かれた作品である、ということを思い浮かべながら読んでみると、あたらしい発見があるかもしれません。 【佐藤ゼミ】太宰治「人間失格」を読む 〰関連 「読書」に関する記事 「太宰治」に関する記事 「6月19日は何の日ですか?」 ☝筆者: 佐藤

【体験談】中古のPlayStation4を手に入れたら、最初に確認したい設定

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前回、弟から 中古のプレステ4を譲ってもらった話 を書いた。しばらく遊んでから 「最初に確認しておけばよかった」 というポイントが2点ほどあったので、紹介してみたいと思う。身内からプレステをもらった人や、中古のプレステを購入して前の持ち主のIDが残っていた場合(実際には、そんなことはないと思うけれど)参考にしていただきたい。 PlayStation4には「ユーザー登録」が必要 昔のゲーム機だと「電源を入れて、ソフトを差し込めばOK」だったのだが、最近のゲーム機では「ユーザー登録」が必要になる。 PlayStationNetwork(PSN)でアカウントを登録し(無料)使用するプレステと紐づけ なければいけない。 私の場合は、弟のアカウントが残っていたので「初期化」するのも面倒な感じがしていたので、そのまま使っていた。「身内だし、特に問題ないだろう」と、気楽に考えていたのだが、 それは間違いだった。 最初に「自分のアカウント」に切り替えておくべきだったのである。以下、その理由をまとめておく。 アカウントごとに「セーブ」の情報が紐づけられる プレステ4では 「アカウントごとに、セーブデータ」が紐づけられる。セーブしたデータを別のアカウントに移行したり共有することはできない仕様なのだ。 私はそれを知らなかったので、最初に「弟のアカウント」でゲームを始めてしまい、後日自分のアカウントに切り替えてからゲームを始めたところセーブデータの移行ができず 「最初からのスタート」になってしまった。 せっかく、何時間かかけて進めたデータを移行できずに「はい、ではまた最初から」というのはモチベーションが下がるし「また最初からはめんどうだから、もうこのゲームはいいな」となってしまうかもしれないので(私は、そうなってしまった) 「自分のアカウントに切り替えてから、はじめよう」 と失敗談から強調しておきたい。 アカウントの登録は「複数」OK ちなみに、 PS4には「複数のアカウント」を登録 することができる。ゲームを始める時に切り替えればいいだけで「初期化」や「再起動」なども必要ないので、家族や数人で使う場合は、それぞれにアカウントを習得して登録しておけば良い。(詳しい解説は、 PlayStationのサポートサイト で確認を) セーブのデータをコピーしたり共有できないのは、少々面倒な気もす

【PlayStation4】を、もらった話。(15年ぶりのグランツーリスモ)

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プレイステーション4を、譲ってもらう この前、弟から「PlayStation4」の本体を譲ってもらった。プレステ5を購入したので不要になった4を譲ってくれたのだった。誕生日でも記念日でもないのに、プレゼントをもらった気分だった。ありがたい。 ちなみに私は 「初代PlayStation」を発売日に購入した世代 である。その時はまだ大学生だったので、アルバイトをして手にした金をにぎりしめて購入したプレステとソフトを購入し、それこそ徹夜で遊んだ記憶がある。 初代プレイステーションの思い出 初代プレステと同時にはじめて購入したソフトは「 リッジレーサー 」だった。デビルカー(通称ゴキブリカー)がかなりの強敵で、これを倒すために躍起になり軽く指が腱鞘炎のようになったりもした。当時の私は、そこそこゲーマーだったので、わりと早い時期にデビルカーを抜くことができた。デビルカーに勝つと、この車に乗ることができるので、友人知人から「本当に抜けたのか?」「データをコピーさせてくれ」などと言われたのも、良い思い出である。 リッジレーサーと同時期に「 A列車で行こう4 」も購入した。このゲームには「自分が作った街を、電車に乗って移動」できる「車窓モード」があって、これにものすごくはまった。車窓モードから眺めた時に「うつくしい風景」になるようにイメージしつつ建設を進めていくのが楽しくて、今となってはおそろしいほどの時間を費やしたと思う。 そして次に・・・と、初代PlayStationの話を書き出したら、自分でも驚くほどに様々な思い出が蘇ってきた。当時はセガサターンも購入したし、バーチャファイターで対戦するためにゲームセンターに入り浸ったこともあった。書こうと思えば、とめどなく書くことができそうだ。しかし、今回はPlayStation4の話なので、ここでいったん戻そうと思う。 なぜ、私は「ゲーム」をやらなくなったのか? さてPlayStation4である。学生時代にはPlayStationで遊び尽くしていたものの、社会人になってからは、ほとんどゲームをしなくなってしまった。インターネットが家庭に普及し始めた頃だったので、そちらの世界の方が楽しくなってきたことや、給料をもらって少し資金に余裕ができたことで、ゲーム以外の趣味に興味が移ったこと。そして起業してからは、目の前の仕事に忙殺されてゲーム

【名文に触れる】自信が持てず、悩んでいる人へ(夏目漱石 門下生への手紙より)

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他人は決して己以上遥かに卓絶したものではない又決して己以下に遥かに劣つたものではない。特別の理由がない人には僕は此心で対して居る。夫で一向差支はあるまいと思ふ。 (夏目漱石 森田草平宛書簡より一部抜粋) こちらは、夏目漱石が門下生の森田草平へ宛てた手紙の一節です。森田は「自分の生い立ち」に関する悩みを抱えていて、漱石にそれを告白する手紙を書きます。今回紹介した一節は、その手紙に対して漱石が返信したものです。 「他人は自分よりもはるかに優れているわけではなく、また劣っているわけでもない。特別な理由がない人には、そのような考えで向き合っている」 漱石は悩みを抱え、自分に自信が持てないでいる森田に対して、そう伝えていきます。この考え方は、私たちにも大切な視点だと思うのです。私たちは誰かと接する時に、その人に対してまっすぐに向き合うのではなく 「自分(または他者)と比較しながら観察」 してしまいます。 ここは負けた。でもこの部分は私の勝ちだ。無意識ですばやく評価をして上下をはっきりさせたくなるものだと思うのです。そして、 自分の負けを認めることでコンプレックスを強めて しまったり、 相手よりも優れていると考えている部分を必要以上にアピール してしまったりもします。 比較することで「消耗戦」を繰り返さないために しかしそれは結局、 自分自身を消耗させてしまいます。 物事は視点を変えると立場が変化しますし、今までの価値観で判断していると来月にはそれが覆ることもある時代です。 消耗戦ほど不毛な戦いはありません。 そこから何かが生まれることは少なく、ただ時間を浪費してしまったという後悔が残ってしまうものだからです。 誰かと接する時は、狭く偏った自分の評価軸だけで判断するのではなく「相手は自分よりも優れているわけではなく、また劣っているわけでもない」と考えていくことが、様々な視点からも大切になってくるのではないでしょうか。 夏目漱石の「すごさ」とは? 実際に漱石が書いた手紙を読んでいると、相手によって態度を変えることがありません。相手が 子供の読者でも、大人でも門下生でも、相手の自我を尊重して接している ことが伝わってきます。漱石について勉強していくほどに「すごさ」が見えてくる。ぜひ一度、漱石先生に手紙を書いてみたかった。私のような一般人にでも、もしかしたら返信をしてもらえたかもし

【2食ダイエット】二ヶ月目(40代のダイエット体験談)

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これが「コロナ太り」というやつか?ダイエットを開始 あれは今から二ヶ月前のことだった。風呂上がりに「ひさしぶりに体重を測ってみようか」と思い立ち、口笛を吹きながら上がった体重計には72kgという数値が表示されていた。 72kg! 私の今までの人生の中で70kgを越えたことはなかった。私の記憶の範囲では、どんなに増えても69kg台で高止まりしていたように思う。この1年半くらいで2キロ以上増えたことになる。「これがコロナ太りというやつか!?」と「要ダイエット」の文字が頭の中に飛び込んでくる。 ここ1年を振り返ってみると、特に暴飲暴食をしたわけではないのだが、自宅で過ごす時間が増えたので三食しっかり食べるようになったこと、外出せずに運動量が減ったこと、そして年齢による代謝の衰えなどにより、この体重になってしまったのだろう。 想像以上の伸びだ。そしてまだまだ伸びしろがありそうな気配がある。「このままでは、だらしなく体重が増えていきそうだ」という恐怖からダイエットを開始することにした。 空腹時間を確保せよ!2食ダイエットを実行開始 今回のダイエット法は 「2食ダイエット」 を実行してみることにした。簡単に概略を説明すると 「食事の回数を2回にすることで、空腹の時間を長くする」 方法である。 一食減らすことで摂取カロリーを減らしつつ、さらに食事の間隔を開けて空腹の時間を保つことで、内臓を休める等の意図があるらしい。個人的に 「内臓を休める時間をもつ」ということは、色々な面でメリットが多いだろう と感じたこともあり、この方法を実践してみることにしたのだった。 ちなみに私の場合は、 夕食と昼の2食にした。 夕食から次の昼までに16時間程度の空腹時間を設置するサイクル である。もともと朝食は食べないことが多いので、そこまで苦痛ではないだろうと、始めることにした。これが今から二ヶ月前のこと。 そして、 結論から書く と、 この二ヶ月間で体重は2kg減った。 69kg台と70kg台を行ったりきたりする状態である。今回は純粋に「2食ダイエットの効果」を体感してみたかったので、食事の内容な運動量は大きく変更していない。休みの日などに、周囲から食べるものを勧められた時に「いや、オレはダイエット中だから食わん!」と突っぱねるのもアレかなと思い、何度か2食+αになったことはあったため、完全に「2