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再会の兆し?

実は(と、強調するほどのことではないが)このブログを始めようと思ったのは、偶然と思うような「できごと」の中にも、何かしらの「つながり」があるのではないか? と考えたことがきっかけだった。 とにかく、気になったことを書いておけば、後になってから面白い発見のようなものが、あるのではないか? とふいに考え、記録を残してみようと思ったわけです。 なので、先日、twitterに「偶然のできごと」に関して、連続で書き込んだ文章があるので、こちらにも転載しておきたいと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 地震の時に失くした、と思っていたモノが、ひょんなところから飛び出してきた。道を歩いていたら、昔の親友にばったりと会った時のような気分だった。うれしかった。もう見つからないと思っていたから、ほんとうに嬉しかった。 もしかすると、近いうちに「懐かしい人」から、連絡がくるのかもしれない。その時は、マックの100円バーガーでも食べながら、話しをしよう。ポテトも、アップルパイも食べて色々な話しをしよう。 そんなことを考えていると、まだまだ未来は明るいぞ、楽しみだぞ、などと思えてきたわけです。今日の仙台の天気は、晴れるらしい。洗濯日和だね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以前、何かの本で読んだのか、誰かに教えてもらったのかは忘れたけれど「なくしたと思っていたものが、ふいに表れた時は、何かしらのメッセージを伝えようとしている」と、いう話を聞いたことがある。もちろんそれは、単なる受け取り方や解釈の仕方なのかもしれないし、単なる偶然だと片付けることもできるのだけど、このブログの目的は「偶然なのか? 必然なのか?」なので、こうやって記録をしておくことにした。 何かしら、面白い後日談があれば追加で報告してみたい。今のところは、何の兆しも予感もないですけどね。

寝る前に、考えたこと。

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震災の後から、昔のことを思い出して考える時間が多くなったように思う。それは良いことなのか、悪いことなのかは、わからない。ただ、もともと自分は昔のことを思い返して、考える方ではなかったので、思考の方向性に何らかのズレが生じているのではないかと、感じていた。 先日、このことについて、twitterに連続で書き込みながら考えてみたので、こちらにまとめて記録しておくことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:08am 寝る直前になると、過去の出来事が頭に浮かぶようになった。それは例えば「あの人と会う時は、いつも雨……と、いうよりも突風だったな」とか「真っ赤なキャリーバックが、良く似合ってたな」とか、そんな断片的な映像なのだけど、不思議なほど鮮やかに思い浮かぶようになった。 1:14am (つづき)そしていつも感じることは、いかに自分が「一部分しか見ない」で、ものごとを判断してきたか、ということだ。見えない、というよりも、見ようとしない事で、どれだけ多くのものを損なってきたのか。何かを学んだつもりで、結局、同じことを繰り返してきただけではないのか。 1:20am (つづき)今は、午前1時過ぎ。そろそろ寝ようと思う。不思議なもので、朝目が覚めると、夜に考えたことは綺麗さっぱりと消えてしまっている。よし、今日はアレをやろう。次はソレだ。と、いつもの思考に戻っている。脳の仕組みがそうなっているのか、自分が楽観的なだけなのかはわからない。 1:28am (つづき)そして、これで深夜の連続ツイート終わり。昨日は、大きな揺れが少なかった。明日は、もっと揺れないといいなと思う。松島で生まれたペンギンの赤ちゃんが、すくすくと育てばいいいな、と思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この文章を書いた日の夜、とても色鮮やかな夢を見た。 目の前を走っている軽自動車の色が、今まで見たことがないような不思議な色彩で、グリーンのようなイエローのような形容しがたいトーンをしていて、目が覚めてからも「とにかく、凄い色だったな」と、しばらくぼんやりとしていたくらいだった。 直接は関係ないとは思うけれど、こんなにも色が意識に残る夢を見たのは

夜読んだ言葉を、夜にまた聞く。

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就寝前に、何気なく手に取った本の中に「仲直りした友人と、温め直したスープの肉には気をつけろ」という、ことわざが掲載されていた。その時は、特に気にもせず、右から左へと流して終わりだった。 ところが、翌日の夜に、ある人と話をしていた時に(その人は、人間関係で悩んでいた)「ほら、イタリアのことわざにも『温め直したスープの肉には気をつけろ』というのが、ありましたよね。まさに、それですよ・・・」と、言ってきた。 イタリアのことわざではなく、スペインのことわざなのだが、今回注目すべき点は、そこではない。人間関係を表す多数のことわざの中から、私が「それ」を見て、彼が「それ」を口にしたという偶然に、驚いたのだ。 まさに、このブログのテーマである「ものごとに、必然はあるのか?」に、最適のできごとだった。もちろん、自分が手に取った本の中に、記載されていたことわざは「仲直りした友人〜」のみだったし、彼が同じ本を読んだということも、まず考えられない。いや、むしろ、同じ本を同時期に手に取った、という偶然があるのならば(特に、最近出版されたとか、人気の本というわけではないので)それもまた妙なり、だ。 もしかすると、このことわざの中に、何かのメッセージがあるのかもしれないし、本の方にあるのかも、はたまた、その知り合いの方にあるのかもしれない。ちょっと注意して、関連の情報を探ってみたいと思っています。 ※写真と本文は関係ありません(この前登った、山の写真です)