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【夏目漱石】今借して上げる金はない。(文豪の手紙を読む)

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今回紹介するのは、 夏目漱石が借金の依頼を断る手紙の一節 です。借金の依頼は、受けるのも断るのもなかなか難しいもの。漱石先生は、どのように対応するのでしょうか? 御手紙拝見。折角だけれども今借して上げる金はない。家賃なんか構やしないから放って置き給え。 僕の親類に不幸があってそれの葬式その他の費用を少し弁じてやった。今はうちには何にもない。僕の紙入にあれば上げるがそれもからだ。 (飯田政良宛ての手紙より一部抜粋) どうやら手紙の相手(飯田政良)は、家賃を払う金がなくて漱石先生に借金の相談をしたようです。そこで漱石先生は 「今は貸してあげる金はない。家賃なんて構わないから放っておけ」 と、借金の依頼を断ります。そして「金がないのは親類に不幸があったからで、財布にあれば貸してあげたいが空っぽだ」と、説明していきます。 ともすれば、湿っぽい雰囲気になりがちな「借金」の話題ですが、このような感じで「金はない」と、 ざっくりと切り捨ててもらった方が少し気持ちが楽になるような (もちろん、お金には困りますが)感じがします。金の切れ目が縁の切れ目、などといいますが、これからも漱石に別件などで相談がしやすくなるような気がします。 それと同時に 「ほんとうにお金がないのかな? 本当はあるけれど、貸したくないからこのような手紙を書いたのではないだろうか?」 と、性格がねじまがった私などは、そんな風に邪推してしまったりもします。そこをなんとか、と食い下がりたくなるような気もします。ところが漱石先生、この時は本当にお金がなかったようで、この手紙はこのような一文で締めくくられます。 紙入を見たら一円あるからこれで酒でも呑んで家主を退治玉え。 (同) 財布を見たら一円あったから、これで酒でも飲んで気勢をあげて、家賃を取りに来る家主を退治してしまいなさい。どうやら、 財布に残っていた「最後の一円」は酒代としてあげてしまったようです。 家主にしてみれば、とんだ災難ですけれど、他人の私たちからすると、なんともほのぼのとするような、落語でも聞いているような気分になりますね。 【佐藤ゼミ】夏目漱石の手紙 【参考文献】 漱石書簡集(岩波文庫) 〰関連 「読書」に関する記事 「夏目漱石」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter

文豪のラブレター(太宰治)編

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【4回目】文豪のラブレター「太宰治 」編   【文豪のラブレター】シリーズも4回目。今回は、太宰治が、ある女性に宛てた手紙を紹介します。あの太宰治は、いったいどのようなラブレターを書いていたのか? ファンならずとも気になりますよね・・・。 拝復 いつも思つてゐます。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思つてゐました。正直に言はうと思ひます。(太田静子宛ての手紙より) こちらは、 太宰治が太田静子に宛てた手紙の冒頭です 。この時太宰は結婚していたので、いわゆる「愛人(正確には、この段階では男女の関係にはなっていませんが)」へ宛てたラブレターということになります。 太宰の作品を読んでいると「直接、自分に語りかけている」かのような「他の人には言えないけど、あなたにだけは話しておきたい」と、いうような気分になる時がありますが、この手紙も「目の前で、静かに語りかけてくれているような」気持ちになる、太宰らしい文章だと思います。 「いつも思っています」「いつも思っていました」「正直に言おうと思います」 冒頭で「思う」という言葉が、三度連続で続きます。太宰は意図的にこのような書き方をしたのではない、と「思い」ますが、読んでいると本当に自分のことを「思って」くれているのだな、と感じる文章だと思うのですが、みなさんはどう感じましたか? 一ばんいいひととして、ひつそり命がけで生きてゐて下さい  コヒシイ この手紙は、太宰の周辺の出来事が綴られたあと「コヒシイ」という言葉で結ばれます。最後に「コヒシイ」と気持ちを伝える。色々な意味で「太宰らしい」魅力が詰まった手紙だと思います。興味がある方は、ぜひ研究(?)してみてください。 太宰治疎開の家 この手紙を書いていた時の太宰は、戦時中のために実家の青森へ疎開していました。現在でも太宰が疎開していた家が 「太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)」 として、青森県の五所川原市に保存されています。 私も数年前に「太宰治疎開の家」を訪問したことがあるのですが、実際に太宰が執筆していた書斎で「あの作品は、ここで書かれたのか」と当時の様子を想像する時間は、ほんとうに楽しいひとときでした。 「太宰治疎開の家」を訪問した時の記事はこちら 「太宰治疎開の家」は、 斜陽館 からでも徒歩で移動できる場所にあるので、興味がある方は足

文豪のラブレター(斎藤茂吉)編

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文豪のラブレター(斎藤茂吉)編 【文豪のラブレター 3回目】1回目と2回目では、芥川龍之介と夏目漱石のラブレターを紹介しました。それぞれ、意外性がありつつも「まっすぐな気持ち」が伝わってくる、心温まる手紙でした。そして、今回ご紹介するのは斉藤茂吉のラブレターです。 ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいえない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。玉を大切にするやうにしたいのです。ふさ子さん。なぜそんなにいいのですか。(永井ふさ子宛の手紙より) こちらは、斎藤茂吉が永井ふさ子に宛てて書いた手紙です。この時、斉藤茂吉は52歳。お相手の永井ふさ子は24歳。「なぜこんなに」「なぜそんなに」と畳み掛けながら、若い女性を相手に身も心も魅了されている様子が伝わってきます。芥川龍之介や夏目漱石とは違った角度からの「まっすぐ」な気持ちが表現されている、印象的なラブレターだと思います。斎藤先生、さすがです…。 それにしても、このような手紙をもらった永井さんは、どのような返信をしたのでしょうか。気の利いた返信で、さらりとかわしたのでしょうか。手紙が資料として残っているということは、大切に保管していたのだと思いますが、このあと二人がどのような会話をしたのか気になります。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。 ☝(補足) 余談ですが、私は数年前に斎藤茂吉の出身地である山形県の「聴禽書屋」を訪問したことがあります。茂吉はここに戦後2年間ほど滞在したそうですが「聴禽書屋」という名称(聴禽=小鳥のさえずりを聴く)が、しっくりとくる和風建築の静かな趣のある場所でした。山形には「斎藤茂吉記念館」や生家などもありますが、興味がある方は「聴禽書屋」へも足を伸ばされることをおすすめします。 ☝(関連) ・ 文豪のラブレター(芥川龍之介)編 ・ 文豪のラブレター(夏目漱石)編 ・ 文豪のラブレター(太宰治)編 〰関連 「人生哲学」に関する記事 「読書」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter 佐藤ゼミでは、 文学作品を通して「考えるヒント」 を提供していきます。夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・宮沢賢治など、日本を代表する文豪の作品から海外文学まで、私(佐藤)が読んできた作品を取り上げて解説します。