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秋の日は、つるべ落とし。

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河川敷の横の道を、車で通ったところ、帰宅途中の高校生が、自転車を止めて携帯電話で夕焼けを撮影していた。思わずつられて、同じ方向を見ると、高い秋の空に、綺麗な夕焼けが広がっていた。 まだまだ日中は、暑くて半袖でも大丈夫だけど、夕方の5時を過ぎると、あっという間に日が落ちて涼しくなってしまう。秋の日は、つるべ落としとは、よく言ったもので、本当にあっというまに「すとん」と、日が暮れていく。その格差に、必要以上に物悲しい気分になる。 秋の日に夕焼けを見ていると、小学校の頃を思い出す。母親に留守番を頼まれた日のこと。友人に釣りに誘われた自分は、弟に「一人でも(留守番は)大丈夫だよな?」と聞いて、自転車で釣りに出掛けてしまった。よくは覚えていないのだが、小学生の足で20分くらいの距離の池に出掛けたと思う。 夢中になって釣りをしているうちに、、あっと言う間に陽が落ち、あたりが真っ暗になってしまった。自転車のライトを付け、友人達と「そっちは、あぶないぞ!」「みんなで、ライトを同じ方向に向けろ!」などと、ふざけながら、おっかなびっくり家に向かった。こんなに遅くなってしまって(その時は、時計を持っていなかったので、真夜中の様に感じていたのだと思う)親に怒られるだろうな、もう釣りには行けないだろうな・・・などと、思いつつ玄関のドアを開けると、そこには自分の帰りを待ちわびていた母親の姿があった。 ひとしきり怒られて、注意をされて、思わず「でも、弟が一人でも大丈夫だ、と言ったから出掛けたんだ」と、こぼしてしまった。すると、その言葉を聞いた弟がポツリ「でも、本当は、一人では嫌だった・・・」。ますます、怒られる結果となった。 あの時から大分時間が過ぎてしまったけれど、こういう記憶はいつまでも鮮明に残るものなんだな、と帰宅途中の高校生達の横を過ぎながら、考えました。

チュッパチャプス

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知り合いが、旅のおみやげだといって「 チュッパチャプス」を買ってきてくれた。・・・なぜ、旅のみやげにチュッパチャプス?? 確かに旅に行く前に「チュッパチャプス」の話をしたけれど、わざわざ旅先で買ってくることは、ないじゃないか。同じものが、近所のコンビニで・・・などと、いう疑問はさておき、実に20年ぶりくらいに食べてみた(ちなみに、味はマンゴー)。 あらためて、パッケージを見てみると、記憶の中のイメージよりも、かなり凝ったデザインであることに気がついた。気になって調べてみると『1958年 にスペインのバルセロナ で誕生した、棒付きキャンディ の商品名、またそのキャンディを販売する会社名である。日本では1977年 から森永製菓が 輸入販売している。(wikipediaより 引用)』とのことだった。 なんと、スペインからの輸入品だったのか。そのような情報を知ってから、 チュッパチャプスを見てみると、西欧の異国情緒を感じてしまう。でも、もしこれが「中国から輸入販売」とか「チリからの輸入販売」ということだったならば、「そうか、やはり中国の雰囲気が・・・」とか「チリっぽいよね・・」と、思ってしまったことだろう(笑) 知り合い(男性)と「男が、チュッパチャプスを買って恥ずかしくないのは、高校生くらいまでですかね」「いや、中学生でも、ちょっとキツイよ」「友達と、みんなで話しながら買うなら、高校まで大丈夫ですよ」「そうかなー。まあ、チュッパチャプス一個だけを買うのでなければ、高校まで大丈夫かな」「他のと一緒に買うなら、社会人でも大丈夫ですよ!」 などと、真剣に話しあった(笑)後日、知り合いの女子に同じことを聞いてみると「別に、何もおかしくないんじゃないですか? それよりも、この資料が・・・」と、一蹴された。確かに、買い物をしていて恥ずかしいとか、恥ずかしくないなんて、自分達が思っているよりも、店員は考えていませんね。忙しいし。

ミソシルの夢。

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今回も、夢(寝ている時)の話。自分は、外国人の方達と(たぶん、その人達の家で)食事をしていた。若い女性の方が2人と、その母親らしき人が1人いたような、気がする。テーブルについて、みんな何かしら口にしていたのだが、なぜか自分は「みそしる」を飲んでいた。しかも、ずずーっと、ものすごくたっぷりと(笑) 今まで、外国人の方達とプライベートで食事をしたこともないし、みそしるも、そんなに、ずずーっと、たくさん飲む方ではない。前の日記で「夢の中で実体験の記憶が鮮明に、再現されるおもしろさ」と、いうようなことを書いたけれど、今回の夢は「体験したことがないことを、実体験以上にリアルに体験した」夢だった。 なぜ、外国人の方と食事をしていたのか? いや、それはそれで、夢として、さほど違和感はない。許容範囲だ。でも、テーブルの上に並んでいる料理の中から、なぜ、わざわざ、みそしるを手にとって飲んだのか? 異国の雰囲気満載の食卓で、なぜわざわざ日本食を選んだのか? 意外とこれも、もしかすると、後々「偶然が必然」になるかもしれないので、とりあえず忘れないうちに記録をしておくことにする。 ※今回の写真は、初秋の夕暮れ。最近、あっという間に、日が落ちますね。外国人やミソシルの写真がなかったので、適当にこれを載せてみました。

蛍を見ていた時のこと。

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このブログの、タイトル画像を変更してみた。数年前なら、画像ひとつ差し替えるのも、結構めんどうだったものだけど、今では、ほぼワンクリックで変更できる。あの当時、費やしてしまった膨大な時間は、いったいなんだったのかと、思う瞬間だ。 今回の写真は、仙台市郊外で撮影してきたものだ。仙台市も、100万人都市とはいうものの、30分も郊外に向けて車を走らせれば、このような田園風景を見ることができる。もちろん、すぐ横の道を、たくさんの車がビュンビュンと、走り抜けてはいるのだけど。 自分が、まだ10代だったころ、この辺りにも「蛍」が飛んでいた。「蛍が見られるよ」と、口実をつくり、女の子をバイクの後ろに乗せて、夜遅くにやってきたものだった。 バイクのエンジンを止めて、しばらくそこで、じっとしていると、それまで息をひそめていた蛍達が、ふわーっ、という感じで、周りからゆっくりと真っ暗な闇の中を舞い始める。光を点滅させる。そばで眺めている、自分達の服の上にとまって、しばらく灯りをともしてくれるのも、いる。それは、とても気持ちがいい瞬間で、夏を思わせる、心地よい風景だった。 それからわずか数年後、道路は舗装され、交通量も各段に増えた。もちろん、この周辺で蛍を見ることもなくなった。「蛍は、綺麗な水にしか住むことができない」と、いう言葉を、子供のころ、何かの本で読んだことがあるけれど、これは本当だったんだなと、体験から学んだできごとでした。 ※追加の写真 今回の記事に掲載している写真は、一見すると「普通の雲」の写真ですが、拡大してみると、左上の方に・・・これは? ・・・いえ、飛行機です。

ついつい手が出てしまうもの。

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自分は、ふだんあまりスナック菓子のたぐいを、食べない。(ガムはひんぱんに噛む。いつも2〜3個は常備してある)なので、周りの人達からは「あの人には、お菓子を出しても食べない。こういうのが、あまり好きではないようだ」と、思われている節があるようだ。 まあ、それはそれでいいのだけど、実は、ドラックストアなどに行くと、ついつい手が出てしまう、というか、ほぼ無意識にカゴの中に放り込んでしまうものが、ある。それが「カルビー ポテトチップス」だ。 雑貨や何やら、目的の品を購入したあと、帰りの車の中で、ポテチと缶コーヒーを飲みながら移動するのが、ささやかな楽しみだったりする(笑)半分くらいで、止めておけばいいのだが、ついつい一袋を一気食いしてしまって、それが昼飯の代わりに、なったりする時もある。嗜好品が、メインの食材になるのは、良くないだろうとは思うので、注意はしているものの、ついついやってしまいそうになる。 昨日、ドラックストアで買った「バターしょうゆ」は、ものすごく美味しかった。食べ物のおいしさを、文章で伝えるのは難しいのだが「何コレ! おいしい!!」という、感じではなく「ああ、コレ、おいしいねえ〜」と、自然なペースで気がつくと、ひと袋一気に食べてしまうという「おいしさ」だった。安かったので、2袋まとめ買いしていたため、思わずその勢いで、2袋連続で食べてしまうところだった(さすがに、それは止めた)。 と、書いたところで、残念なお知らせなのだが、この「バターしょうゆ」は、地域限定だそうだ。販売地域は( 北海道・青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県・新潟県)ということなので、このブログをご覧いただいている地域のみなさんの、コンビニ&ドラッグストアでは、手に入らないと思われる。なので、ETC1000円割引などを活用して、こちらの方に遊びにくる際になどに、見つけたら試していただきたい。

初秋になると、考えること。

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関東の方は、まだまだ暑いだろうし、半袖でも十分に過ごせることでしょう。でも、自分の地元仙台は、朝晩は長袖でないと、少し肌寒く感じる季節になってきた。すっかりと、初秋を思わせる空気になった。 自分は、この季節(夏から秋へと移り変わる時期)が、一年の中で、一番好きだ。部屋の窓から、そよそよと風が流れ込んできて、静かで落ち着いた空気の中で本を読んでいたりすると、何か新しいアイデアやヒントが浮かんでくるような気がする。気がするだけで、実際には何も浮かんでこないですけどね。 そして、この時期になると、なぜかいつも、予備校に通っていた時のことを思い出す。未来に対して、ばくぜんとしているけど、力強い希望があって、不安があって、仲間がいて。自習室にいくと、必ず3〜4人は友人がいて(もしくは、友人の荷物があって)遊び相手には、事欠かなかった。自分の周りの人達は、なぜかみんな親切で、思いやりがあって、にこにこと笑う人達ばかりだった。 その中に、A君(仮名)という、ものすごく努力家で、しゃれが効いている人がいて、いつ自習室に行っても、ウォークマンを聞きながら、同じ姿勢で勉強を続けている人がいた。彼が、怒っている姿を見たこともなかったし、悪口を言っているのを聞いた事も、なかった。今、考えてみると、A君のような控えめで、自己主張は少ないけれど、確実にそこに座っていてくれる人がいたからこそ、あのような仲間が保てたのかもしれないなと、この年齢になって感じることがある。 と、いうようなことが、一気に思い出されるのが、この「夏から秋へ」の時期だ。みんな、年齢をかさねて、どのような生き方をしているのか? 今となっては、全くその様子はわからないけれど、元気で自分らしく、がんばっているのだろうと思う。すくなくとも、一番「いいかげん」な人生を送っているのが、自分だろう。それを考えると、別の意味で、ちょっとせつなくなったりする(笑) ※写真は、智恵子抄でも有名な「阿武隈川」の写真。秋の、傾きかけた太陽の光が、とても心地よい午後でした。

夜読んだ言葉を、夜にまた聞く。

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就寝前に、何気なく手に取った本の中に「仲直りした友人と、温め直したスープの肉には気をつけろ」という、ことわざが掲載されていた。その時は、特に気にもせず、右から左へと流して終わりだった。 ところが、翌日の夜に、ある人と話をしていた時に(その人は、人間関係で悩んでいた)「ほら、イタリアのことわざにも『温め直したスープの肉には気をつけろ』というのが、ありましたよね。まさに、それですよ・・・」と、言ってきた。 イタリアのことわざではなく、スペインのことわざなのだが、今回注目すべき点は、そこではない。人間関係を表す多数のことわざの中から、私が「それ」を見て、彼が「それ」を口にしたという偶然に、驚いたのだ。 まさに、このブログのテーマである「ものごとに、必然はあるのか?」に、最適のできごとだった。もちろん、自分が手に取った本の中に、記載されていたことわざは「仲直りした友人〜」のみだったし、彼が同じ本を読んだということも、まず考えられない。いや、むしろ、同じ本を同時期に手に取った、という偶然があるのならば(特に、最近出版されたとか、人気の本というわけではないので)それもまた妙なり、だ。 もしかすると、このことわざの中に、何かのメッセージがあるのかもしれないし、本の方にあるのかも、はたまた、その知り合いの方にあるのかもしれない。ちょっと注意して、関連の情報を探ってみたいと思っています。 ※写真と本文は関係ありません(この前登った、山の写真です)