投稿

休日の風景。

イメージ
日曜日の午後、修理していた車を受け取りに、ディーラーまで歩いて行く事になった。家の近くの歩道橋の上から、道路の方を眺めてみた。普段は、慢性的に渋滞状態の道が、見事なまでにガラガラ状態だった。(ちなみに、写真を撮影した時間帯は、午後の3時ころ) 連休明けの休日だから、みんな出掛けるのを控えているのか?それとも、ETC割引を利用して、遠出をしているのか? どんよりとした空の気配と組み合わさると、まるで、この世の終わりの風景、のように見えてきたりもする。 人がいなくなってしまった世界は、このような感じなのか・・・いや、それは怖すぎるので、何か興味深い出来事が起こって、みんなTVの前に釘付けになっている状態と考えてみよう。休日の午後に、すべての人がTVに釘付けになる出来事とは、どのようなものがある? 視聴率100%のTV番組。 なぜか、プラスのイメージよりも、マイナス寄りになってしまうのは、自分の性格がマイナス寄りだからなのだろうか(笑)そんなことを考えながら、自分しかいない歩道橋の上から、写真を撮っておきました。

2010年手帳

イメージ
書店に行くと「2010年版」の手帳コーナーが設置されているのを、目にする。もう、そんな時期か、とか、まだ9月じゃないか、などと考えながらも、見本で並んでいる手帳を手にとって、ぱらぱらと眺めてみたりする。 以前、何かの本で「年齢を重ねるほど、時間の流れを早く感じる」という文章を読んだことがあったけれど、最近それを、実感として感じることも多い。何か作業をしていて、「もう40分くらい過ぎたかな」、と思うと1時間くらいだし、「待ち合わせの時間まで、1時間くらいあるから」と車の中を整理したりしていると、あっという間に時間になっていたりする。 2009年も、色々とあったはずなのだが、もう新しい手帳の時期が・・・などと考えていると、寂しくなるような気がするので、せめて早起きをして一日の時間を長くするように、工夫していこうと思う。 ちなみに自分は、ここ数年「高橋書店」の手帳を使っている。一応、買い替える際には、他の手帳も調べてはみるのだが、結局最後には、高橋書店のものを選んでしまう。どうせこれにするのだから、他のものを見ている時間がもったいないよな、とは思いつつ、やっぱり同じものを選んでしまう。 レイアウトや大きさは、とても気に入っているので、あとはデザインのバリエーションを増やしてもらえたら、毎年2冊は買う・・・と、いうことはありませんけどね(笑)とりあえず、来年も高橋書店の手帳にするか? それとも??

満車か、2台か?

イメージ
昨日は、天気がよかったので、県内の里山に登ってきた。午前中に自宅を出て、時々写真を撮影しながら車を走らせていると、秋の涼しい空気が心地よくて「もう、山なんて登らなくてもいいんじゃないか?」という気分になった。(もちろん、これは思うだけで、実際は山が近づくにつれ、モチベーションが高くなっていく)。 細い山道を、慎重に対向車がこないことを期待しながら、走っていくと、大きな駐車場の前に出た。結構広い駐車場にもかかわらず、ほぼ満車状態だったので、いったい何があったのだろう? と道路の脇に立っていた案内板を見てみると、キャンプ場の駐車場ということがわかった。 こんなに人里離れたところでも(キャンプ場なのだから、当然なのだが)ずいぶん、人が集まっているんだな、やはり連休中だから当然か。この様子なら、山の方も混んでいるかもしれない、駐車場は空いているかな、と考えながら、賑わうキャンプ場の横を過ぎた。 勘のよい方なら、すでに話の展開は見えていることと思う。40台ほど駐車できる登山口の駐車場には、自分の車と、もう一台、白の乗用車が駐車されているだけだった。ものすごくガラガラ。「混んでいないといいのだが」と思っていたはずなのに、実際にガラガラだと「全然、人がいない」と、逆にがっかりしてしまうのも不思議なものだ。 準備をして、人気のない登山道を静かに登っていく。自分以外には人がいない、とわかっているので、木の奥の方から『ガサッ!』という音がすると『熊か??』と、必要以上に敏感になってしまったりする。そういえば、熊よけの鈴を忘れてきた。いや、この辺りに熊はいるのか? などと考えながら、歩く。 途中、熊に会うことも、大きなトラブルもなく、無事に頂上へ着く。一人でお茶を飲んで、岩の上に座って、遠くの山並みを眺めてると、横の方から人が近づいてくる気配がした。こんにちは、と声をかけると、相手も人がいないと思っていたらしく、少し驚いたように苦笑いをしていた。駐車場にあった、もう一台の車の持ち主だった。 「来る途中の、キャンプ場は混んでいたのに、ここは静かですね」 「本当ですね」 「登山は、人気ないんですかね」 「(笑)いや、もう少しして紅葉が始まれば、もっと混みます」 そんな話をして、相手が下山をしてしまった後も、自分はしばらく山頂の岩場に座って、次はどの山に登ろうか、向かいの山とこの山は、同じくら

秋の日は、つるべ落とし。

イメージ
河川敷の横の道を、車で通ったところ、帰宅途中の高校生が、自転車を止めて携帯電話で夕焼けを撮影していた。思わずつられて、同じ方向を見ると、高い秋の空に、綺麗な夕焼けが広がっていた。 まだまだ日中は、暑くて半袖でも大丈夫だけど、夕方の5時を過ぎると、あっという間に日が落ちて涼しくなってしまう。秋の日は、つるべ落としとは、よく言ったもので、本当にあっというまに「すとん」と、日が暮れていく。その格差に、必要以上に物悲しい気分になる。 秋の日に夕焼けを見ていると、小学校の頃を思い出す。母親に留守番を頼まれた日のこと。友人に釣りに誘われた自分は、弟に「一人でも(留守番は)大丈夫だよな?」と聞いて、自転車で釣りに出掛けてしまった。よくは覚えていないのだが、小学生の足で20分くらいの距離の池に出掛けたと思う。 夢中になって釣りをしているうちに、、あっと言う間に陽が落ち、あたりが真っ暗になってしまった。自転車のライトを付け、友人達と「そっちは、あぶないぞ!」「みんなで、ライトを同じ方向に向けろ!」などと、ふざけながら、おっかなびっくり家に向かった。こんなに遅くなってしまって(その時は、時計を持っていなかったので、真夜中の様に感じていたのだと思う)親に怒られるだろうな、もう釣りには行けないだろうな・・・などと、思いつつ玄関のドアを開けると、そこには自分の帰りを待ちわびていた母親の姿があった。 ひとしきり怒られて、注意をされて、思わず「でも、弟が一人でも大丈夫だ、と言ったから出掛けたんだ」と、こぼしてしまった。すると、その言葉を聞いた弟がポツリ「でも、本当は、一人では嫌だった・・・」。ますます、怒られる結果となった。 あの時から大分時間が過ぎてしまったけれど、こういう記憶はいつまでも鮮明に残るものなんだな、と帰宅途中の高校生達の横を過ぎながら、考えました。

チュッパチャプス

イメージ
知り合いが、旅のおみやげだといって「 チュッパチャプス」を買ってきてくれた。・・・なぜ、旅のみやげにチュッパチャプス?? 確かに旅に行く前に「チュッパチャプス」の話をしたけれど、わざわざ旅先で買ってくることは、ないじゃないか。同じものが、近所のコンビニで・・・などと、いう疑問はさておき、実に20年ぶりくらいに食べてみた(ちなみに、味はマンゴー)。 あらためて、パッケージを見てみると、記憶の中のイメージよりも、かなり凝ったデザインであることに気がついた。気になって調べてみると『1958年 にスペインのバルセロナ で誕生した、棒付きキャンディ の商品名、またそのキャンディを販売する会社名である。日本では1977年 から森永製菓が 輸入販売している。(wikipediaより 引用)』とのことだった。 なんと、スペインからの輸入品だったのか。そのような情報を知ってから、 チュッパチャプスを見てみると、西欧の異国情緒を感じてしまう。でも、もしこれが「中国から輸入販売」とか「チリからの輸入販売」ということだったならば、「そうか、やはり中国の雰囲気が・・・」とか「チリっぽいよね・・」と、思ってしまったことだろう(笑) 知り合い(男性)と「男が、チュッパチャプスを買って恥ずかしくないのは、高校生くらいまでですかね」「いや、中学生でも、ちょっとキツイよ」「友達と、みんなで話しながら買うなら、高校まで大丈夫ですよ」「そうかなー。まあ、チュッパチャプス一個だけを買うのでなければ、高校まで大丈夫かな」「他のと一緒に買うなら、社会人でも大丈夫ですよ!」 などと、真剣に話しあった(笑)後日、知り合いの女子に同じことを聞いてみると「別に、何もおかしくないんじゃないですか? それよりも、この資料が・・・」と、一蹴された。確かに、買い物をしていて恥ずかしいとか、恥ずかしくないなんて、自分達が思っているよりも、店員は考えていませんね。忙しいし。

ミソシルの夢。

イメージ
今回も、夢(寝ている時)の話。自分は、外国人の方達と(たぶん、その人達の家で)食事をしていた。若い女性の方が2人と、その母親らしき人が1人いたような、気がする。テーブルについて、みんな何かしら口にしていたのだが、なぜか自分は「みそしる」を飲んでいた。しかも、ずずーっと、ものすごくたっぷりと(笑) 今まで、外国人の方達とプライベートで食事をしたこともないし、みそしるも、そんなに、ずずーっと、たくさん飲む方ではない。前の日記で「夢の中で実体験の記憶が鮮明に、再現されるおもしろさ」と、いうようなことを書いたけれど、今回の夢は「体験したことがないことを、実体験以上にリアルに体験した」夢だった。 なぜ、外国人の方と食事をしていたのか? いや、それはそれで、夢として、さほど違和感はない。許容範囲だ。でも、テーブルの上に並んでいる料理の中から、なぜ、わざわざ、みそしるを手にとって飲んだのか? 異国の雰囲気満載の食卓で、なぜわざわざ日本食を選んだのか? 意外とこれも、もしかすると、後々「偶然が必然」になるかもしれないので、とりあえず忘れないうちに記録をしておくことにする。 ※今回の写真は、初秋の夕暮れ。最近、あっという間に、日が落ちますね。外国人やミソシルの写真がなかったので、適当にこれを載せてみました。

蛍を見ていた時のこと。

イメージ
このブログの、タイトル画像を変更してみた。数年前なら、画像ひとつ差し替えるのも、結構めんどうだったものだけど、今では、ほぼワンクリックで変更できる。あの当時、費やしてしまった膨大な時間は、いったいなんだったのかと、思う瞬間だ。 今回の写真は、仙台市郊外で撮影してきたものだ。仙台市も、100万人都市とはいうものの、30分も郊外に向けて車を走らせれば、このような田園風景を見ることができる。もちろん、すぐ横の道を、たくさんの車がビュンビュンと、走り抜けてはいるのだけど。 自分が、まだ10代だったころ、この辺りにも「蛍」が飛んでいた。「蛍が見られるよ」と、口実をつくり、女の子をバイクの後ろに乗せて、夜遅くにやってきたものだった。 バイクのエンジンを止めて、しばらくそこで、じっとしていると、それまで息をひそめていた蛍達が、ふわーっ、という感じで、周りからゆっくりと真っ暗な闇の中を舞い始める。光を点滅させる。そばで眺めている、自分達の服の上にとまって、しばらく灯りをともしてくれるのも、いる。それは、とても気持ちがいい瞬間で、夏を思わせる、心地よい風景だった。 それからわずか数年後、道路は舗装され、交通量も各段に増えた。もちろん、この周辺で蛍を見ることもなくなった。「蛍は、綺麗な水にしか住むことができない」と、いう言葉を、子供のころ、何かの本で読んだことがあるけれど、これは本当だったんだなと、体験から学んだできごとでした。 ※追加の写真 今回の記事に掲載している写真は、一見すると「普通の雲」の写真ですが、拡大してみると、左上の方に・・・これは? ・・・いえ、飛行機です。