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さくら、咲いた(また来年)。

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少し遠回りをして、桜の前を通ってみた。だいぶ散り始めていた。 今年は、そろそろおしまいだな。 単なる思い込みだと思うけれど、今年の桜は、いつもよりも長く咲いていたような気がする。 ありがとう。また来年。

さくら、咲いた(あれから、3日後)。

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前回書き込んだ日から、さらに3日が過ぎた。 この3日間は、さくらにとって、厳しい日々だった。 最高気温が10度前後にまで下がり、強い風が吹き、みぞれまで降った。 もしかしたら、一気に散ってしまったのではないか? そんなことを考えながら、少しだけ遠回りをして、桜の木の近くにまで寄ってみる。 何事もなかったかのように、桜満開中。 彼女達は、タフだった。

さくら、咲いた(翌日)。

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昨日の日記で「あと数日で満開か?」と書いたけれど、なんと一日で満開になっていた。 一気に、咲き誇っていた。 すごいエネルギーだ。負けられません(勝ち負けでは、ないけれど・笑)

さくら、咲いた。

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先の地震で、57%が浸水したと報道された、宮城県仙台市若林区。僕が生まれ、育ち、今住んでいる街だ。 この場所に、今日、桜が咲いた。 ずっと、待ち続けていた桜が咲いた。 今年、この場所に桜が咲き、それを見ることができたのだ、ということに意味があるのだと思う。 あと数日で、満開になりそうだ。 その頃を見計らって、もう一度写真を撮りに行こうと考えている。

4.7 現実の世界が動く音。

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4月7日午後11時32分。 宮城県沖を震源地とした余震が起きた。宮城で震度6強 M7.4。地球にもてあそばれるかのように、体が左右に大きく揺らされる。家全体が、波打っているように感じる。嫌な音が聞こえる。いろいろな音が混じり合った、頭の奥に突き刺さるような音が聞こえる。「またか」と思う。また、3月11日に逆戻りするのか、と思う。 その日の夜(正確には次の日の深夜)。twitterに、以下の文章を書いた。特に、内容のある文章ではない。でも、近い将来、自分自身にとって何かの意味をもたらしてくれるような文章かもしれない、とも感じたので、こちらにも転載し「記録」しておくことにする。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・4月8日 3:03 今回の地震で、五つある本棚のうち、二つが崩壊した。前回の地震で限界だったんだな。長い間、おつかれさん。本の山を壁際に押しやって、外を眺めている。停電で、市内の空が暗くなっている。緊急車輌のサイレンの音。なんだか、少し寒い。今日は眠れそうにないから、考えごとでもしようかと思ってる。 ・4月8日 3:18 そして次々に届く、安否を知らせるメール。しばしの安堵。冷えたお茶を飲む。新しいサイレンの音が聞こえる。原付が走り抜ける音も。さっきよりも、風が強くなってきた気がするので、そろそろ部屋に戻ろうと思う。 ・4月8日 4:31 只今、午前4時30分。完全に眠るタイミングを外したので、このまま朝まで起きていようかと、考えている。新聞配達と思われる、バイクが走り去る音が聞こえる。それは微かだけど、とても頼もしい音のように感じる。現実の世界が確実に動いているのだ、という証拠のように感じられる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 実は(と、あらためて強調するほどの事ではないけれど)1回目と2回目の文章の間に途中まで書いたものの、なんとなく違和感を感じて削除してしまった文章がある。 それは、外に出た時に感じた、風の臭いに関する文章で「なにか、ふしぎな臭いがする。海の臭いのような気もする」と、いうような内容のものだ。 途中まで書き進めた段階で「海の臭い」という表現に違和感をも

アースアワーの夜

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アースアワーに参加した。照明を消して、ふとんにくるまって(←寒かったので)真っ暗な天井を、眺めていたら、小学4年生の時のことが頭に浮かんできた。その時僕は、学級委員をやっていて、副委員の女子と放課後に残って作業をしていた。その女子に(わりとマセた女の子だった) 「あんたは、女子の気持ちに鈍感だよ」と、いうようなことを言われたのだった。なぜ今、そんなことを思い出したのかはわからない。わからないけれど、その時の自分と今の自分が、ほとんど変わっていないことは確実だと思った。その時から、同じような時間を、積み重ねてきたのだなと思った。 そしてこれからも、この場所で、同じような時間を積み重ねていきたい。色々なことを考え、色々なことを表現していきたい。真っ暗な部屋の中で、そんなことを考えました。

地震から、10日。

あの日から、10日。 「もう」10日なのか、「まだ」10日なのか。 時間の感覚が、すごく曖昧になっている。 避難所で、地域の人達と一緒に過ごした夜も、ロウソクと懐中電灯の灯りだけで一週間過ごした日々も、なんだか遠い昔のような気さえしてくる。本当に自分が体験した出来事なのかと、別の世界の出来事だったのではないかとさえ、思えてくる。 価値観の違い、だとか、趣味が合わない、などと、そんなことで迷ったり、ぶつかったりしていた日々が、とてもむなしく感じる。もっと他にも色々なことが、できたじゃないか、と思えてしかたがない。 まだまだ、暗くて寒い避難所で頑張っていらっしゃる方も多い。他県での生活を余儀なくされた方も多い。 毎日、毎日、緊急車両が走り去って行く音が聞こえる。朝も夜も。そして、それを運転している職員のみなさんのことを考えると、本当に頭が下がる。 とにかく、時間を無駄にしてはいけない。自分のためだけではなく、少しでも多くの方に役立てるように活用しよう。自分のような仕事をしている人間が、世の中の役に立てるのは、もう少し先になるだろう。その時のために、今から精一杯の準備をして、備えていこう。今できることに加えて、少し先の世界に向けて、しっかりと準備をしていこう。今自分は、そんな風に考えています。