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2013年 書き初め

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そして今年も、恒例の書き初めをしてみました。 と、書くと、本物の墨と筆を使って書いたようにも聞こえるけれど、実はこれ「習字ソフト」を使って書いたものです。つまりマウスを使って書いたのだけど、筆圧の具合などが良い感じで反映されるので、ちらりと見た感じでは、あたかも本物の筆で書いたかのように見えるってわけです。 ちなみに今年は「希望」の「希」の字にした。なぜこの文字にしたかというと、実は頭に浮かんだ文字を、とりあえずさらさらと書いてみたら、いい感じだった、というのが実際の理由です。何か重々しい口ぶりで「この文字には・・・」と語りたいところだけど、その方が格式があがるような気もするけれど、しょせんソフトを使って書いているにすぎないので、本当のことをここに書いてみました。

塩竈神社へ初詣。

今年の初詣は塩竈神社へ詣でた。初詣へ詣でる、と書くということは、頭痛が痛い、ということと同じだな、と思うのだが、どうしても「詣でる」という言葉を使いたかったので、あえて並べて書いてみた。なので「使い方がおかしいのでは?」と感じた方は「そういうことなのか」と思っていただきたい。 さて、塩竈神社は「 東北鎮護・陸奥国一之宮」であり、御祭神は「別宮に主祭神たる塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神を祀る」神社である。 主祭神である塩土老翁神は、日本神話の「海幸山幸」に登場する神様なのだそうだ。「山幸彦」が「海幸彦」の釣り針を紛失してしまって困っている時に現れ「この小舟に乗っていけば海神の宮へ着くから、そこで待っていなさい」と、山幸彦に助け舟を出したのが、この塩土老翁神なのだそうだ。 高校生の頃に、この話を本で読んでから「神話にも登場する神様が祭られている神社 =ご利益がありそうだ」と感じ(単純である)それ以来、初詣は塩竈神社へ詣でることにしてきた。なので、正月は「しおがまさま(地元の人達は、このように呼びます)」に行かないと一年が始まった気がしないな、というくらい自分にとっては馴染み深い神社になっている。 今年は「拝殿工事中」ということで入場規制がかかっていて、階段の下で40分ほど並んで待たなければいけなかった。風邪気味だったので「待っている間に、風邪をこじらせたら意味がないな」と思い、途中で帰ろうかどうしようか、と迷っているうちに結局最後まで並んでしまった。列に並んでいる時に、横にいた50代中頃の男性が奥さんに向かって「なんで列が進まないんだ? みんな何をそんなに祈ることがあるんだ?オレなんて、ちゃっちゃと終わるぞ」というようなことを、ずっとボヤいていた。さらに「もう2時だから、終わって帰ってから飯を食うとなると4時過ぎくらいになるだろ? すると昼飯なのか夕飯なのかわからないなあ。お前はどう思う?」などということを大きな声で言い始めたため、見かねた奥さんが「そんなのどうでもいいでしょ!」とピシャリと注意して、その後は沈黙してしまった。話の内容が、ちょっと面白くなりかけていた自分としては、やや残念だったのだが「4時くらいに食べると、夕ご飯が食べられなくなるから困りますよね」などと相づちのひとつも打ってみたかったのだが、とにもかくにも、そんなボヤキを聞いたり、

僕が、一人旅をする理由。

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ひとり旅の時に「ここに、あの人がいてくれたのなら」と頭に浮かんだ人が本命の相手なのです。と、どこかで読んだ一文を思い出した。 つまりそれは、旅は人を素直にさせる、ってことなのかもしれない。 などと考えながら、ガラガラの駐車場で缶コーヒーを飲んで休憩していたところ、自分の車のすぐ横に一台の白い車が駐車してきた。こんなに広いスペースなのに、なぜわざわざ車を横付けするんだろう、と思い隣の車の様子を伺ってみると、白髪の初老の男性が一人で運転席に座っているのが見えた。 どうやら、この人もひとり旅らしい。そして、誰もいない場所にやってきて寂しくなってきたところ、ふいに自分の車が目に止まり、思わず横に止めてしまったのかもしれない。それにしても、別の人がこの状況を見たら「仲の良い二人が、車を並べて駐車しているように見えるよなあ」と考えて、なんだかおかしくなりました。実際は、全然知らない人、なんですけどね。

柳田國男の遠野物語を読む。

青空文庫にて、柳田國男の遠野物語が公開されていたので、さっそく読んでみた。自分が、初めて遠野物語を読んだのは大学生の時だった。その時は「とりあえず読んでおかなければいけない本の一冊」ということで、単行本を購入して通読してみたものの(その当時の自分にとっては)とりわけ引っかかるところもなく、さらっと読み終えてしまったという記憶しかなかった。 そのような記憶があったので、今回も「とりあえずiphoneにダウンロードしておいて、時間のある時にでも読んでみよう」というような感覚だった。ところが、である。そう、この書き出しで読者のみなさんも、おおかた察しがついていると思うけれど、そうです。その通りです。すごく「おもしろい」のです。 まず、序の「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ。(遠野物語より)」という一文が奮っている。引き込まれる。「まだまだこの日本には、お宝がたくさん眠っている。それを掘り起こすのは読者の君たちだ。後を頼む」と、いうような作者の興奮というか、志の高さが伝わってくるようだ。そうだ、自分たちはもっと「このような話」を掘り起こさなくてはいけないのだ、今自分がやりたいと思っていたことのひとつが、これなのではないか、と序文から作者に共感してしまったわけです。 3月11日の震災のあと、津波で流され失われた風景を目の当たりにする度に「この辺りには、どのような建物があっただろう」「ここには、確か・・・」と自分の微かな記憶を辿ることを繰り返し続けてきた。もう、100%同じ風景が蘇ることはない。ものごとに100%はない、とはいうけれど「あの風景が、ここに戻る事は100%ない」のだ。悲しいけれど、これが現実なのだ。そして、これから生まれ、この場所で育っていく人達の記憶の中には、全く新しく作り直された街並みのみが残ることになる。2011年3月を境にして「それまでの街並みを見たことがある人」と「見たことがない人」とに、真っ二つに別れるわけである。 そんな時に「今は、こんなに広くて走りやすい道だけれど、以前は車がすれ違うのも困難な位の細い道でバスが通る時には・・・」とか「夏になると、このあたりにやぐらが組まれて町内の人が踊るのだけど、その時に飾られ

2013.1.1

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読者のみなさまのところに、あふれるばかりの福が流れ込んできますように。 今年もよろしくお願いします。(佐藤) 制作:2009 Takahiro Sato all rights reserved.

個人的な電子書籍元年。

2012年も、あと1日。今年は年末に風邪をひいてしまったので、自宅でゆっくり過ごしているわけですけれど、こうやって(と言ってもみなさんには見えませんが)マスクをして、のんびりとブログなどを書いているのですけれども、とにもかくにも2012年もあと1日なわけです。 そこで、せっかく(?)風邪をひいて、大人しく過ごしているので、普段はやらないような「今年一年を、じっくり振り返る」とか「来年の目標を、今年のうちに立てておく」などに取り組んでみました。 結論からいうと、2012年は個人的には大きな変化は特になかったのですが、ちいさな変化としては「電子書籍を買うようになった」ということが、あげられるかと思います。 自分が初めて電子書籍を購入したのは今から2年くらい前で、iphone3GSで書籍のアプリを購入したのが初めての電子書籍体験でした。当時は「電子書籍を買う」という行為そのものにも若干の抵抗があったし「やはり本は紙で読みたい」と考えているようなところもあったので、iphoneを手に持ちながら購入ボタンをクリックするかどうかを数分くらい迷ったような記憶があります。 ところが今(2012年)は、どうかというと、ほとんど抵抗なく購入している自分がいるわけです。アプリのセールなどで安くなっていたりすると「とりあえず買っておこうか」という感じで、クリック(購入)しておくことも増えました。そしてiphone3GSとiphone4Sの両方にダウンロードしておいて、空いている時間に読むようにしています。電子書籍の場合は何冊購入しても、場所を取らないというのが最大の利点です。今、自宅のベットの周りには未読の本が30冊ほど山積みになっていて、かなり場所をとっているのですが、電子書籍はそれがありません。このメリットは自分が思っていたよりも大きいものでした。部屋の蔵書も、三分の一くらいは電子書籍化して、整理してしまいたいと本気で思ったほどです。 さらに今年、iphone4Sにkindleのアプリをいれてからは、amazonでも電子書籍を購入するようにもなりました。さきほども、amazonのkindleショップでバーゲンになっている本があって、それがちょうど「前に図書館で借りた時に面白かったので、もう一度読み返してみたい」と思っていた本だったので購入しておきました。kindleシ

仕事納め2012

本日、仕事納め。今年は心身共に「10年に1度クラス」の大ダメージを受けた一年でした。その真っ最中は「もう無理かもしれん」と思いましたけれど、太宰の人間失格が胸に沁みましたけれども「エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか?(人間失格より)」と、 デカダンを気取ってみたりもしたりしなかったりですけれど、今思い返してみると、その時に考えたこと、問いかけたことが、未来につながる希望(のようなもの)を育てていたことに気がつきました。まさに「ピンチはチャンス」今年一年かけて、自分はこれを体験から学びました。そして、 一緒に食事をしたりコーヒーを飲んで下さったみなさんに感謝します。また何か食わせてください。ここまでの文章を読み返すと、しんみりした気分になりましたが、そうではなく、(´▽`)/ という表情であることを最後に付け加えておきたいと思います。 「元気で行かう。絶望するな。では、失敬。(津軽 太宰治)」 みなさまの2013年が、こぼれそうなくらいの希望に満ちあふれた一年でありますように。 追記:現在は元気です。快活です。では、失敬。