投稿

新しいプリンター購入。canon ip2700

イメージ
4月になった。暖かくなって気分が春めいてきたので、仕事場の環境に何か変化が欲しいと思った。そこで 机の周りを、ぐるりと眺めてみて数分ほど考えてみた結果、新しいプリンターを購入することにした。 私は、資料の作成や仕上がりのチェックなどでプリンターを使うのだが、だいたい3〜4年くらいで不調になることが多い。今使っているプリンターも四年目となり、目詰まりや紙が汚れることも増えてきたので、そろそろ買い換えようかと考えていたところだったからだ。 そんな時見つけたのが、こちら。Canonのip2700である。なんと三千円で購入することができる。三千円? それってインク代ですよね? いやいや本体価格が三千円なのである。ここまで安いと逆に「もしかして何か不具合でも・・・」と考えてしまったりもする。しかし、口コミ等ではなかなかの高評価。そして さらに気になったのが「 ブラックインクのみで印刷できる」という点。 今まで使っていたプリンターは、どれかひとつインクがなくなると、動作できなくなっていた。深夜に「あと数枚、黒一色でプリントするだけなのに…」ということも何度かあった。黒で印字したいのに、カラーインクを購入しなければいけないというのも、仕方ないとはいえ、なんとなく「もやっ」とするものがあった(笑) なので、ブラックインクのみで印字できるのなら、ブラックだけをストックしておけば良いし、フルカラーのプリントはもう一台の方で行えばいいので「ip2700は黒印刷専用機として活用しよう」と考え、購入を決めたのだった。 まだ使い始めたばかりなので、実際のランニングコストがどうなるかはわからない。が、プリンターが複数あると安心感があるし、なによりも安かったので買ってよかったと思う。 それにしても、プリンターがこの価格で購入できるとは…。ありがたいけれど、ちょっと不思議な気もしますね。

好きなパンは「塩パン」です。

イメージ
昔は、パンといえば惣菜パンだった。コロッケパンとか、 焼きそばパンとか、ハムやソーセージが入っているものとか、もしくはカレーパンとか、そんな感じのものを選んでいた。他のパンを吟味することなく、一直線に惣菜パンを目指し手にとっていた。 もちろん今でも惣菜パンは買うけれど、昔よりも選ぶ度合いが減ったように思う。シンプルな味わいのものを選ぶ割合が増えてきた。ちなみに最近気に入っているのは「塩パン」だ。味もそうだが「塩+パン」という「よい素材を組み合わせだけです」という感じのネーミングもいい。シンプルだからこそ作り手のこだわりや技量による差も大きいだろうから、そんな点も好ましさを感じるポイントである。 まあ、色々と理屈を述べてはみたものの、結局のところ歳を重ねることで嗜好が変化してきたことの表れなのだろう。確かに最近、脂っこいものを食べると…いやいや、マイナスの意味だけでなく、素材を生かした微妙な味の深みを楽しめる余裕ができてきたというプラスの意味にとらえておきたい。そう、なにごとも考え方しだいだ。

今日、走った時に考えたこと(その1 ジョギングシューズの寿命は?)

走り終えて、シューズを脱いだ時にふと思った。「ジョギングシューズの寿命はどのくらいなのだろう」気になったのでネットで、ざっくりと検索してみた。すると「走行距離600km〜700kmで買い替え」というものから「900km〜1000kmで買い替え」と、わりと幅が広かった。さらに「ソールが減ったら買い替え」とか「減りではなく弾力が失われたら」とか「気分転換したくなったら」というようなものまであった。「結局のところ、走り方や使用頻度によって寿命は大きく変化するのだから明確な基準なんてない」と嘯いてみせるようなものもあった。 あらためて、シューズを手にとって観察してみる。このシューズを使い始めて、今月でちょうど1年6ヶ月。見た目はそんなにくたびれていないし、シューズのソールもさほど減ってはいない。多少汚れてはいるが、まだまだ十分に走れそうな気配がある。専門家の人に見てもらったならば、色々と不具合が見つかるかもしれないけれど、自分のように週に1〜2回、5〜6kmの「ゆっくりジョギング」のペースなら、距離的にもまだまだ現役だろう。 そんなわけで、ひとまずあと6ヶ月、つまり2年間はこのシューズで走ろうと思う。そして、2年目を過ぎたあたりで「3年目継続記念=つまり、気分転換」として、新しいシューズを検討してみようかと思っています。

uniqloジーンズの色落ち(一年経過)

イメージ
UNIQLOジーンズ(セルビッチ)の色落ち 1年経過 今からちょうど一年前、ユニクロでセルビッチの生デニムジーンズを購入した。時の流れるのは早いものである。もう一年過ぎてしまったのか。あまりにも早すぎて、今が西暦何年なのか(2016年である)平成何年なのか(平成28年)即答できないくらいの早さで時間が過ぎていく。 中学生の頃は「1年あれば、なんでもできる」と息巻いていたが、今では「1年では短すぎる」と感じてしまう。これは決して良いことではないような気がするので、少し反省したいと思う。反省したところで、どうにもならないかもしれないが、とりあえず意識することが大切だと思うので心に留めておこうと思う。 さて話をもどそう。 ユニクロのジーンズ である。 あれから一年ほど、ジーンズは「これだけ」を着用してきた。平日は仕事があるので、ほとんど着用しなかった。週末もジーンズ以外で過ごすことも多かったので、この一年で着用したのは 月に4回として、50回前後 ではないかと思う。洗濯は3〜4回ほど着用したあと、普通に洗濯機で市販の洗剤を使って洗った。特にややこしいメンテナンスや気配りはしていない。そんな状況で一年間過ごしたジーンズがこれである。 いかかだろうか。そう、 なんの変哲もない。とくに感慨もない仕上がり となった。まあ、適当に着用して、適当に履いていると、こんな感じになるという見本である。 全体的に色合いが淡くなり、手が触れる部分は白くなる。ストレスがかかる部分は柔らかくなり、そうでない部分はわりにシャンとしている。適当に履いているわりには、ほどよい感じに濃淡ができているのは、生地が良いからだろう(たぶん)。 丈の長さは、裾上げをしなかったので最初は「やや長め」だったのだけど、今は「ちょうどいい」感じになっている。2センチまではいかないが、 1センチは確実に縮んでいる と思う。ちなみに、リーバイス501だと2〜3センチは縮んでいたので、ユニクロジーンズは若干緩やかな印象である。 そして、ついさきほど「とくに感慨もない」と書いたばかりなのだが、こうやってあらためて観察していると、わりに「しみじみ」とした気分になってくる。他の人から見ると、なんてことのないジーンズなのだが、一年間を一緒に過ごした相棒のような気分になる。まあ、

ミシュランのスタッドレスタイヤ。

イメージ
大学生のころ「実家が仙台市」と、いうような話をすると「はー、それでは冬に雪が多くて大変でしょう?」と、いうような反応をされることが少なくなかった。関東方面の人達からすれば「宮城県=東北=雪国」という印象なのだろうから、これはまあ当然の反応だと思う。 しかし実際のところ、仙台市の平野部には、ほとんど雪は降らない。いや正確に書くと、雪は降るがそこまで積もらない。年に数回ほどドカ雪(=ドカンと雪が降るの略)は降るが、数日もすればすっかりとけてしまう。なので、みなさんがイメージするような雪国の風景は、仙台市内ではそうそう見られるわけではないのである。(注 これは平野部の話。山沿いの地域は結構降るし積もるので、お出かけの際には注意を) 雪が積もるのは数日、とは言っても、車を走らせる時にはノーマルタイヤでは危険である。いつ降るかわからないし、路面が滑りやすくなっていることもあるので、雪はなくとも冬の気配が感じられた頃にはスタッドレスに履き替える必要がある。しかしこのスタッドレスタイヤというのは、その特性上、乾いた路面では使い心地が悪くなってしまう。抵抗はあるし、ロードノイズはあるし、制度距離も伸びる。さらに困ったことに燃費も悪くなる。 と、様々な理由からスタッドレスタイヤには良い印象を持っていなかったのだけど、昨年から使っているミシュランのスタッドレスタイヤの具合がとてもいい。固めのフィーリングなので、抵抗も(スタッドレスタイヤにしては)気にならないし、カーブでも踏ん張ってくれる。タイヤは好みの差が大きいパーツだけど、仙台市のように「スタッドレスタイヤは必要だけど、乾いた路面の日も多い地域の人で固めのフィーリングが好みの人」には個人的にオススメできるタイヤです。 ちなみに、このキャラクターの名前をずっと「ミシュランくん」だと思っていたのだが今回調べてみたところ「ビバンダム」ということが判明した。なるほど、フランスらしいネーミングである(←雰囲気) さらに今回写真を撮っていて気がついたのだが、タイヤのショルダー部分にも小さなビバンダムがいることを発見した。ちょっとピンぼけだけど、せっかくなのでこちらも掲載しておく。これ↓ このようなちょっとしたアクセントは、見つけた時にうれしいですよね。

青春の日々。

David Bowieの曲を聴いていると、高校生くらいの時のことが思い出されてくる。一日中音楽を聞いていて、それに合わせてギターを弾いていた頃のことだ。 あの時、自分は何を考えていたのだろう。もう何十年も前のことだから、はっきりとは覚えていないけれど、将来に対する不安(のようなもの)は感じていなかったような気がする。ただ、新しいギターが欲しいとか、バイクが欲しいとか、服が欲しいとか、ライブに行きたいとか、そんな雑然とした欲望だけがあって、同じ雑誌を何度もめくっては、特に行動を起こすわけでもなく、ただ目の前の風景を眺めていただけのような気がする。 あの頃の時間をひとことで表すのなら、たぶんそれは「青春時代」と呼ぶことが一番適切なのだろうと思う。起きて、音楽を聴いて、雑誌をめくって、本を読んで、ギターを弾いて、眠る。それが自分にとっての青春の日々だったのだと思う。そして、もしもまたあの頃に戻れるとしたのならば、きっと同じような時間を過ごし、同じように「何か」を持て余しながら、同じ音楽を聴き、同じ雑誌をめくり、同じ場所で眠るのだと思う。 David BowieのStarmanを聴きながら、そんなことを考えました。ありがとう。安らかに。

走ることを始めてみる。(完)

2015年も残り数日となった。そしてこの「走ることを始めてみる」も21回目となる。よくもまあ21回も書くことがあったものだ、と自分でも思ったりする。内容はともかくとして、書き続けたことは多少なりとも評価して良いのかもしれなくもない。 さて、あらためて今年一年を振り返ってみると、特に大きな成長も変化もなかったように思う。もちろん、5キロを淡々と走れるようになった、とか、膝の痛みを感じなくなった、など、地味なレベルアップはあった。が、しかし、とりたて記憶に残るようなできごとはほとんどなかったと思う。 しかしそれは、考えてみると「走ること」が、日常生活のひとつとして自然に染み込んできたからなのかもしれない。学生の頃「長距離なんて、だるくて走っていられない」と口にしていた自分にとって、走ることが日常になるということは考えられないことだ。年齢を重ねると食べ物の嗜好が変化するように、考え方も変化していくということなのだろう。そんな風に考えてみると、気がつかないところで何かしらの成長(のようなもの)は、あったのかもしれない。 おそらく、ここから記録的なものが大きく伸びることはないだろう。少しずつ距離は伸びるかもしれないし、体力もゆるやかに増えていくかもしれないが、それと同時に失っていく部分も加速度を増していくだろうから、プラスマイナスでいうと「ややプラス」くらいのペースで進んでいくと思う。 そんな風に考えると、なんとなく切ない(?)ような気分にもなってくるのだが、ひとまず今は「走ることを始めて、1年間継続できた」ということを喜んでみたい。 さて、そのような具合で「走ることを始めてみる」は、今回で終了としたいと思います。更新の度に、のぞきにきて下さったみなさんに感謝します。 そして、次回からは「今日、走った時に考えたこと(仮)」というタイトルで、忘れたころに更新してみようかと考えています。ありがとうございました。