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山の秋

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山仲間の集まりに参加してきた。夕方に集まり、テントを張り、酒を飲み、翌日朝一番で登るという、いかにも山好きらしいイベント。 何もない、冷たい森の中だというのに、山男達が集まりテントを張りランタンに火を入れると「あっと、いう間」に、ほんわかとした空間になる。手際よく、火を起こしたり、料理を作ったりしている、他の人達の作業を眺めていると(自分は、眺めているだけ・笑)小学生の頃にキャンプをした時の事や、御来光を見るために真っ暗な中を登った時のことなど、昔の記憶が一気に蘇ってくるような気がする。 暗闇で火を見つめていると、催眠状態になりやすい、というようなことを何かの本で読んだ記憶があるけれど、確かにそうかもしれない。何か、頭の奥というか、胸の奥のあたりがムズムズしたような感覚になる。占いの部屋などは、真っ暗にして、小さな灯りだけにしているイメージがあるけれど、このような効果を狙っているのだろうな、と考えたりしてみる。 残念ながら、自分は予定があるので、宴会の途中で帰ってしまったのだが、車に乗り込む時に見上げた真っ暗な空一面に、星が輝いていて本当に綺麗だった。今度はテントを持ってきて、朝まで焚火でもして過ごしてみたいと、思いました。

福島県 霊山へ登る

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福島県の霊山に登ってきた。 ちなみに、この霊山は「りょうぜん」と読む。「れいざん」と読みたくなるし、なんとなく宗教的な雰囲気も感じるが、正しくは「りょうぜん」なので、誰かと話をする時には気をつけていただきたい。自分は、今回確認するまで「れいざん」だと思っていた。 それはともかく、 霊山 には、知人のブログで紹介されているのを見た時から一度登ってみたいと思っていた。先日「霊山の紅葉は絶景だよ」「今年は紅葉が早いらしいよ」という情報を聞いて、それなら時期的にも今がちょうどいいから、と出掛けてみることにした。 霊山までは、 仙台市の自宅から大体2時間ほどで到着 することができた。県道を南下して、相馬側から西に向かったのだが、ほとんど車もなく、かなりスムーズに移動することができた。自宅を出たのが。9時過ぎと、若干遅かったせいで、到着したのが11時半ころ。シーズン中は、駐車場がかなり混雑すると、聞いていたので、この時間で大丈夫かと心配していたのだが、予想に反してガラガラ。安堵と、あせって急いでいた自分に苦笑いをしながら、準備をする。 駐車場の目の前には、霊山の素晴らしい景色が広がっていた。 奇岩が連なった、存在感たっぷりの山の姿が、秋晴れの青い空にくっきりと映える。思わず「あの岩のとがった、先まで登ってみたい!」と反射的に思う。 国の名勝、日本百景に選ばれている ということだが、それにふさわしい、圧倒的な風景だった。 写真を撮影して、数年前に設置されたらしい綺麗なトイレで用を済ませてから、登り始める。よく整備された歩きやすい登山道を、ゆっくりと歩き始める。まだ紅葉には早かった(早すぎた)が、ところどころに見える、赤い色の葉がアクセントになっていて、これはこれで見応えのある綺麗な風景になっていた。 パンフレットを片手に、ゆったりと回る。 登山口に用意されていた、カラーのパンフレットを参考に、ひとつひとつポイントを回っていく。大体、15〜20分ごとくらいに「見下ろし岩」「天狗の相撲場」のようなポイントがあり、切り立った岩の上から、絶景を眺めることができる。切り立った岩の上から、遠くを眺める気持ち良さ(怖さ?)は、ぜひみなさんにも体験していただきたい。 ちなみに高所が苦手な自分は「写真を撮影してください」と、頼まれる度に「ああ、い

怖いものみたさ

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先日、知り合いと「自分が苦手なもの」についての話をした。ある人は「虫が苦手だ。虫がたくさん集まっている様子を見ると本当にダメだ」といい、ある人は「ホラー系は、絶対に無理。少し見ただけでも眠れなくなる」と言った。 それぞれが、口々に苦手なものを言い合った後「では、なぜそれが苦手なのか?」と、原因を追及してみることにした。最初は「そういえば、どうして苦手なんだろう?」と、言っていたのだけど、過去の記憶を辿っていくうちに「そういえば・・」「あれかな・・」などと、原因らしきものが分かってくるのが、面白い。 最終的には、明確な原因はわからないのだけど(自分たちも、特にそれを追求するのが目的ではないので)普段は見えなかった、その人のキャラクターの一面が見えてくるようで、なかなか興味深かった。ぜひみなさんも、話題に詰まった時などに、試してみていただきたい。 ちなみに、自分が苦手なのは「高いところ」である。高い所? あれ? 山登りが好きだから、むしろ、高いところは好きなのでは? と、思うかもしれないが、実は苦手なのだ。頂上付近で、他の人達が「おー、いい眺めだ」と、切り立った崖のそばで話していたとしても、自分は、ちょっと眺めただけで、すぐ後ろの方に下がってしまう。風が少し吹いただけで、崖の下の方に吸い込まれそうになるし、手にもっているものを、落としそうになる。 じゃあ、何故山に登るのか? と言われれば、それまでだけど、もしかすると「怖いものみたさ」なのかな、と考えたりもする。自分が、どこまで「それ」に耐えられるのか? を、試しているのかなと、思ったりもする。以前よりも、高所で平然としている自分を、楽しみたい&確認したい、ということなのかなと、今は考えている。 高所で仕事をしている知り合いによると「慣れだ」と、一言で終わりだったのだが・・・あれは「慣れ」で本当になんとかなるものなのか? 今のところ、どうにもそうは思えない(笑) ※写真は、登山道で見つけた、木の切り株。暗い所でこれを見たら、結構おどろくと思う。

満車か、2台か?

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昨日は、天気がよかったので、県内の里山に登ってきた。午前中に自宅を出て、時々写真を撮影しながら車を走らせていると、秋の涼しい空気が心地よくて「もう、山なんて登らなくてもいいんじゃないか?」という気分になった。(もちろん、これは思うだけで、実際は山が近づくにつれ、モチベーションが高くなっていく)。 細い山道を、慎重に対向車がこないことを期待しながら、走っていくと、大きな駐車場の前に出た。結構広い駐車場にもかかわらず、ほぼ満車状態だったので、いったい何があったのだろう? と道路の脇に立っていた案内板を見てみると、キャンプ場の駐車場ということがわかった。 こんなに人里離れたところでも(キャンプ場なのだから、当然なのだが)ずいぶん、人が集まっているんだな、やはり連休中だから当然か。この様子なら、山の方も混んでいるかもしれない、駐車場は空いているかな、と考えながら、賑わうキャンプ場の横を過ぎた。 勘のよい方なら、すでに話の展開は見えていることと思う。40台ほど駐車できる登山口の駐車場には、自分の車と、もう一台、白の乗用車が駐車されているだけだった。ものすごくガラガラ。「混んでいないといいのだが」と思っていたはずなのに、実際にガラガラだと「全然、人がいない」と、逆にがっかりしてしまうのも不思議なものだ。 準備をして、人気のない登山道を静かに登っていく。自分以外には人がいない、とわかっているので、木の奥の方から『ガサッ!』という音がすると『熊か??』と、必要以上に敏感になってしまったりする。そういえば、熊よけの鈴を忘れてきた。いや、この辺りに熊はいるのか? などと考えながら、歩く。 途中、熊に会うことも、大きなトラブルもなく、無事に頂上へ着く。一人でお茶を飲んで、岩の上に座って、遠くの山並みを眺めてると、横の方から人が近づいてくる気配がした。こんにちは、と声をかけると、相手も人がいないと思っていたらしく、少し驚いたように苦笑いをしていた。駐車場にあった、もう一台の車の持ち主だった。 「来る途中の、キャンプ場は混んでいたのに、ここは静かですね」 「本当ですね」 「登山は、人気ないんですかね」 「(笑)いや、もう少しして紅葉が始まれば、もっと混みます」 そんな話をして、相手が下山をしてしまった後も、自分はしばらく山頂の岩場に座って、次はどの山に登ろうか、向かいの山とこの山は、同じくら

山と美人の微妙なる関係。

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週末は、山登りへ行ってきた。山登り、というと結構かっこいい響きだけど、実際は「何度か登った里山」なので、山歩き、と言った方が正確かもしれない。 先日の、磐梯山で再発してしまった、クセになっている、ひざ痛の様子を確認するために登ってみたのだが、わずか、往復2時間程度の登山だったのに、結構な痛みにやられてしまった。こいつは、やはり、中途半端な治療ではなく、根本的な見直しが必要なようだ。完治するまで、平地でじっとしていればいいのだが、天気がよかったり、具合がいいと、すぐに飛び出してしまうこの性格も、直さなければいけないだろう。 山歩きの方は、天気も良く、海の方まで綺麗に見える、絶好の登山日和だった。近くの湖もはっきりと見えて、日本の秋、という雰囲気が満載だった。 登っている途中、立ち止まって写真を撮影している時に、下山してくる女性とすれ違った。めったに、人がいない山なので、すれ違うだけでも珍しいのだけど、「ついさっきまで、街でお買い物をしていました」というような、かなりの軽装だったので、ものすごく違和感があった。連れがいるようでもなく、一人で淡々と下山して行ったので「何か、よほど、この山に登らなければならない理由でも、あったのだろうか?」などと、一瞬余計な考えが思い浮かんでは消えた。 そんなすれ違いのあと、下山途中のご夫婦のカメラのシャッターを押してあげて、サンサンと降り注ぐ太陽の下で、水を飲んで帰ってきた。ひざは痛むし、汗もかいたが、脳の中にはアドレナリンが満載だったので、車の窓を全開にして鼻歌を(頭の中で)歌いながら快適な気分で家に着いた。車を洗って、ブーツの泥を落として、ひと息つきながら「次はどこの山に登ろうか?」などと、ぼんやり考えました。

なぜ、人は山に登るのか? 登山家・栗城史多氏 エベレスト挑戦!

現在、単独・無酸素でエベレストに挑戦している日本の登山家がいる。 栗城史多さんという、若きアルピニストだ。 高山に登る時には、チームを組み、役割分担をして、頂上を目指すのが一般的だ。まとまった人数で、高度を上げていき、その中のアタック隊が、代表として頂上に挑戦するわけだ。エベレストのような世界最高峰の山なら、なおさら人数も規模も大きくなる。少しのズレが死に直結する場所だから、当然のことだ。ところが、彼は単独、つまり「ひとり」で登頂するという。 人間の生存できる高度には、限界がある。つまり、ある一定以上の高度は、酸素ボンベなしでは行動できないということになる。いわゆる「デス・ゾーン」だ。この高度では、もはや「そこにじっとしているだけ」で、体力が削り取られていくという。エベレストは8844m。限界高度を遥かに越えている。そこへ彼は、無酸素で登ろうとしている。 つまり、一番シンプルで、一番危険な方法で、彼はエベレストに登ろうとしているわけだ。 自分は、国内の2000mクラスの山にしか登ったことがないけれど、それでも、単独で登っていると、ふとした瞬間に圧倒的な恐怖を感じたりすることが、ある。崖で足を滑らせて、数mほどすべり落ちたりすると「今、ここで自分が倒れても、誰にも見つけてもらえないんじゃないか?」と、汗が一気に冷たいものに変わったりする。 これが、8000mクラスの山ならば、どのような感じになるのだろう? 少なくとも、高さが4倍だから、4倍の恐怖、のように簡単にはいかないだろう。きっと、桁違いのプレッシャーの中で登山をするのだろう。残念ながら、一般人の私たちには、その世界を想像するしかない。 とにもかくにも、まもなく、栗城さんはエベレストに単独・無酸素で挑戦するという。山好きの端くれとして、当日は、日本から応援したいと思う。 栗城史多オフィシャルサイト

ひざ痛と登山の関係。

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昨年、登山中に右膝を痛めてしまった。もともと、膝は弱い方だったので、サポーターを付けたりして注意はしていたものの、一気に痛みが爆発した感じだった。 その後、2日ほどは、階段をおりるだけでも激痛が走り、ちょっとこのままでは、日常生活にも差し障りがあるな、と考えていたところ、3日目くらいから、すーっとひいたので、ひとまず様子見をしていた。 山好きの知人に話したところ「このサプリがいいよ」と、グルコサミンのサプリを、わざわざ、ひとビン下さった。ありがたく、いただいてきちんと服用した。その後、膝に関するトラブルもなく、さらに、肌がすべすべになったような気がしたので、調べてみると「美肌効果」があることもわかり、こちらの方に、効いたのかな、と苦笑いをしたりしていた。 先日、磐梯山に登った時、下山途中に、また膝に痛みが走った。ポールを使いながら、ゆっくりおりてきたのだが、当日はひどく痛み、やはりこれはちゃんと診てもらわないと駄目だな、と思いつつ、その日は温泉に入ってマッサージをして寝た。 翌日、おそるおそる立ってみると、痛みは20%以下くらいにまで減っていた。これなら大丈夫かな、と思い、サプリメントを摂取して、様子を見ている。知り合いに、接骨院で働いている人がいるので、相談しつつ、さすがに今回は、ちゃんと治療しようと思っている。

岳10巻

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学生の頃は、週刊誌を始めとして、暇さえあればマンガを読んでいたものだけど、最近はほとんど読むことがなくなってしまった。いや、正確に言うと、読むには読むけれど、自分で購入することが、なくなったと、いうことだ。 その中で、現在、発売日に購入している唯一のマンガが、この「岳」だ。山岳救助のボランティアをしている、島崎三歩が主人公のこのマンガ。何度読んでも、グッとくる。頼もしいなあ、とか、よくがんばったなあ、とか、無駄かもしれないけど行ってみよう、探してみよう、とか、最近口にすることが少なくなったような気がする部分を、感じさせてくれる作品だ。 自分は、ひとりで登山をすることが多いのだが、誰もいない山中を、テクテクと歩いていると、岳の登場人物のような気持ちになることが、よくある。絶対的な孤独感と開放感。どうして、そんなに苦しい思いをしてまでも、山に登るのか? 岳を読みながら「わかる、わかる」と、部屋の中で噛み締めつつ「山に行きたいな」と思うわけだ。 山荘のおばちゃんの「景色はええが・・・ここじゃ生きてても死んでても分からんが。」という台詞が、主人公への愛情と同じように山で生きる、自分自身への寂寞感を表しているようで、とても心に残った。それでも二人は山で生きるのだろうし、山でしか手にすることが出来ない幸福感も積み重ねていくのだろう。 自分も自営業という形で、自分なりの充実感や幸福感を求めて、会社勤めの方とはちょっと違った生き方をしているけれど、そのような孤独になりつつも自分なりの方法で道を作っていく部分が、山を舞台にした「岳」に共感する一因になっているのかもしれない。岳を2回繰り返し読んだあと、そんなことを考えました。

磐梯山は、宝の山。

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福島県の磐梯山に登ってきた。 高速道路を走っている時に、横に見える、凛々しい山の姿を眺める度に「一度登ってみたい」と思っていた山なので、今回はとても楽しみにしていた。 磐梯山 といえば「会津磐梯山は、宝の山よ」という、民謡にも登場する山。さらに深田氏の「日本百名山」にもなっているので、全国の山好きからも人気のある山だ。 今回は、 一番短い距離で登れる「八方台登山口」 から登ったのだが、登山口にある駐車所の車のナンバープレートを見ると、関東方面はもちろんのこと、関西からも、たくさんの登山客で賑わっていた。自分が到着した、午前6時には、すでに駐車場の半分くらいが埋まっていたので、休日に出掛ける方は、早めの到着をおすすめします。 さて、肝心の磐梯山の様子なのだが、残念ながら自分が登った時には、濃いガスと風で、ほとんど視界を得ることができなかった。360度、真っ白の頂上に立ちながら、本当ならば、この方向に湖などが、ばっちり見えるんだろうな、と想像だけして帰ってきた。まあ、登山には「よくある話」だ。天気予報を確認して、日程を調整して、何時間かけて登っても、曇る時は曇るし、晴れる時は見事に晴れる。自然を相手にしているのだから、これは仕方がない。 そこで「あれ? 写真はとても良く晴れているけど・・」と、感じた方もいらっしゃるだろう。そう、山からおりて、周辺を観光していると、数時間後にはこのように「見事に晴れ」てしまったのだ。ここまで天候が急変すると、もう笑うしかない。今回は、山の神様に「また、おいで」と言われたのかもしれない。