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山を歩いた日。

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山歩きをしていると、様々な人とすれ違う。 その多くの方とは、「こんにちは」だけで、終わりになってしまうのだけど、水場などで休んでいる時に話しかけられたりすると、ついつい長話に、なることもある。 今日、とある山の水場で出会った方(70代・男性)にも、面白い話を聞かせていただいた。 その方は、単独で登っていたのだけど、70代で単独で登るくらいだから、そうとうの山男で、 若い頃に、会社を一週間休んで、日本アルプスに登った時の話や、当時の整備されていないルートを歩いた時の恐怖体験など、時代背景を感じさせる、興味深い話を聞く事ができた。なかなか話す機会のない年代の方と、共通のテーマでお話しさせていただくことは、とても楽しいし、元気がでる。なるほど、なるほど、と、すっかり聞き役に回って、じっくりと山の話を聞かせていただいた。 15分ほど話しているうちに、急に年齢の話題になっていった。どうやら、その方は、僕のことを、30歳くらいだと思っていたらしくて(いくらなんでも、若過ぎだ!)実年齢を教えると、そうですか、ずいぶん若く見えますね、失礼なことを言ってしまったなぁ、と頭をかくような仕草をされた。そして「でも、若く見られて、損ということはないですよ」と、にっこりとした。 その方によると、僕が若く見えるのは「自由に人生を楽しんでいて」「エネルギーが余って」いるから、なのだそうだ。逆に言えば「人生や仕事を楽しめない人は、すぐにエネルギー切れになり、老け込み、最悪の場合は寿命が短くなってしまうものだ」と、自分の友人を例にあげながら、あの人はこうだった、あいつはこうなった、と「どんなに鍛えていても、死ぬ時はあっさりと死ぬ」と、語ってくださった内容は、とてもリアルで生々しいものがあった。 なかでも、ちょうどこの同じ山に一緒に登っていた友人がいて「じゃあ、また今度!」と、元気に別れた数週間後に、その方が突然亡くなってしまったという話には、思わず息を飲んでしまった。「見た目は、あんなに元気だったのに、寿命が切れると、あっさりと亡くなる」とか「あなたが車を停めていた、ちょうどその横に、その人は車を停めてた」などと言われると、思わず姿勢を正してしまう。水場から聞こえる水が流れる音も、冷気も、ひやりと背中を通り抜けて行くような、気がする。 「それでは、エネルギーを保つには、どうすればいいでしょうか?」と

もしも、18歳に戻れたのなら。

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自分の唯一の自慢といえば「体が頑丈にできている」ということ。今までに、大きな病気もしたことはないし、入院するようなケガをしたことも、ない。せいぜい、部活動で足を痛めて、2〜3回通院したとか、その程度のものだ。 そんな自分でも、年に1度くらいのペースで、体調を崩すことがある。腹が痛いとか、偏頭痛が、ということではなく、「なんだか、体がズシーンと重い」感じになり「ベットに横になっていても、腕を上げるのさえ、おっくうだ」というような、状態になる。上から、重たい鉄の固まりのようなものに、ぎゅーっ、と押さえ込まれているような、体の周りを360度、冷たい鉄で囲まれたような、感じになる。その時は、全く身動きができなくなる。ただじっと、それが通り過ぎていくのを、横になって待つしかない。目を閉じて、眠り続けるしかない。 そして、今日が、ちょうど「それ」の日だった。最初は、夏バテかな、と軽く考えていたのだけど、どうにも体が動かなくなり、何も考えられなくなってしまったので、思い切って3時間ほど、横になって休むことにした。幸いなことに、今日は、夕方のミーティングまで、予定がない。休める時に休む。これも仕事のひとつだ、と考えることにして、よっこらせとベットの上に横になる。 特に眠かった訳ではないので、カーテンを開けて、窓から見える空を眺めていた。真っ青な空と、白い雲が流れていた。窓は閉め切っていたので、外の音は聞こえなかった。とても静かで、いい午後だと思った。じっと、そんな風景を眺めているうちに、ふと、高校生の頃に、学校を休んで(サボッて)空を眺めていた時のことを、思い出した。確か、あの時も、こんな感じの空だったなと思った。同じような季節の同じような時間に、こうやって空を見ていたよな、と思った。 もしも、18歳の頃に戻れたのなら、 と自分に問いかけてみる。自分は、何をするだろう? 答えはすぐに思い浮かんだ。戻ったとしても、同じことをやるだろうし、そもそも戻りたいとも思わない。18歳は一回でいいし、あの18歳が、自分にとってのベストだったような、気がする。 もちろん、18歳の頃の自分が、すばらしい人生だったとか、後悔のない人生だったという訳ではない。あれもすれば良かった、これはこのようにすれば良かった、ということは、たくさんある。思

iphone 発熱

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仕事中、なにげなく机の上に置いてあったiphoneの画面に手を触れてみた。おや。なんとも言えない違和感。あらためて、本体をにぎってみると、ものすごく熱くなっていた。使い捨てのカイロのようだ。冬ならば、ほのぼのとする温かさだが、夏(正確には初秋)にこの温度は、なにやら危険な感じがする。 冷房が聞いた室内だから、直射日光が当たることもない。誰かがお湯をかけたわけでもないし、ふところに入れて温めたわけでもない。当然、手も触れていないし、自然の状態のまま放置し、自然に発熱してしまったわけだ。 一体なにが? と思いつつ、よくよくチェックしてみると、充電が残り10%になっている。つい、30分くらい前に確認した時には、緑のバーになっていたから、最低でも30%くらいは残っていたはず。もしかして、故障か? またソフトバンクショップに持っていくのは、嫌だな、と思いつつ、一旦電源を切って、冷却を試みる。 15分ほどして、常温に戻ったのを確認してから、再起動。アップルマークが表示され、カーソルがグルグルと回っている様子を、じっと見る。じっと見る。じーっと見る。数十秒後、見慣れた画面が表示された。とりあえず、大丈夫そうだ。一通り操作をしてみる。普通に動く。どうやら故障はしていないようだな。データーなども消えた様子はない。ほっ、と文字通り胸をなでおろした。 いまや、iphoneは自分にとって必須のアイテムになっているけれど、定期的(?)にやってくる、この手のトラブルには(一度、交換修理という、痛い目にあっているだけに)本当にヒヤヒヤする。仕事の連絡用に、もう一台携帯電話を用意した方がいいのかなどと、本気で考えたりした、9月の午後でした。

カエルが、旅立った日。

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かれこれ数週間前。 庭に設置していたビニールプール(甥っ子用)に、オタマジャクシが大量に発生していたことが、あった。 いったい、どこから? 庭には池もないし、近場にもないし、鳥の足にでも卵がついていて、それが、うまいこと落下したのでは? とか、通りすがりの人がおもしろがって、投げ入れたのでは? などと考えたりしたのだが、どれもこれも現実味がない。 そんなことを考えながら、ゆらゆらと動いている、オタマジャクシを眺めているうちに、いや、まてよ、もしかすると、これはオタマジャクシに見えるけど、他の生き物なのではないか? 根本的に、別の「何か」なのではないか、という疑問がわいてきた。 そこで、ビニールプールの水を捨てる際に、以前、メダカを飼っていた水槽に「それ」を、入れておくことにした。数週間後、オタマジャクシに足が生えてきたのを確認。やはり、これは、そうだったのか。新種の生き物ではなかったんだな、まあ、それは当然だよな、と思いつつ、水を換えてやったり、時折、氷をいれて冷やしたり、していた。もはや、親心である。 本日、朝。何気なく水槽を見たところ、カエルが水槽の端に立っているのを発見(写真)いつの間に、こんなに大きく・・・しかも、ちゃんとミドリ色になっている。と、驚いていたところ、彼(彼女?)は、飼い主に勇姿を見せたあと、水槽から旅立って行ってしまった。娘を嫁にやる、父親の気持ちが、なんとなく、ものすごく遠回しに、理解できたような気がした。 そんな訳で、あの黒いのは、オタマジャクシであったことを、数週間かけて確認した夏だった。それにしても、彼らはどこからやってきたのだろう。そして、どこへ行くのだろう。なんとなくしんみりとしながら、残暑の朝を過ごしました。

EVERNOTEの使い方。

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iphoneを入手してから、頻繁に使うようになったEvernote。使用頻度が高くなればなるほど、このアプリが手放せなくなってきた。 最初のうちは、Macで編集(または保存)したデーターを、外出先のiphoneで確認&編集できるアプリ、という認識だった。もちろん、それだけでも十分に活用できる。時間をおいて、読み返そうと思っていた原稿などを、空き時間に確認できて、簡単な編集できるというだけでも、ありがたい。ちいさなノートパソコンが一台増えたような感覚で、かなり活用していた。 次に、Evernoteから発行される自分専用のメールアドレスに送信すると、そのまま保存できることを知った。もちろん、画像も添付できる。自分は、備忘録として、携帯のメールから、パソコン用のアドレスに内容を送信することが多かったのだが、今ではEvernoteに送信するようになった。自宅に帰ってから、確認する習慣をつけて、必要なものはタグ付けをして整理をしておくようにしたので、検索も楽になったし、見落としも減った。 さらに、最近また気がついたのが、「位置情報」をオンにした状態で、スナップショットで撮影し保存しておくと、あとから撮影場所のマップを確認することが、できるということだ。これは便利。知らない店に連れて行ってもらい、あとから「確か、この辺りだったよな・・」と、いうことはよくあるが、Evernoteで、その場所で目印となるものを撮影し、保存をしておけば、あとから画像とマップで場所を確認できるということだ。 これで、ますます便利になるな、と思いつつも、よくよく考えてみれば、自分の行動が詳細に記録されるということでもあり、ちょっと恐ろしい感じもしたりする。「ふーん、こんな所に行っているんだ」などということが、ものすごく詳しいマップで明らかになる。他の人が使う可能性があるパソコンを使う場合は、ログアウトしていることを、確認しなければならない。 それはともかく、まっとうな使い方をする分には、かなり「使える」アプリであることは、間違いない。連動できるアプリも増えてきたようなので、いくつか試してみたいと思っている。 EVERNOTE スターターパック

イランイラン

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先日、 フレグランスキャンドルをいただいてから、また「香り」に興味がわいてきた。そこで、久しぶりに、引き出しの奥底に眠っていた、お香を取り出してきて(なぜ、お香を持っているかということは、秘密である)色々と試してみている。 全部で4種類ほどストックしてあった、お香のなかで、今回、いちばん気に入ったのが「イランイラン」だった。以前、試した時には「イランイランは、あまり好きではない香りだな」と、感じた記憶がある。ところが、今あらためて試してみると「いちばん、いい香り」と感じている自分が、とても面白かった。香りの趣味、というのも、こうやって気がつかないうちに、変化していくのかもしれない。ただ、今日の体調や気分で、そうなっているのかもしれない。どちらにせよ、本日のベストは「イランイラン」である。 なんとなく気になったので、イランイランについて調べてみる。Wikipediaによると「インドネシア には新婚夫婦のベッドの上にイランイランの花を散らす風習がある。」とある。なるほど、そのように言われてみると、新婚夫婦にはぴったりの、甘酸っぱい香りのように思えてくる。 さらに調べてみると、どうやらイランイランには「 官能的な気分を高めるような、 催淫特性」が、あるらしい。 催淫特性? なんだか、ものすごくエロティックな響きの言葉である。なにせ、 催淫である。淫らな気分を、 催促するという、ことである。いわゆる 媚薬である。 このような情報を見てしまうと「イランイランでも、試してみる?」などと、女性の前で気軽に言えなくなってしまう。知らない時は「試してみる?」と、さわやかな笑顔で言えたが、知ってしまった今となっては「試してみる?」の言葉の裏に、ニヤリと光る怪しいものを感じてしまう。なるほど「新婚夫婦のベッドの上に花を散らす」というのは、そういう意味だったのか、とわかってしまう。これは、知らない方がロマンティックだったのに、という情報のひとつかもしれない。 そのような訳で「イランイランの香りが好き」と、先に書いてしまった自分が恥ずかしいような、気持ちになってしまうので、自己弁護のために書いておくと、イランイランには「リラックス効果」も、あるそうだ。 なので、もしも相手に問いつめられた時には「え? そうなの? オレはリラックス効果があると、思って

鳴子温泉の共同浴場「滝の湯」へ

鳴子温泉 滝の湯へ 先日、ちょっとした旅の帰りに、鳴子温泉に立ち寄ってみた。もしも自分が、県外から遊びにいらっしゃった方に「宮城県内で、おすすめの温泉は?」と聞かれたならば、 「鳴子がいいと思いますよ」 と答えるだろう。すこしピリッと感じる、熱くて白く濁ったお湯が、とても心地よい。鄙びた雰囲気の温泉街に漂っている、硫黄の臭いも温泉に来たのだという臨場感を、高めてくれる。まさに 自分の中での「温泉」というイメージに、ぴったり の場所だからだ。 駅前から少し離れたところにある、無料駐車場に車を 置く 。車から降りた途端に、あの独特のにおいが、鼻をついてくる。当日は霧雨が降っていたのだけど、それでもしっかりと臭いが漂ってくる。一気に温泉に来たぞ、という気分になる。 いそいそと、タオルを手に持って、目指すは、 共同浴場の「滝の湯」 。個人的に、鳴子に来たならばここは寄っていただきたい。服を脱ごうとすると、肩がぶつかるような狭い脱衣所に、10人も入ったら満員になりそうな、ちいさな湯船。 いやいや、これは批判しているのではない。いかにも「日本の温泉」という雰囲気を直に感じられる貴重な共同浴場という意味である(ホームページによると「 鳴子温泉神社の御神湯として千年の歴史をもつ古湯」とのこと )。木枠から「ザブザブ」と掛け流しになっている、お湯の様子を見るだけでも、気持ちが癒されてくる。これぞ、贅沢と言った感じがする。しかも 入浴料金は150円 だ。お得すぎる(2010年現在) せっけんなどはないので、ケロヨンの黄色い洗面器にお湯をためて、頭や身体を、ざぶざぶと洗う。タオルでごしごしと身体をこすっただけでも、日頃の垢が落ちていくような気分になる。おそるおそる(温泉に入る時は、慎重になるのは、なぜなのだろう?)湯船につかる。 記憶の中にある泉質よりも、心なしか穏やかになったような気がする。少し、湯の温度も下がったかな。 もちろんそれでも、ここの湯が心地よいことは、かわりない。湯の華が漂っている湯船の中に、ゆっくりとつかっていく。思わず、ふーっ、と息が深くなる。天井を見上げる。身体がふわっと、浮き上がるような感覚になる。 当日は、自分以外に7人ほどの、お客さんがいたのだけど、全員、かなりの長風呂で、何をするわ