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【佐藤の文章力講座】情報収集の方法とは?

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【佐藤の文章力講座】情報収集の方法とは? 前回の記事 で 「ひらめきは、情報と経験量に比例する」 ということを書きました。おそらくみなさんの頭の中には「では、 どうやって情報を集めていけばいいのですか? 」という質問が浮かんでいると思います。 すこし厳しめの回答になりますが 「どうやって情報を集めれば」というような質問をするようでは成長が望めない 、ということになるのではないかと思います。まるで呼吸をするように意識することなく、すべての事象から「アイデアの種」を拾い続けていく、ということだからです。 日常のできごとに「アンテナ」を立て続ける 実際に、私の周囲の「アイデアがひらめく人たち」は、 日常生活のほとんどを情報収集にあてアンテナを立てている のですね。生活していると、様々な情報(できごと)に遭遇しますが、それらの中に「興味をひくものはないか?」と常に意識を向けています。 たとえば、知人のデザイナーと一緒に移動していたとします。すれ違った人が「ちょっと変わったデザインのTシャツ」を着ていたので「さっきのTシャツ見ました?」と話しかけると「見ました。キャラクターが履いていた靴の色がかわいいヤツですよね」のような答えが返ってきます。 私は「ちょっと変わったTシャツ」というレベル でしか見ていませんが、 デザイナーは細やかな部分まで観察し情報収集 しています。そして「あのTシャツのブランド、私も好きなんです」とブランド名を教えてくれたりもします。次回に会った時に、そのTシャツを着ていて「あっ!それは!」「いいでしょ?」と、話題を作ってくれたりもします。 目が出ない「アイデアの種」の方が多い もちろん、そのような「アンテナ」を立てて集めた情報が、すぐに仕事に活かせるわけではありません 。ほとんどの情報が普段は「眠っている」状態 ですし、活用したとしても「不採用」になる確率の方が圧倒的に多くなります。 そして実際のところ 「ひとつの情報が、そのまま大きなアイデアになる」 ということは、ほとんどありません。きっかけになることはありますが、そこは出発点で試行錯誤が始まり、あれだこれだ、修正だ、変更依頼だ、などと雑多な作業を積み重ねた先に「いいアイデアですね」とまとまることが多いのです。そうやって拾った種を「どのように育てていくか」が力のみせどころです。 だからこそ「情報収集す

【佐藤の文章力講座】ひらめきは、空から降りてはこない

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「ひらめき」は、どこからやってくるのか? 「どうすれば『ひらめく』のですか?」 「アイデアを考えるコツを教えてください」 こちらも定期的に受ける質問のひとつです。おそらく、このような質問をする方の「潜在的な意識」として 「よいアイデアは、空から降ってくるように『ひらめく』 = 無の状態から瞬時に生まれてくる」 と考えているように思います。 とても残念なことなのですが、黙って 待っていても「ひらめき」は降りてきません。 アイデアを捻り出すための方法は存在しますが、あくまでも 「無から有」を産み出すものではなく、脳内の情報を整理し明確化するための手順 である、と私は個人的に考えています。 「でも、あの人は良いアイデアを次々に産み出しているように見えるけど」 そのような疑問が浮かんでくるのも当然です。でも、ここで一度「ひらめく人」と「ひらめかない人」の違いを比較してみてください。おそらくそこに、明確な違いとして確認できるもの。それは 「情報と経験」の差 だと思うのです。 「ひらめき」は情報量と経験値に比例する 様々なところで繰り返していますが、これが私が「ひらめき」に関しての考えです。もちろん純粋に「ひらめく」能力を保有している人もいるでしょう。しかし、それは全体の数%程度。そして、そのような能力を持っている人たちほど 「情報量と経験値」を積み重ねていく努力を惜しみません。 差が開き続けるわけです。 ある一定のレベル(ここでは、仕事として活用できるレベルと定義します)であれば「情報量と経験値」を積み重ねれば到達することができる。3年必要な人もいれば、5年かかる人もいるかもしれない。10年の人もいるでしょう。その人の経験値と、いわゆる「センス」と呼ばれる先天的なものにより、その差は異なるでしょう。 しかし一度「そこ」まで達することができれば、様々な分野で活用することができます。周囲の人たちから「あの人の『ひらめき』は、すごい」と思われるでしょう。その時、たぶんあなたは「 ただ、目の前の仕事に一生懸命に取り組んだだけ」 と感じている自分に気がつくのではないかと思うのです。 まずは「空から降りてくる」ことを期待するのではなく、地道な「情報と経験」を積み重ねていく。その先に「ひらめき(と、周囲からは思えるような)」アイデアが生まれてくるのではないか? 今、私はそんな風に考えていま

Apple Storeで、SimフリーiPhoneSE2を購入。

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Apple Storeで、iPhoneSE2(2020)を購入 筆者は iPhoneSE (初代)ユーザーである。発売とほぼ同時に購入したので、すでに 4年以上使ったことになる 。 2年目を過ぎたところで、一度 バッテリーを交換 したこともあり、特に不満はなかった。なによりも、このサイズ感がちょうどよかった。 最近のモデルは(あくまでも私には)大きくそして重く感じられて、なんとなく手が伸びなかった。しかし、最近バッテリーの劣化が感じられるようになり、スリープボタンも効かなくなり、さらに突然「 アップルループ 」の状態になるなど、不具合が増え メインで使用するには厳しく なったため買い換えることにした。 そのようなわけで、今回は iPhoneSE2をApple Storeで注文(ショッピングローンを利用)してから、SIM(Y!mobile)を入れ替えてデータ移行完了するまでの流れ を、ざっくりと書いてみたいと思う。 選択肢は「iPhoneSE2」一択 「買い換える」と決めた段階で選択肢は 「iPhoneSE2」の一択 だった(注 Appleでは旧iPhoneSE(第1世代)も 新iPhoneSE(第2世代)も、どちらも同じiPhoneSE表記だが、この記事では新しい方をiPhoneSE2と書く)。サイズは現在 新品で購入できる一番小さいモデルだし、なによりも価格が手頃 。迷うことはなかった。さっそく Appleのサイト で注文することにした。 選んだのは、 iPhoneSE2のホワイト(128GB) 。なぜホワイトにしたかというと、連れのiPhoneがブラックだったので、並べておいてもすぐにわかるように、という理由である。 64GBと128GBでは、価格差が5000円 だったので、この差ならば128GBだろうと考えて選択した。 ローンの申し込み。「審査」と聞くと、なんとなく緊張する 支払いは「金利が24回まで無料」だったので、 Oricoのショッピングローンを利用 してみることにした。注文するとすぐに 「契約内容ご確認」のメールが届き、審査が始まった。 個人的に「審査」と聞くと、なんとなく緊張してしまう性である。とくに、問題はないと自覚しているものの「もしかしたら、何かひっかかるかも」などと考えたりもする。 1時間くらいかかるのだろうか、と思っていたところ、 1

ダイソー腕時計(300円)の電池を交換する。

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ダイソー腕時計の電池を交換する。 十ヶ月ほど前に購入した、 ダイソーの300円腕時計 が、時間が遅れるようになってきた。おそらく電池交換の時期なのだろう。300円とはいえ、使い捨てにするのはもったいないので電池を交換してみることにした。 用意するのは 「マンガンリチウム電池CR2032」 と 「超精密ドライバー」 のふたつ。両方ともダイソーで購入してきた。合計で220円(税込)それにしても「超精密ドライバー」が110円(税込)で購入できるとは、あらためて100均のすごさを実感する。 裏蓋をドライバーを使ってとりはずす。すぐに電池が見えるかと思ったら、シールのようなものが貼られていたので、はがす。 さて、今度こそ電池と対面と思いきや、金具で固定されていた。左右がネジでとめられているので、あわてずに外そう。ネジが小さいので紛失しないように注意。 固定していたパーツをはずし、電池を交換する。個人的に、このような「基盤」を見ると、なんとなくわくわくしてくる。「理科の実験」という気分になってくる。 あとは、ここまでの手順を逆に進めて時間を合わせれば終了。所要時間は10分程度。とくに難しい部分はないのだが、ネジをふっとばして紛失しないように気をつけよう。 電池交換後は、時間の遅れもなく順調に動作している。この時計には、近所の散歩の時など、まだまだ活躍してもらおうと思います。 【関連】 ・ ダイソーで腕時計(300円)を購入 ・ ダイソーで買った腕時計の電池を交換する ・ 腕時計のベルトを交換する(2) ・ 腕時計のベルトをダイソーの替えバンドに交換する(1) ・ダイソーで腕時計(500円)を購入

【人生哲学】独立起業して19年目に「思い出した」言葉

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独立起業して19年目に「思い出した」言葉 今年の6月で独立起業して19年目になった。今までは「今年で何年目だったかな」と適当に考えるくらいで、特に気にとめていなかった。ところが、なぜか今年は妙に「当時のこと」を思い出す時間が増えていた。自分にとってはめずらしいことだった。 若い頃は「昔話をするような大人には、なりたくない」とうそぶいていたし、セミナーなどでの自己紹介のような必要最低限の時以外は、あまり語ることはなかった。しかし、あまりにも頻繁に浮かんでくるので、もしかすると 「当時を振り返るタイミングなのかもしれない」 と考え、Youtubeに「起業した時の話」というような動画を公開することにした。 実際に録音してみると、30分を越える長さになった。そして話せば話すほど、当時の細かな部分が思い出されてきて「まだまだ話せる」ような感覚があった。おそらく自分で考えているよりも 「起業した時のことを、話したかった」 のだと思う。あまりにも辛い時間が続いていたので「思い出したくもない」と考えていたのだけど、それと同時に、どこか懐かしむような気分があったのだと思う。 ・動画「私が20代で起業した時の話」は、こちら 今のところ、当時を振り返ってみて「あたらしい発見」のようなものはない。むしろ「 もう少しがんばれたのではないか?」という反省点 が思い浮かび、あまりよい気分にはなれない。それと同時に「あのころの経験が、今の自分」を形成していることも確実なことなので、 失敗や成功というものは長いスパンで考えるべきものだな 、とも思っている。 「想像できることは、かならず実現できる」 ここまで書いてきて、ふと思い出した言葉がある。 「想像できることは、かならず実現できる」というフレーズ である。 当時読んだ、マンガの台詞だったか、雑誌の記事だったのか、正確なことは忘れてしまった(なにせ19年も前のことなので、もはや確認することはできない)。 当時、このフレーズを目にした時の自分は 「想像できれば、実現できるなんて、 そんな簡単な話はない 」と感じていた と思う。そんなことで実現できるのなら、いくらでも想像してやる、と鼻息を荒くしていたように思う。頼れるのは自分だけだ、と若さゆえの勘違いで起業した自分にとって、どこかリアリティを感じられなかったのだと思う。 あれからそれなりに長い時間が

【文章力向上講座】文章には「適切な速度」がある。

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文章には「適切な速度」がある 文章には「適切な速度」がある と、私は考えています。早く読めるもの、読み込むのに時間がかかるもの、この2つですね。どちらが良い悪いではなく、目的や情報に合わせて使い分けていく必要があるわけです。 簡単に比較してみると、 ・早く読める文章 = 情報量が少な目の文章 読みやすく一般的には好まれるが、情報量が少ないため、長期には読まれにくい内容。 ・読む速度が遅くなる文章 = 情報の密度が高い文章 。 密度が高いため読む速度は落ちる。資料としての価値。長期にわたって読まれやすい内容。 このような違いがあると思います。最近の傾向としては「 短く簡潔な文章 =速度が速い文章が」好まれる ように感じています。ちょっとした時間にスマホを覗いて、時間を潰す。次々に表示される記事を読んでいくものの、読み終わった後に「何を読んだか覚えていない」というような 「消費を前提とした文章」 とでもいいましょうか。 これからは、ますます 「早く読める文章」を好む人の割合が増えていく でしょう。そして、そのような文章が書ける人が、重宝されるでしょう。そして、こちらのタイプの文章を書けるようになりたい、と考える人も多くなるでしょうから、文章術のアドバイスは「 早く読める文章の書き方」 が中心になっていくことでしょう。 深みを求める読者層は、一定数存在する しかし同時に、 より深い情報を好み、考察していく事を好む人たちが、一定数存在 することも忘れてはいけません。 「密度のある文章(資料)=時間が必要な文章」を読み込むことで、理解度を高め広げていく面白さを知っている人たちも確実にいるのです。 そのような人達に向けた文章を準備しておくことで、他とは違った「つながり」や「広がり」がはじまる可能性があります。そしてなによりも、そのような文章を提供できる人には、 一定の読者数がつく可能性が あります。別の記事にも書きましたが、今後の方向性として 「人数の多さを目的とした文章 →  少人数でも深い『つながり』がうまれる文章」 を目指すのであれば、このスタイルの文章を目指すということも、おもしろい選択のひとつだと感じます。 「わかりやすく、密度が高い文章」を目指せ もちろん「時間が必要な文章」といっても、それに甘んじていてはいけません。可能な限り速度を早める工夫を行いつつも、どうして

【文章力向上講座】表現技法を甘く考えてはいけない(上級者向け)

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「表現技法」を、軽く考えてはいけない 私は様々なところで 「まずは基本が大切」 という解説をしてきました。文章が苦手な人は、すぐに使えそうな「表現技法のテクニック」を学ぼうとします。しかしそれは土台ができていないのに、表面だけを飾り立てるようなもの。表面の錆だけを落としても、すぐに下から新しい錆が浮かび上がってくるように、根本から鍛えていかなければ意味がない。そのようなことを、解説してきました。 しかし、ここで誤解をしていただきたくないので、あらためて強調しておきますが、 ・「基本 = むずかしい」 ・「表現技法 = かんたん」 と、いうことではありません。むしろ逆の意味であると、私は考えています。 ・「基本 = むずかしい」 ・「表現技法 = もっとむずかしい」 と、いうことですね。「基本をしっかりと身につければ、表現力(技法)は自然と身につく」というわけではありません。実際は 「かなり難しい」ので、軽く考えてはいけない ということですね。 基本は「膨大な時間と演習」の積み重ね 基本を身につけることは「むずかしい」ことです。しかるべき時間と演習を積み重ね「身体に染み込ませるまで」ひたすら繰り返していく必要があります。「1万時間の法則」というようなフレーズを目にすることがありますが、そのくらいの 時間を投資する必要があるのが「基本」だと私は考えています。 しかし、別の視点で考えるならば「1万時間の演習」を積み重ねることができるのなら 「基本を身につけることができる」 と、いえるかもしれません(もちろん、それ以上の時間が必要な人もいると思いますが、あくまでも仮説として)。 さらに上を目指すには「センス」が必要になる しかしそこに 「表現技法」という、自分の個性を輝かせるための「プラスアルファ」 を磨いていくには、努力だけでは越えられない「なにか」が存在すると感じています。全力を注いで取り組んでも、そこにたどり着けるかわからない。いわゆる 「センス」というような、先天的な才能が必要かもしれない。 もっている人は越えられるし、不足している人は足踏みを続けるかもしれない。 非常に曖昧な領域といいますか 「やってみなければ、わからない」 という部分が多いと思うのです。さきほど、 ・「基本 = むずかしい」 ・「表現技法 = もっとむずかしい」 と解説したのは 「表現技法