【人生哲学】独立起業して19年目に「思い出した」言葉

独立起業して19年目に「思い出した」言葉

今年の6月で独立起業して19年目になった。今までは「今年で何年目だったかな」と適当に考えるくらいで、特に気にとめていなかった。ところが、なぜか今年は妙に「当時のこと」を思い出す時間が増えていた。自分にとってはめずらしいことだった。

若い頃は「昔話をするような大人には、なりたくない」とうそぶいていたし、セミナーなどでの自己紹介のような必要最低限の時以外は、あまり語ることはなかった。しかし、あまりにも頻繁に浮かんでくるので、もしかすると「当時を振り返るタイミングなのかもしれない」と考え、Youtubeに「起業した時の話」というような動画を公開することにした。

実際に録音してみると、30分を越える長さになった。そして話せば話すほど、当時の細かな部分が思い出されてきて「まだまだ話せる」ような感覚があった。おそらく自分で考えているよりも「起業した時のことを、話したかった」のだと思う。あまりにも辛い時間が続いていたので「思い出したくもない」と考えていたのだけど、それと同時に、どこか懐かしむような気分があったのだと思う。

・動画「私が20代で起業した時の話」は、こちら


今のところ、当時を振り返ってみて「あたらしい発見」のようなものはない。むしろ「もう少しがんばれたのではないか?」という反省点が思い浮かび、あまりよい気分にはなれない。それと同時に「あのころの経験が、今の自分」を形成していることも確実なことなので、失敗や成功というものは長いスパンで考えるべきものだな、とも思っている。

「想像できることは、かならず実現できる」

ここまで書いてきて、ふと思い出した言葉がある。「想像できることは、かならず実現できる」というフレーズである。当時読んだ、マンガの台詞だったか、雑誌の記事だったのか、正確なことは忘れてしまった(なにせ19年も前のことなので、もはや確認することはできない)。

当時、このフレーズを目にした時の自分は「想像できれば、実現できるなんて、そんな簡単な話はない」と感じていたと思う。そんなことで実現できるのなら、いくらでも想像してやる、と鼻息を荒くしていたように思う。頼れるのは自分だけだ、と若さゆえの勘違いで起業した自分にとって、どこかリアリティを感じられなかったのだと思う。

あれからそれなりに長い時間が過ぎた。このフレーズを目にした私は、今こんな風に考えている。

「想像することが、実現への一歩である」

実現できるとかできないとか、そのような話しではない。心の奥底から「想像」したことしか、実現できないのだ。そのような意味ではないかと、思うのである。

想像が目標となり、実現へ近づいていく

根拠のない「想像」は「妄想」といえるだろう。しかし、それに向けて具体的な一歩を踏み出した段階で「妄想」は「空想」となり「想像」となる。想像が現実の世界に形成され始めたのならば、それは「目標」となる。目標にまで成長できたのならば、あとは実現に向けての試行錯誤を考察していくだけである。それはもう「想像」ではない。

「想像することが、実現への一歩である」

それはつまり

「想像できないことは、実現できない」

ことではないかと思う。

年齢を重ねると「想像」する時間が減ってくるように思う。想像した瞬間に「そんなのムダだ」と過去の狭い経験で否定してしまう。そこには過去の延長と現状維持のフィルターを通したものしか存在しない。

今、自分は「何かを想像」しているか? よし。大丈夫。まだまだ、やってみたいことがたくさんある。そんな風に思える間は、なんだかんだで進んでいけるのではないか。起業して19年目を迎えた時、今私はそんなことを考えています。

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