【宮沢賢治】ほんとうにいいこと、とは何か?(学者アラムハラドの見た着物)を読む
「人間がどうしても止めることができないこと」とは? 今回は、宮沢賢治「学者アラムハラドの見た着物」を読んで考えたこと、を解説してみたいと思います。この作品に登場する「学者アラムハラド」は、自分の生徒に 「人が何としてもそうしないでいられないことは一体どういう事だろう。」 と質問します。鳥が飛んで鳴くのを止めないように、人間がどうしても止めることができないこと、とは何だろう? と問いかけるのです。 生徒のひとりが「人が歩くことよりも言うことよりももっとしないでいられないのはいいことです。」と答えます。アラムハラドはこの意見に、 「そうだ。私がそう言おうと思っていた。(中略)人の正義を愛することは丁度鳥のうたわないでいられないと同じだ。」 (学者アラムハラドの見た着物より) と答えます。人間は「いいこと」をせずにはいられないし、正義を愛さずにはいられない、とアラムハラドは説明します。すると生徒のセララバアドが、何か言いたそうにしていることに気がつきました。アラムハラドが気がついて、発言するようにうながします。 「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」 (学者アラムハラドの見た着物より) セララバアドは「人間は『ほんとうにいいことを考えること』をやめられないのではないか」と答えるのでした。「いいこと」をするだけではなく「これは、ほんとうにいいことなのか?」と考え続けること。セララバアドはそのように答えたのでした。 ほんとうにいいこと、とは何か? この考え方は、現代の私たちにも大切な考えだと思います。わたしたちは自分たちが「いいこと」と考えることを実行します。しかしそれが「ほんとうにいいこと」であるとは限りません。ある人にとって「いいこと」でも、別の人には「いいことではない」ことがあります。世の中の仕組みが変化して、先月までは「いいこと」だったのに、今月からは「そうではない」ことも起きます。 自分は「いいこと」だと思っていても、大勢の人が別の意見を支持すれば、そちらに流されてしまうこともあるし、結果として誰かを傷つけたり誰かから「ほんとうに、いいこと」を奪ってしまうことだってあるでしょう。厳しいですが、これが現実。だからこそ、セララバアドは「ほんとうにいいこと、とは何だろう?」と考え続けることだと、答えたの