ナンバ−2。

最近、あらためて気が付いたのだが、どうやら自分は「ナンバ−2」が好きらしい。正確に書くと、ナンバ−2の位置づけにあるものが好きだということに、気が付いた。

もっと、正確に言ってしまうと「ナンバー1」というだけで、それに興味を失ってしまう場合さえ、あると言うことに気が付いてしまったのだ。

なぜ、自分は「ナンバー2」が好きなのか?
特に「人と同じものが、嫌い」と、いうわけではないと思う。人と同じである、という安心感も否定するわけではないし、そのような理由で選ぶことないわけではない。

では、なぜなのか?
根本的な部分から考えてみれば、多くの場合「ナンバー1」と「ナンバー2」の間には、さほど大きな差がないことが多いように感じる。つまり、どちらを選んでもそんなに差がない訳だから、ただなんとなく選んだ場合は、「ナンバー1」を選ぶ時もあれば「ナンバー2」を選ぶ時も、あるはずだ。その日の気分で、両者を行ったりきたりすることも、あるはずだ。目の前で「ナンバー1」を選んでいる人を見れば、自然に、そちらを選んでしまうことも、あるはずだ。

それでも、頑なに「2」を選ぶということは、自分の強い意志で「2だけ」を選んでいるということになる。もしかしたら「1」を選んだ方が、色々な意味で有利になる場合があるかもしれないのに、わざわざ「2」を選んでいるという段階で、何らかの意思が働いているということだ。

それは何なのか?
さらに考えてみるに「2」を選ぶ(選び続ける)ということは、しかるべき自分なりの理由を考えなければいけない、ということに気が付く。例え目の前に「1」があって、入手しやすかったり、価格が安かったり、「1」というブランドイメージや、よりたくさんの人が集まるというエネルギーを感じたとしても、あえてそれを無視して「2」を選ぶということは、自分の中で何かしらの「2を選ぶ理由」を考えていると、いうことだろう。

そう、だんだんわかってきた。自分が「2」を選ぶといことは「何かを選ぶ時は、理由を持って選びたい」という気持ちの表れではないかということだ。もちろん「1」を選ぶ時にも、理由は考える。しかし、あえて、「2」を選ぶという、この「あえて」の部分に、強い意志や理由が必要になってくるわけだ。みんなに「別に、1でいいじゃん」と、言われたとしても、あえてそこで「いや、自分は2を選ぶ。なぜなら・・・」と、逆向きのものを選ぼうとした時に生じる、強い抵抗に立ち向かえるような、自分なりの理由(たとえ、それがこじつけであっあったとしても)を考えていることが、好きなのではないのか、ということだ。

もちろん、他にも理由は複数あるだろう。ひとつの理由だけで、行動を決定するということは、ほとんどないからだ。過去の記憶とか、コンプレックスとか、価値観とか、そのようなものが組み合わさって「2」を選んでいるのだろう。でも、とりあえず、自分が意識できる理由としては、今回、ここに書いた内容が、一番強力ではないか、と思ったわけです。

さて、以上の文章が、2010年最後の内容となる。
最後なので、どうでもいいような内容のものを、ある程度の文章量まで書くということに挑戦してみよう、と思ったので、このような内容になった。書いてみると、意外と一気に書けたので、わりと自分は、このようなことを書くのが、好きなのかなあ、と思ったりもした。再確認した。
どうやら来年は「このような」内容のものを、たくさん書くような機会が増えそうだな、とふと思ったりする。

そんな訳で、今年の更新は、これで終了。2010年も、いろいろあった。おおむね楽しかった。来年は、今年の35倍、楽しくしようと思う。

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