仙台市博物館 ポンペイ展へ行く。
4月29日、仙台市博物館のポンペイ展が再開することを知り、さっそく出かけてきた。
連休中ということもあり、かなりの混雑を覚悟して行ったのだけど、博物館へと続く道も駐車場も、想像していたよりも空いていた。係員に誘導されるがままに、車を止める。外に出る。博物館の建物と「ポンペイ展」の看板を観た瞬間に、色々なことが頭に浮かぶ。またこうやって、仙台市博物館にやってこられたのだ、ということを、しみじみと考える。
火山の噴火により、一夜にして灰の中に埋もれてしまったポンペイの街。まるで真空パックをするかのように、その空間が閉鎖され閉じ込められてしまったおかげで(おかげ、という表現が正しいかどうかは別として)1700年後の私たちが、こうやって当時の文化に触れることが、できたわけだ。
そんなことを考えながら、そこに住まっていた人々のことを想像しつつ、展示品をひとつひとつ見て回る。それを作り、それを使っていたポンペイの街を想像しながら、見て回る。1700年前。長い時間だ。ものすごく膨大な時間の積み重ねだ。それでもなぜか今日は、ほんの数ヶ月前に起こった事のように、すごく身近な出来事のように思えてしまった。なぜ、そんな風に感じたのかはわからない。あまりにも遠すぎる昔の出来事だから、逆にそのような感想を、抱いてしまったのかもしれない。
美しくも完成度の高い美術品。あざやかなモザイク。当時の人が描いた「落書き」。
まさか自分の落書きが「貴重な資料」として、膨大な費用と時間をかけて運ばれてくるとは、思わなかっただろう。自分の落書きが、日本の東北の街、仙台市博物館で展示されていると知ったならば、どのような感想を持つのだろう。もしかすると「どうせなら、そちらではなく、こっちの落書きを見て欲しかった」などと、思っているかもしれない。「途中まで描いたけど、消してしまったヤツの方が、できが良かったんだけどな」と、くやしそうにしているかもしれない。
ポンペイの品々を眺めながら、そんなことを考えました。
※仙台市博物館 周辺地図
※イタリア(ポンペイ)周辺地図