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鳥をだく(畦地梅太郎)をみると、思い出すこと

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百科事典で、出会った「作品」 小学生の頃の話。自宅に子供向けの百科事典があった。詳しい名前も出版社なども忘れてしまったが、全部で10巻位のシリーズだったと思う。小学生の頃私は、読む本がない時などに繰り返しその百科事典を広げては眺めていたのだった。 そのシリーズに「美術」を扱った巻があった。様々な地域と時代の美術品が、カラー写真と一緒に掲載されていた。とくに、スーラとブリューゲルの作品が気に入っていて、 特にそのページは繰り返し眺めていたような記憶がある。 その中に、一点「ふしぎな作品」が掲載されていた。他の作品は「すごいなあ」と、子供ながらに楽しむことができたのだけれども、その作品だけは「奇妙だ」という印象を受けたのだ。 奇妙で、よくわからない。これは一体何なんだろう。 それと同時に、 よくわからないけれども、なぜか不思議に気になる、 強い印象を受けた作品があった。 それが、 畦地梅太郎の「鳥をだく」 だった。 まっすぐ、で、不思議。 そこに描かれている人物は、 目を見開くようにしてまっすぐにこちらを見ている。 手には鳥が抱かれているけれども、あまりうれしそうではない(と、小学生の私にはそう感じられた)何かどこかが、 不思議なバランスでできているような気がする 。小学生の私にはうまく説明できないけれども、妙に心に引っかかる作品だったのだ。 それから数年の時間が過ぎ、この作品が版画という技法で制作されていると知った。そして、この人物が山男であるとわかった。そして畦地梅太郎の、他の作品を眺めたり、書籍などを読んでいくにつれ、ますますこの世界観に魅了されている自分がいた。 今、私の部屋には「畦地梅太郎の鳥をだく」が掛けられている。眺めるたびに、どこかまっすぐな気分になる。以前登った山の風景も思い出したりする。 これからも私は、この作品を眺めていくのだろうと思う。 そして眺めるたびに、子供の頃の記憶や、山歩きをした時の記憶を振り返りながら、まっすぐで不思議な気持ちになるのだろうと思う。 (補足) 別冊太陽「 山の版画家 畦地梅太郎 」に、竹芳洞による版画の制作工程が解説されているページがある。それを見ると、一見するとシンプルな作品でも、何度も擦りの作業が重ねられていることがわかる。興味がある方はぜひご覧になってみてください。 ・ 畦地梅太郎の著作をAma

仙台市博物館 若冲が来てくれました。

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仙台市博物館の特別展「若冲が来てくれました」へ行ってきた。本展覧会は、東日本大震災復興支援として、プライス夫妻の善意によって開催されるものだそうだ。貴重な個人コレクションを一度に見ることができるということで、とても楽しみにしていた。 今回は、個人的にツボにくる作品が目白押しだったのだけど、その中でも思わず数分ほど立ち止まって鑑賞してしまったのが「雪中松に兎・梅に 鴉図屏風」 という作品。黒く彩色した背景に白を散らした作品なのだけど「こんな作品が見てみたかった」と思うほど、自分の好みに一致した作品だった。平日の午後おそくの時間帯でお客さんが少なかったので、作品の前に立ってたっぷりと鑑賞することができた。これだけでも、今回ここに来た価値があるというものだ。 さて、色々な作品を鑑賞して心の栄養を吸収したあと、今回のメインである若冲の作品と対面だ。若冲の作品について、色々と書いてみたいことはあるのだけど、本企画展は仙台が最初の地域で、これから岩手、福島と巡っていくところなので、お楽しみを奪わないように詳細な感想は控えたいことにする。が、それでもやはり触れておきたいのが、若冲の大作である 「鳥獣花木図屏風」。本作品は 8万6千個ものマス目に色を埋めるという、気の遠くなるような制作過程を経て完成させられた作品なのだそうだ。目の前に立った瞬間に「ぐわっ」とくるものすごいパワーを感じた。さらに近寄って見てみると若冲の作品制作に対する情熱のようなものを感じて、わくわくが止まらなかった。こんな作品を自分も作ってみたい(作れないけれど)と、自分も何かを表現したくなるようなエネルギーを分けてもらったような感じがした。美しい、と感じる作品はたくさんあるけれど、楽しい、と感じる作品は少ないような気がする。 「鳥獣花木図屏風」は、 美しくて楽しくてワクワクする作品だった。間近で(なんと、この作品は ガラスケース越しではなく、直接鑑賞することができた!)じっくりと見ることができて本当によかった。平日の夕方で、ちょうどお客さんが少ない時間帯だったので、自分のペースで贅沢に鑑賞して楽しい時間を過ごすことができました。   若冲が来てくれましたオフィシャルページはこちら

もうひとつの世界 公開しました。

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電子書籍「もうひとつの世界」公開しました。 3.11の震災から1年と1ヶ月間、twitterにツイートしたものに写真を加えて、一冊にまとめたものです。 ぜひ読んでみてください。 そして、何か気になる言葉などが見つかりましたら、教えていただけるとうれしいです。 こちら ↓ 「もうひとつの世界 2011.3.11 - 2012.4.30

ヴェネツィア展へ行く。

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宮城県美術館へ「ヴェネツィア展」を観に行ってきた。キャッチコピーは「魅惑の芸術・千年の都」。 千年の都・・・いい響きである。最近、百年とか千年とか、時間を積み重ねてきた存在に対して、とても惹かれるようになってきた。この現実世界、色々あるけれども、時間は努力だけではどうにもならない。どんなに望んでも願っても、1年は1年だし百年は百年である。伸びもしないが縮みもしない。佐藤は佐藤だし、鈴木は鈴木である(←深い意味なし) なので、目の前に展示されている美術品などを見ると(もちろんそれが美術品として優れているということもあるけれど)百年以上も前のものがこうやって展示されているというのは、これを大切に保管していた人がいるというわけで、その労力とか志のようなものにも、むむっ、と感じるものがあるわけである。なかには、当時の生活用品なども展示されていて、まさか自分が日常で使っていたモノがガラスケースに収まり、数万人の人たちからじっくりと眺められることになるなんて、どんな気持ちでいるだろうと想像すると、これもまた、むむっ、と感じるものがあるわけである。はたまた、これを海外から運んできた人達のことを考えると到着して開封し、中身を確認するまではさぞ・・・(以下略) そのようなことを考えながら、展示を見て回る。ヴェネツィアン・グラスを見ていた時に、横にやってきたご夫婦が「あ、これと同じものを・・・」「いや、それはこれのコピーだろ?」と、大きな声で話し始めた。どうやら同じようなデザインのグラスを所有されているのか、どこかで見たらしく、その時の思い出を話していた。60代くらいのご夫婦だと思うけれど、こうやって昔に見た作品を「あれは今から20年前に・・・」と話し合える相手がいるというのは、素敵なことだ。ここでもまた「積み重なった時間」のすばらしさを体験させてもらった。 ちなみに自分は、見た物や聞いたものを、わりとかたっぱしから忘れてしまう方だ。覚えているものは頑なまでに詳細まで覚えているのだけど、それ以外の多くのものはすぐに忘れてしまう。時々メモを読み返したりして「おお、自分はこのようなものを見て、こんなことを考えていたのか」と感じることも少なくない。たぶん、今、このようなことを書いているということもすっかりと忘れて、そのうち読み返して「おお」と思うことだろう。 今、ここまで

2012年 書き初め

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心を落ち着けて、恒例の「書き初め」をしてみました。2012年が、みなさまにとって輝かしい一年でありますように。 書道

仙台市博物館の特別展「仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻」

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仙台市博物館の特別展「仙台ゆかりの仏像と肖像彫刻」 へ行ってきた。 仙台市博物館へ行くのは、震災直後の「ポンペイ展」へ行ったきりだから、だいたい半年ぶりくらいということになる。 何度来ても、静かで落ち着いていて、ゆったりとした気分になれる、とてもいい空間だ。当日は「初雪が降るかもしれない」と天気予報で言っていたほど、寒く小雨のふる空模様だったけれど(注・11月下旬)博物館の駐車場に到着したとたんに、わくわくして寒空も気にならなくなった。この様子ならば、雪にはならないだろうし、たとえ雪に変わったとしても、すぐに溶けてしまって問題ないだろうと思いつつ館内に向かう。 今回の特別展のテーマは仙台藩にゆかりのある仏像や肖像彫刻、資料などを集めて展示するということだった。自分は、以前から仏像を見るのがわりと好き(信仰という方面からではなく、意匠としての面からなのですが)だ。 丹念に制作された仏像(木像)を見ていると、「触れたら絶対に、温かいにちがいない」と思うくらいに、生々しく像の中心部で生命が躍動しているかのような、印象を受けてしまう。 作者が制作している過程で「それ」が宿るのか。それとも、完成した瞬間なのか。いや、長年多くの人たちが拝み慈しんでいる時なのか。それとも・・・などと、色々なことを想像してしまうくらい、深くやわらかく圧倒的な存在感を持っている。 そういえば、実家にも木彫りの像が置いてあった。たぶん大黒天だと思う。大人が両手で一抱えにするくらいの大きさの像で、かなり重たいものだ。家族に聞いた話だと、親戚だったか親しい知人だったかに制作してもらったものだという。完成してから「これは、祖末にしてはいけない」という第三者からの忠告で、ちゃんとご祈祷をしてもらったというエピソード付きのものである。 子供の時に、奥の薄暗い部屋に置いてあった大黒天は、なんとなく妙な存在感もあり、どちらかというと気持ちが悪い印象の方が強かったことを覚えている。そういえば、あれはどうなっただろう? 確か、家を建て替える時にも保管していたような気がしていたのだけど。今度、家族に確認してみよう。そんなことを思い出しながら、展示室に入る。 今回、特に楽しみにしていたのが「宮城県指定文化財 十二神将立像 陸奥国分寺蔵」である。自分は「十二神将立像」のように

フェルメールからのラブレター展(in 宮城県美術館)

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宮城県美術館で開催されている「フェルメールからのラブレター展」へ行ってきた。県美でフェルメール展が開かれる、と聞いた時から友人達と「楽しみだね」と話していたので、ようやくこの日がきた、という感じだ。 フェルメールの作品が東北で公開されるのは、今回が初めてのことなのだそうだ。自分の中では、フェルメールの作品を何度か宮城県美術館で観たような気がしていたけれど、どうやらそれは単なる勘違いだったようだ。記憶というものは、非常に曖昧なものなのだな、と改めて実感する。思い込みとは、大変おそろしいものである。「この前、宮城県美術館でフェルメールを観た時は・・・」などと、他人に言う前に気がついてよかった。それは「そういえば、前にこの店に来た時に・・・」「・・・それ、私じゃないよ」と、別の女性と来たことを忘れて、彼女に話しかけてしまうくらい、情けないことだ(←これは違いますね)。 ちなみに、ルーブル美術館でもフェルメールの作品を観たはずなのだが、いや確かに観たような記憶があるのだが、なんとなくおぼろげな感じになってしまっている。入口のピラミッドはおぼえているし、館内にものすごくたくさんの人たちが溢れていて、押すな押すなの状況だったとか、入口の近くで買ったサンドウィッチがものすごく不味かったとか、そんなことははっきりと覚えているのだけど、肝心の作品のことは曖昧になっている。 そういえば、モナリザを見ていた時に、背負っていたリュックサックのチャックが全開になっていて「しまった、スリにやられたか!」と慌てたこともあった。結局、中身は大丈夫だったし、チャックもどうやら自分が閉め忘れただけだということがわかって、ほっとしたということもあった。 と、全くフェルメール展とは関係のないことを思い出しつつ、チケットを購入して館内に入る。平日(金曜日)ということもあって、来館している人は想像していたよりも多くはなかった。入場なども、列に並んだりすることもなく、すんなりと中に入ることができた。 今回の「フェルメールからのラブレター展」で展示されている作品は、全部で3作品。「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使い」の3点だ。とりわけ「手紙を読む青衣の女」は、日本初公開であり、さらに今春修復を終えたばかりで、本国オランダよりも先に公開されるという、かなり貴重な展示とな

小布施観光。歩く観るそして栗 秋の長野を巡る旅(6)

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長野3日目。 宿で朝食を済ませてから(おいしかった)向かったのは 小布施 。ここは、ことりっぷという旅の本を見て、無性に気になり今回の日程に組み込むことにした。 小布施といえば栗。そして、北斎。その程度の知識と情報のみで、現地へ向かう。昨晩宿泊した渋温泉からは、車で約40分といったところ。普通の地方の道路を淡々と走っていくと、ある区域に入った瞬間に空気が変わるのを感じた。街全体のトーンというか、雰囲気が全然異なっている。「何かありそう」なわくわく感。そうか。ここが小布施なのか。 町営「森の駐車場」に車をとめる。出口で駐車料金を支払って(前金制だった)外に出る。当日の小布施の空は、薄曇りといった感じ。暑くもなければ寒くもない。歩いて観光するには、ちょうどいい気候だ。 ガイドブックにある、おすすめルートを参考に、ぐるりと町の中を歩いてみる。まず最初に感じたのは、街全体がひとつのコンセプトで「しっかりと作り込んである」ということ。ただ「観光に力を入れています」というのではなく「 観光してもらうために、それにふさわしい街並を徹底的に作りこんでいる 」という印象を受けた。 建物の外観はもちろんのこと、道路の幅や通路の角度まで計算しているのでは? と感じてしまうほど(もちろんこれは、僕の個人的な印象だけど)きっちりと世界観を作っていて、それを自然に醸し出しているという、ものすごくコンセプチュアルな町作りをしているのではないかなと感じた。 そんなわけで「ただぶらりと歩いているだけ」でも、なかなか楽しい。あそこも見たい、こちらの方には何があるのだろう? と、町のすみずみまで歩き回ってみたくなる。 ものすごい数の観光客(大型バスが次々と駐車スペースへ入っては出ていく)の流れに乗りながら「 北斎館 」へ。 僕は、旅に出た時は、そこの町にある美術館に入るようにしているのだけど、今回もその流れとして「では、 北斎館 に行ってみるかな」という感じだった。ところが実際に中に入って作品を観てみると、想像以上におもしろかった。特に「屋台展示室」に展示されていた天井画の迫力には、圧倒されてしまった。実際に、この屋台は町の中をねり歩いていたのだろうか? そしてその姿を、当時の方達はどのような気分で眺めていたのだろうか? たぶんきっと、それはすごく豊かな時間だったよ

安曇野ちひろ美術館へ 秋の長野を巡る旅(3)

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安曇野ちひろ美術館へ 次に向かったのは「 安曇野ちひろ美術館 」だ。ここでは、入場券の替わりに、写真のような「タグ」が配られる。これを見えるところに下げておくことで入館許可証となる。 何種類かのタグが用意されていたのだけど、自分はこの 少年の絵柄 にした。これを胸のあたりにぶら下げて、展示室へと向かっていく。 まず最初に感じたことは、美術館の建物の雰囲気がとてもいいこと。 開放感がありつつ、作品に集中できる雰囲気になっている 。屋外に設置されている椅子にこしかけると、行きつけのカフェに来ているかのような気分になる。すぐそばを、他のお客さんが次々に通りすぎていくのだけど、それすらも気にならないような感じがする。 長野のゆったりとした空気がそうさせるのか? 建物全体のデザインによるものなのか? いわさきちひろさんの美術館だから? とにかく、そのような様々な要素がくみ合わさって、このような雰囲気を作っているのではないかと思う。 作品を楽しむことが美術館の第一の目的だけど 「そこにいることが、たのしい」 という美術館だと感じた。細やかな部分にまで、コンセプトが浸透している空間だと思った。 小学生のころ「図書館をつくる(そして、そこに住む)のが夢 だったのだけど、いつの日かこのような美術館や図書館をつくる仕事に携わりたいものだ、とあらためて思いました。 原画が発する「迫力」を堪能する そんなことを考えながら、作品を鑑賞しながら回っていく。使い古された表現だけど、やはり 「原画のすごさ」 に圧倒される。印刷をする時には失われてしまう、トーンのやわらかさや穏やかさはもちろん、作者のいわさきちひろさんの思いも、じんわりと伝わってくるような気がしてくる。想像以上のすばらしさだった。 当日(2011.9月)は「ちひろと香月 ー母のまなざし、父のまなざしー」という特別展が催されていた。 香月泰男さんの作品を観たのは初めてだったのだけど、こちらもパワフルで圧倒された。戦争体験という同時代を生きた、お二人に共通の経験をベースにした作品が展示されていた。人を思う気持ち、戦争という失われていく風景への思い、それらがお二人の異なるタッチで表現されていく。あまりにも、やさしくて、そしてせつなげ。美術館へ足を運ぶ楽しみのひとつが、 新しい作家との出

青森県立美術館 初夏の青森を巡る旅(4) 

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青森県立美術館へ 八甲田山から下山し、次に向かったのが「 青森県立美術館 」。途中、休憩をいれつつも、車で約40分ほどで到着。思ったよりもスムーズに移動できて、ほっとする。 ここには、奈良美智さんの「あおもり犬」が展示されている。以前、何かの雑誌で見た時から「いつか、この作品を、この目で直接見てみたい」と考えていたので、今回の訪問はすごくたのしみにしていた。 美術館に到着して、まず驚いたことは、その敷地の広さ。とにかく広い。駐車場の端から、建物の方を見ると、はるか遠くに霞んでみえるくらいだ(←これは、おおげさ) 今回、青森の施設をいくつか回ってみたけれど、どれもゆったりとスペースを確保していて、すごく気持ちがいい。ここでなら休日の一日をゆったり過ごせそうだ、という気分になる。開放感のなか、駐車場から建物の方へ向かう。 まず最初に感じたのは、建物の構造が「複雑」になっていること。エレベーターで下に降りたり、階段で上にあがったり、右に行ったり左にくねったりと、ワンフロアで完結するのではなく、あちらこちらへ移動するような構造になっている。これが、なかなか楽しい。館内の案内図を見ながら回るのだけど「今、自分はどこにいるのだろう?」「次は、どこへ行けばいいのだろう?」と、ちょっと迷路に迷い込んだ時のような感覚になりながら館内を歩き回る。 あおもり犬と対面! 待望の「あおもり犬」の展示スペースまでの道のりも「この角の先かな?」「これが正しいルートなのか?」などと考えながら、建物の裏手に回って階段を上がっていく。 そして、目の前に表れたのが・・・ これだ! 作品をとりかこむようにして、たくさんの人達が写真を撮影している(あおもり犬は、撮影可)。カシャッ! ピロリン〜と、あちらこちらからシャッター音が聞こえてくる。 もしかすると作者の奈良さんは、こんな風にして、たくさんの人に囲まれている風景も含めて、この作品を制作されたのではないだろうか。あおもり犬だけだと、なんとなく物思いにふけっているような感じに見えるけれど、みんなに囲まれていると、ちょっと照れているような、わざと

十和田市現代美術館 初夏の青森を巡る旅(1−2)

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7月の青森へ 十和田市現代美術館(1の1) 美術館に入る前の段階で、軽く興奮状態となってしまい期待値が高まるなか、表面的には冷静さを保ちつつ館内へ入場する。最初の部屋で、自分達を出迎えてくれたのは「ロン・ミュエク スタンディング・ウーマン」。 旅行のガイドブックなどで、何度か目にしていた作品ということもあり「ようやく会えた」という気分になる。 近くに寄って、本当に温かな血が流れていそうな生々しい血管を見ていると、夜になり皆が帰宅した後に、やれやれこれで本日の仕事も終了だわ、と大きな手で背中のあたりをボリボリと掻いたりするのではないか、いやもしそうだったとしても、全然驚かないなと思ってしまうような感覚になる。 自分の斜め前のあたりで、両親に連れられてきた、5歳くらいの女子が不安そうな表情で作品を見上げている。この子くらいの年齢だと、恐怖を感じるのだろう。夜に夢に出てくるのではないだろうか、と余計な心配をしてしまったりするほどだった。 そして次の部屋は・・・。 と、ひとつひとつの作品の感想を書いていきたいところだけど、これから十和田市現代美術館へ行かれる方のために、感想を書くことは控えておきたいと思う。 このような現代アートの面白さは、 先入観(情報)なしに作品の前に立った時に感じる印象 だと個人的に考えているので、僕の偏った情報は避けたほうがいいと思うからだ。 ただひとつだけ書かせていただくと(というよりも、書きたくてしかたがない訳だけど・笑) 「ハンス・オブ・デ・ピーク ロケーション(5)」 は圧巻だった。もし自分がアーティストだったなら、このような作品を制作したのではないか、とさえ思った。それがあまりにも楽しくて、しばらく「作品の中」に浸っていたところ、自分より前にいた男女の2人が「これもアートなのか?」「そうなんじゃない?」と、話しているのが聞こえてきたのことが、また面白かった。 「これもアートなの?」 自分にとっては「最高のアート」でも、ある方にとっては「これがアート?」という存在になる場合もある。どちらが良いとか悪いとかではなく、 自分と他者との好み(感覚)の違いを、はっきりと感じることができるのも、現代アートの醍醐味のひとつ なのかもしれない、と2人の感想を聞いていて考えたのだった。 とにもかくにも、 十和田市現

十和田市現代美術館へ 初夏の青森を巡る旅(1)

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7月の青森へ(1) 十和田市現代美術館 7月の連休を活用して、青森県へ行ってきた。旅の日程が確定したのが、約一週間前。いそいでホテルの予約などをして、前日に荷造りをして、バタバタと早朝に出発。 東北自動車道から八戸自動車道→百石道路→第二みちのく有料道路を通り、無事青森へ到着。ところどころ、渋滞したり流れが悪くなっていたこともあったのだけど、 約4時間ほどで到着 。ほぼ予定通り。わくわくしながら、一般道路へと降りていく。 最初の目的地は「 十和田市現代美術館 」だ。ここは2008年4月に開館したばかりの、新しい美術館。 「ひとつの作品に、ひとつの展示室」 というコンセプトや「開館後わずか4日で入館者1万人突破」などという情報を目にしていたので「青森に行ったら、まずここへ」と決めていた。 自分が持っている古い青森の地図には、十和田市現代美術館は掲載されていなかったので、iphoneのマップを使ってルートを確認する。昨日の仙台の気温は30度を余裕で越える状態だったけど、こちらは涼しくて、とても過ごしやすい。半袖だと少し寒い気がするくらいだ。 十和田市現代美術館へ続く県道は 「十和田観光電鉄」 と並走して走る形になる。ベストポイントと思われる場所には、かなりの確率でカメラを構えている人達がいた。あまりにもカメラマンの人数が多かったので、青森には電車が好きな人が多いんだな、思ってしまうくらいだった(すみません、単なる思い込みです)。数人で談笑しているグループや、ずっとファインダーをのぞき込んだまま動かない人や、線路ギリギリまで身を乗り出してアングルを考えている人達の横を通り過ぎ、30分ほどで十和田市現代美術館へ到着。 フラワーホースと対面 館内の入口に設置されている 「チェ・ジョンファ フラワーホース」 が見えた瞬間、一気に移動の疲れが吹き飛んでしまう。道路の向こう側の野外芸術文化ゾーンには草間彌生さんの作品の姿も見える。この空間全体がアートスペースになっているのだ。「ここに来てよかった」と、思う。建物の前を通っただけで、すでに30%くらいは満足してしまった。 残りの70%を埋めるべく、いそいそと駐車場に車を移動し、せかせかと美術館へ向かう。まず最初に、 野外芸術文化ゾーン を、ぐるりと回ってみることにする。細かなところまで、細工が

仙台市博物館 ポンペイ展へ行く。

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4月29日、仙台市博物館のポンペイ展が再開することを知り、さっそく出かけてきた。 連休中ということもあり、かなりの混雑を覚悟して行ったのだけど、博物館へと続く道も駐車場も、想像していたよりも空いていた。係員に誘導されるがままに、車を止める。外に出る。博物館の建物と「ポンペイ展」の看板を観た瞬間に、色々なことが頭に浮かぶ。またこうやって、仙台市博物館にやってこられたのだ、ということを、しみじみと考える。 火山の噴火により、一夜にして灰の中に埋もれてしまったポンペイの街。 まるで真空パックをするかのように、その空間が閉鎖され閉じ込められてしまったおかげで(おかげ、という表現が正しいかどうかは別として)1700年後の私たちが、こうやって当時の文化に触れることが、できたわけだ。 そんなことを考えながら、そこに住まっていた人々のことを想像しつつ、展示品をひとつひとつ見て回る。それを作り、それを使っていたポンペイの街を想像しながら、見て回る。1700年前。長い時間だ。ものすごく膨大な時間の積み重ねだ。それでもなぜか今日は、ほんの数ヶ月前に起こった事のように、すごく身近な出来事のように思えてしまった。なぜ、そんな風に感じたのかはわからない。あまりにも遠すぎる昔の出来事だから、逆にそのような感想を、抱いてしまったのかもしれない。 美しくも完成度の高い美術品。あざやかなモザイク。当時の人が描いた「落書き」。 まさか自分の落書きが「貴重な資料」として、膨大な費用と時間をかけて運ばれてくるとは、思わなかっただろう。自分の落書きが、日本の東北の街、仙台市博物館で展示されていると知ったならば、どのような感想を持つのだろう。もしかすると「どうせなら、そちらではなく、こっちの落書きを見て欲しかった」などと、思っているかもしれない。「途中まで描いたけど、消してしまったヤツの方が、できが良かったんだけどな」と、くやしそうにしているかもしれない。 ポンペイの品々を眺めながら、そんなことを考えました。 ※仙台市博物館 周辺地図 大きな地図で見る ※イタリア(ポンペイ)周辺地図 大きな地図で見る

宮城県美術館「新しい美術の系譜」

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宮城県美術館の「新しい美術の系譜」へ行ってきた。 今回の目的は、ロレッタ・ラックスの作品を観ること。ある雑誌で、彼女の作品を目にしてから、ぜひ一度本物を観てみたいと思っていたので、今回は、とても楽しみにしていた。 展示されていたのは「ドロテア」と「アイルランドの少女たち」の2作品。ちらっと観ると、絵画のように見えるけれど、良く観ると写真。かわいらしい女の子が描かれているように見えるけど、しばらく見ていると、妙に不安を感じる作品。やわらかだけど、硬質なトーン。ずっと見ていたいような、すぐに目を逸らしたくなりそうな世界観。そんな、矛盾した雰囲気が同時に存在する、不思議な作品だった。 自分のレベルでは、この作品に、どのような画像処理がほどこされ、仕上げられているのかは、わからない。わからないけれども、とにかく、膨大な時間がかけられ、丹念に仕上げられているということが、ひしひしと伝わってくる。その、絶対的な作業量が、自分が感じた「不思議な感覚」の源泉となっているのかも、しれない。 平日の閉館まぎわの時間帯と、いうこともあり、観客がまばらだったので、作品を独り占めして、じっくりと楽しませてもらった。この2作品を観るだけでも、充分に足を運んだかいがあったと、思った。あまりにも、離れがたくて、閉館ギリギリまで粘ってしまい、あやうく次の予定に、遅れてしまうところだった。 美術館を出て、近くの高校の前を車で通ったところ、校門の近くで、ダンスの練習をしている女子高生の姿が目に飛びこんできた。体を左右にリズミカルに揺らし、飛び跳ね、ニコニコと笑いながら、そばに立って見ている友達と話をしていた。何かのイベントで発表でもするのだろうか。それとも、ただ踊っていただけなのだろうか。美術館と、女子高生のダンスの組み合わせは、自分の中にある、遠い遠い昔の記憶を、呼び起こしてくれるような、 ロレッタ・ラックスの作品を見た時に感じたものと、どこか つながるような、そんな不思議な感じがした。 ロレッタ・ラックスの写し出す子供たちは何を見つめているのかLORETTA LUX  ロレッタ・ラック...

DIPTYQUE

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誕生日プレゼントに、 DIPTYQUEの フレグランスキャンドルを、いただいた。 フドブワという、種類のもので、香りは「ウッディ」。さっそく、火を灯してみると、ヒノキ(だと、思う)の香りが、ふゎーっと広がっていく。おかしないい方かもしれないけれど「すごく、考えられた香り」だな、と感じた。心地よい。 ろうそくの火が、灯っている様子を見ていると、脳の中がゆらゆらしていく感じがして、ぼんやりとしてくるけれど、それに、このような香りが漂ってくると、別の世界に連れていかれそうな感じにさえ、なってくる。 かなり気に入ったので、これをきっかけに、フレグランスキャンドルについて、少し情報収集をしてみようかなと、思っている。火と香りの組み合わせは、けっこう「おもしろい」ことに、なりそうな感じがする。

photobackで、フォトブックを、作ってみる。

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フォトブックを、作ってみた。 前々から、興味はあったのだけど、なかなか作るきっかけをつかめなかったのだが、先日、旅に出かけた時の写真が、なんとなく「フォトブック向け」のような気がしていたので、思い切って挑戦してみることにした。 今回は、 【Photoback】一冊から作る写真集 というサイトで制作してみた。 手順としては、掲載予定の素材(写真)を、まとめてアップロードし、用意されたテンプレートに、一枚ずつ貼付けていく、という流れだった。 作業を開始してみると、非常に簡単で、サクサクと進行することができた。フォトブックのような冊子を制作する時は、レイアウトがポイントのひとつに、なるわけだけど、今回は用意されたテンプレート(数種類の中から選べる)の中に、自分がイメージしていたものがあったので、思いの他、一気に完成することが、できた。 もちろん「もう少し、この写真の位置が右に・・」と、いうような希望もあることはあるけれど、この値段で、スムーズに制作できることを考えれば、十分だと自分は思った。ただ(これは、自分が文章に関する仕事をしているから、そう思うのかも、しれないけれど)フォントの種類、サイズやカラーは、もう少し増やしていただければ、と思う。それだけで、もっと楽しみが増えると思うのだけど、どうでしょう? ちなみに、今回使用したphotobackのテンプレートには、テキストが入力できるものがある。最初は、普通の記念写真のように「夏山登山にて。左から、今回お世話になった、山下さん。その隣は〜」と、入力していこうかと思ったのだが、やはりここは、ちゃんと制作してみよう。最初の作品だしな、といつも通りに文章を考えてみることにした。 ところが、これが、ものすごく苦戦して、いや、苦戦というよりも「どうせなら、しっかり考えよう」から始まって「せっかくなので、もう少し作り込んで」となり「うーん、趣味の作品なのだから、実験的な作品の方がいいな」などと、メインの写真は1時間ほどで、設定が終わったというのに、テキストの方は、24時間ほどもかかってしまった。そう、つまり、空き時間をコツコツと利用しつつ、2日以上かけて考えたということだ。 書き始める前から、その予感はあったのだけど、やはり予想以上に考えてしまった。でも、その分、制作しているうちに、個人的には「これは、なかなかおもしろい」と思えるも

ピカソと20世紀美術の巨匠たち 宮城県美術館

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宮城県美術館の「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」を観てきた。 今回楽しみにしていた作品のひとつが「アメデオ・モディリアーニの『アルジェリアの女』」。 実際に作品を観てみると、頭の中でイメージしていたよりも、前面にグッ、と飛び出してくるような迫力があって、じっと見ているうちに、作者の心情の揺れに自分の頭の中が同調していくような感覚になった。 力強いトーンなのに、繊細で絶妙のバランス。 この一枚を、観ることができただけでも、今日、ここに足を運んだかいが、あったというものだ。 さらに、今回収穫だったのは「ヘレン・フランケンサーラーの高潮の一撃!(Stroke of High Tide!)」が観られたこと。このアーティストの作品を見るのは初めてだったのだけど、サイズといいトーンといい「もしも、自分が画家だったのならば、絵が描けたのなら、このような作品を目指したのではないか?」と、思いこんでしまうほど、自分の中にあるイメージと、ぴったりの作品だった。ちょうど閉館間際で、他に客も少なかったので、ひとり作品の正面に立って、じっくりと堪能することができた。やはり、美術館は、閉館間際にかぎる。 結局、閉館を告げる放送が鳴り響くギリギリまで、作品を楽しんできた。 宮城県美術館では、7月11日まで開催しているので、興味がある方は、ぜひ足を運んでみていただきたい。オススメです。 宮城県美術館

オペレッタ「こうもり」

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ウィーン・シェーンブルン宮殿劇場によるオペレッタ「こうもり」仙台公演に行ってきた。 オペレッタに行ってきた、と、さらりと書くと、ものすごくマニアックというか、結構行っているような感じに見えるかもしれないが、実態のところ、自分は「オペラ」と「オペレッタ」の区別もわからないくらいの、超初心者である。 本当ならば、事前に予習というか、多少なりとも情報収集をしておいた方が、より楽しめるのだろうけど、あえてここは何も調べずに、全くの初体験で望んでみることにした。何本か、オペラのDVDを観た事もあるし、そんなに分からないこともないだろう、という気分だった。 ところが、実際に始まってみると・・・と、いうこともなく、ちゃんと「日本語字幕」も表示されるし(舞台の左右に、電光掲示板が設置されていた)わかりやすいストーリーだったので、初めてでも十分に楽しむことができた。時々、台詞を日本語にしたりというサービスもあり、会場にも笑いが起こったりして、演目にもよるのだろうけど、想像していたよりもリラックスした雰囲気で、あっという間に3時間が過ぎて行った。 それにしても、このオペレッタを演じるために、はるばると ウィーンから、日本にやってきて、仙台で公演するというのは、どのような気分なのだろう?仙台の街は、彼らの目にはどのように写ったのだろう、この舞台のために、どれだけの人達が準備に携わっているのだろう、などということを考えたりしながら、すこしだけ上品な気分で初夏の夜を過ごしました。