【文学】臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ。(マスク 菊池寛より)
菊池寛「マスク」を読む
今回は「菊池寛 マスク」を紹介します。
まず、この作品の時代背景を説明しましょう。作品が発表されたのは1920年。この頃の日本は「スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)」が流行していました。資料によると「日本では38万人が亡くなった」という記録からも、非常に深刻な感染症だったことがわかります。
「マスク」は、この頃の東京の様子が書かれた作品です。主人公は「菊池寛」自身と考えていいでしょう。つまり、彼が体験し考察したことが書かれた自伝的な作品であると考えてよいと思います。
主人公は肥満体質で、いわゆる生活習慣病を抱えています。胃腸の調子が悪くて医者に診察してもらった時に、太りすぎて心臓に負担がかかっていること。このままだと心臓疾患で急死する可能性もあること。そして、
「チフスや流行性感冒に罹つて、四十度位の熱が三四日も続けばもう助かりつこはありませんね」
と指摘されてしまいます。これに脅えきってしまった主人公は、最善の感染予防策をとることを決意し実行します。外出や人との接触を避け、やむなく外出する時はマスクをつけうがいをする。友人や妻は、そんな主人公の臆病な様子を見て笑います。自分自身も神経衰弱に罹っているかもしれない、と自覚しつつも恐怖には勝てずに予防を続けます。
マスクを掛け続ける主人公
三月になり暖かくなってくることにともない、感染の脅威が衰えていきます。マスクを掛けている人も殆どいなくなります。しかし主人公はマスクをはずしません。
病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人としての勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ。
このように弁解しつつ、マスクを掛け続けます。そして、外出している時に、自分と同じようにマスクを掛けている人を見ると「自分は、非常に頼もしい気がした。ある種の同志であり、知己であるやうな気がした」と感じ、自分だけがマスクを掛けているという照れ臭さから逃れつつ「自分は真の意味での衛生家である、文明人である」と誇りを抱いたりします。
マスクを外した主人公の前に、あらわれた青年
しかし、五月になり初夏の太陽に照らされる季節になると、さすがにマスクを付けることが不愉快になってきます。もうこの気候なら大丈夫だろう、とマスクをとって外出するようになります。ある日主人公は野球観戦へでかけます。球場へ向かう途中、自分を追い越していた青年がマスクをしていることに気がつきます。
自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動を受けずには居られなかった。その男が、何となく小憎らしかつた。
その時主人公が感じたのは「不愉快なショック」と「憎悪」でした。自分がマスクをつけている時には「同志」と頼もしく感じていたのに、自分がマスクを外してしまうと憎悪を感じてしまっている。
そんな自分の心理を主人公は、自分さえもマスクを付けることが気恥ずかしくなっているこの時期に、堂々と人が集まるところにマスクを付けて行くのは「徹底した強者の態度」ではないか。自分が感じている不快感は、そんな強者に対する弱者の反感ではないか。このように分析していきます。そして、この作品は次の一文で締めくくられます。
「此の男を不快に感じたのは、此の男のさうした勇気に、圧迫された心持ちではないかと自分は思った。」
マスクを付ける時、そして外す時。
この作品が発表されたのは1920年ですから、今から100年前になります。しかし読み進めていると、これは現代の私たちの話ではないのか? コロナ禍で生活している私たちそのものなのではないか、と感じてしまいます。
今、私たちはマスクをつけて生活をしています。そして、マスクを外す時がやってきます。その時私たちは、本作の主人公と同じ、つまり作者・菊池寛と同じような状況と心情に直面することになるのでしょう。その時、どのように考え、どのように振る舞うのか。作品を読みつつ、そのようなことを考えました。
【Youtube 佐藤ゼミ】菊池寛 マスクを読む
【参考】今回紹介した「マスク」は、菊池寛の出身地である高松市の公式ホームページに掲載されています。ぜひ実際に作品を手にとって、読んでみてください。