【太宰治】君に今、一ばん欠けているものは、学問でもなければお金でもない。
この作品は、38歳の「売れない作家 =木戸一郎」と、50歳を越えた「ベテラン作家 = 井原退蔵」との往復書簡という形で構成されています。
木戸は「二十年間、一日もあなたの事を忘れず、あなたの文章は一つも余さず読んで、いつもあなた一人を目標にして努力してまいりました(風の便りより)」と、長年にわたる井原の愛読者です。そして自分も作家になったわけですが、なかなか実を結ばずに苦労している。そんなおりに「一夜の興奮から、とうとう手紙を差し上げ(同)」井原に手紙を書いたところ返事がきて、それから手紙のやり取りが始まっていきます。
君に、いちばん欠けているもの
木戸は現在の自分の状況を悲観し、哀れみ、仕事がうまくいかない悩みを井原に書き送ります。井原はそれに対し、感想や批評の返信をするのですが、木戸は「まるで逆上したように遮二無二あなたに飛び附いて、叱られ、たたかれても、きゃんきゃん言ってまつわり附いて(同)」とあるように、どこか素直になれない。いじけたような長い返事を書き送ります。
井原はそんな木戸に対して「君はまさしく安易な逃げ路を捜してちょろちょろ走り廻っている鼬のようです。(同)」と厳しい批評を加えながらこのような一文を書き送ります。
君に今、一ばん欠けているものは、学問でもなければお金でもない。勇気です。
二人の太宰治
この作品では「木戸と井原」という、対照的な二人の作家を通してそれぞれの人生観が語られていきます。しかし私は、この二人とも「太宰治自身」であるように感じられます。
「卑屈に拗ねて安易に絶望と虚無を口にして、ひたすら魅力ある風格を衒う =木戸」
「いつでも、全身で闘っている。全身で遊んでいる。そうして、ちゃんと孤独に堪えている。 = 井原」
この両極端の人格が太宰の中に存在していて、互いに批評しあっている。客観的には井原のように振舞いたい。「君の手紙は嘘だらけだ」と切り捨て「作家は仕事をしなければならぬ。」と、淡々と作品を書いていきたい。しかし現実の自分は、木戸のように振舞ってしまう。相手に甘えているくせに「深く絶望した」と、自分から逃げてしまう。そして、どちらも自分自身だから、切り離すことはできない厄介さ。そのような様子が描かれていると感じます。
もう一人の自分と、共存できない自分
そして私たちも自分の中に、このような「矛盾する人格」を抱えています。
若い頃は、その矛盾に葛藤しいらいらしながら、時には周囲や自分を傷つけながら生きていきます。そしてどこかで「折り合い」をつけ「もうひとりの自分」と共存していく術を身につけていきます。
しかし、共存する術を見つけられなかった時。
井原のように振舞いたい、と願い理屈で押さえつけようとしても、木戸のまま何も解決できずに逃げたまま大人になってしまった自分に気がついた時。「風の便り」を読んでいると、普段は目をそらして「見ないようにしている自分自身」を見せられているような、そんな気分になってきます。
そしてこの作品は、井原のこの一文で締めくくられます。
「天才とは、いつでも自身を駄目だと思っている人たちである。」
笑ったね。匆々。(同)
笑ったね。匆々。(同)
気になった人は、作品を読んでみてください。木戸に共感するか、井原に同意するか。それとも自分には関係ないと感じるか。どちらにしても、きっと何か「考えるヒント」が見つかる作品であると思います。
【Youtube版 佐藤ゼミ】