旅は「準備の時」から始まっている。そして「終わってから」も、おもしろい。
旅は、旅の時間よりも、旅以外の時間がずっと長い
旅は、実際に現地にいる時間よりも準備をしている時間の方がずっと長い。 海外旅行などは、航空券の手配からパスポートの準備、あれやこれやを確認しつつ、仕事を休む手回しも必要だ。ざっと三ヶ月ほど前から準備を始めるのだが、現地で過ごす時間は一週間程度で終わってしまう。あまりにも準備に費やす時間の方が長い。
現在では、ネットで検索すれば現地の詳細な情報が出てくるし、Youtubeを見れば動画で確認することもできる。もはや現地に行く前に大量の情報に触れているので、当日は「ああ、そうそう、ここはこんな感じだよね」と事前に予習した内容の再確認になることもある。
限られた予算と休みをフル活用して海外にいくのだから失敗したくはない、と熱心に情報を調べた結果「新鮮さを喪失する」という、なんだか本末転倒なことになってしまう。
そして旅は、続いていく。
そこで何度か「事前に旅の下調べをしない」という方法を試すことにした。つまり「宿泊地」だけ決めて出発し、あとは現地で適当に調べながら旅を進めていく、という方法だ。
これはこれでなかなか良かったのだが、帰宅してから「あ、ここに〇〇があった。行きたかった!」ということに気がついた時の喪失感は意外に大きい。遠出をしている時などは、なおさらだ。歩い程度の下調べは必要だ。しかしそれが、どの程度なのか難しい。
そのような試行錯誤(?)を繰り返した結果、最近は「準備をしている時も、旅なのだ」と考えるようになった。旅の準備をしているのではなく、この作業も旅の一部なのだ。
そして、旅が終わってから「あの時は大変だったよね。でも面白かった!」と、同行者と話をする。一人旅の時は「こんなことがあってね」と、聞いてもらえる人に話をする。
その時間も旅の続きに違いない。そう「旅は、準備の時から始まっている。そして、ずっと続いていく」のだ。
人間は忘れる生き物だから、ほとんどの体験を喪失していく。一年、いや数ヶ月もすれば「なんとなく」しか記憶が残らない。せっかくの旅が、それではもったいない。
だから私は、こんな風に文章にしたり「あの時は面白かったね」と、同行者と話すようにしている。少しでも記憶が鮮明なうちに。お互いの感情が豊かなうちに。
そんな時間を繰り返していけば、人生の旅が終わりを迎えた時「いよいよこれで、全ての旅がおしまい。楽しかったね」と、思えるような気がしている。