投稿

ラベル()が付いた投稿を表示しています

【北海道旅 2日目(4)】ハンバーガーと、赤レンガ倉庫【函館ベイエリア】

イメージ
坂をくだり、ベイエリアをめざす  旧函館区公会堂の前には静かな、そして手入れの行き届いた公園が広がっていた。 本町公園 である。前方には函館港が美しく輝き、振り返れば旧函館区公会堂の姿が見える。ずっと歩き続けて疲れた足を休めたいところだが、すでにこの段階で午後3時を過ぎてしまっていた。休憩は後回しにして、足を先に進めることにする。  基坂を降り始めるとまもなく、 函館市旧イギリス領事館 の建物が見えた。私は子供の頃に、シャーロックホームズに夢中になってから、イギリスに行ってみたいと思っていた。それが理由というわけではないと思うのだが、学生の頃に気に入って聴いていた音楽は、イギリスのバンドばかりだった。夏目漱石を読むようになってからは、漱石の留学先がイギリスということで、さらに興味が増すようになった。イギリスへ行ってきた、という人がいると感想を聞かせてもらった。  しかし、イギリスに足を運ぶ機会はなかった。行こうと思えば、行くチャンスはあったかもしれない。この年齢まで行けなかったということは、縁がないのかもしれない。そこで、少しでもイギリスの雰囲気を味わおう、という気分になり、イギリス領事館に寄ることにしたのだった。 ライラック、と聞くと思い出すこと   函館市旧イギリス領事館 は度重なる火災の後1913年、現在地に再建されたのだそう。 ユニオンジャックが、春の風にはためいている。当時の函館の人たちは、どのような気持ちでこの旗と建物を眺めたのだろう、と想像する。それは私たちが思っているよりも、近くて遠い場所だったのだろうか。おじゃまします、という気分で敷地内に足を進める。  領事執務室に、リチャード・ユースデン領事が双眼鏡を使って窓の外を眺めている等身大の像が展示されていた。この窓から、こうやって函館の街と海を眺めていたのだろうか。ちなみに、函館公園にイギリスから取り寄せたライラックの苗を植えたのが、リチャード・ユースデン夫人なのだそう。   ライラックと聞くと、思い出すエピソード がある。私が子供のころ住んでいた家の庭に、ライラックが植えられていた。何かのイベントでいただいた苗木を植えたところ、特に手入れもしないのにすくすくと伸び、毎年綺麗な花を咲かせてくれた。それが子供心にも、とても美しくそして「力強く」感じられたので、自宅で犬を飼うことになった時、ライラックにち

【北海道旅 2日目(3)】坂の街で異国情緒に浸る【教会と八幡坂と旧函館区公会堂】

イメージ
函館山を背に、海を眺め続ける。  函館山山麓には、複数の教会が隣接している。カトリック本町教会、函館聖ヨハネ教会、函館ハリストス正教会と、 宗派の違う協会が、これほど近くに隣接している のは全国でも珍しいそうだ。それらが、 空へと続くまっすぐな坂の上にあるというシチュエーション は、函館の街並みに神秘性とエキゾチックさを与え、観光客である私たちを魅了してくれる風景となっている。  それぞれの文化と宗教と一緒に外国からやってきた人々が、函館の丘の上に教会を建てていく。そしてそれは長い時間を越え、今でも函館山を背に太陽の光を浴び海を眺めている。そんな時間の積み重ねや、当時の人々の志を想像していると、日常の時間軸から乖離し過去と現在の中間点を浮遊しているような気分になる。石畳の坂を踏みしめながら、そんなことを考える。  今回は、大三坂を上った先にある、 カトリック元町教会 を拝見させていただいた。ここは横浜と長崎の教会と並んで 国内で最も古い歴史を持ち、江戸時代以降の日本へのカトリック布教史の中で最も古い起源を持つ教会 なのだそう。一般の人にも門が開かれていたので、中に進み聖堂を拝観させていただくことにした。  カトリック元町教会は、1867年に仮聖堂が建てられてから、2度の大火による消失と再建を経て現在に至ったとのこと。そのような背景を想いながら、ローマ教皇ベネディクト15世から寄贈された祭壇を聖堂の後方から眺めていると、このような私でも神聖な心持ちに満たされてくる。守るべきものを守り続けた人たちの志に、ほんの少しだけ触れられたような気分になる。  そういえば昨日の夜、函館山で夜景を見た帰り道、さほど遠くない場所から鐘の音が聞こえてきた。あれは教会からの鐘の音だったのだろうか。それとも全く別のところから響いてきたのだろうか。そんなことを考えながら門を出た。 八幡坂から、旧函館区公会堂への道  教会を出て右手にまっすぐ進んでいくと、その先に多くの人たちが集まって写真を撮っている姿が見えた。何を撮影しているのだろう? 何か有名人でも来ているのだろうか、と思いながら近づいていくと然にあらず。みなさん、坂の写真を撮っているのだった。   そう、ここが八幡坂 。函館に関するガイドブックや写真を見ると、絶対と言ってもいいほどここの写真が使われているのを目にする、有名な観光スポットの

【北海道旅 2日目(2)】函館本町エリアを歩く【工芸と天然酵母のパン】

イメージ
函館は、坂と異国情緒あふれる街  「函館」というと「異国情緒あふれる街」 という印象があった。日米和親条約(中学生の時に日本史の授業で習ったやつだ)で下田と函館が開港となり、いち早く外国の文化に触れた街。外国人が生活し、教会が建てられ、歴史的建造物が多く残された街。そのような情報から、函館には異国情緒あふれる街並みのある街、という印象を持っていたのだった。  2日目は、そのような 歴史的建築物が集まっている「本町エリア」を散策 するのが、目的である。いわば、定番の観光スポットをめぐる予定なのだった。  函館市電の「十文字街」で降車し、まず最初に向かったのが、「 はこだて工芸舎 」である。私は、10年ほど前から「民藝」に惹かれるようになってきた。もともと妻が民藝に興味を持っていて、一緒に盛岡や仙台の光原社などへ行っているうちに興味を持つようになった。昨年は「日本民藝館」へも行った。  もちろん、私たちが購入できるものだから高価な物ではないし、多くを求めることもできない。あくまでも日常の品として使うものなので、いわゆる骨董的価値があるものではないのだが、それでも自分たちの好みで探したものを使って生活するのは、なかなか楽しいものだ。そのようなわけで、今回、函館に行こうと決めた時、はこだて工芸舎へ行ってみたいと思っていたのだった。 市電に乗って、はこだて工芸舎へ  はこだて工芸舎は、 明治23年の建物をリノベーション して利用しているお店である。つまり建物そのものが歴史的建造物なのである。入口をくぐると歴史の流れを感じる重厚感のある気配に包まれる。窓から差し込んでくる静かな光。ちょっと薄暗い店内には、もうずっと100年以上も昔から、そこにあったかのような工芸品が静かに並んでいる。  学生の頃、通っていた仙台の古書店にも、このような気配のある店があった。自分の背よりも高い本棚が並ぶ狭い隙間をすり抜けていきながら、奥のほうに進んでいくと「 この先に自分が探している何かが眠っているのかもしれない 」と気分が高揚していく感覚。  ここ数年、仙台の街では、そのような店が次々と閉店してしまった。先日も、仙台の老舗書店が閉店してしまった。建物の老朽化、維持管理などなど、様々な要因があるのだろうけれど、それらが思い出の中だけにしか残らないのは、やはり寂しい。もっと繰り返し足を運べばよか

【北海道旅 2日目(1)】函館名物、イカはさすがの旨さ。【函館朝市】

イメージ
朝食を済ませて、函館朝市へ  若い頃は旅先で眠れなかった。初日の夜は全く眠れず、ほぼ徹夜で2日目を迎えることが多かった。いわゆる「枕が変わると眠れない」というやつである。面倒な性格である。ところが、40代になってから旅先でも眠れることが増えてきた。そして最近では、初日でもぐっすりと眠れるようになった。神経が図太くなることによって、失うものも増えてくるだろうけど、旅先では眠れた方が良い。 これも年齢を重ねるメリットだ と、プラスに考えるようにしよう。  函館初日の夜も、無事にぐっすりと眠ることができた。北海道だから寝ている時に寒くないか、と身構えていたのだが、ホテル内は空調が効いているし、いつも通り過ごすことができた。朝起きて窓を開ける。遠くのほうに海が見える。青い空が見える。今日もいい天気だなと思う。  今回のホテルは朝食付だったので、身支度を整えてからホテルの中のレストランへ行く。私は普段朝食を食べない。基本的に昼と夜、2食の生活をしている。学生の頃からそのような食生活をしているので、朝はあまり腹が減らない。ところが不思議なもので、旅をしてる時は朝からやたらと腹が減る。今日は朝から胃腸が活性している、という気分になる。今朝も腹が減っていたので、食事をしっかり食べた。これで1日しっかり歩けるだろう。 本日の宿泊地「ホテルニューオーテ」へ 部屋に戻り荷物を片付けてから、チェックアウトする。まず最初に向かったのは、本日宿泊する「 ホテルニューオーテ 」である。まず最初にチェックインをし、荷物を預かってもらうつもりである。外に出ると、強めの風が体を押してくる。風がある分、体感温度は低いけれども、これなら薄手のジャケットを羽織るだけでしのげそうだ。  今回北海道旅行を計画した時、以前北海道に住んでいた人に服装を相談したところ、ある程度防寒したほうがいいかもしれない、といわれて迷ったのだが、荷物は減らしたいしコートが邪魔になりそうだったので、薄手のスプリングコートしか持ってこなかった。しかしこれならば、大丈夫そうだと思う。  旅先でストレスを感じるのが寒さである。そこに雨が降ったら惨めな気分になる。しかし今回の北海道旅行の間は天候には恵まれそうなので、たぶん楽い旅になるだろうと思いながら函館駅へ向かって歩く。  向かう途中、近くを歩いていた女性2人が突然前の方へ向かって走り

【はじめての北海道旅 1日目(3)】函館山で、夜景をみよう。【100万ドルの夜景】

イメージ
市電に乗って「函館山」へ  塩ラーメンを楽しんだあとは、店を出てさきほど歩いてきた道を駅までもどる。これは個人的な感覚なのだが、行きの時よりも帰りの方が「体感時間」が短いように感じられる。おそらく「行き」の時は、見知らぬ場所を歩くことで気を張り、受け取る情報量が多くなっているのだと思う。「帰り」は、ここはさきほど通った道だね、とぼんやり気味で移動できるので時間が短く感じられるのではないか。  これを私は 「小学校の1時間は無限と思えるほど長いが、大人の1時間は一瞬理論」 と仮説を立てている。初めて触れる情報が多い方が、体感速度がゆるやかに流れるという仮説だ。もしも学術的に証明されている部分があるならば、ぜひ教えていただきたい。  五稜郭公園前の駅近くの「 丸井今井函館店 」に、コナンスタンプが設置されているので、寄ることにする。買い物をせず、スタンプを押して帰るだけなので、店側としては歓迎されない客だと思うのだが、邪魔にならないよう、そそくさと目的を達成させていただいた。帰りのエレベーターの中で、高校生と思わしき青年が「何階ですか?」と聞いてくれた。その口調がとても爽やかだったので、函館の高校生は「爽やかな人が多いのだろう」と私の中で印象が強まった。  スタンプを押し市電に乗り込む。ここから「十字街」まで移動する。函館市電には「函館どつく前」という駅があるのだが、私はこれを 「どつく = 殴る」という意味だと勘違い していた。そもそも、そのような暴力的な名前をつける訳がないのだが、何かしらの歴史的背景があり、そのような名前にしたのではないか? と妄想していた。しかし実際は、表記は「どつく」なのだが読み方は「どっく」なのであった。そう、造船所の「ドック」である。  もしも私のように「どつく」だと思っていた方は「どっく」であると、ぜひ脳内で修正しておいていただきたい。「あのー、函館どつく前へ行くには?」と地元の方に質問しても、理解して対応していただけると思うが、なるべくなら事前に修正しておきたい。 函館山で、マジックアワーを待つ。  十字街で市電から降り、そこからは徒歩で移動する。歩きやすい道をゆったりと15分ほどかけて移動する。特に迷うこともなく、ロープウェイの搭乗口には17時30分ころ到着した。夜景を見るには少々早めの時間だが、昼から夜へと変化していく色彩を(マジッ

【はじめての北海道旅 1日目(2)】函館市電に乗って「五稜郭」へ

イメージ
函館で「市電」に乗ろう  函館で楽しみにしていたのが 「市電に乗ること」 である。私は仙台市出身なのだが、1976年までは仙台市内でも市電が走っていた。もしかすると親に連れられて市電に乗ったことがあったのかもしれないが、まだ幼い私の記憶の中に「それ」は存在していない。なので今回の旅では、函館市電に乗ろうと決めていた。  函館駅前の停留所で電車を待つ。数分間隔で運行しているので、乗り遅れても焦る必要はない。希望する進行方向の停留所に並んで待っていると、向こう側から電車が走ってくるのが見える。ああ来た来た、と待ち合わせの場所に相手がやってきた時のような気分になる。中央のドアから乗り、空いていた椅子に腰掛ける。ゴトンゴトンという振動が身体に響く。電車のすぐ横を車が走り抜けていく。車窓から町並みを眺めながら移動できるのが、路面電車の醍醐味である。そして、こうやって多くの函館市民や私たちのような観光客を運んできたのだろう、と思う。  そういえば、とふと思い出す。私が子供だったころ、母親が誰かと「市電にするかバスにするか」と話していたような記憶がある。どちらが便利だろう、と確認していたような気がする。いやこれは本当の記憶ではなく、映画やテレビで見た場面かもしれない。何かの情報が混ざりあって適当な記憶を生成したのかもしれない。今度、母親に聞いてみようかと考える。同時に、いや聞かなくてもいいか、とも思う。世の中には確認しない方が豊かな気持ちになれることもある。函館で市電に揺られながら、そう考える。  目的地の駅で降りる。 路面電車なので、道路の真ん中で下車することになる。 周囲の安全を確認し、横断歩道を渡って向こう側へ渡る。初めての場所なので「あっちか? こっちか?」と戸惑ってしまうのだが、観光客っぽい人たちの流れにあわせていくと目的地の方へ進んでいける。基本的に函館市内は、歩いて移動できる範囲に観光スポットが集まっているので、多少迷ってもなんとかなる距離感がいい。 町歩きが楽しい場所 だと思う。 あの「五稜郭」へ  市電を降りて 「五稜郭」 へ向かう。若いころ「新撰組」を好きな知人に「函館へ行ってきた。五稜郭へ行って……云々」と感想を聞かされたことがあった。当時の私は、まさか自分が函館へ行くことになるとは思ってもいなかったので、なるほどふんふん、と適当に聞き流してしまっていた。あ

【はじめての北海道旅 1日目(1)】北海道新幹線で「北海道」へ

イメージ
北海道新幹線で「北海道」へ  今回、北海道へは「北海道新幹線」で移動する。 はじめての北海道新幹線 である。実は、私は「北海道新幹線」という新幹線があるのだと思っていたのだが「新青森〜東京」間を、東北新幹線、「新函館北斗~新青森間」間を北海道新幹線と呼ぶのである。東北新幹線で移動中、新青森を過ぎると「はい、ここからは『北海道新幹線』です」と、自動的に切り替わるわけである。見た目は変わらなくても、名称が変わることで役割が変化する。  新青森駅を過ぎたところで 「まもなく青函トンネルに入ります」 と車内アナウンスが聞こえてきた。ふと、外国を旅していて「国境」を越える時のような気分になる。よし、ここからは北海道だ、と静かにテンションが上がっていく。  資料によると、青函トンネルは地質調査の段階から40年以上の時間をかけて開業に至ったのだそうだ。素人目にも難工事だったことが想像される。そこを北海道新幹線は、20分あまりで通過していく。数十年の時間を数十分で通り抜けていくことを考えると、どこか時間の感覚が歪んでいくような気分になる。 「北海道へようこそ」  窓の外が真っ暗になり、真っ暗だった窓が再び外の景色に変わる。 「北海道へようこそ」 と車内アナウンスが流れる。この言葉を聞いた瞬間、 ああ北海道へきたのだ 、子供の頃に某釣りマンガで読んだ時から、ずっと来てみたかった北海道へようやく足を踏み入れたのだ、と自分で想像していたよりも大きな感動があった。今回一緒に旅をしている妻の方を見ると、私の方を振り返って「北海道へ来たね!」というような表情をした。  「進行方向右手に『函館山』が見えてきます」 と車内アナウンスが流れる。乗客が一斉に右手の方へ視界を向ける。「どれが函館山?」と妻に聞くと、たぶんあれだよ、と教えてくれる。想像していたよりも低く感じる。調べてみると標高334mだったので、いわゆる里山といったところだろう。今日の夜に、あの山の頂上へ行って夜景を眺める予定になっている。いまのところ天気は良さそうだ、よろしくお願いします、と遠くに見える函館山と空に願いをこめる。そんなことを考えながら、窓の外に広がる景色を眺めていると、ほどなくして 「新函館北斗駅」 に到着した。  新函館北斗からは 「はこだてライナー」 へ乗り換えて函館駅へ向かう。4月中旬の北海道の空気はまだ肌寒く、持

【はじめての北海道旅 4泊5日・準備編】旅の醍醐味は、準備の段階から始まっている。

イメージ
 北海道へ旅をすることになった。4月の中旬、4泊5日の日程である。そしてこれが、私にとって 人生初の「北海道旅行」 となる。なにとはなしに気分が高まってくる。私は個人的に 「旅の醍醐味は、準備の段階から始まっている」 と考えている。旅は実際に現地にいる時間よりも、準備をしている時間の方が長い。時には数ヶ月前から休みの調整をして、日程を検討し、予約を済ませておかなければいけない。  若い頃は、準備をしたり調べることが苦ではなかったので、事前に資料を読み込んだり地図を眺めたりしながら、あれやこれやと準備を進めることが多かった。しかし年齢を重ねるごとに面倒になり「 スマホとクレジットカードがあれば、なんとかなる。 いきあたりばったりで出発して現地に到着してから考える。それが面白い」と嘯くようになっていた。  もちろん、それはそれで楽しかったのだが、準備なしで出かけると見落とすことも多いし、帰宅してから 「あっ、しまった。ここにこんな場所が!」と感じる時の喪失感 は、意外と大きいものである。  そこで最近は「旅の醍醐味は、準備の段階から始まっている」と言い聞かせながら、 準備の時間を丁寧に過ごすように心がけている。 「遠足は家に着くまでが遠足です」と小学校の先生が言っていたが「旅は準備から、帰宅するまでが旅なのです」ということである。この、なんだかんだと調整したりチケットを予約したり支払いをしたりする時間もふくめて旅なのである。  そのようなわけで、今回北海道へ旅をすることが決まった時も「よし、はじめての北海道旅だ。気合をいれて準備しよう」と考え、実際に北海道に関する書籍や関連資料などを入手していた。のだが、そう、みなさんの予想通り「直前までノープラン」という状況で出発することになった。年齢を重ねると、想像以上にあれやこれやが積み重なる。まして数日休みを確保するとなると、言わずがもな、である。  したがって今回の北海道旅は、綿密な下調べに基づくものではなく、行きの新幹線などで、なんとなく調べた情報や残り時間に合わせて移動した行程となる。そのような内容なのだ、とお見知り置きのうえお付き合いいただければ幸い。 ガイドブック的な役割は望めない が、移動中の暇つぶしくらいにはなるかもしれない。( つづく ) ✈︎: はじめての北海道 記事一覧 ☺: このブログの「目次」 ☝:筆者 

【東北温泉旅 2泊3日(4)】旅は、家に着くまでが「旅」である。

イメージ
このような「旅日記」を書く度に、ああそうだ、あれも書いてない、これも書いてない、と様々なことが頭に浮かぶ。 文章にする、ということは現実を切り取る、という行為の繰り返し だから必然的に「書かれていない」ことの方が多くなってしまう。書かれていない部分に、読者のみなさんが知りたいことがあったかもしれない。 しかし旅に終わりがあるように、旅日記にも区切りがある。そして今回の「東北温泉旅」はこの記事で終わりとなる。最終日について少し補足を書いて締め括ろうと思う。 最終日、旅館をチェックアウトした私たちは「おみやげの店 なるみ」に寄ることにした。 (2)の日記 に書いた「鳴子温泉に来た時に、栗だんごを買って帰る店」が、この「なるみ」さんなのである。すでに2日目に栗団子を食べているのだが、帰宅してから家でも食べたいと思ったので買って帰ることにしたのだ。つまり私は「栗だんご」がそれほど好きなのである。今回は栗だんごと一緒に「大栗なるまん」と「しそ巻き」も買った。こちらも、とても美味しいので興味がある方はぜひ試していただきたい。 店内を見て回っていると「旅館大沼さんの浴衣の柄」が染められた「てぬぐい」が売られていた。浴衣の柄がそのままデザインされているのが面白かったので、今回の旅の記念に購入することにした。 実は私は「てぬぐい」が好きで、いつか自分でデザインしたものを作ってみたいと思っている。プリントではなく伝統的な技法で、しっとりと染めてみたい。Youtubeの登録者数が今の3倍になったならば、制作してみようかと密かに考えている。密かに、といってもここに書いてしまったら密かではなくなってしまうのだが、とにかくそのような目標があるので、まだ登録していない方はぜひ登録していただきたい。→ Youtubeチャンネル「佐藤ゼミ」はこちら 。 買い物を済ませて店を出る。帰路に利用する「鳴子御殿湯駅」は店から数分の距離だ。昨日のように電車は遅れるのだろうか。こちらの天候は落ち着いているけれど、山形の方はどうかわからない。峠の向こうは 荒れ模様 かもしれない。駅舎に入ると壁に「猫のこけし」がモチーフになった作品が飾られているのが眼を引いた。気になって調べてみたところ、版画家・大野隆司さんの作品だった。今までは車で鳴子に来ていたので、駅に作品が飾られているのを知らなかった。電車で来てよかった。天

【東北温泉旅 2泊3日(3)】東鳴子温泉「旅館大沼」へ宿泊

イメージ
鳴子温泉駅からバスで移動 バスは定刻通りにやってきた。正確に書くと「鳴子温泉駅」が始発なので、私たちが駅前に到着した時にはすでにバスが停留所で待機していた。暖房の効いた車内には、私たち夫婦の他には誰も乗っていない。まだ発車までは時間があったので、それまでに誰か乗ってくるだろう、と考えていたのだが、最後まで乗車してくる人の姿はなく、私たち2人だけを乗せたバスは定刻通りに出発した。 バスは渋滞することも雪による遅延もなく、スムーズに目的地へと到着した。料金を支払い外へ出ると、寒さが身体にささってきた。急いでマフラーを首に巻きなおし腕時計を確認する。予定のチェックインまでには、まだ時間があるが周囲に寒さを凌げそうな場所も、カフェなども見当たらない。仕方がないのでこのまま旅館へ向かいチェックインの時間までロビーで待たせてもらえないか聞いてみることにした。 今回の宿泊地は「 東鳴子温泉 旅館大沼 」である。20年前に購入した「日本の秘湯(日本秘湯を守る会)」の書籍に掲載されている宿だったので、一度行ってみたいと思っていたこと。そして、ちょうど私たちの予算に合った部屋が開いていたことが、こちらを選んだ理由である。 ちなみに「日本の秘湯」に掲載されている宿は、それぞれに趣があって私の個人的な趣味に合うところが多いので、長く参考にさせてもらっている。書籍を購入した際に「ここに掲載されている温泉に、いくつ行けるだろう」と楽しみにしていたのだが、実際に訪問できたのはわずかばかりである。人生は想像以上に短く、時間は駆け足で走り抜けていく。この書籍を購入した20年前の私に「いつか行こう、と考えていると、いつまでも行けずに終わってしまうぞ」と諭してやりたい。しかし当時の私にそんなことを言っても「ああ、そうですよね」と軽く流してしまうと思う。それもまた人生なのだろう。 今宵の宿泊地「旅館 大沼」へ そんなことを考えつつ、バス停から旅館へ向かう。まっすぐな道を歩いて行くと「旅館 大沼」という看板と「日本秘湯を守る会」の提灯が見えてきた。玄関の引き戸を開け、受付にいらした女性の方に「本日予約をしたものですが、早く到着してしまって…」と声をかけると、大丈夫です、と快く対応していただけた。旅をしていて、ほっとする瞬間のひとつが、宿のチェックインがスムーズだった時である。よし、これでもう今日は大丈夫だ、

【東北温泉旅 2泊3日(2)】鳴子温泉駅(宮城県)で途中下車。

イメージ
瀬見温泉から、東鳴子温泉へ 温泉旅2日目は、宮城県の「東鳴子温泉」である。私は仙台市出身なので、鳴子温泉には馴染みがある。今までにも「 湯めぐりチケット 」を購入し、温泉を梯子して楽しんだりしてきた。しかし、日帰り温泉ばかりで宿泊した体験がなかったので、今回は泊まってみようということになったのだった。 瀬見温泉をあとにし、陸羽東線で「鳴子温泉駅」を目指す。宿の方に送迎していただき、時間通りに駅に到着したまではよかった。ところが、なかなか電車がやってこない。「だいぶ遅れているみたいですよ、風と雪の影響でしょうね」と駅で一緒になった方と話をする。宿の方に「風が強いと電車が止まることがある」と聞かされていたので、運休はしないよなあ、と下に伸びているツララを眺めながら考える。 雪と風の影響? 電車がこない。 一緒に電車を待っていたご夫婦が「もし電車がこなかったら、もう一泊する?」と話している。私たちの場合は、すでに今日の宿を予約しているから、なんとかして移動しなければいけない。しかし電車が止まるような天候で、バスやタクシーでの移動は可能なのだろうか? なにしろ今日は「10年に1度クラスの寒波」なのだ。仮にタクシー移動となれば割高になるし、途中で渋滞するようなことがあれば大変だ。 そんなことを考えつつ、暖房のない駅舎で足踏みをしながら待っていると、踏切の音が聞こえてきた。瀬見温泉駅は無人駅なので、電車の到着を知らせてくれる駅員さんもアナウンスもない。急いでホームへ出ると、遠くから雪をかき分けて走ってくる電車の姿が見えた。ほっ、として暖房の効いた車内へ乗り込む。定刻よりも30分ほど遅れたようだが、30分程度で済んだのなら問題ない。運休せずに走行してくれたことがありがたい。 今回乗車した陸羽東線は、運転手が車掌も兼ねている。無人駅で下車する時は、運転席横の料金箱に乗車券と運賃をいれ、必要に応じて運転手が確認するというスタイルになっている。その様子を眺めていると、想像していたよりも運転手に話しかけている乗客の割合が多いことに気がついた。多くは乗車料金に関する質問のようだが、年配のお客さんが多いせいかスムーズに終わらないことも度々あった。中には乗り換え先の状況を質問している人もいた。 丁寧に対応している様子を見ると、この対応も日常業務のひとつなのだろう。中には数分にわたって話している

【東北温泉旅 2泊3日(1)】真冬の瀬見温泉(山形県)で一泊。

イメージ
12月中旬、妻と旅行に行くことにした。いくつか候補地があったのだが、最終的に「今回は遠出をせず、近場の温泉地でゆっくり過ごそう」ということになった。普段の私達ならば「できるだけ遠くへ、時間ギリギリまで観光」という計画を立てるのだが、今回は妻の体調を回復するための湯治が目的なので「近場の温泉地」ということになったのだった。日程は2泊3日。初日は山形県の瀬見温泉である。 そして結果的に、この選択は正解だった。私たちが出発した当日は「10年に1度クラスの寒波」がやってきていて、強い雪と風で移動には不向きなタイミングだったのだ。旅先で出会った瀬見温泉の方からは「昨日はまでは雪もなく、過ごしやすかった」と挨拶がわりに言われたので、よほど急激に変化したのだろう。実際の陸羽東線「瀬見温泉駅」の様子がこちらである。 真っ白な雪に覆われた無人駅。中央に線路が引かれているのだが、それすらも雪に覆われて見えない状況になっている。「線路が雪に包まれていても大丈夫なのだろうか?」と心配していたのだが、このあと普通に雪をかきわけて電車がやってきた。 駅舎の中に、瀬見温泉の紹介パネルが展示されていた。それによると、瀬見温泉には「義経と弁慶」に関する伝説が数多く残っているとのこと。歴史に興味がある方には魅力的な場所であると思う。旅行中は雪深く移動が困難だったのだが、それでも二箇所ほど訪問することができた。徒歩で観光するならば冬以外の季節がおすすめかと個人的に思う。 一箇所目は「産湯」。湯前神社の前に、手水舎(?)が設置されてある。ここからは、水ではなく「温泉」が流れ出しており、飲泉することが可能だった。手にうけて、少し舐めてみることにする。温かいだけでなく、独特の香りと風味がある。わずかばかり舐めただけなのだが、地球から湧き出る力を身体に取り込み元気になったような気分になる。単純である。 二箇所目は「薬研湯」。弁慶がなぎなたで岩を砕いたところ、温泉が湧き出たとされている場所。目の前を流れる川の流れが厳しくも美しい。雪で霞み、ぼんやりと遠くに見える山々が「遠くまでやってきた」という旅情を誘ってくれた。 三箇所目は「亀割子安観音」。北の方がお産をした際に、御加護のあった観音様を祀っているるとのこと。この場所へ向かうまでの道、強い雪と風に叩かれてしまい、雪道を歩くことに慣れていない私達は目的地に到着後、

旅は「準備の時」から始まっている。そして「終わってから」も、おもしろい。

イメージ
旅は、実際に現地にいる時間よりも準備をしている時間の方がずっと長い。 海外旅行などは、航空券の手配からパスポートの準備、あれやこれやを確認しつつ、仕事を休む手回しも必要だ。ざっと三ヶ月ほど前から準備を始めるのだが、現地で過ごす時間は一週間程度で終わってしまう。あまりにも準備に費やす時間の方が長い。いわゆる「タイパが悪い」というやつだ。 さらに現在では、ネットで検索すれば現地の詳細な情報が出てくるし、Youtubeを見れば動画で確認することもできる。もはや現地に行く前に大量の情報に触れているので、当日は「ああ、そうそう、ここはこんな感じだよね」と事前に予習した内容の再確認になってしまったりする。限られた予算と休みをフル活用して海外にいくのだから失敗したくはない、と熱心に情報を調べた結果「新鮮さを喪失する」という、なんだか本末転倒なことになってしまう。 しかし現実というものは、旅行ガイドには掲載されていない(省略されている?)ような、地味でやっかいで予想外のトラブルに出会うものだ。飛行機で何時間もかけて移動してきたというのに、なんとなく不機嫌なまま時間を過ごすこともある。わざわざ時間と費用と面倒な手続きをして異国の地でトラブルに巻き込まれているのは、なかなか惨めなものだ。どんなに準備しても避けられないトラブルはある。 そこで私は「事前に旅の下調べをしない」という方法を試すことにした。つまり「宿泊地」だけ決めて出発し、あとは現地で適当に調べながら旅を進めていく、という方法だ。これはこれでなかなか良かったのだが、帰宅してから「あ、ここに〇〇があった。行きたかった!」ということに気がついた時の喪失感。教養がある人ならば、事前に調べなくても良いのだろうが、私のレベルでは見落とすことも多く、残念な気持ちになることも少なくなかった。遠出をしている時などは、なおさらだ。 そのような試行錯誤(?)を繰り返した結果、最近は「準備をしている時も、旅なのだ」と考えるようになってきた。「遠足は家に着くまでが遠足」であるように「旅は準備から家に着くまでが旅」ということである。ちょっと違うかもしれないが、そういうことである。そして旅が終わってから、折につけ「あの時は大変だったよね。でも面白かった!」と、同行した人と繰り返し話をする。一人旅の時は「こんなことがあってね」と、聞いてもらえる人に話をする

【バリ島へ行った話 まとめ】遠くて、近くて、遠い場所。(はじめてのバリ島旅行記)

イメージ
旅をする、ということは極めて個人的な体験 である。同じ時間に、同じ場所を旅したとしても、そこに見えるもの感じるもの記憶に残るものは様々である。同じようで、同じではない。ある人にとって「人生を変えるような体験」が得られた場所でも、ある人には「確かに面白いけれど、そうでもない」場所であることあるだろう。同行する人、周囲に居合わせた人、天候、諸々の事象によって、それはつくられていく。 今回の【バリ島へ行った話】も、私の個人的な体験を書き連ねていった。私にとっては「記憶に残った体験」を書いてきたわけだが、あまりにも個人的な体験が中心のため、読んで下さった方に役立てていただける情報はほとんどないだろう。それでも、どこか何かを共感していただける部分があったのなら、筆者としてはほんとうにうれしい。 まだ書こうと思えば続けられそうなのだが、当初の目標だった「10回更新」は達成できたので、予定通りここで終わりにしようと思う。そういえば、バリの伝統舞踊(レゴンダンス)を鑑賞した話や、その時のガムランが素晴らしかったこと、ウブドの夜や、バリアンを訪問したことなどなど、書いていないことがたくさんある。やはりもう少し続けてみようか、と一瞬思ったのだが、やはり初志貫徹で今回で終了することにする。 まとめてみると、 私にとってバリは「遠くて、近くて、遠い場所」だったように思う。 初めて行ったのに、どこか懐かしいような既視感があった。まるで「日本国内を旅している時のようだった」とは、さすがに言い過ぎだと思うのだが、そこまで遠くの国へ来ているような気がしなかった。また来年の夏になったら遊びに来るよ、と祖父の家を訪問する時のような距離感。行こうと思えば行けるけれど、普段はちょっと遠く感じる場所。そんな印象のある国だった。 またいつかバリへ行ってみようと思う。それは数年後か、数十年後か、それはわからない。それでも、少なくとももう一回、二回は、残された人生の中で訪問することになるような気がしている。その時バリは、今回と同じ表情で迎えてくれるのか。それとも大きく変容しているのか。それもまた楽しみにしてみたいと考えている。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 【関連】 【バリ島へ行った話(1)】出発前夜 【バリ島へ行った話(2)】パスポート&ビザ申請 【バリ島へ行った話(3)】航空券とweb