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桜と神社と子供達、それを写真撮影の夢。

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昨晩、とても色鮮やかな夢(寝ている時の)を見た。 自分は、神社にいた。子供達がたくさんいて、神社の境内で何か出し物をする準備をしていた。子供達はみな、お祭りの時に着るような法被や 能装束のような衣装を、見にまとっていた。その様子が、とても色鮮やかだったので、良く見える位置に移動したところ、桜の花が満開になっていて、花びらが空から溢れんばかりに舞い落ちてきた。 自分は、手にもっていた一眼レフカメラを上に向けて、桃色の空の写真を撮影した。シャッター音が、心地よく響いた。 と、いうような夢だった。色彩が、全体的にとても鮮やかだったのと、カメラのシャッター音がはっきりと聞こえてきたのが、とても印象的だった。 今年の春に桜を撮影した時の記憶(このブログの記事に、掲載しているものが、ソレです)が、よみがえったのかもしれないけれど、その時は、法被姿の子供達はいなかったしな、なにより初秋のこの時期に、なぜ春の夢を見るのだろう・・・などと考えながら、これをいわゆる「夢占い」として分析したのなら、どのような意味になるのか? と、あまりにも鮮やかな夢だったので、忘れないうちにここに記録してみました。その後、何か面白い事象や、夢とのつながりがわかったなら、検証してみたいと思います。

なぜ、人は山に登るのか? 登山家・栗城史多氏 エベレスト挑戦!

現在、単独・無酸素でエベレストに挑戦している日本の登山家がいる。 栗城史多さんという、若きアルピニストだ。 高山に登る時には、チームを組み、役割分担をして、頂上を目指すのが一般的だ。まとまった人数で、高度を上げていき、その中のアタック隊が、代表として頂上に挑戦するわけだ。エベレストのような世界最高峰の山なら、なおさら人数も規模も大きくなる。少しのズレが死に直結する場所だから、当然のことだ。ところが、彼は単独、つまり「ひとり」で登頂するという。 人間の生存できる高度には、限界がある。つまり、ある一定以上の高度は、酸素ボンベなしでは行動できないということになる。いわゆる「デス・ゾーン」だ。この高度では、もはや「そこにじっとしているだけ」で、体力が削り取られていくという。エベレストは8844m。限界高度を遥かに越えている。そこへ彼は、無酸素で登ろうとしている。 つまり、一番シンプルで、一番危険な方法で、彼はエベレストに登ろうとしているわけだ。 自分は、国内の2000mクラスの山にしか登ったことがないけれど、それでも、単独で登っていると、ふとした瞬間に圧倒的な恐怖を感じたりすることが、ある。崖で足を滑らせて、数mほどすべり落ちたりすると「今、ここで自分が倒れても、誰にも見つけてもらえないんじゃないか?」と、汗が一気に冷たいものに変わったりする。 これが、8000mクラスの山ならば、どのような感じになるのだろう? 少なくとも、高さが4倍だから、4倍の恐怖、のように簡単にはいかないだろう。きっと、桁違いのプレッシャーの中で登山をするのだろう。残念ながら、一般人の私たちには、その世界を想像するしかない。 とにもかくにも、まもなく、栗城さんはエベレストに単独・無酸素で挑戦するという。山好きの端くれとして、当日は、日本から応援したいと思う。 栗城史多オフィシャルサイト

村上春樹 1Q84

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先日、村上春樹 1Q84を読み始めた。発売されたのが、5月だから、読み始めるまで、だいぶ時間が過ぎてしまったが、これからゆっくりと読んでいこうと思う。 最近、本を読んでいると、10代、20代の頃よりも、格段に読むスピードが落ちてしまった自分に気がつく。10代の頃だと、文庫本一冊だと通学の往復や、その他の空き時間くらいで一気に読む事ができた。電車を降りた段階で、残り数ページだったりすると、そのまま駅のフォームに立って、残りを読んでしまうようなことも、あった。 ところが、最近では、数ページ読んだだけで、集中できなくなってしまう。全然読み終わらないのに、本は購入し続けるものだから、未読の本が寝室の床の上に、山積みになっている。先日の休日に整理してみたところ、軽く50冊以上も未読の本があることに気がついた。このペースだと、在庫を完読するまでに、ゆうに3ヶ月はかかりそうだ。もちろん、その間にも新刊は容赦なく追加されていくわけだから、半年後くらいにまで、延期されるものも、あるかもしれない。 もしかすると自分は、本を読むのではなく、買うのが好きなのではないか? 買った! という瞬間を楽しみたいのではないか? というような気もするけれど、それはともかく、少し集中して本を読めるような環境作りというか、椅子探しというか、姿勢というか、そのようなものを工夫していきたいものだ、と思っている今日このごろ。

ひざ痛と登山の関係。

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昨年、登山中に右膝を痛めてしまった。もともと、膝は弱い方だったので、サポーターを付けたりして注意はしていたものの、一気に痛みが爆発した感じだった。 その後、2日ほどは、階段をおりるだけでも激痛が走り、ちょっとこのままでは、日常生活にも差し障りがあるな、と考えていたところ、3日目くらいから、すーっとひいたので、ひとまず様子見をしていた。 山好きの知人に話したところ「このサプリがいいよ」と、グルコサミンのサプリを、わざわざ、ひとビン下さった。ありがたく、いただいてきちんと服用した。その後、膝に関するトラブルもなく、さらに、肌がすべすべになったような気がしたので、調べてみると「美肌効果」があることもわかり、こちらの方に、効いたのかな、と苦笑いをしたりしていた。 先日、磐梯山に登った時、下山途中に、また膝に痛みが走った。ポールを使いながら、ゆっくりおりてきたのだが、当日はひどく痛み、やはりこれはちゃんと診てもらわないと駄目だな、と思いつつ、その日は温泉に入ってマッサージをして寝た。 翌日、おそるおそる立ってみると、痛みは20%以下くらいにまで減っていた。これなら大丈夫かな、と思い、サプリメントを摂取して、様子を見ている。知り合いに、接骨院で働いている人がいるので、相談しつつ、さすがに今回は、ちゃんと治療しようと思っている。

岳10巻

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学生の頃は、週刊誌を始めとして、暇さえあればマンガを読んでいたものだけど、最近はほとんど読むことがなくなってしまった。いや、正確に言うと、読むには読むけれど、自分で購入することが、なくなったと、いうことだ。 その中で、現在、発売日に購入している唯一のマンガが、この「岳」だ。山岳救助のボランティアをしている、島崎三歩が主人公のこのマンガ。何度読んでも、グッとくる。頼もしいなあ、とか、よくがんばったなあ、とか、無駄かもしれないけど行ってみよう、探してみよう、とか、最近口にすることが少なくなったような気がする部分を、感じさせてくれる作品だ。 自分は、ひとりで登山をすることが多いのだが、誰もいない山中を、テクテクと歩いていると、岳の登場人物のような気持ちになることが、よくある。絶対的な孤独感と開放感。どうして、そんなに苦しい思いをしてまでも、山に登るのか? 岳を読みながら「わかる、わかる」と、部屋の中で噛み締めつつ「山に行きたいな」と思うわけだ。 山荘のおばちゃんの「景色はええが・・・ここじゃ生きてても死んでても分からんが。」という台詞が、主人公への愛情と同じように山で生きる、自分自身への寂寞感を表しているようで、とても心に残った。それでも二人は山で生きるのだろうし、山でしか手にすることが出来ない幸福感も積み重ねていくのだろう。 自分も自営業という形で、自分なりの充実感や幸福感を求めて、会社勤めの方とはちょっと違った生き方をしているけれど、そのような孤独になりつつも自分なりの方法で道を作っていく部分が、山を舞台にした「岳」に共感する一因になっているのかもしれない。岳を2回繰り返し読んだあと、そんなことを考えました。

実験ムービー 2009.08

先日、新しい実験ムービーを公開した。ミュージシャンの新しいアルバム発表のコメントのようだけど「すごく、いいのができた。今までで一番気に入っている」と、自分では思っている。完成度は30点だが、コンセプト的には60点は、つけてあげてもいいのではないか? と思っている(笑) 実験ムービーは「自分が試してみたいことを、恥ずかしげもなく試す」ということが、最大のテーマでもあるので、今後も、この調子で、まずは自分がニヤニヤできるような作品を目指して、作成を続けて、ムダに時間と情熱を注いでいきたいと思う。 他の実験ムービーを、見てみる?  他の実験ムービーは、こちら

北海道限定ビール

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お客さんから、ビールを1ダースいただいた。最近は、このような嗜好品は、ほとんどお客さんからの、いただきものでまかなっているような気がする。もうしわけないなあ、と思いつつ、遠慮無しに楽しませてもらっている。 自分は、アルコールの類いを、ほとんど飲めない。学生の頃、自分の適量をわからないままウイスキーをガブ飲みして、気がつくとトイレに倒れていたと、いうことがあった。便器の横に、丸くなって寝ていたのだが、全くその前後の記憶(つまり、トイレに入ってからの記憶)が飛んでいて、良くドラマなどで「全然記憶がないんだ・・・」というのは、このような状況のことを言うんだ、と、体験から学んだことがある。 不思議なもので、はっ!と、気がついた瞬間、最初に行ったのは、自分の体の状況を確認することだった。どこもぶつけていないし、服もちゃんと着ているし「うまい具合に、倒れたんだな」と、なんとなく嬉しく感じているのは、おかしなものだ。そんなことを考える前に、飲み過ぎた自分を批判するべきなのに(笑)