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ぼくが、涙もろくなった理由。

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昨日は、誕生日だった。 と、いっても、目が覚めた瞬間に「ああ、そうか。今日からオレは世界平和のために生きよう」と、劇的に人生観が変わるわけでもなく、盛大な催しがあるわけでもなく、仙台の街で、ひとりの男(←独身)が、静かに年齢をカウントしただけのことなのだが、やはりそれでも、何かと考えることがある一日だった。 就寝まぎわに、ある女性からメールが届いた。 誕生日のお祝いのメールだ。いわゆるデコメールと、いうのだろうか?色々なアイコンが貼付けてあって、いかにも女性らしいメールだな、と思った。 わすれないうちに、とりいそぎ、お礼の返信をしようと思った瞬間に、ふと気がついた。「あれ? この人は、どうやって自分の誕生日を知ったのだろう?」教えた記憶はないんだけどな。 正確に言うならば「7月の末が誕生日なんだ」と、いうような話はした。でも具体的な日時は言わなかったし、聞かれなかったので、そこで話は終了となった。別に教える必要もないし、知ってもらうこともないし、ただ社交辞令というか「今年は真夏日が続くから、たいへんだよね」とか「じゃあ、今度食事でもしようよ」のように、話のつなぎとして話題になっただけのこと。よくあることだ。 でも、彼女は、どこかで調べて、メールを送ってくれたのだろう。もちろん、調べようと思えば、いくらだって調べることができる世の中だ。ちょっと検索すれば、かなりの個人情報を入手することだって、できる。知人に聞けば、数秒でわかる。 でも。と、思った。わざわざ、こうやって調べてくれて、誕生日に間に合わせて、メールを送ってくれたんだな、と思った時に、案外無頓着な感じの人に見えたけど、実は気が利く人だったんだな、とか、彼女の誕生日の時にも、忘れないでメールを送らないといけないな、でも女性に誕生日を聞くのは、なかなか大変だよな、などと一瞬にして様々なことを考えながら、メールを返信した。 メールを送信したあとで、また気がついた。よくよく考えてみれば、以前の自分なら、このようなことは考えなかっただろう、と思った。誕生日のメールが届いて、ありがとう、と返信して、それで終わり。今回のように、送ってくれた相手のことや、手間などに意識を向けることは、まずなかっただろう。 たぶんこれは、自分自身が年齢を重ねて、それなりの経験

いつか行ってみたい場所 マッターホルン

もはや、いつのことだったか、どこでだったのか、すっかり忘れてしまったけれど、子供の頃に写真で見て、強烈に印象に残っている山があった。 大人になってから、それがスイスのマッターホルンと、いう山だということを知った。 スイスとイタリアの国境に位置し、標高4.478m。 アイガー、グランド・ジョラスに並んで、 アルプス三大北壁のひとつ。知れば知るほど、自分にとって魅力的な山だということが、わかった。 そして、しかるべき準備と、それなりの費用を準備すれば、自分のようなアマチュア登山家でも、登れる山だということも、知った。 それ以来、いつか登ってみたい。登れないまでも、ツェルマットまで出掛けていき、その姿を実際に目でみたいと思っている。普通は、思うだけで終わってしまうことが多いかもしれないけれど、マッターホルンの場合は(何らかの形で)挑戦できる日がくるような気がしている。思うだけなら自由なので、そのように考えることにしている。 Googleマップの3D表示による、マッターホルンのマップ。 ドラッグすると、 マッターホルンの勇姿を、グリグリ回して見ることができます。 大きな地図で見る

あぶくま洞で、8000万年前の世界と対面する。

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福島県 あぶくま洞へ 福島県滝根町にある「 あぶくま洞 」へ行ってきた。 当初は、同じ福島県内にある「 サファリパーク 」へ行くか、あぶくま洞にするか、迷っていたのだが、同行していた人がサファリパークを頑固なまでに拒んだ(理由は、よくわからない)ために、こちらに来ることになった。 あぶくま洞は、 昭和44年に発見された鍾乳洞 だ。ゲートで入場券(入洞券?)を購入して、入口まで歩いていくと、中から冷たい冷気が流れだしてくるのを感じる。まさに「これから別の世界に入っていくのだ」という、気分になってくる。天井から、落ちてくる水滴も、臨場感を高めてくれる。 時々、頭が天井の岩にぶつかりそうになるような、狭い洞内を、身をかがめたりしながら歩いていく。結構な圧迫感。通路横を流れて行く水。ちょっとした探検気分を感じながら、一番最初に、この場所を見つけた人は、どのようなことを考えたのだろう?期待感なのか、冒険心なのか、それとも恐怖感なのか?などと思いつつ、滑りやすい足下に気をつけながら、そろりそろりと歩いていく。 コースの全長は、一般コースが600m。設置された階段を上がったり、下ったりしながら、進んでいく。少し下がっただけでも気温が、ぐっ、と下がるような感じがする。上にあがった途端に、空気があたたかく、やわらかになったような感じになる。以前、別の鍾乳洞へ行った時には、このような感覚にはならなかったから、単なる思い込みなのかもしれないけれど、思い込んだ方が楽しいので、連れと一緒に、さむくなった、あたたかくなった、と、話しながら歩いていく。 天然のクーラーを楽しみながら奥の方へ進んでいくと、あぶくま洞最大のホールである 「滝根御殿」 に到着する。顔を上げて見上げた先に広がる、鍾乳石が作り出す 「御殿」 は、まさに圧巻。ヨーロッパの聖堂を思わせるような、どこからかパイプオルガンの響きが聞こえてくるかのような、荘厳で静かな空間だった。 800万年の時間の果てに 係の方の説明によると、 この部分全体が創られるのに8000万年 という時間がかかっているそうだ。8000万年? 800年でも凄いのに、8000万年? と、そのスケールの大きさに、全くイメージをすることができなかったけれど、まあ、とにかく凄いということだけは、よくわかる。目

磐梯吾妻スカイライン(日本の道100選)

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磐梯吾妻スカイラインを、ドライブする。 福島の「 磐梯吾妻スカイライン 」へ行ってきた。 今までに福島へは、何回も行ったことがあるけれど、なぜか 「磐梯吾妻スカイライン」 は(有料道路ということもあり)一度も通ったことが、なかったので、とても楽しみにしていた。 磐梯吾妻スカイラインは、「 日本の道100選 」にも選ばれている、ドライブコース。東北方面のドライブ関係の雑誌には、必ずといってもいいくらいに登場する道だ。スカイラインという名前の通り、 平均標高1,350mを走るルート なので、とりわけ山好きの方には魅力を感じるコースだと思う。 当日は、梅雨明けの翌日にふさわしく、空には絵に描いたような青空が広がっていた。3連休の最終日ということもあって、渋滞気味になることを覚悟していたのだけど、思いの他空いていて(というよりも、すれ違う車もほとんどないくらいの状況)快適に走ることができた。 このスカイラインには、作家・井上靖氏が名付けた 「吾妻八景」がビューポイント として設定してある。その中でも自分が個人的に気に入ったのは「 天風境 」だ。山谷の間を吹き抜けてくる風が、力強くも心地よく通り過ぎていく。強い陽射しで、少しくたびれ気味だった体を、癒してくれるかのような風が絶え間なく吹いていく。設置してあった看板に「天翔る風が〜」というフレーズがあったのだけど、本当に空から吹き下ろしてきたのではないか、と感じるような、心地よい風をたっぷりと浴びることができた。 浄土平のようにレストハウスがある ような、大きなビューポイントでは、たくさんの車が駐車していたけれど、個々のビューポイントは素通りしてしまう車の方が、多い様に感じた。ぜひ、この道を走ることがあれば、ひとつひとつのポイントに立ち寄ってみることをおすすめしたい。晴れていれば、磐梯山や安達太良山も見えるので、例の詩を思い浮かべながら眺めていただきたい。 登った山を眺められる、贅沢なドライブコース 磐梯山の鋭角な姿は、本当にかっこいい。自分は磐梯山にも安達太良山にも、登ったことがあるのだけど、 頂上に立ったことがある山を、こうやって眺めることができるというのは、なかなかいいもの だ。こうして遠くから眺めていると、あんなに高くて険しい場所に、どうやって登ったの

おとなになった、瞬間。

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今月号のpenは「ヌードは、美しい」だった。 そう、そのままつまり「一冊、まるごとヌード特集」である。 書店で見かけた際に、手にとって、パラパラとめくってみたのだが、おもむろに「む、これは確かに美しい」とか「なかなか、こんな風には撮れないものだよな」と、周りの目を気にせずに、見入ってしまっている自分がいた。 そして、そんな自分に気がついた瞬間「自分も大人になったんだな」と、感じてしまった。ヌード特集の雑誌を立ち読みして、おとなになった、もなにもないかもしれないけれど、直接的&間接的に、そう思ってしまったのだから、これは仕方がない。平日の午後に、書店で雑誌を見ていた時に、自分が「おとなになったな」と感じた。そして、その雑誌は「ヌード特集」だった、というわけだ。 そういえば、と考えてみる。自分が「おとなになった」と感じたのは、いつごろだったのだろう。すこしずつ、時間軸をさかのぼって考えてみたところ「16歳の時に、原付の免許」を取った時に、そう感じたということに気がついた。 自分は7月の夏生まれ。誕生日になるのを待ちわびて、飛ぶように試験場に行き、免許を取ったものだった。試験を受けて、電光掲示板に自分の番号が表示された時は、ふるえるくらい嬉しかった。そして、ピカピカの免許証をもらった瞬間に、自分が大人になったように感じたものだった。16歳の夏。奇しくも、まさに今、この時期のできごとだ。 たぶん僕は「これで、自分の行きたい場所へ、行きたい時間に、自分の意志で、どこへでも行ける」ということに、「おとな」っぽさを、感じていたのだと思う。うちの父親は、かなりの出不精で、めんどうくさがりなので、家族をどこかに連れて行くという考えそのものが、希薄な人だった。でも、子供だけでは行けない場所も、たくさんある訳で、早く父親(=大人)の力を借りずに、自分の力だけでどこか遠くへ行きたいと、ずっと考えていた。それを現実として、実感できたのが『原付の免許を手にする』ということ、だったのだと思う。原付の免許証が、実際に手にして、目で確かめることのできる「おとなの象徴」だったのだと思う。 その後、レストランで皿洗いのバイトをして、貯金したお金で教習所に通い、自動二輪の免許も取ったのだけど、その時も「うれしかった」けれど、おおきな気持ちの変化はなかった。車の免許を取った時も、