【哲学】常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである。(アインシュタイン)
最近 「自分の人生に、影響を与えたこと」 について考える機会があった。私の場合「中学・高校の頃に出会ったこと」に影響を受けていることに気がついた。結局のところ、その当時に興味を持ったことを(自分の中で、流行り廃りはあったものの)ずっと続けてきたのだった。 アインシュタインの言葉に、 常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである。 (アルベルト・アインシュタイン) というものがあるけれど、まさにこの感じ。意識的(または無意識的)に10代の頃に出会った情報や経験が「偏見」となって、 私の「ものの見方」を決めていた 。私が今までに行ってきた選択の多くは、この当時に身につけてきた「偏見」によって決定し実行してきたことは、疑いようのない事実であると思う。さらに経験を重ねることによって、それを強めてきたように感じる。 また、アインシュタインは、 原子を割るよりも、偏見を割るほうが難しい。 (アルベルト・アインシュタイン) と言っているけれども、このようにして身につけた偏見を変えることは極めて難しい。原子を割るより難しい。つまり「ほぼ不可能」ということである。 私もあなたもあの人も「偏見」というフィルターを通して世界を見続けていく。 しかし逆に考えるならば、自分の思考が「どのような偏見で構成されているのか?」を観察することができたのならば、多少は偏見の幅を広げられるかもしれない。割ることはできなくても、光を当てる角度は変えられるかもしれない。 そしてこのように考えることも、私の偏見が生み出すものなのだろう。そんなことを考えていくと、何が何だか分からなくなってしまうが「私の偏見コレクション」を眺めつつ、何かを表現していくことを試みていこうと思います……。 【佐藤ゼミ Youtube版】 【佐藤ゼミ ラジオ版】 〰関連 「人生哲学」に関する記事 ☝筆者: 佐藤隆弘のプロフィール ⧬筆者: 佐藤のtwitter ☈ 佐藤のYoutubeチャンネル「佐藤ゼミ」