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走ることを始めてみる。 その17 「腹が冷える」

これを書いているのは七月の上旬である。記録的に遅い梅雨入りとなった今年の宮城は、いつもよりも心なしか涼しい日が続いているような気がする。もちろん正確に調べたわけではないので、例年並みの気温かもしれないが、なんとなく涼しい感じがする。 しかし、走るとなると話は別である。湿度が高めということもあり、あっというまに汗だくになる。こんなに汗を流したのは、いったい何年ぶりだろう、というくらいに汗が吹き出してくる。立ち止まって下を向いた途端に地面に汗が落ちていく感覚は久しく忘れていた感覚なので、なんとなく新鮮である。と同時に、汗の処理に困ったりもする。 さて、そこでふと気がついたのだが、走っている時に腹のあたりに触れると、驚くほど冷たくなっているのである。身体全体がかなり熱を持っているというのに、腹だけはひんやりとしている。風が正面からあたるから冷えやすいのだろうか? 走り終わってから、少し腹が冷えてゴロゴロするような時もあるので、何か対策をした方がいいのかな、と気になっている。 そうかといって、腹巻をするわけにもいかないし、手でさすっていると走りにくいし、時々すれ違う他の方たちは特に何かの対策をしているようには見えないのだけど、実際のところはどうなのだろう?

走ることを始めてみる。 その16 「献血後のランニング」

献血をした後に、ジョギングしても大丈夫? 先日、いつものように5キロ走ろうと思って家を出た。走り始めの数百mは快調で、今日はなんとなく調子がいいな、と思った。 ところが 1キロほど走ったあたりで、足が重く感じられてきた 。ややペースを落として走ってみたのだが、いつもより調子が出ない感じがしたので4キロで切り上げることにした。 自宅に着いてタイムを確認してみると、やはりいつもよりも遅い。どうしたのだろう? と考えてみたところ、2日前に献血をしたことが思い当たった。おそらくこれが原因かもしれない。 献血の時に担当してくれた看護師さんに「ジョギングをしてもいいですか?」と質問したところ「(軽く走るのであれば)様子をみて、体調が悪くないか確認しながら走るのであれば大丈夫ですよ」と言われたので、 中1日休めば十分だろう、と特に気にせず走し出してしまったのだが、やはり 年齢を重ねると回復が遅くなるのかもしれない ……と、ちょっとしんみりしてしまった。 健康には影響のない量とはいえ血液を抜いていることは事実なので、数日は影響が残るのかもしれない。せっかく世の中の役に立てばと思って献血したのに、自分の体調を崩しては意味がないので、気をつけなければいけないなと思った次第です。(ちなみに今回は400mL献血で参加) 「日本赤十字」のホームページによると また、献血後の血液の「量」は、水分を摂取することにより短時間で回復します。血液の「成分」が回復する速さは、その成分によって異なります。回復する速さには個人差がありますが、目安として、血漿成分は約2日、血小板成分が約4~5日、赤血球は約2~3週間で回復します。 とのこと。赤血球が回復するには2〜3週間とあった。なるほど。良い機会なので覚えておこう。自分の身体なのに、知らないことがたくさんありますね。勉強になりました。 参考 血液の基礎知識(日本赤十字社) 追伸:ここからさらに1日あけて走ったところ、いつも通りのペースで走ることができました。自分のように、そこまで運動習慣が積み重なっていなかったり、疲労感のある仕事が続いている場合は、中2日ほどは休息した方がいいのかもしれません。あくまでも個人差が生じる部分なので、参考までに。

チチヤスのキャラクターロゴ

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チチヤスのキャラクターロゴ 表がこうで、 裏がこう。なごむ。

走ることを始めてみる。その15 「減量記録 その2」

前回「ジョギングを始めてから九ヶ月間、体重が減っていない」ということを書いた。そして「実験的に糖質制限をプラスしてみる」と書いた。 さて、約一ヶ月ほど経過した今。 結果を、ご報告すると「約2キロ減」という状況になった。 え? たった2キロ? いやいや、自分にしてみると、2キロも減った、というのが正直な感想である。 具体的に何をしたか、書いてみよう。 1 )ジョギング 週に5キロを1〜2回  2 )夕食時に「糖質」を軽く制限 3)風呂にはいる時に、必ず体重を計測する と、いったところである。 朝と昼は普通通りに食べる。夕方は糖質を控える(主に白米、デザート類カット)したところ 約 2キロ減ったというわけである。 しかも、他の人と食事をしたり、カレーなど米が中心のメニューの場合は「いや、俺、糖質制限してるんで」と別メニューを食べるのではなく、普通に食べた。デザートも出されたら、いただきます、と食べた。 つまり「厳密なる糖質制限」というよりは、夕食の時に糖質制限を意識した、という表現が正しいかと思う。それで、2キロ減ったのだから、いかに普段、糖質を過剰に採っていたのかがわかるというも のだ。 さらに、毎日体重を計測していると「これは土曜の夜に、ラーメンを食べたやつだな」などと、微妙な変化がなんとなくわかってくる。そして「せっかく500g落としたのに、あの一杯で元通りか・・・」と、内省するようになったのも 効果的だったような気がする 。 ちなみにスタート時の自分の状態は、 178センチ 69キロ と、いった感じだった。一応、標準体重の範囲なので、見た目、太っては見えない かもしれないが、腰回りにはちゃんと(?)脂肪がほんのりとまとわりついている という感じだった。 現在は、 178センチ 67キロ。 食事の 内容や運動量などで、1キロ前後の増減はあるけれど、この周辺を上下といったところである。 このレベルだと、あまり見た目の変化は感じられないのだけど、内蔵脂肪とか、その辺が減っているのかもしれない。くわしくはわからない。 それはともかく、ジョギングを始めてから9ヶ月間、まったく増減のなかった体重が、 糖質を制限(意識)してみることで、目に見えて変化が表れたというのは自分

Googleフォトで、パノラマ加工。

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Googleフォトに写真をアップしたところ、自動的に複数の写真をつなぎ合わせて「パノラマ」に加工してくれた。すごいね。

走ることを始めてみる。その14 「減量記録 その1」

前回「ジョギングを始めてから 九ヶ月ほど過ぎたのだが、 体重は特に変化していない」というようなことを書いた。書いてからふと、このことについてもう少し考えてみようという気になった。 ジョギングを始める人の目的のひとつに「体重を減らそう」というものがあると思う。10代後半とは言わないけれど、20代前半くらいの締まった身体で、颯爽と走るイメージを描いているのではないかと思う。そう「痩せたい!」というのがジョギングを始めるきっかけのひとつというのが、アラフォー世代の素直な心の叫びだと思う。もちろん私の場合も「それ」はあった。 一応「5キロを気持ちよく走れるようになりたい」という表の目標はあったけれども、裏の目標として、前屈みになると腹の周りのダルダル感が目立つようになってき た。この調子だとそんなに遠くない未来に・・・が、 存在していたということを正直に告白しておく。 恐ろしいことに、年齢を重ねると、今までと同じ量の食事でも体重が増えてしまう。ちょっと気を抜くと二キロくらいは、あっという間。さらに、10代のころなら一キロ増えても、2~3日ほど食事に気をつけて少し運動すれば元に戻った。ところが三十歳を過ぎたあたりからは「増やすのは簡単、減らすのはとんでもない苦しみ」を伴うようになる。 私の場合は、休みの日に登山に行ったり、アウトドアを楽しんだりもしているのだけれども、日常がデスクワークの「動かない時間」が中心なものだから、 どうしても「消費カロリー < 摂取カロリー」の状況が続いてしまう。 そして、 二キロ増えたまま一ヶ月が過ぎ、さらにそこにプラス一キロという雪だるま式増量状態になる。 だからこそ、ジョギングのように、ゼーハーと走ったり、ジムに通って汗を流したりする必要が出てくるわけ なのだけど、それなのに「体重ですか? うーん、 9ヶ月走ったけど、実はそんなに変わらないんですよね」では、ちょっとアレだな、としみじみ思ったというわけです。5キロ走れるようになったのは嬉しいし「 表の目標達成」ではあるけれど、やはり 裏の目標も意識してみたいと思ったわけです。 そんな訳で「体重を減らす」という目的を意識して、一ヶ月ほど走ってみようと考えている。具体的には、最近目にする「糖質制限」の考えを加えて、食事を気にしてみることにする。 と、いうよりも実

走ることを始めてみる。その13 「体重が変わっていない?」

今日はいつもと違うコースを走ってみた。距離は変わらないのに、長く感じてしまったのは何故なのだろう? 緊張感があるからかな? タイムはいつもと、ほぼ同じでした。 自分の体型の場合、30分ほど走ると約300カロリー消費したことになる。これは、ご飯でいうと一膳ちょっとに相当するらしい。ゼーハー、と走ってご飯一膳分。…あまり知りたくない情報である(笑) ちなみに、ジョギングを始めてから九ヶ月ほど経過するのだけれど、体重は始めた当初とほとんど変わっていない。むしろ少し増えたくらいだ。たぶん「運動をすることで食欲が増す →消費カロリー以上に食べる →プラスマイナスでややプラス」という図式になるのだと思う。そもそも週1〜2回程度のジョギングでは、運動の絶対量が少ないというのもあるかもしれない。どちらにせよ、あと2〜3キロは絞りたいので、しばらくは消費カロリーなども気にしながら生活してみようかと考えている。

太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」へ 太宰をめぐる青森への旅(2)

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太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」へ 太宰治疎開の家 (旧津島家新座敷)は、斜陽館の混雑ぶりとは対照的に静かで落ち着いた場所だった。ここには40分ほど滞在したのだけど、僕達の前に一組。後に一組。わずか、それだけしか訪問する人がいなかった。 ところが、そう、ところが太宰が好きな人にとっては、この場所は 絶対に外せない場所 である。パンフレットによると「新座敷は、文壇登場後の太宰の居宅として唯一現存する邸宅である。」とあるように、ここは実際に太宰が滞在して執筆した場所に触れることができる、数少ない貴重な場所なのだ。 ここは「パンドラの箱」が執筆された家 太宰はここに、昭和20年7月末から昭和21年11月まで滞在した。この間に、仙台出身の自分には思い入れのある「パンドラの匣」も執筆されたとのこと。あの、 「やっとるか。」 「やっとるぞ。」   「がんばれよ。」 「ようし来た。」 (パンドラの匣より) が執筆されたのが、まさにこの場所だと考えると頬がゆるんでくるような気がする。この天井を見上げて「ふうむ」とペンを走らせていた様子を想像していると、 太宰が実際にこの世界に存在していたのだ ということを体感できたような気がする。 と、いかにも色々なことを知っているような素振りで書いているけれども、実は僕自身ここに来るまで、この事実を知らなかった。 現地でいただいたパンフレットを見て知った のである。 いやはや、ここに立ち寄って良かった。「ちょっと疲れたし、斜陽館は見たし宿へ行ってゆっくりするか」と、くだらないことを考えなくて良かった。やはり旅先では「よし、時間があるからここにも行ってみよう」と、足を伸ばすことが大切である。意外とそんな風にして立ち寄った場所で出会ったできごとが、目的地よりも大きな収穫を得る事ができるのも少なくないものである。 さらに幸運なことに、僕達が訪問した時には他に訪問客がいなかったため、店長さん(と、いう表現でよいのだろうか?)から解説をしていただくことができた。 「作品のこの部分に書かれているのが、この部屋です」 「え? あれって、この部屋だったのですか?」と、作品世界と現実の世界とがリンクしていく。それは、実際に現地を訪問したから体感できる素

太宰治の生家「斜陽館」へ行く 太宰治をめぐる青森への旅(1)

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「斜陽館」へは、行くことができなかった。 今年の5月の連休は、4日間ほどかけて青森方面に旅してきた。色々な場所へ行って色々なものを見てきたのだけれども、僕にとって今回の旅のハイライトは「 斜陽館 」を訪問できたことだった。 今までにも青森へは何回か旅をしてきたけれど、 なぜか斜陽館へは行くことができなかった 。時間的に厳しくなって予定を変更したり、吹雪と大雪で道路が通行できなくなってしまったりなど、など。とにかく様々な理由で訪問することができなかったのである。 ここまで縁がないということは、もしかすると、このまま永遠に訪問できないのではないか? なにかしら見えない力が働いて拒絶されているのではないか。とまあ、そのようなことを冗談まじりに考えつつも、意外と本気で「今度こそ! いやもしかすると今回もまた何かトラブルが起きて…」などと考えつつ、仙台から出発したのであった。 そして「斜陽館」へ向かう 斜陽館へは旅の二日目に向かう予定だった。弘前から岩木山神社へ向かい参拝後、白神の森を歩いてから、最後に金木町へ向かう計画だった。少々タイトなスケジュールではあったけれどもトラブルや渋滞などがなければ、スムーズに到着する予定だったのだが… … 。 と、さも何かトラブルがあったかのような書き方をしてしまったのですが、実際はほぼ予定通りに金木町に到着することができた。順調に進む時というのは、まあこんなものである。駄目な時は、どうあがいても駄目なのだが、うまくいく時はさらさらと流れていくのである。 写真で何度も見た、あの「斜陽館」と対面。 カーナビと看板の案内を確認しながら、斜陽館に車で近づいていく。(直進。次の交差点を右です。まもなく目的地付近です) 進行方向の右手に、写真で見た「あの建物」があった。おう、やったぜ。とりあえず、ここにこうやって到着できたというだけでも、今回の旅は成功だったと思えるほど嬉しかった。 仙台市から斜陽館まで、車で約370km。さほど遠くはないが、近くもない。とにもかくにもとうとう来たぜ。おそらくこの時の僕の顔には、かなりの達成感が漂っていたに違いない。 駐車場の前に立っていた係員が近づいてくる。「駐車場が満車だから、そこの銀行の前に止めてくれ。大丈夫だから」と

走ることを始めてみる。その12 「タイムが気になってきた」

現在は、週1回4〜5キロのペースで走っている。 目標としては週2回くらいに増やしたいのだが、忙しかったり怪我をしたりしてなかなか回数を増やすことができなかった。それでも週1回は死守(?)している自分を、とりあえずは認めてあげようかなと思っている。 さて、このように「へなちょこランナー」の自分でも、半年以上走り続けていると、タイムが気になってきたりする。できれば、少しでも早く走りたい。アスリートのように颯爽と道を駆け抜けるのは無理だとしても、自分なりの成長を感じてみたくなるものである。 なので、ここ数回は「前半の3キロは早めのペースをキープして残りの2キロはいつものペース」とか「前半の4キロはいつものペース。ラスト1キロは限界近いスピードで」などと、めりはりを付けて走ってみることにした。5キロすべてを全力疾走する力はないが、部分部分でペースアップしてみてタイムを削ろうという作戦である。 ところが不思議なもので「よしよし、今回は前半かなり飛ばしたから、そこそこ良いタイムが出たのでは?」と期待を込めながらタイムを確認してみると、・・・そう、ご想像の通り「いつもとほとんど変わらないタイム」なのである。つまり自分の実力だと、最初飛ばしても後半バテてスローダウンするし、後半ダッシュしているつもりでも体力が残っていないのでさほど変わらない、というわけである。ゼーハー、と呼吸を荒くしながらラストスパートして「よお・・し、が、んばっ・・た。ゼハー。どれどれ」と思いながらタイムを見ても、通常のタイムと数十秒しか違わないというのは、これはこれでわりとがっくりくるものである(笑) 逆に言えば、自分の心地よいペースで最初から最後まで一定の速度を保った方が、記録的にも体力的にもちょうど良い運動になるということなのだろう。焦らず、全体的に少しずつ底上げしていくことが大切なのだろう。ゆっくり、でも走る事だけは止めずに、淡々と走ることを続けていきたいと思った次第です。

もう一回、やってみよう。

ここ最近、微調整の作業が続いた。実際のところ調整前のものと比較しても、その差に気がつく人は少ないだろう。むしろ誰も気がつかないかもしれない。もうこのくらいでいいじゃないか、と、いやここまでやったのだからもう一息、を繰り返しながら時間を費やしていく。 それでもやはり、自分自身が納得いかないと、どこか落ち着かないし後悔するのが嫌なので手を加えてしまう。そして、うーん、まあ今日はここまでかな、とモヤモヤしながら後片付けをする。寝る準備をする。 今日は風が強い。明日、いや今日も少し寒くなるみたいだ。もう寒いのは嫌だけれど、この寒さの先には春が待っていると思うと、色々とがんばれそうな気がしてこなくもなくもなくもない。

UNIQLOジーンズを買う。

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ユニクロで買ったセルビッチジーンズを、育ててみる ユニクロに行ったところ、セルビッチの生デニムを発見。良さそうだったし、ちょうど限定価格で安かったから購入してみることにした。 今は 生デニム とか リジッド 、などと呼ぶそうだけど、自分が学生のころは「 ノンウオッシュ 」と呼んでいたような気がする。当時はインターネットはなかったから、雑誌などを見て情報収集をして色々と地道に研究したものだった。 雑誌で 「ジーンズをはいたまま風呂に入り、タワシでこする」 というノウハウを見つけた時は「確かにこれなら、身体に合わせてきれいに色落ちしそうだ」とワクワクして試してみたくなったのだけれど、そうかといって実家の風呂でそんなことをしたら親に怒られそうなので、シャワーを浴びながらこっそりと擦ってみたものだった。そしてそんな苦労のわりには特に好みの色落ちにならなかったのも、また良い思い出である。 そういえば 「ノンウオッシュは、洗うと縮む」 ということを甘く考えていて、洗う前に裾上げをしてしまい、裾がくるぶし近くまで短くなってしまったこともあった。ガンガン洗えばきれいに色落ちする、と思い込んで、こまめに洗っていたところ、ただの白っぽいジーンズになってしまったこともあった。 周りを見ると「絶対に洗わない」ということで、遠目で見ても汚れて色が変色?しているようなジーンズをはいている人もいたし「裾上げはしない」と言って、20センチくらい捲って履いているような人もいた。「俺はロッカーだからスリムしか履かない」と言って、遠くから見ると下半身だけがひょろりとして見える人もいた。 現在のように、簡単に情報を入手できない時代だったから 勘違いや失敗も多かった けれど、その分(よくもわるくも)個性的な人は、とことん個性的だったような気がする。 まあそれはともかく、久しぶりにノンウオッシュのジーンズを購入したので、昔を思い出しながら色落ちを楽しんでみようかなと考えています。 最初の色合いがこれ。実は個人的にはこの状態の色も好きなので「このままでもいいかな」という気持ちもあったりします。 関連: (5) uniqloジーンズの色落ち(あれから四年後) (4) uniqloジーンズの色落ち(あれから三年後)

2015.2.11

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かなり気温は冷えているけれど、空は澄んでいて気持ちがいい。 # 仙台 

走ることを始めてみる。(その11) 「手足が冷えやすいような気がする」

最近は、週1回。5キロ前後で走っている。 なにせ東北の冬は寒いので(筆者は宮城県仙台市在住)雪が降ったり風が吹いたりすると、とんでもなく冷え込んでしまうので、とても走る気にならないのだ。横から凍るような冷たい風や雪が吹き付けてくる夜道を、よろよろと走る姿を想像していただきたい。かなりせつない気分になるだろう(笑)もちろん、ちゃんとした(?)ランナーならば、それでも走るのだろうけど、自分のようなへなちょこランナーは必然的に休みの日が多くなってくる。せいぜい週に1回走れば良い気分になってくる。そうかといって何もしないのはちょっとアレだと思うのです、週1回走って他の日はストレッチなどをして体調を整えるようにしている。春になって暖かくなったならば、猛烈に走ろうと思っているのだけど、そうなったらそうなったで別の走らない理由を考えそうな気もする。 さて、今「冷え」について書いたのだけど、最近気になっていることがひとつある。 ジョギングを始めてから、なんとなく手足が冷えるようになってきた気がするのである。もちろん冬で寒いのだから手足が冷えるのは当然なのだが、それでも以前よりも確実に冷たく感じるのである。 記憶を思い返してみると、運動をしていた学生の頃は若干、手足が冷えやすかったような気がする。寝る時も手足を擦り合わせるようにして温めてから寝ていたような気がする。それが社会人になって運動をしなくなると、手足に冷えを感じなくなってきたような気がする。 つまり「運動する=手足が冷えやすくなる」ということなのだろうか? 単純に考えれば、運動すれば血行が良くなって冷えが改善されそうな気がするけれど、自分の場合は逆なのだろうか? ジョギングの参考書などを見ても「冷え性が改善するよ!」というようなことしか書いていないから、もしかすると自分が「冷えている」と感じているだけで、実は改善しているのだろうか。運動することで手足の感覚が活性化してきたことで、冷えに敏感になってきたのだろうか。くわしいことは良くわからないのだが、ひとまず今の段階では「手足に冷えを感じるようになってきた」ことを記録しておこうと思うわけです。

献血へ行く。 その2

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先日献血へ行った際の検査結果が届いた。それにしても、健康診断の結果を見る時というのは、どうしてあんなにも緊張するのだろう。どれ確認しようかな・・・いやもう少し後で・・・ええい、いいや、もう見てしまえ、というような逡巡を頭の中で数回繰り返してしまう。すでに結果が出ているのだから、さっさと見てしまえばいいのに、 時間をおいたからといって数値が向上するわけではないの に、ついつい躊躇してしまうのは、なぜなのだろう? ちなみに、今回の検査結果はすべて基準値内におさまっていた。ほっとした。若干、コレステロール値が高めだったのは、年末年始の食事の内容が影響しているのだろうか? いつもより酒量が多かったし、肉料理が中心だったし、運動不足だったし、 そうこの年末年始で1キロくらい太っていたからなあ、やはり餅は危険だあれは太る、などと無駄に記憶を辿ってしまった。とりあえず、自分もアラフォー世代。この機会に生活を見直して、次回の検査までに数値を下げられるように注意していきたいと思いました。

献血へ行く。

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献血へ行った。実は献血へ行くのは学生の頃に行ったきりだったので、20年ぶりくらいになる。なぜ突然また献血へ行こうと思ったかというと、話せば長くなるので簡単に書くと、たまには世の中の役に立つことでもしよう、と思ったからである。ちょうど休みで時間もあるし、家でゴロゴロしているよりは良いかなと思って出かけたというわけである。 今回は仙台のアエルにある献血センターへ行ったのだけど、広くて清潔感があって、とても快適な空間だった。自分が学生だったころの献血センターは、もう少し病院の雰囲気というか、ざっくばらんとした感じだったように記憶しているけれど、だいぶ変わったものだ。さらに驚いたのは「ポイント制度」になっていて、ポイントを(献血をすると内容に合わせてポイントがたまる)記念品がもらえるのだそうだ。うーん。いろいろと工夫をしているわけですね。 ちなみに学生の頃の献血記録は、データに残っていなかったそうだ。さすがに20年ほど前のデータは削除されてしまうのだろうけど、ちょっと残念だった。まあ、当時のデータを見せられても「ああ、この数値が高くなってる。歳はとりたくないなあ・・・」と、落ち込むだけかもしれませんけどね(笑)