2015年5月11日月曜日

太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」へ

太宰治疎開の家旧津島家新座敷
太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)は、斜陽館の混雑ぶりとは対照的に静かで落ち着いた場所だった。ここには40分ほど滞在したのだけど、僕達の前に一組。後に一組。わずか、それだけしか訪問する人がいなかった。

ところが、そう、ところが太宰が好きな人にとっては、この場所は絶対に外せない場所なのである。パンフレットによると「新座敷は、文壇登場後の太宰の居宅として唯一現存する邸宅である。」とあるように、ここは実際に太宰が滞在して執筆した場所に触れることができる、数少ない貴重な場所なのだ。

太宰はここに、昭和20年7月末から昭和21年11月まで滞在した。この間に、仙台出身の自分には思い入れのある「パンドラの匣」も執筆されたとのこと。あの、

「やっとるか。」「やっとるぞ。」 
「がんばれよ。」「ようし来た。」
が執筆されたのが、まさにこの場所だと考えると無意識のうちに頬がゆるんでくるような気がする。この天井を見上げて「ふうむ」とペンを走らせていた様子を想像すると、太宰が実際にこの世界に存在していたのだということを体感できたような気になってくる。

太宰治疎開の家 案内
と、いかにも色々なことを知っているような素振りで書いているけれども、実は僕自身ここに来るまで、この事実を知らなかった。現地でいただいたパンフレットを見て知ったのである。

ほんとうに立ち寄って良かった。「ちょっと疲れたし、斜陽館は見たし宿へ行ってゆっくりするか」と、くだらないことを考えなくて良かった。やはり旅先では「よし、時間があるからここにも行ってみよう」と、足を伸ばすことが大切である。意外とそんな風にして立ち寄った場所で出会ったできごとが、目的地よりも大きな収穫を得る事ができるのも少なくないものである。もちろん空振りで終わることもそれなりにあるけれど、プラスマイナスで評価するならばプラスに傾く事の方が多いと経験上感じている。

さらに幸運なことに、僕達が訪問した時には他に訪問客がいなかったため、店長さん(と、いう表現でよいのだろうか?)からマンツーマンで解説をしていただくことができた。「作品のこの部分に書かれているのが、この部屋です」「え? あれって、この部屋だったのですか?」と、作品世界と現実の世界とがリンクしていく。それは、実際に現地を訪問した人だけが体感できる素晴らしい瞬間だ。


斜陽館では、その大きさとスケールに圧倒されてしまい「なんだかよくわからないけれど、とにかくすごい」という印象だけが強く残ってしまったのかもしれない。ところが「太宰治疎開の家」は間取り的にも「じっくり見るにちょうどよい」場所だったのが良かったのだと思う。より現実感のある空間だったので「ここに太宰が住んでいたのだ」とイメージしながら、ゆったりとした心持ちで楽しむことができた。

さらに、太宰が執筆に使っていた書斎には机と座布団が置いてあったのだけど「どうぞ座ってみて下さい」と、勧めていただいた時には「ええ? 僕なんかが座っても、いいんですか?」と、まるで思春期の子が好きなミュージシャンを見て興奮するように、ワクワクしてしまった。こんな気分になったのは、久しぶりだ。もう大人だし、冷静で静かに振舞おうと心がけていたのだが、思わぬところで自分の中に存在していた懐かしい感情が湧き上がってしまった。

記念にと、座布団の上に座っているところを写真に撮ってもらったのだが、いつもの猫背気味の姿勢ではなく、しゃんと正座をして背筋を伸ばして座っている自分の姿を見て笑ってしまった。自分で言うのもおかしいのだが「少年のようなキラキラした清々しい目」になってしまっていた。写真をお見せできないのが、残念である。いや、別に見せても良いの…いや、止めておこう。やはりこれは思い出としてしまっておこうと思う。本当に大切な思い出は、おいそれと他人に見せてはいけないのだ。たぶん。


今回、太宰治疎開の家を訪問して感じたことは「自分は文学の世界が好きなのだ」ということだった。いやもちろん、わざわざ大学で日本文学を専攻したくらいなのだから、文学が好きなのは自他共に認めるところなのだけど、自分が実感しているよりも、ずっとずっと「この世界が好きだったのだ」ということに気がついたのである。

ちょうどこの青森への旅に出発する前に、ある飲み会で「自分探し」について話をしたのだけれども、僕にとっての自分探しは、もうずっとずっと昔に終了していたのだということを実感した。誤解を恐れずに照れずに言うならば、それはつまり「自分=文学の世界」なのだ。僕自身がこの世界に生まれてから、一番時間を費やして続けていたのが文学の世界なのだから、良くもわるくも、ここが出発点でありこれからも続けて育てていく部分なのだろう。

この事に気がついただけでも、今回の旅は非常に大きな意味があったと思う。これから自分が手がけていく仕事にも、ひとつしっかりとした筋が通っていくのではないかと考えたりもしている。

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